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2011.09.28

樅の木はたおれた 台風の爪跡が痛々しい清津峡キャンプ場

清津峡管理人・アキラッチとともにキャンプ場入り口に立った。
舗装路からガードレールをのぞみ、その変わり様に言葉を失う。
うっそうと繁っているはずの樹木はなく、青い空が抜けていた。
あまりに間の抜けた明るさだ。
ここはつい先日まで「緑のタイムトンネル」の入り口だったはずだ。
トンネルどころか、何もない「空」だ。
キャンプ場入り口を示す木の立て看板は雨に洗われ、妙につるりとしている。
木目までも洗い流されたように見え、雨の激しさを物語っている。

山道に分け入ると、舗装路の直下から道は崩落している。
崩れ落ちたところを迂回し、しばらくはこれまでの道を下る。
いたるところで木がなぎ倒され、道をふさいでいる。
木の下をくぐったり、乗り越えたりしながら中間地点の鉄塔まで来た。

問題はここからだ。
正規の沢筋のルートは土砂が崩れ落ち、倒れた木々で埋めつくされている。
とても進める状態ではない。まるでアスレチックか意地悪なジャングルジムだ。
(一昨日、take-z=たけちゃんがここを乗り越えてキャンプ場に降り立ったそうだ)

ルートを反対の右に取り、のっぺりした急な斜面を降りる。
足元が直ぐに崩れ落ち安定しない。
何度か切り返し、鹿の通り道を伝いながら到着。


炊事場の屋根が風にあおられ大きく左にずれこんでいる。
バンガロー群はかろうじて健在。
驚いたのはバンガローをかすめるように木 が何本も倒れている。
これらがバンガローに倒れていたらイチコロだったろう。
奇跡としかいいようがない。

一方でねむの木、イチョウ、もみの木などの巨木は根こそぎ倒れている。
イチョウの木の周囲は一面銀杏で埋めつくされている。
例年「Live in 清津峡」を前にして収穫真っ盛りの頃だが、それどころではない。
倒れた木を切り出したり、新しい道を作るための木のクイが積まれている。

先週来アキラッチが一人でコツコツ復旧作業をしてきた様子が思い起こされる。

コーヒーを飲みながらしばらくは変わり果てた姿を目に焼きつける。


今日は大バンガロー裏手の倒木を撤去する予定。
一昨日たけちゃんが手伝った作業を引き継ぐ形だ。

数本の木が根元付近から折れている。
その先端はバンガローかすめるように折り重なり、まだ折れずに踏みとどまっている木の幹に支えられている。この幹は大きくしなり地面と平行の状態で頑張っている。
力尽きた時上に折り重なる倒木もろともバンガローの壁に直撃する可能性が高い。

一番上の木を数カ所切断し、1本ずつ取り除かなければならない。
けれどそれは思っていたほど簡単な作業ではなかった。
倒れた木の枝がからみあい、どの枝が目的の枝かわからないからだ。
また、倒れた幹にかかる荷重の方向によって切断した時の跳ねる方向がわからない。
荷重方向に応じて幹の上からチェーンソーの歯を当てるのか、下から当てるのかを予測しながら切らなければならない。

アキラッチは慎重かつ大胆にチェーンソーの歯を当てる。
僕は彼の切り落とした幹や払った枝を一ヶ所に集める作業を手伝う。

1本切るのに2時間近くかかる。
広いキャンプ場の随所に倒れた木々。
場内が終わった後は山道に倒れた木の処理が待っている。
しかも新しい道を考慮した形で進めなければならない。
新しい道をどこにつけるかはまだ様子を見なければわからない状態。
気の遠くなるような作業だ。いったいいつまでかかるのやら。


    「一日一本」の気持ちでやりますよ


と、アキラッチ。




今日半日手伝って感じた問題は新しい道をどこにどうやってつけるかということだ。
倒木の処理は時間をかければなんとかなるだろう。
でも新しい道はそうはいかない。
雨が降った時の水の流れ方を見極めなければ決められない。
また、荷物を背負って(両手に荷を持っておりてくるキャンパーもいる)安全に、少しでも快適に降りれる道でなければならない。

新道の位置が決まったとして、今度はそこに土ドメの杭を打ちさらに補強しなければならない。
そこの土が踏み固められるには時間がかかる。
その間に大雨が降れば再び崩壊する可能性もある。

しかしあれこれ考えても始まらない。
やれることから一つずつこなしていくしかないのだろう。


作業に集中するアキラッチを見ながら僕はふと思った。


     この作業を通してアキラッチは「清津の仙人」になっていくんだな。
     キャンプ場を開き、基礎を作り、道半ばで倒れた初代「清津の仙人」のように。


清津峡キャンプ場の復旧と再建。
そのほとんどをアキラッチは一人で担うことになる。
僕たちにできるのはそのお手伝いにすぎない。
それでも時間を見つけて時々キャンプ場に行き作業の手伝いをしようと思う。

「心の故郷」清津峡再建の一端を担いたいという思いもある。
同時にアキラッチが「清津の仙人」になっていく過程を見届けたいと思うのだ。


清津峡のもみの木はたおれた。
でもそこから新しい芽が育まれ、いつかまた大きな木が生い茂る日を信じたい。

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2011.09.22

【緊急のお知らせ】 今年の「Live in 清津峡」を中止させていただきます

昨日の台風で清津峡キャンプ場と道路を結ぶ山道が崩壊いたしました。

樹木が倒れ、土が流出した結果、道がなくなってしまったのです。

キャンプ場自体の損傷は現在管理人・アキラッチが調べています。
バンガロー等の被害は軽微で済んでいるようです。


いかんせんキャンプ場までたどり着けないことにはどうもならんわけで…


したがって、本当に残念ですが、今年の「Live in 清津峡」は中止させていただきます。


この日のために準備を進めてきた皆様。
状況をご理解の上、よろしくお願いいたします。







これまで自然の恩恵を少しばかり分けてもらってきましたが
今回は自然の猛威にひれ伏するしかない。。。

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2011.09.19

5年目に入った「すみれコンサート」

今回も楽しく、満足のうちにコンサートを終えることができました。
おかげさまでだんだん定着しつつあるように感じます。

あいかわらずこじんまりとした音楽会ですが、その分アットホーム。
お客さんとやりとりしながら和気あいあいと進められるようになってきました。
ハモンドオルガン・マンドリン・歌の組み合わせが定着し、コンサートの形もできあがってきたようです。

演奏面でも少しずつ工夫を凝らしてきました。
数回前からハモンドオルガンやマンドリンの演奏に打楽器(カホン等)を絡ませてきました。音の厚みやメリハリが増してきた感じです。

今回も新たな試みをしました。ももっち夫妻はマンドリン演奏に専念し、まぁちんがギター伴奏を受けもったのです。
これが楽しかった。
マンドリンとのアンサンブルは高校時代のマンドリンクラブ以来です。当時とは演奏曲目は全く違うけれどリリカルなマンドリンの音にガットギターで伴奏をつけるのは懐かしく、快感でもありました。

今後はまぁちんの歌にマンドリンを絡ませるなどして、いろいろ試行錯誤をしていきたいと思います。

たとえよちよち歩きであっても少しずつ時間をかけて成長できればいいなと思います。
音楽を媒体にしてお客さんとアットホームな時間を共有すること。
これがめざすべき方向性だと確信した今回の「すみれコンサート」でした。



実は…
今回「すみれコンサート」は5年目に入りました。
途中約1年の中断があったり、出演者がいろいろ変わったり、紆余曲折を経ながらの4年間でした。
亀の歩みのような4年間でした。それはこれからも続くだろうと思います。
でもゆっくりした歩みだからこそ大切で、愛しく感じられるというものです。
ゆっくり、ゆっくり少しずつ年を重ね、成長できればいいなと思います。

そしてこれまで「すみれコンサート」の1ページを彩ってくれたすべての出演者の皆さん、足を運んでくださるお客さんたちに心から感謝いたします。

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2011.09.13

昨夜は十五夜 おつきみどろぼう

昨夜は見事な十五夜だった。

友人のライブの帰り道すでに空高く上ったお月様を眺めながら夜道をゆっくり歩いた。

いろんな童謡が浮かんでは消える

うさぎ うさぎ なにみてはねる
じゅごやおつきさま みてはねる

 

十五夜おつきさま 雲の上…

そして自然と口をついて出てくるのは「おつきみどろぼうの歌」

仕事で印刷した「おつきみどろぼう」という絵本(ねぎしれいこ:作 ・ 世界文化社:発行)に曲をつけたのは一昨年のことだ。

世界文化社さんの計らいで「絵本コンサート」をやった。

懐かしい思い出だ。

帝釈天「絵本コンサート」

川越ひまわり幼稚園「絵本コンサート」

もとはロックンロール風の歌だ。
昨夜はベランダで一人、お月様を眺めながらバラード風に歌ってみた。

 

おつきみどろぼうの うた

作詞:ねぎしれいこ
作曲:Martin 古池

きょうは じゅうごや
こっそり こっそり
おつきみ どろぼう
じゅうごやに みんなで
こっそり なにするの?
こっそり こっそり 
こっそり こっそり
おつきみ こっそり
おつきみ どろぼう
 

 

きょうは じゅうごや
こっそり こっそり
おつきみ こっそり
じゅうごやに みんなで
こっそり なにするの?
こっそり こっそり
こっそり こっそり
こっそり みんなで
おだんご たべた

 

きょうは じゅうごや
こっそり こっそり
おつきみ こっそり
じゅうごやに みんなで
こっそり なにするの?
こっそり こっそり
こっそり こっそり
おつきさまも こっそり
おだんご たべた
おつきさまも こっそり
おだんご たべた

十五夜の晩におつきみのお供え物をそっと盗んで食べてもよい。

子供たちはお月様の子供だから、お月様の代わりに食べてもよい。

お供えをたくさん食べた年は豊年満作になる。

こんな風習が今でも日本各地に残っている。

地震や津波、そして台風や大雨で今年は農家も甚大な被害を受けている。

それを乗り越えて、こういう風習がいつまでも残っていってほしい。

そんな日本でありますように(祈)

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「朝市コンサート」で感じたこと  ナマ歌、ナマギターで臨む

「朝市コンサート」

諸事情があり、今回は肉声・生ギターで臨む。

前日観たナターシャ・グジーの完全アコースティックライブに触発されたということもある。

しかし場所は市場だ。

多くの人が行きかい、買物をする声が厚いカーテンのようにステージを包み込む。

チェーンソーで冷凍マグロを切る鋭い音が空気を切り裂く。

市場の中では歌声はともかくギターの音はほとんどかき消されてしまう。

遠くまで声を届けるのは無理というもの。

ステージ前に設置されたいくつかのベンチのちょっと後ろおよそ5メートルに声が届けばいい。

そう考えながら歌い始める。

力まないことだけを心がける。

とはいうものの、力が入らないわけがない。

なんとなくギクシャクしたものを感じながらの演奏だ。

歌いながらギターのピッキングの強さ、発声の修正を何度も試みる。

なんとか自然体 になるまで30分を要する。

その頃になってベンチに腰をおろして聴いてくれる人が現れ出す。

遠くから寄ってきて聴いてくれる人も現れる。

10分ほど聴いてベンチを離れる時には別の人が座っている。

1時間以上もそういう状態が続き、人が途切れることはなかった。

 

驚きだった。

 

マイクを使って演奏している時は、途切れなく聴衆がいる状況になったためしなどなかった。

いつもは40分・3ステージに分割しているが、今回は一気に1時間半続けることになる。

(目の前に人がいるのに中断するわけにはいかない)

やがてベンチのお客さんとやりとりが生まれる。

そうなるとこちらのもの。

おしゃべりの内容に合わせて歌を展開する。

「朝市コンサート」が「井戸端ライブ」的になっていく。

6年以上も市場で歌ってきて初めてのことだ。

 

演奏しながらハッと気がついた。

この状況は昔新越谷駅前でやってた「街角ライブ」に似ている。

 

「街角ライブ」 

毎週土曜日の晩、ほとんど欠かすことなく続けてきた。何年続けたろうか。 

最初の数年間はマイクを使って結構大きな音量でやっていた。雑踏に音がかき消されるのを恐れていた。

けれど人は足早に通り過ぎていった。

たまにじっくり聴いてくれる人もいたが、たいがい柱の影など遠くから聴くのみで距離をおいていた。

こちらからの一方通行だった。

 

ある時からアンプをやめて肉声で臨んだ。 

不思議なものでそれからというもの少しずつ声をかけられるようになった。

やがて聴いてくれる人が誰かしらいるようになった。(5時間休憩なしのぶっ通しライブになることもあった)

時にはたくさんの人が集まり大合唱になったりもした。

 

不特定多数の人に聴いてもらい、しかもライブとして成立させるために必要な条件。そういうものがいくつかあると学んだ。

その一つが演奏する側と聴く側の「適当な距離」だ。

適当な距離には適度な音量が必要なんだろう。

一定以上に大きな音量は不特定多数の人を遠ざける。

射程圏外(?)に追いやってしまう。いわば音の暴力になってしまう。

道行く人に心地よく響く「適当な距離」は「適当な音量」が作る 。

 

 

あの頃感じたこと学んだことは「朝市コンサート」でも同じだったんだ。

そのことを忘れていたような気がする。 

市場では景品交換の宣伝という役目があるからある程度の音量が必要と思ってきた。市場サイドからもガンガンやってくれと言われてきた。

長年その役割は果たしてきたと思う。今では市場の風物詩になりつつある。(風物詩=あって当たり前の風景)

不特定多数とは煎じつめればface to face 。 

この辺で「街角ライブ」の原点に立ち返り、face to faceの井戸端ライブをめざすのも悪くはないと思う。 

 

猛烈に疲れた今回の「朝市コンサート」だった。

でも最高に楽しく、そして大いに勉強にもなった。

市場の風物詩からさらに脱皮したコンサートにしていきたいものだ。 

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ナターシャ・グジー コンサート

先日友人に誘われてナターシャ・グジーのコンサートに行った。
代々木の国立新美術館で開催されている二科展のイベント。

ナターシャ・グジー はCDなどで聴いてはいた。でも実際の演奏を聴くのは初めて。

ナターシャの美しい肉声と楽器(名前を忘れた)の音色がからみあい素晴らしい演奏だ。
CDでは感じることのなかった静かな深い感動を覚えた。


ナターシャは6歳の頃、チェルノブイリで被爆している。
その彼女の言葉には深い説得力を感じた。

被爆して25年。
友達にはすでに子供もいて、染色体異常などの影響も出ているという。

故郷チェルノブイリから離れて以来、いまだに帰ることはできない。
これからもそれはかなわないだろう。

そうナターシャは静かに淡々と語る。
だからこそより深い悲しみを感じるのは僕だけではなかっただろう。
(まわりにいた何人かの人はそっと目頭をおさえていた)


今回の東北の震災とそれに伴う福島原発で苦しむ人々を思い、歌った。

「いつもなんどでも」

「見上げてごらん夜の星を」


心に染み入った。

これまで多くの人がこの歌を歌うのを聴いてきた。
僕自身、時に歌うこともある。

これほど生々しく心に響いたことはなかった。



これまで好んで聴いてきた音楽会とは全く違った世界を経験することができた。

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2011.09.06

第13回 森の音楽会@八ヶ岳・あすなろ小屋

台風12号が遅々として進まず、暴風雨そして濃霧の中を八ヶ岳に向かう。

八ヶ岳に直結している中央道は大月を中心に通行止め。中央道に沿うように走っている国道20号は大渋滞。

やむなく東名高速で御殿場まで行き富士の裾野から峠をいくつか超えて甲府にでた。

 

小屋に着くと前日から入っていた「あすなろ山の会」のメンバー数人が出迎えてくれる。

 

 

  いやぁ、今回はこの台風。

  人は集まれないけど、しょうがないよね。

 

 

  なんもさ!

  来られる人だけで充分。

  ゆったりやりましょうや。

 

 

  テラスに仮設の屋根をつけたんだよ。

  多少の雨ならしのげるけど…

  風があれば小屋の中でやるしかないね。

 

 

見ると例年ステージになってきたテラスには透明プラスチックの板とビニールシートで屋根がかかっている。

簡単に撤去できるようにと釘は使わず紐で結わえて作られている。

それでも雨はしのげるようになっている。

さすがにこの小屋を手作りした山男たち。手先の器用さと強引さが同居したような仮設屋根だ。

 

 

テラスでコーヒーを飲みながら雨に煙る森を眺めながらのよもやま話。

やがて三々五々と参加者たちが集まり始める。

063

 

出演者、オーディエンス合わせて最終的に10名。

雨が弱まる気配もないので小屋の中で音楽会をやることになる。

小屋の中でやるのは第5回目以来。

雑然とした小屋だがそれもまた悪くはない。

 

達ちゃんがテラスで焼き鳥を焼き始める。80本だ。

第1回目から焼き鳥を焼き続けてきた先輩だ。慣れた手つきでひょいひょいと焼いていく。

小屋のオーナー二郎さんと要(かなめ)ちゃんはやはり音楽会名物の豚汁づくり。

その脇で信州から初参加の界屋(さかいや)さんが信州素材を使ってジンギスカン作り。

川崎からオートバイで7時間かけてやってきたゼファーさんは、寄り道してわざわざ仕入れてきた地酒のうんちく。

甲州のチャーリーさんはテラスで予行演習に余念がない。

 

参加者全員が音楽会スタートに向けて思い思いに動き出す。

常連も初参加も関係ない。全員が準備の段階から協力し合う様子はいいもんだ。手作り音楽会ならではの風景に心が温まる。

 

やがてch@boz(ちゃぼうず)さんから電話が入る。

国道20号をいまだ大月だそうだ。

横浜を出発してすでに7時間。到着にはさらに3時間はかかる。まさに酷道だ。

 

当日電車組の村田御大も、電車がかなり遅れようやく富士見駅にたどり着いたとの連絡。

 

 

森の小さな小屋に嵐に抗して集まってくれる人たち。

頭が下がる思いだ。

 

 

準備段階からすでに小屋の中は充分に温まっている。

定刻4時から大幅に遅れはしたが、音楽会はなんとなく幕を切って落とす。

 

以前の大がかりな音楽祭だったころは開会の挨拶があり、おもむろに始まったものだ。あれはあれで身が引き締まる感じがあってよかった。

でもこの「なんとなく始まる」感もとても心地よい。

 

  これから音楽会が始まるぞ!

 

みたいな構えた感じではなく、呑んで、しゃべって、その延長に音楽がある。

音楽が始まればそれを肴におしゃべりがあり、酒がさらに進む。

 

 

Photo

トップバッターはすでにレギュラーとなった甲州のチャーリーさん。

3回出演のこの人は会を重ねるたびに目に見えてうまくなっている。

最初はギターをジャンジャカかき鳴らしながら歌うって感じだった。

「唄が好きだから歌う」という音楽の原点をストレートにやっていた。

それが聴き手と歌を共有するという風に変わってきた。

ギターも歌もいろいろ工夫されている。あちこちで場も踏んできた。

聴き手とコミュニケーションがとれるステージになっている。

 

  チャーリーさん

  あんたもずいぶん揉まれたんだね

 

素直にそう感じさせてもらえる演奏だった。

 

1順目は長淵剛のカバーを

2順目はビートルズを

3順目は酔っぱらい、つぶれ、演奏せず

 

理想的な「呑み歌会」を体現してくれた。

 

 

Photo_2

 

2番手は信州の絵仕事 界屋(さかいや)さん。

フィンガーピッキングのカントリーブルースをされる方。

身体をふりふり、にこにこ笑いながら、ちょっとコミカルなステージだ。

でもそこに確かな技術の裏付けがある。

存在感たっぷり!

歌もギターも抑えぎみなんだが、言葉の一つ一つが前に出ていてよく伝わってくる。

大笑いしながらも、どこかほろりとする味のある演奏に感心した。

 

 

 

Photo_3

3番手はゼファー750さん。

この嵐の中をバイクを7時間も飛ばしてやってきたツワモノ!

ストレートなメッセージソングを中心に歌う。

70年安保の時代に思春期~青春期を送り、当時のプロテストフォークの影響を強く受けている。それが歌にしみ込んだストレートなステージだった。

 

面白かったのは60年安保の時代を生きてきた「あすなろ」の長老たちとのやり取り。それぞれが生きてきた時代背景の違いが浮き彫りになるちょっとした議論。

まるで昔のフォーク集会が思い出される一コマだった。

 

Photo_4

 

 

4番手はMartin(まぁちん)古池

僕にとってはホーム中のホームがこの音楽会。

普段のライブはそれなりに緊張感をもって臨むんだが、ここではそのかけらもない。しゃべってるんだか、歌ってるんだかその境目がよくわからない状態だ。

それが許されるからこそ楽しいというのも事実かもしれない。

そんなわけで何をどう歌ったか、ほとんど覚えていない。

「楽しかった」というイメージだけが残っている。

 

 

Chboz

 

5番手はチャボウズさん。

横浜から延々10時間もかけてやってきてくれる。

(遅れて到着したチャボウズさんの顔を見た瞬間、ホッとして日本酒に一気に走ってしまった)

行動を共にすることの多い彼の演奏をこの音楽会でぜひ披露してほしかった。念願がかなった思いだ。

いつものように昭和歌謡や童謡・唱歌を中心に歌う。

選曲や深い歌が聴き手の琴線に触れているのが手に取るようにわかる。

きわめつけはアイルランドの古い歌。小屋全体がシーンとして聴きいってしまった。

つくづく引き出しの奥が深い人だと思う。

 

 

Photo_5

 

オーディエンスは「あすなろ山の会」の長老たち。これまでこの音楽会を支えてきてくれた人たちだ。

思い思いに腰を下ろし、テーブルに積まれた料理をつまみながら酒を酌み交わし、ここぞという時にチャチャを入れてくる。

最高のオーディエンスだ。

Photo_6

 

 

かくして森の音楽会は続き、とっぷり夜も更けいつの間にか深夜に。

楽しきことこの上なし。

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⇒絵仕事 界屋さんのブログ記事

⇒チャーリーさんのブログ記事

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