« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »

2010.12.29

JACK ROWGUNS

JACK ROWGUNS
清津峡で生まれた幻の期間限定バンド

JACK ROWGUNS

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.12.23

技術者としての満足感を感ずる印刷立会い

会心の印刷立会いをさせてもらったのは久しぶりのことです

入稿時から尋常のやり方では印刷できない予感がありました
お客様のEB社もそれを感じていたようで、当社営業を通して早々と品質管理の要請を出されていました



EB社の仕事は昔から特殊な仕掛けを要する印刷が求められてきました

・特色(既製インキではない、特別に調合したインキ)を駆使する
・印刷の刷り順を通常とは違ったものにする
・印刷適正の低い特殊な紙を使う
・その他もろもろ

いわば印刷屋泣かせの仕事が多い出版社です



カラー印刷はほとんどすべての色を
黒・青・赤・黄の4色に分解して
刷り重ねることで色再現をします

この4色を標準色といい、印刷機もこの順番でセットされています


今回の仕事は標準色を使用せず特色を6色刷り重ねる内容でした

・蛍光イエローの2回刷り
・その上に濃度の高い特色黒+特色の淡いオレンジ+ホワイトインキ
・最後にニスという透明の表面保護インキ

加えて表面がぼそぼその紙


普通に印刷したんでは、まずうまくいかないことが予想されました

・6色機で同時印刷したのではインキの皮膜が厚くなりすぎ、インキどうしがくっついてしまう
・それぞれのインキの特性上インキが紙に乗りにくい
・特殊な紙での印刷再現が未知数


ポイントはホワイトインキがばっちりと白く見えることでした

実はこれが難しい
ホワイトインキは濃度が低くて下地が透けて見えやすいのです
黒のインキの上に刷ったのではグレーっぽく見えてしまう

そこであらかじめホワイトの刷版を2版用意しておきました
白の色が出ない時に2回刷りするためです


印刷は5色機を使い、2回に分けて印刷しました
印刷というよりも版画の刷り重ねの発想です

前日の夜勤で蛍光イエローを2度刷りして乾かしておきます
翌日お客様の立会いのもとで他の4色を刷り重ねます


案の定ホワイトのインキをいくら出しても白くなりません


  うーん
  これじゃ、ぜんぜん話になりません
  なにか手がありませんかね(客)


  じゃぁ、ホワイトを2回刷りにしてみましょう(僕)



30分後・・・


  おお、だいぶ白くなった
  でももっと白くしなきゃ意図のようになりません
  この白はペンキが飛び散ったイメージなんです(客)


  ぺ、ペンキですかぁ?
  それじゃこの印刷方式じゃ無理がありますよ
  シルク印刷とかにしなきゃ、質感がだせませんよ(僕)


  そうなんですよねぇ
  なにぶん予算がねぇ・・・(客)

   (註:シルク印刷の方がインキを分厚く盛れるが、価格が高い)

  
  分かりました
  限度一杯までインキを盛りましょう



10分後・・・


  おお、白くなりましたね(客)


  特盛つゆだくですから(笑)
  そのかわり、この状態が維持できるのは
  いいとこ3000枚までです
  それ以上刷ればインキがあまり過ぎて刷れなくなります(僕)


  印刷枚数が3200枚ですから、大丈夫ですかねぇ・・・(客)


  もたない時は一度リセットして、
  ローラーを洗いますから、ご心配なく
  でも、重版がかかって50000枚なんてことになったら
  ちょっとえらいことですけどね(僕)


  あ、だいじょぶ、だいじょぶ
  そうあってほしいけど、ありえませんから(笑)
  それよりも、白くはなったけど・・・
  このぶつぶつした感じもう少しなんとかならんでしょうか(客)


  うーん・・・
  これは難しいなぁ
  ぶつぶつ感の原因は紙なんですよ
  紙の表面があらすぎて、インキが食いつかないんです
  ホワイトインキは普通より固いインキなんでその弊害が大きい
  普通のコート紙で試しに刷った物がこれです
  同じ条件だけど紙が違うとこんなになめらかになります
  これだとペンキっぽいでしょ(僕)


  うわぁ、紙の違いでこんなにも再現が変わるんですか
  どうしようかなぁ
  これでデザイナーは納得するかなぁ・・・(客)


  別の手を試してみましょう
  今ホワイトインキは2回刷りしてますでしょ?
  そのうち1回目のホワイトを手直しします
  インキを薄めてやわらかくします
  やわらかくするとインキの流れが良くなります
  その上で紙にかける圧力(印圧)を強くしましょう
  紙の凸凹のところにうまく流れ込んでくれれば
  ぼそぼそ感は多少緩和されるかもしれません
  ただ、その場合白さは多少落ちるかもしれません(僕)


  ぜ、ぜひお願いします(客)



10分後・・・


  お!
  なめらかになった!!
  白さも悪くない!!
  OKです
  これで進めてください(客)




帰りの車の中で一人・・・

ほっと一安心し、胸をなでおろしていました
なんとかお客様のイメージに近づけることができて良かったぁ
物理的にも技術的にも難しい仕事だっただけに、喜びはひとしおでした




お客様とやる印刷立会いには難しさと面白さが同居しています

まずなによりお客様の求めているイメージをいち早くつかみ共有すること
これができなければ印刷は迷走します
お客様のイライラ感をつのらせることになります

さらにお客様の求めるイメージを印刷物に再現するために、即座に手を打つこと
結果が目で見て分かるようにすること


それでもイメージと刷り物にギャップは必ずあるものです
ギャップを埋めていくと同時に、ぎりぎりの線でギャップを受け入れてもらえるようにすること

たがいに納得しあいながら、
「一緒に印刷物を作っていく」というのが理想かもしれません

だからどんなに優れた印刷技術を会得していても、必ずしもいい印刷立会いにはならないと思います

一番大切なのはお客様に納得していただくことであり、喜んでもらえること

それには技術の研鑽はもちろんですが、
お客様と気持ちを合わせて進めることがとても大切な要素だと思っています


難しいことではあるけれど、うまくいった時は無常の喜びを感じます




  ありがとうございます


満面の笑みでそう言ってくれたEB社・編集Sさん

こちらこそありがとうございます
おかげさまで、楽しくいい仕事をさせていただけました

この一言、この笑顔が
技術者にとって最高の満足であり、最高の報酬かもしれない

そんなことを思いながら夜道、車を走らせました

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

がんばれ! 「喫茶 いずみ」

蒲生中央通の「喫茶いずみ」が今月から再開しています

新たに開設されたホームページを見ていたら、なんだか涙腺がゆるんできました




以下、ホームページからの抜粋です


昭和46年に蒲生で開店してから今年で39年目。たくさんのみなさまが愛してくださったおかげで、気づけば老舗と呼んでも良いくらいの、息の長い店になりました。

つい三年前。お店をここまで作り上げてきたいずみの名物マスターが、突然天国へと旅立ってしまいました。

そして、マスターの店を引きつぎ守ってきた、笑顔で明るいママさんが今年。マスターのあとを追うように天国へと旅立ちました。

そして残されたのは、二人の子ども(といってももう立派な大人ですが)たち。「ついに私たちの生まれ育った店、いずみもここまでか・・・」そう思ったとき。

いつも来てくださったお客様方から、「いずみが閉まっているから、蒲生に居場所がなくなっちゃったよ・・・。」と言われ、「そうか、ここは、私たちだけの家じゃなかったんだ!!」と、ハッとさせられた二人。

みなさんが集う場所、疲れたときに、ほっと一息つける場所。

「ホーム。」

それがいずみの大切な役割だったんですね。





僕が蒲生に移り住んだ30年前
通りすがりに偶然入った「いずみ」
店内に立てかけてあった1台のギター


  ちょっと弾いてもいいですか?


おそるおそるひげ面のマスターに声をかけた


これがすべての始まりでした

深夜にまで及ぶセッション、ミニミニコンサート
商店街の活性化をめざした「考動集団 やじろべえ」を音楽で手伝ったり・・・

「喫茶 いずみ」とは切っても切れないお付き合いをさせてもらいました



マスターが亡くなり、後を追うようにママまでもが旅立ち・・・

蒲生に行き、「いずみ」が閉まっているのを見るたびに胸が痛みました




「喫茶 いずみ」にふたたび火がともりました

たくましく育った姉弟と、スタッフたちが力を合わせがんばっている「喫茶 いずみ」に心からエールを送ります











【過去書きためた、「喫茶 いずみ」についての文章 】



「古い音楽仲間の死」
「いずみ」の鶴岡マスターが亡くなった時の追悼文です


「若き日の音楽道場 いずみ を訪ねる」
久しぶりに訪れた「いずみ」


「街角ライブ」 即興演奏をリクエストされて
街角ライブでの出来事。「いずみ」時代の切磋琢磨を強く感じた瞬間でした

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.12.16

ハックルベリーライブ (3) 帰郷、そしてクリスマス

【Martin古池 カントリーライブ・プログラム】

1.Take Me Home Country Road (ふるさとに帰りたい)
2.My Clinch Mountain Home (母のふるさと)
3.School On The Hill (丘の上の校舎)
4.I Went Your Wedding (涙のワルツ)
5.Blue Christ Mass
6.Back To The Cross

先日ふるさとの函館に帰ってきました

若いころ夢を追いかけて、北海道から東京に出てきた自分です
もう35年もの月日がたちます
自分としてはいまだに旅に出たつもりでいます
旅の途中で何度も何度もふるさとに帰ろうと思いました

街角でふと函館弁や津軽弁を聞くたびに
ラジオで北海道の放送を聞くたびに
そう思いました

カントリーロードは、ふるさとを飛び出した若者のことを歌った歌です
ウェストバージニアは何もない炭鉱の街だそうです
そこから逃げ出した若者だけど、自分のルーツはやはりこの地にあり

  故郷に帰りたい

そう、あらためて思い直す歌

  
  「カントリーロード」


今回函館に帰ったのにはわけがあります

母が部屋で転んで全身打撲
身動きできない状態になり・・・

口だけは達者ですが、自力でなにかをやるということが難しい

陣中見舞いで帰ったわけですが・・・
1年ぶりに見る母はすっかりしわくちゃになっちゃっていて・・・

やはり息子としては胸が痛むわけで・・・


  「My Crinch Mountain Home」

カーターファミリーというグループが歌った古いカントリーソングです
「母のふるさと」という日本語訳がついています


帰郷の表の目的が母親のことで、
でも、ちゃあんと裏の目的もあるわけで・・・

今回もちゃんとギターを持って帰りました
中学の同級生が営むライブバーで毎晩演奏したんですが・・・

なんと!
そこで小学生の時に好きだった女の子と再会したんです
40年ぶりです!
小学校のころとちっとも変わらぬかわいい子(?)で


僕たちの通った学校は函館山の麓の高台にありました
今では立て替えられ鉄筋の今風校舎に変わっています
でも当時は木造の雰囲気ある校舎でね

カントリーミュージックの中にそんな情景のぴったりの歌があります


  School House On The Hill (丘の上の校舎)


今日は12月12日

実は僕にとっては忘れられない日でもあります

大学生のころに好きだった女の子が結婚した日なワケでありまして・・・

んで、僕に結婚式で歌ってくれと言うわけでありまして・・・


    君の幸せを遠くから祈るよ


なんて心境にはとてもなれなかった僕が歌ったのは「秋桜」

その子の新居はなんと瑞江のお隣、篠崎でした

古今東西、結婚式場で好きな相手の幸せそうな顔を見つめるってぇ歌はいろいろございます

花嫁を奪って式場から逃げるなんて、ダスティン・ホフマンみたいなのもいます

僕は結局ダスティン・ホフマンにはなれず、遠くで指をくわえてみていただけでした


カントリーにもそんな歌があります

 
   「涙のワルツ」 I Went To Your Wedding


もうすぐクリスマスですね
彼女がいなくなったその年のクリスマス

はい、もうとてもブルーなクリスマスでした


   Blue Chritmass


今日のラストソングは


  十字架に帰ろう「Back To The Cross」


クリスマスは恋人たちのお祭りなんかじゃなくて
イエスキリストさんの誕生日なわけで

キリスト教の真髄が「愛」であったとしても、
それは恋人たちだけのためではなく
親兄弟、隣人への愛なんであって

たとえ嫌なやつにでも愛の気持ちを持てという
なかなか厳しい教えでもあります

俗人Martinはなかなかそういう境地にはなれませんが・・・
せめてクリスマスくらいはね


人生の荒波を渡りながら、すっかり世俗に汚れてしまったけれど
人生の最後には十字架に帰ろうというこの歌

アメリカの南部で歌われていた民謡だそうです
フォギーマウンテン・ボーイズの演奏で覚えたこの歌を

今日はるびんさんにもお手伝いしてもらい、お届けします。

★だいたいこんな調子で進めた今回の「ハックルベリー・カントリー・ライブ」でした。

次回は2月
テーマをどうしようかな・・・

悩ましい、そして楽しい日々が始まります

| | | コメント (2) | トラックバック (0)

ハックルベリーライブ (2) フォークシンガーの流儀でカントリーライブに挑戦

ハックルベリー・ライブは4人でおよそ30分ずつ、合計2時間のステージをやっている。
通常営業中のライブなのでお客さんは食事をしながら音楽を楽しむというスタイルになる。

対バン形式なのでそれぞれの出演者が思い思いにそれぞれのやり方でライブを展開している。
なのにどこか統一感や連帯感のある4人一塊のライブになりつつある。
アットホームな雰囲気でライブができているということは前の記事にも書いたとおりだ。


ハックルベリーでのライブで、僕はカントリーやブルーグラスの歌を演奏することにしている。
お店が西部劇に出てくる酒場の雰囲気であり、マスターもカントリー音楽を好んで流している。
にもかかわらずカントリーミュージックを演奏する人はほとんどいないとのこと。

マスターのそんな話を聞き、カントリー音楽に挑戦することにした。


僕は決してカントリーシンガーではない。
むしろフォークシンガーというべきだろう。
でも長年やってきた演奏スタイルの根っこにはカントリーやブルーグラスの影響が色濃く反映されている。

何よりもカントリーやブルーブラスが大好きだ。

だからこんなコンセプトでこれまでハックルベリーライブをやってきた。


  フォークシンガーが挑戦する
  カントリーミュージックのステージ


すでに4回のステージをやった。


単にカントリーソングを歌うというのでは自分のライブにはならないと思う。
フォークシンガーとして自分のルーツ音楽=カントリーに挑戦する
そうである以上、フォークシンガーとして自分の流儀を貫くべきだろうと思う。

「自分の流儀」とは?

それはステージにテーマを設け、そのテーマに沿ったストーリーを組む。
ストーリーを歌やトークで表現していく。
テーマは聴いてくれる人に共感・共鳴をもたらすものでありたい。


そこでいくつかの課題を自分に課した。

1.多少ゆるくてもライブテーマを設ける
2.可能な範囲で日本語歌詞もまじえてで歌う
3.それぞれの歌の背景にあるものをも伝えたい
4.できる限り原曲のもつ雰囲気を壊さない


自分にとってはかなり高いハードルであり、制約である

でもこういう課題を設けることで他でやる自分のライブとの差別化をはかりたかった
また自分のルーツ音楽でもあるカントリーミュージックとちゃんと向き合いたいと思った


くわえて敬愛しかつ(勝手に)師と仰ぐカントリー歌手・トミ藤山さんのライブスタイル。
トミさんが7年にわたって続けた「ラジオ深夜便・エンジョイ・カントリー」に大きな刺激を受けた。

2ヵ月ごとの「ラジオ深夜便」の生出演にあわせ、トミさんは構想を練り充分な準備をして臨まれた。
毎回テーマを設け、選曲し、歌によっては日本語歌詞をつけた。
カントリーミュージックをもっと広めたいという使命感をもって続けられたそうだ。


僕も「自分なりの流儀」でトミさんのたどった道をなぞりたいと思った。


ここまで4回試みてきた。
正直、自分のイメージにはまだまだほど遠い。
ほど遠いけれど、少しずつ前進しているような気もする。


  There is Firsttime for everythings.


最初の1歩からすでに4歩も進んだ。
たとえ牛の歩みでも、一歩一歩進みたい。

次の日記では今回のハックルベリー・ライブの様子の再現を試みてみたい。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

ハックルベリーライブ (1) アットホームな雰囲気で

今回も心地よいライブになりました

すっかりおなじみになった4人の出演者が、四者四様、それぞれのステージを展開

なのになんとはなしに連帯感があり、なんとはなしに統一感がある

前にも書きましたが、4人でひとつのライブを一緒に作っているような気持ちにさせてもらえます

誰かが演奏しているときは他の出演者もさりげなく絡んでいきます
手拍子だったり、マラカスだったり、ギターリフだったり、コーラスだったり・・・

普通だったらやっちゃいけないようなことも、
お互いに許しあえちゃうみたいな暗黙の了解が出来上がっています

そればかりか、そうやって雰囲気を盛り上げることで他のお客さんに自然に波及していく

他のお客さんは出演者の友人やファンであったり、地元の食事客だったり・・・


  アットホーム


ということばがよく似合うライブになってきました


同時にうまい組み合わせが定着してきたと思います

トップバッターのるびんさん
彼のような実力者をトップに持ってくるのはもったいない、申し訳ない。
そう思うわけです
でもるびんさんはやはり見事なトップバッターです

場の空気を一気に音楽の世界にひきづりこんでしまうのです

ご自分の世界にアリ地獄のようにズルズルと引き込んでいく様は、まさに「るびんワールド」


二番手のMartin古池は、るびんさんが切り開いた音楽世界をなだらかに馴らしていく役割のように思います
お客さんと演奏者の距離感をいいあんばいに保っていく


そして三番手のエイぼんの華のあるボーカルで場の空気を持ち上げていく
エイぼんが歌いだすと場があでやかになります
伴奏していて、それがよく分かります


ラストバッターのカワハラマサキで「いい感じ」がピークに
カワハラ君にもまた華があります
若さということだけでは片付けられない魅力があります
勢いと気配りの効いたステージングで「いい感じ」のうちにライブはフィナーレ


多分それぞれ意識することなく、自分のステージを一生懸命やっているだけだと思います

なのに自然にそういう役割分担ができ、4人のステージが合わさってひとつのライブに仕上がっていく・・・

お店のブッキング担当・ミモレットさんの慧眼なのだなとあらためて思うしだいです

次回の「ハックルベリー・ライブ」は2月の予定です
日程が決まったら、またお知らせいたします


【今回のMartin古池のプログラム】

Take Me Home Country Road (故郷に帰りたい)
My Crinch Mountain Home (母のふるさと)
School House On The Hill (丘の上の校舎)
I Went To Your Wedding (涙のワルツ)
Blue Christmas
Back To The Cross (十字架に帰ろう)   with るびん

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

東京夜道散歩 (小石川~高円寺)

知らない街を 歩いてみたい
どこか遠くへ 行きたい


遠くの街である必要もない
身近な街でも知らない道がたくさんある
知らない家並みがたくさんある
知っていても時間が変われば知らない街に変わる

会社のある小石川から高円寺まで歩いてみた
できるだけ大通りを避け、住宅街や神田川沿いの細い道を結んだ

およそ10キロ
2時間ほどの夜道だ


わくわくしていた
知らない道を歩き、知らない街並みを通り抜ける
ただそれだけでわくわくしていた


これまで知らなかった東京の一面を知ることができた

東京には意外なほどに山が多かった
丘ほどの高さで家々が密集している
だから見ただけでは山とは感じない
でも歩いてみるとまぎれもなくそこは山だった
急な細い小路をあえぎながら登ると、それはまぎれもなく山だった

左右から迫る住宅の合間を縫う小路はまるで山の中の迷路だった


何より驚いたのは暗闇が意外と多いことだ

まるで江戸の街を提灯片手に歩いているような錯覚を覚えるところもある


小石川から面影橋にいたるまでの細道を迷いながら歩く

この後は神田川沿いに高田馬場をめざし、さらに東中野へ

昔読んだ時代小説は神田川沿いだった
その情景を頭に描きながら暗い夜道を行く

東中野からは中央線沿い
線路脇の寂しい小道だ

歩きながら戦後に起こった三鷹事件(中央線無人列車暴走事件)のことがよぎったりする


やがて、線路沿いの道は環七をはさんで高円寺の明るく広い道につながる

ゴールのENTA巣は目と鼻の先だった

わずか2時間だが、ちょっとした旅と冒険をしたような気になる

知らない道を歩きながら、東京の風景の一端を楽しむことができた
江戸時代や戦後の東京に思いを馳せる「時間旅行」も同時に体験したような気分だった


居酒屋「ENTA巣」に飛び込み注文したビールの味は格別だった

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.12.03

二つの音楽会 天と地と (2)

中学生硬式野球チームからのオファーだった
越谷でも歴史の古いチーム
その総会のアトラクションとして小一時間演奏してほしいと頼まれた

チーム理事長さんが「寿コンサート」で僕の歌を聴いてくださったのがきっかけ

後に分かったことだが、偶然にもこの理事長さんは僕の次男の幼馴染のおじいちゃんだった
不思議なご縁に導かれて話はとんとん拍子に進んだ

ところが不安要素がひとつあった

理事長さんは実際に歌を聴いてくださり、その気になってくれた
ところが他の理事さんたちはいまひとつ乗り気ではない

  理事長が言ってるんだからしょうがないか

打ち合わせの時そんな雰囲気を感じ、気がかりだった


  実際に聴いてくれるのは集まった人たち
  そこで全力を尽くすのみ

そう思いながらライブ会場の居酒屋に向かった


「すみれコンサート」を終えた則子さん、そしてエイぼんも一緒だった
則子さんはこの「出前ライブ」の仕掛け人
エイぼんには何曲か一緒にやってもらおうと思い声をかけた

別室で軽く食事を取り、お呼びを待つ
「すみれコンサート」の余韻を残しながらも、次のステージに集中を高める



ライブ会場の大広間に足を踏み入れ、一瞬うなった
総会は終了し、すでに宴たけなわだ


  こ、これはハードだ


酒がまわり、それぞれのグループに分かれて大談笑中
グループとグループの間を徳利を持って行き来する人

  騒然

こういう状況で歌うのは「お好み焼きの三貴ライブ」で慣れているはず・・・
でも直感的にはるかに難しいものを感じる

多分この集まりが同じ野球チームという同質の集まりだからだろう


こういう宴会の中で歌うのはうまくスイッチがかみ合えばとてつもない盛り上がりになる
反対にかみ合わなければ最後の最後まで空回りで終わってしまう

スイッチをかみ合わせるのはどういうアプローチをするのか
これももちろん大切
同時にお客さんとの波長とか相性とかいうものにも大きく左右される




120%の気合で臨んだ

最初の2曲で大勢がおおよそ決まってしまうものだ

「なんとなく なんとなく」をオープニングに、まずほんわかした空気を作ろうと思った


  ん?なんだ??


という感じでこちらに注目する人も多かった


  なんとかとっかかりができそう


そう思い、2曲目は「Oh! 草野球」
野球チームの宴会だからというつもりの選曲だった


  これでつかんじゃえ



浅はかだった
完全にはずしてしまった

長めの歌だが、歌うほどに話の輪の中に戻っていくお客さんたち
歌えば歌うほど傷口が広がっていくのを感じる

それでもとっかかりになりそうな人たちが7~8人聞いてくれている
(残りの40~50人は完全に談笑の輪の中)


   この人たちを突破口にしなきゃ!


「万里の河」など歌いなれた歌、おなじみの歌を重ねた

しかし流れを変えることはとうとうできなかった


雪山で滑落を防ぐトレーニングがある
雪の斜面で身体が滑り出す瞬間にピッケルを打ち込むトレーニングだ
滑り出した瞬間にピッケルを打ち込めなければ、もう手遅れ
ピッケルは文字通り刃がたたず、身体は下まで滑落していく

滑落する登山者の気持ちになり、打ちのめされる


ここで、気持ちを切り替えた
あとはこの宴会の雰囲気に飲まれず、しっかりと最後まで歌いきろう
気持ちで負けたら、「出前ライブは」本当の失敗に終わる
それは声をかけてくださった理事長さんに失礼というものだ

そこからは自分自身との闘いだった

ひたすら、丁寧に最後まで歌いきる

少なくとも聴いてくれている人が7~8人入る
こちらを気遣いながらも、談笑の輪を崩せないでいる人もいる

最後までちゃんとやらなければそういう人たちに失礼というものだ


終盤、エイぼんにも数曲歌ってもらった
場を作り上げてから歌ってもらおうと思っていた
残念ながらそうはいかなかった
それが心残りで申し訳ない


   勉強のつもりで歌います


そう言ってくれたのが救いだった



久しぶりに手も足も出せないライブを体験することができた
言い換えれば、ライブとして成立させることができなかった

ライブは生ものであり、いい時も悪い時もある
自分の力だけではいかんともしがたいことだってある

それは重々承知の上だが、気分は最悪
地の底に叩き落された気分だった

宴会ライブという状況にうまく対応できなかった
力の足りなさに歯噛みしている


ここからなにを学び、なにができるのか

かみしめよう

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

二つの音楽会 天と地と (1)

函館から帰った翌日の日曜日、ふたつの音楽会をやった
「すみれコンサート」、そして「出前ライブ」だ

ライブのダブルヘッダーはしばしばあるが、今回のはすごかった

「すみれコンサート」は予想以上にたくさんのお客さんが来てくださり、しかも皆さん熱心に聴いてくださった
しっとりとした空気が流れ、心あたたまるライブになった

ところがその後にやった「出前ライブ」は手も足も出せない、ハードな演奏になった

天から地への急降下だ
奈落の底に突き落とされたってなもんだ

ライブは生もの
天もあれば地もあるもんだ
両方とも同じように受け入れて、明日の糧にして行こう
そう、思っている




「すみれコンサート」

今回はこれまでと趣がだいぶ違っていた

まず出演者が僕と則子さんの二人だったこと
これまでのようなバラエティにとんだ構成ができなかった
ハモンドオルガンがありの、マンドリン演奏ありの、弾き語りありの
いろいろあるとお客さんにも様々な切り口で楽しんでもらえる

今回はハモンドオルガンと弾き語り
必然的にMartin古池ライブの色彩が強くなった

モスライブ~すみれコンサートの流れの中で考えていたことがある
(モスライブはすみれコンサートの母体となったライブ)


  地元・越谷蒲生に敷居の低い小さな音楽会を根付かせたい
  それには自分の色を強調するよりも、いろんな人たちの色合いで満たしたい


その意味で今回は目指している趣旨とはちょっと違った形になった

でも則子さんががんばった
演奏曲目を絞り込み、弾き慣れたものを中心にした
結果、前回に比べて質的に向上した
お客さんにも大きくアピールできたと思う

おかげで僕もやりやすくなった
1部と2部の位置づけを変えた構成にすることができたのだ
位置づけ(テーマ)を変えることで散漫な進行になることを避けることができた



お客さんも本当にたくさん来てくれた

前回の「すみれコンサート」に来てくださったTさんが(予想以上に)友達をたくさん連れて来てくださった。

加えて地元のマイミク・etsuさん、そしてエイぼんが足を運んでくれた


みなさん自転車や歩きだ
うれしかった
これがいいんだ!
地元の人たちが肩肘張らず気楽に足を運んでもらえる音楽会
そんな感じがした

むろん今回はTさんのご尽力のおかげだ
でも未来の「すみれコンサート」はこうあってほしい
理想の姿をつい重ね合わせてしまった

必然的に演奏にも熱も入る

せっかく来てくださった方々だ
楽しんでもらいたい
この人たちがいつか核になり、新たなお客さんを連れてきてもらいたい
そうして一歩ずつ根付いていってほしい

そんな願いをこめて一生懸命演奏した


エイぼんにもゲスト出演してもらい、数曲歌ってもらった

この人の歌には魅力がある
華があるというんだろうか
1年以上一緒に活動してきて、いまさらながらに思う

いいなぁ


今回の「すみれコンサート」に彩りを添えてくれた



かくして、今回の「すみれコンサート」を無事終えることことができた

すべてを出しつくした満足感
お客さんの笑顔、食い入るようなまなざし、眼を閉じ音楽に浸る姿
そのひとつひとつを心に刻み付けることができた



コンサートを終え、「ありがとう」って言いながら帰っていくお客さんたち
ひとりひとりの後姿に深く頭を下げて見送る

  お礼を言うのはこちらの方です
  ありがとう!



深い余韻に浸りながら、気持ちを徐々に次の「出前ライブ」に切り替えていく

最高の気分だった

まさに「天にも昇る思い」だった







が・・・・・・・!



(次の日記に続く)

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

40年ぶりの再会 「サウンド・インS」

函館に帰るたびに立ち寄り演奏している「サウンド・イン・S 」

小中学校時代の同級生・工藤信也君(しんちゃん)が長年やっている店だ

しんちゃん自身シンガー・ソング・ライターで、数々の歌を作り、歌っている
僕も歌っている「函館物語」はしんちゃんとその兄貴・しゅんじさんの作
(しゅんじさんも「チャップリン」というライブ・バーを経営しつつ、函館の音楽シーンの一端を担っている)


今回の帰函でも「サウンド・イン・S」に立ち寄ることにしていた


楽しみだった


店で函館のお客さんに歌えることもさることながら、
小中学校時代の同級生R子とここで再会することになっていたのだ

高校時代、室蘭に転校した僕は小中学校の友人たちとは疎遠になっていた

それがmixiのおかげでR子とふたたびつながったのだ

40年ぶりのことだった
最後に会ったのは中学の卒業式だったように思う


客がまだ入らぬ夜7時
「サウンド・イン・S」の扉をたたく

しんちゃんと近況を語り合いながら・・・


ドキドキしていた


   ぎぃーっ!


古びた木の扉を開けて、R子が顔をのぞかせた


   R子!


すぐに分かった

子供のころと変わらぬ顔がそこにあった
小学生のようにスレンダーなR子がそこにいた
(高校以来のバトミントンを続け、今でもきたえているそうだ)



時間を、40年の時間を一気に飛び越えてしまった
まるでつい最近会ったかのように、屈託なく語りあうことができた

同級生のこと、先生たちのこと、そしてそれぞれの近況
他愛のないことだが、話題にはことかかなかった



話に興じながら、僕は小学生のころのR子を思い出していた

当時男子生徒には気になる女の子にスライディングをして、ちょっかいを出すのが流行っていた
卒業を前にした6年生のころだ

好きな女の子にわざとちょっかい出して気を引こうとする
悪がきたちの実に「健全」なる行動だった

とはいえ、男子にとっても結構必死の思いだった
古い板張りの廊下はあちこちササムケていてた
へたにスライディングをすると半ズボンでむき出しの足に木の破片が突き刺さる

お目当ての子だけにスライディングすると「バレる」ので、何人かにやらなければならない
浅知恵をふりしぼり、覚悟を決めての決行だった

R子を「ターゲット」に玉砕した悪がき仲間も何人かいた
言えといえばすぐにでもフルネームで答えられる
そして、僕もその一人だった



この秋、初孫が産まれたばかりのR子は
他の客が入り始めたのをきっかけに1時間ほどで帰っていった
孫を風呂に入れなきゃと言って

客が10人ほどになったころ、しんちゃんはおもむろに弾き語り始める
僕はしんちゃんの歌にギターリフとハーモニーをつける

1年ぶりの即興コラボレーションだ

やがて立場を逆転させる

二人で1時間以上も演奏したろうか

しめくくりの歌に「メロディ」を選んだ




メロディ

あんなにも好きだった 君がいたこの街に
いまもまだ 大好きな あの歌は 聞こえてるよ
いつも やさしくて 少し さみしくて
あの頃は なにもなくて
それだって 楽しくやったよ
メロディ 泣きながら
僕たちは 幸せを 見つめてたよ

なつかしいこの店の すみっこに置いてある
寄せ書きのはじのほう 君と書いたピースマーク
みんな集まって 泣いて歌ってたね
あの頃は なにもなくて
それだって 楽しくやったよ
メロディ いつのまに
大切なものなくした

あの頃は なにもなくて
それだって 楽しくやったよ
遠い空 流されても

君のこと 忘れないよ
いつだって 楽しくやったよ
メロディ 泣かないで
あの歌は 心から 聞こえてるよ

           (玉置浩二)

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

ジンギスカン やっぱり好きだぁ!

ジンギスカンを食べたかった

それも上品なラムではなく、臭みのあるマトンのジンギスカンを

北海道に帰るたびにマトンを出してくれる店を探すんだが、これがなかなか見つからない
(去年札幌で食べた「だるま」はマトンだった)

今回もあれこれ聞いてマトンを探したんだが、見つけれなかった

それで宿(五稜郭グランティア)の近くの「炭々亭」という店に入る
たいした大きくて、立派なつくりのジンギスカン屋さんだ

例によってあつかましいお願いをしてみた


  マトンないべか
  子供のころ食べた臭みの強いやつが食べたくてさ


同年代と思しき髭づらのマスターにそうたずねる


  いやぃゃゃ
  今だと、ほとんど どごでもラムしか扱ってないんですから
  うちもお勧めは特上ラムの味噌だれ漬け焼きなんだゎ
  やわくて、おいしいですよ


  んだがぃ?
  残念だな
  あの匂いがなんともいえないんだけどね
  まかないとかでマトン使うことないの
  あればそれでもいいんだけどさ
   (こらこらあつかましいぞオレ!)


  うちでは全部ラムなんですから・・・
  したっけ生ハムロールだったら、ちょっと近いかもしれませんね


  したら、それけれや
  それとお勧めの極上のヤツ





特上味噌ラム
厚く切ったラム肉を特性味噌に漬け込んだヤツだ
たしかにやわらかくて、旨い

でも、ものたりない
あの羊肉の臭みがぜんぜんないんだ


多少の期待をこめて生ラムを焼いた

うん、たしかに少しだが臭みがある
先に特上味噌ラムを食べてたから、よけいにそう感じるのかもしれない





子供のころジンギスカンといえばマトンだった

ラムは幻の羊肉
高くて手が出ない一品、名前しか知らぬ子羊の肉だった

食欲旺盛な中学生のころは近所の肉屋さんに薄くスライスしたマトンを買いによく走った
サッカー部の練習を終え、帰宅したらマトンを焼いて食べるのが習慣だった
漬け焼きよりもそのまま焼き、ベルのジンギスカンのタレで食べるのが好きだった

マトンの臭みが舌になじんでいた


あの味がどうしても忘れられない
でもそれを求めるのは、今では逆に贅沢なのかもしれない

食生活全般が40年前とは大きく変わっているのかもしれない

安くて、ボリュームがあり、栄養価も高い食材がすなわち旨いものという感覚だったのかもしれない

高度経済成長を経て、所得が増え、比較的高価なものが手に入り、それが当たり前になっていく
それにしたがって常食されていたものが食卓から消えていく
その結果、安かった食品が貴重品になり、手に入らなくなる


「アブラコ」も「マトン」もそんな運命をたどってきたのでは?
などと勝手に想像してみる





わずかではあるが羊肉の臭みを感じさせてくれた生ラム
翌日スーパーによってたくさん買いつけた
冷凍しておけばしばらくは帰ってからもジンギスカンを食べられる

ベルのジンギスカンのタレは越谷市場でも手に入る
「朝市コンサート」の折に買えばいい
このタレに鷹の爪やにんにくを入れて辛くすれば好みの味になる


内地に戻ってからのささやかな楽しみがひとつ増えた

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

「函館自由市場」にてアブラコにありつく

今回の函館帰省の旅の裏の目的

  「アブラコ」を食べること


内地では「アイナメ」と呼ばれるこの魚
北海道では一回りも二回りも大きなものがあがる

子供のころはごく当たり前に食卓にのった大衆魚でもあった

安い、旨い、ボリュームがある

貧乏家庭にはホッケやイカとともにおなじみの魚だった
(昭和30年代、ほとんどの家庭は貧乏だった)



久しぶりにアブラコを食べようと思い、あちこち探し回った

ところが当たり前に市場や魚屋にならんでいたアブラコが見つからない


  いやぁ
  最近だら、アブラコはあんまし食べないもんね
  脂のっておいしんだけどね


という答えが返ってくるだけ


最後の頼みの綱「函館自由市場」を早朝探した


  アブラコかぃ?
  1匹だけ上がってるヮ
  水槽ん中、泳いでるっしょ!


見事な50センチクラスのヤツだった


その足で市場の中の食堂「自由亭」にかけこんだ



  おばちゃん、メニューにないんだけど
  アブラコ、焼いてくれないかい?


  アブラコですか
  あがってっべがねぇ・・・


  今、そこの水槽で泳いでたょ


  したら、ちょっと仕入れてきますから
  して、焼きますか、煮つけますか?
  今だら、刺身でもいいけどね


  せば、塩で焼いてけれや



おばちゃんはざるを片手に市場に入り、件のアブラコを仕入れてきた


  定食にして1500円なんですけど
  いがったべが?
  

  なんもさ
  メニューにないもん頼むんだから
  かまわない


待つこと30分
大将が焼きあがったアブラコを持ってきた
申し訳なさそうな顔をして


  ごめんね
  待たしちゃって
  あんましでっかいもんで
  裏に返すのがゆるぐなかったんだわ
  ちょっと身が崩れたけど、勘弁してね
  普通だら一晩干してから焼くんだわ
  せば、塩も効くし、身もしまって崩れないんだけどね
  ヘタクソでごめんね


  なんも、なんも
  無理して頼んだんだから、しょうがないっしょや
  かえってごめんね



やっとこさありついた懐かしのアブラコ

旨かった
特に皮と身の境目に脂が乗ってて、これがいい



煮つけも食べたくなった
自由亭からの帰りしな、再び市場で頼んだ


  明日の朝、また来るから
  もし、アブラコあがってたら取っといて
  イカと一緒に東京に送るから


  お兄さん
  アブラコは別に大丈夫だけど
  イカだら、朝上がったばっかりのヤツだから
  新鮮なうちに刺身で食べたいっしょ?
  したら、コンパクトにしてけるから
  持って帰んなさい
  宅急便だと月曜日になるから





戻ってから煮つけにして食う楽しみがまた増えた

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

「魂のフォーク・亀しょう」 (函館のフォークスポット)

函館のフォーク酒場

「魂のフォーク・亀しょう」に顔を出してみた

昨年「へた親」函館プチオフ会をここでやろうと、はたぼうが企画してくれた場所だ
その時は店の都合だかなんだかで実現せず、「サウンド・インS」でプチオフ会をやった

なんとなく気になっていたのと、函館の音楽事情の一端を感じたかったんで足を運んでみた


おどろいた
店内は中高年でほぼ満杯状態

おっさん・おばさんたちが嬉々として拓郎や陽水を歌っている
店内の壁にも拓郎のLPジャケットがたくさん飾られている

都内のフォーク居酒屋と変わらぬ風景が展開されていた
違うのは、そこかしこでなまりのきつい函館弁が飛び交ってることか




郷に入らば郷に従え

すっかり元に戻った函館弁でまくしたて、
チャゲ&飛鳥の「万里の河」、陽水の「少年時代」「白い一日」「氷の世界」などを歌わせてもらった

「氷の世界」はマスターとセッションになった
マスターがメインボーカルで僕はハーモニーをつけソロをとる
即席のアイコンタクトだったがスリリングでなかなか面白かった


マスターのこだわりでフォークソング以外はダメ
お客さんもそれを分かった人たちばかり

フォークソングに特化した店だから「魂のフォーク」というネーミングなんだろう

フォーク専門いう前提で遊びに来るには楽しいお店だと思う
2時間ほどいたが、まわりのお客さんたちとすっかりうちとけることができた


楽しく熱いスポットだった

でも、いつものようなMartinライブを展開したとすれば・・・
おもいきり浮いちゃうだろうな

なんてことを思いながら店を出た


深夜の函館は白いものが今にも落ちてきそうなほど
しんしんと冷えていた





「魂のフォーク・亀しょう」HP
http://kame.mls-j.com/index.html


| | | コメント (0) | トラックバック (0)

手作り「ご近所さんライブ」に感動

古いご縁があり実現した「ご近所さんライブ」

宮原町のごく一角の方々が集まってくださった

上は八十歳、下は六歳
まさに老若男女、二十数名の方が宮原町内のカラオケスナックに集合

主催者の話ではじいちゃん・ばあちゃんはカラオケスナックというもの自体に不慣れとか

みなさん、緊張の面持ちでちょこんと座っている


子供たちもこれから何が始まるんだという顔で、こちらをじっとうかがっている
さすがにお母さんたちはお若いだけあり、会場の準備に追われながらもかしましい

とはいえ、店内には緊張感が漂っている

司会の方が僕のプロフィールを紹介してくれる

視線をなるべく同じ高さにしようと思った
立って歌うのは急遽とりやめ、椅子に腰を下ろす

視線がいっせいに集中する
にこっと笑うわーい(嬉しい顔)
が、重たい空気冷や汗


  こりゃ、ダメだ
  まずこの緊張感をほぐさなきゃ


オープニングの「なんとなくなんとなく」を歌いながら努めて一人一人に笑いかける

満面の笑みに
どぎまぎするじいちゃん、ばあちゃん
ぽかぁーんと見つめる子供たち

それでも同年代の方々は手拍子でバックアップしてくれる

短い歌なんだけど、けっこう長く感じたのはそれだけ場の緊張感が強かったんだろう

歌いながら思った

  まずはじいちゃん、ばあちゃんと接点を作ろう


最初の数曲は古い歌謡曲

  りんごの木の下で
  サントワマミー

歌の合間におしゃべりをガンガンはさんで反応を掘り起こす

「私の青空」を歌い終え、自分の生い立ちとエノケンの関係について語ったあたりから空気がすっかり緩んできた


次は子供たちだ

何しろ初めて聴く歌ばかり
目を白黒させていた


  手のひらを太陽に

あらかじめ歌詞が配られてあったが、皆さんよく知ってらっしゃる
子供たちよりお母さんたちが楽しそうに歌いだした
それが店内全体に波及して、子供たちばかりかばあちゃんたちも歌い始めた

間髪をいれず
「蚊の歌」~「ハエ・ハエ・ハエ」とつないでいく

もちろんカズーのアドリブも満載!


これですっかり場が暖まった


  涙そうそう
  また君を愛してる

などリクエストのあった歌を歌いついでいく


最終コーナーは得意の故郷シリーズ

  津軽海峡冬景色~はつかり5号の車内放送
  函館物語

たっぷりおしゃべりをはさんで時間をかけて数曲歌った


最後の歌は「大空と大地の中で」

歌いだすと知ってらっしゃる方も多く一緒に歌ってくれる

いい空気に包まれた

なんだかもう一押ししたいなと思っていたらアンコールがかかる

ライブ慣れしていない方々が「もう1曲!」言ってくださる
これはうれしかった


「時代」を歌い始めると、一緒に歌ってくれる
リフレーンは大合唱だ!
ならばとリフレーンを何度かしつこく繰り返す
感動的なフィナーレだった




演奏が終わり、すっかりうちとけあうことができた
帰りしな、お土産をたくさんもらった

写真はその品々だ
きれいな鉢植えの花
日本酒の小瓶
朝、庭の木からもいできた柿
そして卵
何よりうれしかったのは手作りのフキンとタワシ

帰宅後早速卵を食べてみた
旨かった

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.12.01

2010年12月のライブ・コンサート予定

早いですねぇ
もう12月ですね

今年も一年いろんなところで、いろんな人たちの前で歌わせていただきました

2010年最後の月を、気持ちよく〆ていきたいものです


★12月11日(土) 朝市コンサート
          朝8時半~10時半
          越谷市場 2号棟 景品交換所前

★12月12日(日)ハックルベリー・ライブ
          午後6時~8時
          カントリー風ライブ・バー
          「ハックルベリー」
           都営新宿線 瑞江下車 徒歩5分
           [出演]
             
             るびん   18:00
             Martin古池 18:30
             エイぼん  19:00
             カワハラ  19:30

「ハックルベリー」のホームページ

★12月17日(金) 三貴ライブ
         夜9時~11時半(終電まで)
         お好み焼きの三貴
          東武線新越谷駅東口
          武蔵野線南越谷駅南口
           徒歩3分

★12月19日(日)  喫茶店・JUNE 日曜の昼下がりライブ
              14:00~16:00 
              tea room JUNE
                東武線松原団地駅東口 徒歩3分
              [出演] エイぼん
                   Martin古池


★12月22日(水)  出前ライブ 品川の幼稚園 (絵本コンサート)

★12月25日(土) 朝市コンサート
          朝8時半~10時半
          越谷市場 2号棟 景品交換所前

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »