欧風屋ライブを終え、今思うこと
【避けてきた都内でのライブ活動。そして「欧風屋」ライブ】
これまでずいぶん長い間、都内でライブをやることをためらってきました。
せいぜい対バン形式で、複数のミュージシャンにまじって30分程のミニステージをやるのが関の山でした。
理由はいくつかあります。
1.まず生活の場=地元に根を下ろした活動をするという思いが強かったこと
2.次に「東京」というところに敷居の高さを感じていたこと
3.最後にライブの形に対するこだわりがあったこと
1.「生活の場に根を下ろしたい」
これは僕が20代後半に数年のブランクを経て音楽活動を再開したころから思っていたことです。
(ブランクについてはまたいずれ書くことがあるかもしれませんが、音楽から遠ざかった数年間に今のスタイルの基礎が芽生えたような気がします)
このころ僕は「フィールド・フォーク」の影響を受けていました。
「暮らしの中で、暮らしに密着した音楽活動を」という考えです。
演奏するべき場、スタイル、楽曲にいたるまで「自前」でありたい思っていたのです。
ちなみに人前で演奏を始めた高校生の頃はフォークソングの草創期。
高石友也(ともや)さんの言葉に強く影響を受けていました。
私はフォークソングシンガーです。
フォークソングを広め伝えるのが私の仕事。
全国各地に裾野のように広がり、
それぞれの場で歌っている人たちこそ
フォークシンガーです
こんな内容の言葉に強く影響を受けていたことが背景にあったと思います。
「場末のフォークシンガー」たらんことを自認していました。
実際にやっていた音楽活動は地元のライブハウス「ぶどうの木」でのソロライブ。
くわえて地元の商店会の街おこし活動をお手伝いする中で演奏の場を作ったり、楽曲の提供をするなどをしていました。
こういう考え方やスタイルは50歳後半になった今も色濃く残っています。
音楽活動の拠点を都内に求めるという考えはハナからありませんでした
まれに都内で演奏することもありましたが、それは武者修行という位置づけだったのです。
2.「東京はなんとなく敷居が高い」
武者修行のため都内で演奏をする時、なんとはなしに違和感を覚えていました。
ライブハウスやライブバーでご一緒する方たちはほとんどが洗練され、カッコいい演奏スタイルだったんです。
自分のスタイルは田舎くさくて、泥臭くやぼったいと思ってしまったのです。
当時地元で盛んにやっていた自作曲はみな町名が出てきたり、店の名前や中学校の名前が出てきたりしていました。
そんなの東京じゃあ誰も知らないわけで…
さらに僕のステージは当時から歌と同じくらいおしゃべりの比重が高かったのです。(そのころすでに「フォークブーム」は去り、オシャレなニューミュージックに変わっていました)
他の人たちがほとんどセンス良くステージを流していく中で、僕はまるで小骨がのどに刺さったようなひっかかりのあるステージをやりました。
オレの演奏ってどんくせぇよなぁ…
ま、しゃぁない
オレはオレだ
このスタイルしかできない
こんな文句を当時の日記に頻繁に書き連ねています。
その時々では武者修行は大いに勉強にはなりました。
でも、僕にとって「東京」はどうしても敷居の高い近づきがたい場所。
そんな印象を植えつけてしまったのです。
3.「ライブ・スタイルに対するこだわり」
僕の「ライブ」は2部・2時間というパターンで若い時分からやってきました。
当時レギュラーライブをやっていた「ぶどうの木」のマスター・ぺけさんの影響です。
長いライブでも聴く人に飽きさせず、しかもそこに自分の思いをもぐりこませるという考えです。
1部50分であるテーマを完結させ、2部50分で別のテーマをやる。
それでいて1部と2部の間には微妙な関連を持たせる。
そういうライブのスタイルが体になじんでいました。
また「ぶどうの木」ではそれが可能だったのです。
ところが東京でライブをやるとなるとなかなかそうはいきません。
一人のミュージシャンのためにそこまで自由にさせてくれる場はなかなかありません。
貸切にして高い料金を払えばあるんでしょうがね。
一アマチュアミュージシャンにはペイするほどの集客力も力もありません。
多くの場合、何組かの出演者でやる対バン形式のライブにならざるを得ないのです。
この場合一組の枠は20~30分程度。
この枠では自分がやりたいライブはできない。
だいたいそんな短時間じゃ歌っておしまいじゃないか!
オレはそれに満足できるのか?
なんてことを当時は思っていました。
吉田拓郎がテレビ出演を拒否して「そんな短時間でオレの何がわかるんだ」と言って物議をかもしたことがありました。
僕もそう思っていました。
(今考えると全くの赤面ものです。20~30分の枠でライブを成立させられない自分の力量こそが問われなきゃいけないのにね…)
こんなワケが原因して僕は「東京」を拠点にしたライブ活動を避けてきました。
4.「欧風屋」ライブ
そんな自分が今年になって神田司町の「欧風屋」さんでソロライブを始めています。
3月の末と先月末、すでに2回開催しています。
年度末で前職を退いたことがきっかけでした。
長年仕事上でお世話になった方たちに音楽を通して恩返しをしたい。
それによって新しい人生の出発点にしたい。
そう考えたのが始まりでした。
都内で仕事をしていたので、都内でライブをやった方がみなさん集まりやすいだろうと考えたのです。
運よく、以前「唄の驛」という音楽サークルで使わせていただいた「欧風屋」さんがその提案を快く受け入れてくださいました。
「欧風屋」さんはライブハウスやライブバーではなく、音楽好きが集まる洋食屋さん。お店自体がとてもアットホームです。
「敷居が低い」というのがなにより良かった!
ライブに足を運んでくださるお客さんが、気楽に来れる。
食事をしながらそこに音楽があった。
そんな雰囲気にしたかったのです。
音楽をやるぞ!
聴くぞ!
という感じはどうも僕にはなじまない。
「欧風屋」さんはぴったりの場所でした。
第1回目のライブ。
いざふたを開けてみると欧風屋さんはたくさんの人で満席になりました。
仕事関係の方々以外にも、これまでお付き合いしてくださった各方面の方々が来てくださった。
これはうれしいできごとでした。
その後何人かの方に叱られました。
今までなんで都内でやらなかったの?
越谷じゃ遠くて聴きに行けないよ!
当初は1回限りのライブにしようと思っていました。
でも考えなおしました。
時々は都内でソロライブをやるのも悪くはない
楽しみにしてくれている人も少なからずいるわけだし
年に2~3回、同窓会のようなライブがあってもいいな
そんな思いで先日第2回目の「欧風屋」ライブをやりました。
4か月ぶりのライブです。
この4ヶ月のできごと、感じたこと、考えたこと
まるで同窓会で近況報告をするようなライブになりました。
お客さんも各方面から集まってくださり、ほぼ満席にしてくださいました。
聴いてくれる人がいる
同じ時間、同じ空間を共有する人がいる
さらに共鳴・共感してくれる人がいる
ほんとうにありがたいことです。
ずっと避けてきた都内でのライブを2度やり、今思うことがあるとすれば…
それは「縁」の不思議さ、ありがたさです。
地元で長年続けているライブ。
そのすべてが縁が縁を呼びライブへの運びとなっています。
いわば「縁の連鎖」です。
東京でのソロライブを避けてきたのは、都内では「縁」を結びにくいと感じていたからだと思います。
「欧風屋」さんを通して新たな縁が生まれました
途切れていた「縁」もいくつか復活しました。
地元でのレギュラーライブをベースにしつつも、
時々は同窓会のようなライブを都内で、
「欧風屋」さんで続けていきたいと
今、思っています。
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投稿: Prigtheacttic | 2011.08.17 10:55