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2010.09.22

【雑感】 中秋の名月

旧暦の八月十五日の今日は中秋の名月

去年から「中秋の名月」という言葉につい反応してしまう

「おつきみどろぼう」という絵本を印刷し、歌を作り、絵本コンサートまでやったためだろう


過去の統計を見ると、残念ながら関東地方では中秋の名月をめでられる確立は低いそうだ


今夜も残念ながら月をめでるというわけにはいきそうもない


  十五夜お月さん 雲の上
  お嫁に行くときゃ 誰と行く
  一人で唐笠さして行く
  唐笠ないときゃ誰と行く
  しゃんしゃんしゃらしゃん鈴付けた
  お馬にゆられて濡れて行く


ふと思い出した歌だけど、題名が思い出せない
雨に煙る夜道を花嫁さんが馬に揺られていく情景が目に浮かぶ
唐笠が無くて馬に揺られていったと解釈したいシーンだ
なぜって、唐笠さしてたら角隠しが見えないからね


それにしても昔の日本人は短い言葉や、制限された状況を楽しむみたいなところに価値を求めたような気がする
そこに美学を求めたというか、侘び寂の世界というか…

たとえば雲に隠れて見えない様子を「無月」、雨が降れば「雨月」
月は見えねどほの明るい
そんな様を楽しんだご先祖様
これはこれで風情がある


平安貴族は池に小舟を浮かべ、水面にゆれる月を楽しんだという
これもまた風情をかもしだす


そういえば池に舟を浮かべ、酒に酔い、
月を取らんとして池に落ち溺れ死んだのは中国の詩仙・李白だったっか

中国や台湾でも中秋節といって盛大に祝うとか
「月餅」(げっぺい)の由来はどうもこのお月見らしい



日本のお月見の定番は季節の果物とススキ、そしてなんと行っても「つきみだんご」だろう

「つきみだんご」はサトイモを模したものらしい

中秋のころは刈り入れのころでもある
農作物の豊作を祈ってお月様にお供えしたことがお月見の始まり


してみると全国各地に今も残る「おつきみどろぼう」という風習の背景も見えてくる

子供はお月様の使者
空にある月の変わりに、子供たちが家々のお供えを食べて歩くという風習だ
この日だけは子供たちの盗み食いが許された
許されたばかりか、たくさん食べてもらった家は豊作になると考えたらしい


 おつきみどろぼうの記事(中日新聞)
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2010092202000197.html



ハロウィンのような「おつきみどろぼう」の風習
僕の生まれ育った北海道・函館にはなかった
(そのかわり七夕さんの晩、ろうそくをもらいに一軒一軒歩き回る風習がある)

十五夜の晩になると山に分け入って取ってきたススキを飾り、だんごのかわりにジャガイモを蒸かしたヤツやつを飾って(食べながら)月を見ていた記憶がある
もちろん部屋の灯りはすべて落とした
漁り火とともにぽっかり浮かぶ月がとてもきれいだった


我が家の子供たちが幼いころ、その様子を再現しようと思った
親子で原野に分け入り、ススキを取り家に飾った
だんごのかわりにジャガイモを蒸かした


やがて子供たちは育ち大人になり、我が家のおつきみ習慣は消えた

その原野今はなく、越谷レイクタウンにとって変わった



隔世の感がある

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