師匠・水井のオヤジのこと
年賀状の束の中に見慣れた、そして懐かしい右肩上がりの文字がおどっていた
水井のオヤジだ
良かった
また1年、生きながらえたか!
水井のオヤジは僕に印刷の何たるかをたたきこんでくれた師匠だ
お前なんぞ弟子にした覚えはない
そんな答えが返ってきそうではある
でも彼に鍛えられた日々がなければ、印刷人としての自分は絶対になかった
だから誰がなんと言おうと(本人が認めなかったとしても!)自分にとっては師匠である
影でささやかれていた言葉がある
水井は若い芽を摘んでいく
水井に見込まれたやつは皆つぶされる
おまえも気をつけろ
たしかに「鍛える」といっても半端ではなかった
いじめやいびりとほとんど紙一重だった
およそ25年前、印刷技術班に僕は配属された
技術班は現場で職制経験のあるベテラン4~5人のチームで協力会社の技術指導に当たっていた
ベテラン猛者連の中で、三十代半ばの僕はひよっこの若葉マークでしかなかった
自分では十数年の印刷現場経験で、ある程度の自信を持っているつもりだった
鼻っ柱をボキリとへし折ったのは水井のオヤジだった
協力工場で印刷立会いをして持ち帰ったOKシートの刷り本(印刷物)をちらりと一瞥くれただけで彼はそれを床に放り投げる
こんなもんでOK出してくるんじゃない
と言いたげな顔でプイと横を向く
どこがまずいんですか
気色ばんだ僕の問いに返す言葉は常に冷たかった
それくらい自分で考えろ
これで良しとして技術者ヅラするんじゃない
困り抜いた僕は何度も何度も刷り本を凝視し、ふたたび協力工場へ
再度印刷立会いをしてOKシートを持ち帰る
深夜すでに誰もいない職場で穴の開くほど刷り本を見つめる
自信が持てない
水井さんからOKをもらえるだろうか・・・
疑心暗鬼に陥る
そんなやりとりが頻繁にくりかえされていた
わずかばかりの自信も、印刷人としてのプライドも
なにもかもが根こそぎもぎ取られた
ダメなヤツ!
そんなレッテルを自分で自分に貼り付ける
不安で不安でしょうがない日々を送った
いつしかそれは水井さんに対する恨みになり、やがてそれは殺意にまでなった
オヤジ!
いつか殺してやる
穏やかではないが、そこまで思いつめたこともあった
そんなことが3年も4年も続いたある日のことだった
立会いを終えて帰社した僕はいつものように机に刷り本を広げ水井のオヤジの判断を待った
いつものように一瞥をくれ、ポツリとつぶやいた
おまえも少しはまともなものを刷ってくるようになったな
そう言い残し、その場を立ち去った
(水井のオヤジの背中を見ることもできず、僕は立ちすくみ泣いた)
ここから二人三脚が始まった
殺してやりたいとまで思ったオヤジの一挙手一投足に意味があったと感じるようになった
「いじめ」と感じるか、「鍛錬」ととらえるかでその評価はガラリと変わってくる
水井のオヤジが出す難題を「鍛錬」と素直に受け止めることができるようになった
過去「いじめ」と思えたことの中にも意味を感じることができるようになった
(デキが悪いくせに反抗的な視線で見返す僕に、単に怒っての仕打ちだったかもしれないが・・・)
僕はまるで海綿が水を吸収するように、水井のオヤジが持っているものを会得していった
目の前の視界がパーッと開けたような気がしていた
「職人」、「技術者」そして「技能者」はそれぞれ似て非なるものかもしれない
水井のオヤジは完全なる「職人」だった
仕事に対する姿勢、技、判断、責任感、潔さ、そして頑固さ
どれをとっても自分の身体に叩き込み血肉と化していた
何十年もくりかえし続けた作業を通してしか産まれてこないものだ
そしてそれはきわめて個人的な産物である
僕もまた「職人」たちによって鍛えられ、仕事=印刷技能を覚えてきた
けれど「完全なる職人」に育つ前に「技術担当」にコンバートされた
時代はすでに「職人」を必要としていなかったのだ
閉ざされた「職人技」の世界を開放し、すべての作業工程をマニュアル化することが推し進められた時代だった
必要とされたのは「決められたこと」を「決められたとおり」にこなすことができる勤勉なる「技能者」であった
僕は「技能者」ではあってもまだ「技術者」ではなかった
身体で覚えこんだ「技能」が基本=「表」の技であるとすれば、「技術」とはその裏にあるものを駆使する技である
マニュアル=基本作業だけでは解決できない問題や、問題=トラブルが発生したときにそれを解決する技が「技術」である
言葉を変えるとこうなる
「あたりまえの品質」を保証するのが「技能」である
これは印刷製品としての機能を充足させるワザ、つまり不良生産をしないためのワザだ
「あたりまえの品質」の保証が困難な時に解決策を講じるのが「技術」である
さらに付加価値を高め、「魅力的な品質」を創造するところまでが「技術」の守備範囲である
今にしてみれば・・・
ひよっこ技能者に過ぎなかった僕を水井のオヤジは「職人の手法」で「技術者」にたたきあげようとしたんだと思う
僕の作ったOKシートが製品としては通用したとしても、魅力的な刷り物ではなかったということだ
だから一瞥しただけで床に放り投げたりもしたのだ
その理由を聞いても教えてくれなかったのは、言葉では決して伝えることのできない感性の問題だからだ
ある日突然水井さんは会社を辞めた
彼が長年高品質の再現に執念を燃やし続けた月刊誌・SB社の「○○画報」の印刷を終えた直後
水井さんは会社に来なくなった
上司の数度にわたる説得にもかかわらず、オヤジは沈黙を貫きだまって消えていった
当時水井さんは体調を崩し、気力も弱くなっていたのは感じていた
しかし一週間にわたる最後の「○○画報」の印刷を鬼の形相で取り仕切った
最終の印刷立会いを終えた夜、職場で一杯やりながらポツリとつぶやいたのが印象に残っている
ウチの技術を作ってきたのは「○○画報」だったな
水井さん56歳の時だった
今彼と同じ年齢になり、当社での技術者としてのキャリアも残すところわずかになった
「技術の継承」ということを最近よく考える
水井さんが去った後、僕は自分のやり方で「技術者」たらんと努めてきた
寡黙なる職人・水井さんに対し、僕はモノ言う技術者となった
コンピュータ技術が製版や印刷を大幅に変え、古い仕組みの手法はほとんど一掃された
そういう時代への適応をめざした結果が「モノ言う技術者」につながった
昨日あるベテラン営業と話をしていて言われた
古池さん
あんたの仕事を見てると水井さんを思い出すよ
印刷界はずいぶん変わったけど
「職人の魂」は変わらないんだね
水井さんと同じだね
うれしかった
反面、内心を突き刺す刃のようでもあった
オレの中には水井のオヤジをはじめ、たくさんの先輩の血やDNAが流れ込んでいる
オレは次代にナニモノかを残せているんだろうか・・・
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