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2010.09.30

2010年10月 ライブ・コンサート予定

★10月2日(土)~10月3日(日)
         第7回 Live in 清津峡 2010
          南丹沢清津峡キャンプ場
          (小田急線・新松田駅)
          土曜の夜(前夜祭)~日曜昼間(本祭)

詳細はイベント「第7回 Live in 清津峡 2010」へ
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2250193




★10月09日(土) 朝市コンサート
          朝8時半~10時半
          越谷市場 2号棟 景品交換所前

http://www7.ocn.ne.jp/~k-ichiba/akusesumap.html




★10月15日(金) 三貴ライブ
         夜9時~11時半(終電まで)
         お好み焼きの三貴
          東武線新越谷駅東口
          武蔵野線南越谷駅南口
           徒歩3分

http://ggyao.usen.com/0002132503_map.html




★10月17日(日)ハックルベリー・ライブ
          午後6時~8時
          カントリー風ライブ・バー
          「ハックルベリー」
           都営新宿線 瑞江下車 徒歩5分
           [出演]
             
             るびん   18:00
             Martin古池 18:30
             エイぼん  19:00
             カワハラ  19:30

「ハックルベリー」のホームページ
http://www.gourmet-marktwain.com/




★10月23日(土) 朝市コンサート
          朝8時半~10時半
          越谷市場 2号棟 景品交換所前

http://www7.ocn.ne.jp/~k-ichiba/akusesumap.html




★10月23日(土) JUNEアコースティック・ライブ
          午後7時~9時頃まで
          tea room JUNE
           東武線松原団地駅東口 徒歩3分
           [出演] エイぼん
              Martin古池

http://r.tabelog.com/saitama/A1102/A110203/11013496/dtlmap/

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2010.09.28

【雑感】 週末のふたつのコンサート 「朝市コンサート」と「すみれコンサート」に思う

今週末はライブがふたつ続いた

  土曜の朝の「朝市コンサート」
  日曜夕方の「すみれコンサート」

どちらも地元・越谷近郊の人たちに聴いていただく「コンサート」

とはいえ性格はずいぶん違う


「朝市コンサート」は市場にやってくる地元の方々に、
こちらから一方的に歌いかけるというスタイル


一方「すみれコンサート」は『美容室』といういわば閉ざされた空間に地元の方々に来ていただくスタイル


今回はふたつのコンサートが重なったこともあり、それぞれの難しさや楽しさをあらためて感じることができた




市場の中を流れる買い物客に一方的に歌い続ける

最初のころは反応が返って来ることは少なかった
お客さんは買い物に忙しく、見向きもしてくれなかった
(少なくともそう思っていた)
2時間のコンサートはこみ上げる無力感や虚しさとの戦いだった


6年続けてわかったことがある

実は反応してなかったのではなかった
聴きながら通り抜けていたのだ
会釈をしてくれる人、微笑んでくれる人、手を振りながら買い物を急ぐ人
かすかだが様々な反応がわかるようになった

それに気がついてから、僕は目に見える反応を求めなくなった


  越谷市場の風物詩になる


これが新たな目標になった

前回、仕事で「朝市コンサート」を急遽中止した
今回幾人もの人から声をかけられた


  前はどうしたんだい?
  夏バテか熱中症で
  ダウンでもしたかと思ったよ


「風物詩」になりつつあると実感できる瞬間だった


怖い面もある


  前回は調子でも悪かったのかい
  声にノビがなかったね


なんてお叱りの言葉をもらうこともある

調子が悪かったわけでは決してなく、集中が途切れたり、ちょっとしたためらいが出て、気持ちを乗せるのが難しかったのだ



反応が薄い「朝市コンサート」だからこそ求められるものがある


  自分自身でモチベーションを維持し続けることができるか?
  (つい負けそうな気持ちを自分で励まし続けられるか?)
  反応が薄くても1曲1曲を大切に歌い切ることができるか?


そういうメンタル的なことがなにより大切なんだと思う





「すみれコンサート」は少ないとはいえ聴いてくださるお客さんが目の前にいる

お客さんに僕はいつも助けられている

お客さんがどういう歌を聴きたいのかという思案と
その時の自分の気持ちや歌いたい歌をすりあわせて選曲する

でも歌いながらお客さんによって歌もトークもどんどん変わっていく

それは自分がそうしようと思ってやっているのではない
お客さんの反応や目の動きに導かれ、自然にそうなっている感じだ

むろんステージをリードするのは演奏している自分だ
でもお客さんに引き出されているからこそというのが実感だ

ご自分の意思で聴きに来てくださるお客さんだからこそ
そういうことも可能になるんだと思う


「すみれコンサート」の難しさは、お客さんに足を運んでいただくことだろう

単純に宣伝を強めればいいという問題ではない
仮に各戸にチラシをばらまいたとしても、人はおいそれと足を運んでくれはしないだろう

「普通の人」が普通のことのように音楽会に足を運ぶ
これはとても難しいことだと思う

「普通の人」とは音楽が特別好きだったり、自ら楽器や歌をたしなんだりということのない人のことだ


そういう人が「音楽会にいこう」と意を決するために必要な何かがなければならないと思うのだ

それは「強引な誘い」であったり、「感動」であったり、なにか強いインパクトのあることがなければならない

「強引な誘い」というのはどうもなじまない

やはり何らかの「感動」があって自発的に足を運んでいただくというのが理想

ではその「感動」はどこから得られるか、どうやって伝えるか


たとえば今回足を運んでくださったお客様はこう言ってくれた


  とても良かったです
  もったいないわよ
  私たちが独り占めするのは
  今度はお友達をたくさん連れてきます


じかに聴いていただく
聴いた人が他の誰かに伝える
伝え聞いた人は興味をもち足を運ぶ
風評が風評を呼んでじわじわと広がっていく

こんな感じになればうまいんだがなぁ



同時に今回思ったことがひとつある

今自分の中では「すみれコンサート」も「朝市コンサート」も独立した別々の音楽会と位置づけている

でも、「朝市コンサート」で通りすがりに聴いてくださる人たちが「すみれコンサート」にも足を運んでいただけ、ゆっくりと楽しんでもらえれば…

ふたつのコンサートを意識的に連動させてもいいのではないか

それには「朝市コンサート」で感動とまでいかないまでも、もっと心に残る演奏をやらなきゃだめだなぁ

同人に「すみれコンサート」に来てくれた方に心から楽しんでもらえる内容にしなきゃだめだなぁ

これは僕はもちろん、出演者全員の問題でもあるなぁ



などともろもろ妄想にふけっている


ともに地元の「普通の人」に聴いてもらうコンサート

越谷に、蒲生の町に敷居の低い音楽会が定着するのはいつの日か・・・

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2010.09.22

【雑感】 中秋の名月

旧暦の八月十五日の今日は中秋の名月

去年から「中秋の名月」という言葉につい反応してしまう

「おつきみどろぼう」という絵本を印刷し、歌を作り、絵本コンサートまでやったためだろう


過去の統計を見ると、残念ながら関東地方では中秋の名月をめでられる確立は低いそうだ


今夜も残念ながら月をめでるというわけにはいきそうもない


  十五夜お月さん 雲の上
  お嫁に行くときゃ 誰と行く
  一人で唐笠さして行く
  唐笠ないときゃ誰と行く
  しゃんしゃんしゃらしゃん鈴付けた
  お馬にゆられて濡れて行く


ふと思い出した歌だけど、題名が思い出せない
雨に煙る夜道を花嫁さんが馬に揺られていく情景が目に浮かぶ
唐笠が無くて馬に揺られていったと解釈したいシーンだ
なぜって、唐笠さしてたら角隠しが見えないからね


それにしても昔の日本人は短い言葉や、制限された状況を楽しむみたいなところに価値を求めたような気がする
そこに美学を求めたというか、侘び寂の世界というか…

たとえば雲に隠れて見えない様子を「無月」、雨が降れば「雨月」
月は見えねどほの明るい
そんな様を楽しんだご先祖様
これはこれで風情がある


平安貴族は池に小舟を浮かべ、水面にゆれる月を楽しんだという
これもまた風情をかもしだす


そういえば池に舟を浮かべ、酒に酔い、
月を取らんとして池に落ち溺れ死んだのは中国の詩仙・李白だったっか

中国や台湾でも中秋節といって盛大に祝うとか
「月餅」(げっぺい)の由来はどうもこのお月見らしい



日本のお月見の定番は季節の果物とススキ、そしてなんと行っても「つきみだんご」だろう

「つきみだんご」はサトイモを模したものらしい

中秋のころは刈り入れのころでもある
農作物の豊作を祈ってお月様にお供えしたことがお月見の始まり


してみると全国各地に今も残る「おつきみどろぼう」という風習の背景も見えてくる

子供はお月様の使者
空にある月の変わりに、子供たちが家々のお供えを食べて歩くという風習だ
この日だけは子供たちの盗み食いが許された
許されたばかりか、たくさん食べてもらった家は豊作になると考えたらしい


 おつきみどろぼうの記事(中日新聞)
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2010092202000197.html



ハロウィンのような「おつきみどろぼう」の風習
僕の生まれ育った北海道・函館にはなかった
(そのかわり七夕さんの晩、ろうそくをもらいに一軒一軒歩き回る風習がある)

十五夜の晩になると山に分け入って取ってきたススキを飾り、だんごのかわりにジャガイモを蒸かしたヤツやつを飾って(食べながら)月を見ていた記憶がある
もちろん部屋の灯りはすべて落とした
漁り火とともにぽっかり浮かぶ月がとてもきれいだった


我が家の子供たちが幼いころ、その様子を再現しようと思った
親子で原野に分け入り、ススキを取り家に飾った
だんごのかわりにジャガイモを蒸かした


やがて子供たちは育ち大人になり、我が家のおつきみ習慣は消えた

その原野今はなく、越谷レイクタウンにとって変わった



隔世の感がある

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2010.09.20

「絵本コンサート」のカテゴリーを新規作成しました

おかげさまで「絵本コンサート」も回数を重ね記事の数も多くなってきました

そこで新たに「絵本コンサート」のカテゴリーを設けました

数年間の関連記事をまとめてご覧になれます

「絵本コンサート」は出版社、作家先生、印刷会社が手を携えてやっている手作りコンサートです

本来はビジネスでつながっている関係

でも仕事の関係であって、仕事の関係でない

絶妙なバランスの上に成り立つコンサートです

でも底に流れているのは「それぞれの心意気」・「お互いへの信頼感」、そして、「良い絵本を子供たちに伝えたい」という思いです

僕は「絵本コンサート」をとても大切に思っています

最初は洒落で作家先生の詩に曲をつけただけです

それがコンサートにつながり、回数を重ねていく

いやがうえでも思いは深くなっていきますよね

「絵本コンサート」をできるところまで続けて行きたい

そんな思いを込めて新規カテゴリーにしました

ぜひご一読願えればと思います

 ⇒「絵本コンサート」

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たのしくも手ごわかった「おつきみどろぼう 絵本コンサート」

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川越のひまわり幼稚園で絵本好きの子供たち40人ほどとお母さんたちが集まってくれた「絵本コンサート」

世界文化社が発行し、僕が印刷立会いで関わった3冊の本の読み聞かせと歌のコンサートだ

3冊とも作家先生の書かれた本の一節に僕が曲をつけて歌っている
季節の節目に開いてきた「絵本コンサート」はすでに3年、5回目になる

今回は十五夜も近いので「おつきみどろぼう」という絵本をメインに
「おせちのおしょうがつ」「おうちピクニック」も折り込んだコンサート

「おつきみどろぼう」「おせちのおしょうがつ」の作家・ねぎしれいこ先生
「おせちのおしょうがつ」の画家・吉田朋子先生も駆けつけてくれた


コンサート会場の庭に面したテラスは子供たちとお母さんでいっぱいだ
秋とはいえまだまだ強い陽射しがさしこむ
子供たちの額には汗が光る


絵本の読み聞かせ(お二人の世界文化社・ベテラン女性編集者が担当)の前後を歌ではさんでコンサートは進んでいく

絵本好きの子供が集まっただけあり、読み聞かせを食い入るように見つめる子供たちの目が印象的

僕の役割は絵本のイメージをより印象的に歌でサポートしていくものと心得ていた


コンサートは順調に進んでいった

しかし30分を経過したころから子供たちにちょっと変化が表れだした
絵本を3冊読み終え、歌に入ったあたりからだ

それまで食い入るようにステージを見つめていた子供たちの個性が出始めたのだ

絵本好きな年中さんだ
3冊の読み聞かせが終わり、集中力が途切れてきたこともあるんだろう
僕のトークに絡んでくる子供が出てきたり、行儀よく体育すわりしていた陣形が崩れてきたり…

僕にしてみると願ってもいな展開ではある

お行儀よく最後まで聴いてもらえるコンサートは物足りない
素の状態の子供たちとやり取りしながら進めたかった



ところが!
とんでもない失敗を犯してしまった

僕の一言一句に対して妙に絡んでくる女の子が一人いた


  そんなの知ってるもーん
  みみずなんかかわいくないもーん
  etc...


この子は途中まで、読み聞かせも歌も食い入るように見つめていた子だ

なぜ、急に態度を硬化させたのか?

その訳はすぐにわかった

「おうちピクニック」の時にある坊主頭の男の子が話の内容に楽しいリアクションを起こしてくれた


  雨が降らないように
  てるてる坊主を作ればいいじゃーん!


僕は瞬間的に彼に反応していた


  おお、そうだよな
  てるてる坊主だよな
  君はてるてる坊主みたいだな
  かわいいな!


まわりの子供たちがいっせいに彼の頭をなで始める

その子は照れたような顔をしてされるがままにしている

座が和んでいく

普通のライブであればそのままいい方向に流れていくところだ

ところが、その直後からだ
件の女の子がからみだしたのは


   失敗した


そう思ったがもう取り返しはつかない


  「私のことも、もっと見て!」


その子はそうメッセージを発していたんだ


無視したり、聞き流したりすることはできない
かといって、その子の「ゴネごと」に追随し迎合してもいけない

どうしたものか、この後の進め方に一瞬躊躇し、判断に迷った



結局、僕のとった態度とその後の進め方はこうだった

コンサートの進行の妨げになるようなごね方に対しては鋭い視線を投げかける
そこまででもない「自己主張」に対しては笑って聞き流す

そうすることでスムーズな進行を確保しつつ、他の子供たちにも目を配ることができる

そのかわり、エンディングの「ハエ・ハエ・ハエ」のリフレーン部分でこの子のことを一生懸命見てあげることにした
もちろん最大級の笑顔で



「ハエ・ハエ・ハエ」

気合が入った
誰も知らないこの歌だが、リフレーン部分を何度もくり返すうちに一緒に歌いだせる歌だ
これまで子供ライブで何度も何度も窮地を救ってくれた歌


なんとしてもこの歌の中に子供たちを引っ張り込みたかった
そうしなければ、「ゴネ子ちゃん」に最大限の笑顔を送ってあげられない
中途半端にそれをやれば、他の子供たちもいい気持ちはしないはずだ

1番~2番は、全員にさりげなく「♪ハエ・ハエ・ハエ!」の刷り込みを図る
席から立ち上がり、子供たちにぐっと寄って歌う

セリフの部分で一気に距離をつめる

勝負の3番!
しゃがみこみ、件の「ゴネ子ちゃん」に目と鼻の先まで顔を近づけて歌う

「ゴネ子ちゃん」はどぎまぎ
僕は最大級の笑顔

1フレーズに過ぎないのだが、とてつもなく長く感じる

本当の勝負はこの後だ

「ゴネ子ちゃん」を「特別扱い」したわけだ
吉と出るか凶とでるか


立ち上がった僕は全員一人ひとりにウルトラ最大級の笑顔で歌い続ける

はたして!

それまで自信なげに歌っていたリフレーン「ハエ・ハエ・ハエ!」をしっかりした声で返してくれる!
何人かの子供たちは縦ノリのウェーブまで見せてくれる

みんないい笑顔だ!


安堵した
心の底からホッとした


   ああ、よかったぁ







たくさんのことをいや本質的なことを子供たちから学ばせてもらった

子供たちは決して「達」ではない
ひとりひとりの子供なんだ

当たり前の話なんだが、わかっていたはずなんだが
本当にはわかっていなかったのかもしれない

そして、それは大人相手のライブでも同じこと
「お客さん」でくくってしまっちゃいけない
ひとりひとりの集まりが「お客さん」だってことを
肝に銘じた

大人は自制心も備わっているし、全体的にものごとをつかめる「ゆとり」も備わっている
でも子供たちはまず自分から始まるものだ

つまらなければ情け容赦なくそっぽを向く
ステージの進め方の問題点がモロ表面化し暴露される



  「子供相手のライブは難しい」

多くの人がそう言う
僕もまたそう思う

人間社会の縮図が萌芽とはいえ、むき出しの状態でそこにあるからだ
きれいごとが通用しない、情け容赦のない世界とも言えそうだ

相手が子供だからこそ、全心全霊を傾け
真正面から自分をぶつけなければならない

「子供たち」にそのことを再認識させてもらった

ありがとう






【PS】

コンサート終了後、たくさんの子供たちが僕に握手を求めてきた
一緒に写真を撮ってもらった
買い求めた絵本にサインもせがまれた(これはお母さん方)
ハイタッチやハグを求める子もいた
(中にはほっぺたにチュッとしてくれた女の子もいた)

最後の方になって「ゴネ子ちゃん」が一人でやってきた
照れたような笑顔を浮かべながら
握手をする
頭をなでる

  ありがと

そう、言い残してきびすを返した
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2010.09.18

お客さんにノセにノセられた!「お好み焼きの三貴ライブ」

  君と逢った その日から
  なんとなく しあわせ



歌い始めたとたん、店内の一角が大きく揺れた
やや年配の女性4人グループが頭上に手を上げ、体を大きくゆすりながら一緒に歌いだしたんだ

それまでざわついていた店内だったがオープニングの「なんとなく なんとなく」で一気にライブ会場に変わってしまった

触発されるかのように、10人ほどのサラリーマングループが腕を突き上げ、「ウェーブ」をはじめる


  おいおい、
  この歌はそういう歌じゃないよ



内心そう思いながらも、オープニングから一気に火がついた

別のグループも手拍子を打ちながら見つめてくれる



この2ヶ月はお客さんが少なかった
少数のお客さんにしっとり、じっくり歌う「三貴ライブ」だった

今回久しぶりに八割ほど席が埋まっていた
ちょっと空席があるくらいの方がステージは進めやすい
(ゆとりがかんじん、なにごとも?)

お客さんの年齢層は20代~60代と幅広い感じ
2組のサラリーマングループは20~40代の混合
他に若い女性二人連れが2組
常連さんが3人
合わせて30人ほど

人数、年齢、グループの構成ともに一番やりやすい条件


2曲目の「万里の河」でお客さんのノリに加速がついた


  オレ、知ってるこの歌!

  お前の年代だと知らないだろ!



こんな会話がサラリーマングループで交わされる


  僕の長男が、母親の腹の中にいたころ
  30年前のヒット曲です



こうすかさず割り込む


  ええ?
  そんなに前の歌なの?



と返してくれる



お客さんとのコミュニケーションが成立し始める


  知名度の高い歌をつなげて
  この雰囲気を固めちゃおう



そう方針を決め、叩き込むように数曲歌う

ターゲットを店内中央に陣取るサラリーマングループに絞る
このグループのノリが最高!

他のグループも引っぱられるように入り込み、一緒に口ずさんでくれる

お客さんたちの視線、手拍子に大いにノセられた僕はトークも滑らか
多少の「毒舌」を交えられるほどの空気が一気に出来上がった


  この娘(こ)今度結婚するんですよ
  なんかお祝いソングみたいなのやって!




  えぇ?
  今日は秋の歌がメインだから失恋ソングが多いんだよ
  よっしゃ!わかった!
  1部のどこかでなにかやるよ
  請うご期待!




伊勢正三の歌を数曲歌う
もちろん失恋ソング(「赤ちょうちん」「22歳の別れ」)


  いるかの歌が聴きたいなぁ


とのリクエストにお応えして「雨の物語」「なごり雪」
(実は伊勢正三の歌なんだけど、おくびにも出さず)


「なごり雪」はさすがにどの年代もよく知る名曲
店内上げて盛り上がりはクライマックスに!


ここですかさず静かなアルペジオに乗せて長めのトークを
人生の別れと出会いについて

そのまま「秋桜」に


  おお! 百恵!


の声

静まる店内
やがて一緒に口ずさむお客さんたち
結婚する娘の目がキラリ



かくして1部は終了
長めの1時間ステージになった



20分ほどの休憩を挟んで2部スタート

お客さんは帰るそぶりも見せず、1部で出来上がった空気がまだ生きている
いつもならお客さんが入れ替わったり、少なくなっていったりするところだ
だから、2部は一から作っていく必要がある
今回はそれがないので、ありがたかった

1部のテンションをさらに高めていくか、それとも雰囲気を一変させるか

さぐりながら歌い始めた

  恋の季節
  サンフランシスコ・ベイ・ブルース

がっつりノッテくれるお客さん


  こりゃ、1部の延長で行くしかないな


そう決めて沖縄シリーズに突入

1部の終了間際に「沖縄の歌も聴きたいな」と話していたのを小耳に挟んでいたからだ

「島人の宝」のイントロを弾き始めると、一気にはじけるお客さん


   いぃやぁ さぁさ!


のかけ声も飛び出す

そのまま「涙そうそう」
一緒に歌ってくれるお客さん


  「ざわわ」が聴きたい!


無論そのつもり

  ざわわ ざわわ ざわわ・・・
  広いさとうきび畑で・・・

じっくり歌いこむ

ふたたび「ざわわ」に合わせて起こるウェーブ


沖縄シリーズの最後は「花」
ゆっくりアカペラで入り、徐々にテンポを上げていく
けっこうのテンポになったところでブレークをはさみ、一気にスピードダウン。ふたたびアカペラでしめる



このあとのことはよく覚えていない
でもお客さんとやり取りしながら、気持ちよく進めていった

時間は11時をまわる
いつもなら第3部が始まるころだ
あまりのノリのよさに1部、2部とも長いステージになった
お客さんノリもほとんどピークに達していた


  ここで〆ちゃおう!
  時間は早いけど、ピークが来ちゃった



そう判断しエンディングに入った


  これから歌うのは結婚を前にして男が腹をくくる歌です
  男は本来風来坊
  夢を追いかけてさすらうようにできている
  これはたぶん生涯ひそかに抱え持つ「男の性分」
  それでも腹をくくり
  愛するもののために生きようとする瞬間がある
  それもまたひとつの真実です
  ○○ちゃん
  結婚おめでとう

     ・・・「青春の影」



普段よりもテンポを落としてじっくりと
にわかに静まる店内
やがて口ずさむお客さんの声
自分の声がスーッとお客さんに吸い込まれていくように感じます


  これからは ただの男


アカペラで最後の1フレーズが終わるや否やアップテンポに転じ「心の旅」

一気に爆発する店内

サビを数回くりかえしエンディング

絶頂のままライブ終了!


「三貴ライブ」でピークのままにライブを〆ることができたのは初めての経験
通常営業中のライブだからお客さんの出入りに合わせたりしなきゃならない
最後は常連さんとスタッフのために歌いスーと静かに終わっていくというパターンだった

今回はお客さんがずっと残っていてくれた
しかも最高のノリ
お客さんにノセられ、引き出されながら進めることができた

そのおかげでエンディングにピークを持ってくることができた

これは大きな経験だ

いろんな条件がそろった上ではじめて可能なことだったと思う
次回も同じようにできるかというとその保障は皆無だ

でも「お好み焼きの三貴ライブ」でもこういう終わり方ができる
そのことが体験できたことはとても大きな前進だと思う




最高の体験をさせてくれた今夜のお客さんすべてに心から感謝いたします

来月の第3金曜日にまたいらしてくださいな!

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2010.09.17

またしても急ですが、今夜は「お好み焼きの三貴ライブ」

季節の変わり目ですねぇ

夏が過ぎ、やっとこ秋の気配が濃くなって
それでもまだ残暑もあるざんしょうね

季節の変わり目にしか歌えない歌ってのもありますね

今夜の「お好み焼きの三貴ライブ」はその辺を意識してやろうかなと思っています

「限定版! 季節の変わり目特集!!」

なんてね

さて、何が飛び出すやら、出さぬやら…

***************************************************

★9月17日(金) 三貴ライブ
         夜9時~11時半(終電まで)
         お好み焼きの三貴
          東武線新越谷駅東口
          武蔵野線南越谷駅南口
           徒歩3分

http://ggyao.usen.com/0002132503_map.html

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2010.09.15

【お知らせ】 「Live in 清津峡 2010」 に参加しませんか?

『第7回 Live in 清津峡 2010』があと2週間に迫ってきました。

この音楽イベントは人里はなれた自然の中で、日常を忘れて音楽と戯れる企画です



昨年は50人以上もの人が集まり音楽とキャンプを通して楽しい時間を過ごしました
出演者も小学生グループ・高校生グループといった若手から、50代のおじさんまで、各年代バランスよく出演しライブを盛り上げてくれました


清津峡キャンプ場は神奈川県の南丹沢、中津川の谷間にあるキャンプ場

谷底のキャンプ場だから電気もない、ガスもない、何もないのがとりえです

そのかわりおいしい空気、潤沢な水、ゆったり流れる時間
なにものにも代えがたいものがあります

山腹から山道を徒歩で20分ほどくだらなければたどり着けないキャンプ場
(この山道を現在と過去、そして都会と自然を結ぶ「緑のタイムトンネル」と呼んでいます)


首都圏に近い場所にあっても「現代の秘境」といえるほど豊かな自然に恵まれたキャンプ場



音楽好きな方
キャンプ好きな方
アウトドアをやったことがない方も


秋の一日を(前夜祭を含めて一泊二日)一緒に満喫しませんか?




Live in 清津峡

  10月2日(土) 前夜祭 (ランプの灯りで)
  10月3日(日) 本祭(朝から夕方まで)





【興味のおありの方、参加したい方 】
★Martin古池までメール等でご連絡ください
  この記事にコメントをつけてくださってもOKです

★mixiの場合は「南丹沢清津峡キャンプ場コミュ」のイベントページで !
  ぜひポチッとやってくださいませ!

 →「第7回 Live in 清津峡」イベント
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2250193





【参考】
清津峡キャンプ場について(「街角の歌芸人」より)
http://martinkoike.cocolog-nifty.com/blog/cat4583560/index.html
「camp36」より 南丹沢清津峡キャンプ場
http://www.kanagawa-kankou.or.jp/camp/spots/camp36.html

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2010.09.12

9.11 セプテンバーコンサート at 四谷ひろば

アマテラス 哀しみは  誰をも救わない
アマテラス 憎しみは  誰をも救わない
私にはなにもない  あたえうる何もない
君をただ笑わせて  負けるなと願うだけ
アマテラス アマテラス どこで泣いているの
アマテラス アマテラス 明日は泣かないで
アマテラス アマテラス アマテラス


地上に悲しみが つきる日はなくても
地上に憎しみが つきる日はなくても
それに勝る笑顔が ひとつ多くあればいい
君をただ笑わせて 負けるなと願うだけ
泣かないで 泣かないで 泣いて終わらないで
泣かないで 泣かないで泣いて 終わらないで

微笑んで 微笑んで 微笑んで アマテラス



     (中島みゆき 「泣かないでアマテラス」より抜粋)



歌い終えた時、全身の力が抜けるのを感じた
拍手の音が遠くで聞こえているような気がした

深い安堵を感じた


  やっと、形にすることができた



::::::::::::::::::::::::::::::


4カ月ほど前、主催者のふく助さんから出演依頼をいただいた時、
実は軽く考えていた



9月が近付くにつれ、僕の中でどんどんふくれあがり重くのしかかってきた


  与えられた15分の中で
  オレは何を歌い
  何を語れるんだろうか
  オレに語るべき何かがあるんだろうか


そんな思いが頭の中を行ったり来たりしていた

選曲をしては破棄し、破棄しては選曲をくりかえした



ニュースではアメリカ国内でアラブ人やイスラム教徒に対する「迫害」が強くなっているという
それも一般市民の中でだ

そんな話を聞くたびに暗い気持ちになる

「9.11」をテロ反対だけに単純化してはいけないという思いが強くなる

むろんテロは許されることではない
それは「悪」である

一方テロとの戦いとして行われたアメリカのアフガニスタンへの派兵やイラク戦争を「善」といえるのだろうか

そもそも自爆テロをせざるを得ないのはなぜなのか


  私たちは被害者の子供で
  加害者の子供なんだね
  私たちも殺されたけど
  私たちも殺したんだね

    (きたやまおさむ 「戦争知らない子供たち83」より抜粋)


一連の同時多発テロとそれに対する報復戦争

これは経済戦争でありながら、宗教戦争でもある
そして価値観をかけた戦争でもあるんじゃないか…

そんな気がする
簡単な話じゃないよな

「平和」という言葉を軽くを口にしちゃいけないのかもしれない…


迷い、混乱しながらずっと考え続けた

答えを出せないまま1か月以上が過ぎた




今朝、頭の中をキヨシローの「イマジン」がよぎった


  天国もない
  国境もない
  社会主義も資本主義も
  えらい人も貧しい人もない  
  みんなが 同じならば かんたんなこと
  夢かもしれない
  でもその夢を見てるのは
  君ひとりじゃない 仲間がいるのさ


すーっと霧が晴れたような気がした


  単純に考えよう
  国家や宗教や価値観の問題
  みんな人一人の問題じゃないか


人が人の命を奪うこと
人が人を裁くこと

そこからは悲しみしか生まれない
そこからは憎しみしか生まれない

人は誰もが自分の中に「善と悪」をかかえ持っている

たとえば人を裁く心、憎む心が「悪」だとすれば、
それを取り除くことはできないのかもしれない

だけど自分の中にある「悪」を知り、認めることが大切なんじゃないか

それを知るがゆえに、
他人を認め、受け入れることができるのではないか


そんな風に思えるようになった




2001年のあの同時多発テロをきっかけに全世界で始まったセプテンバーコンサート
今回初めて四谷ひろばで参加させてもらった
そしてコンサート当日になってやっとこ自分の中に位置付けることができた


このコンサートが世界中で息長く続けられることを心から祈る





【本日のステージ内容】

①「涙そうそう」

   長々トーク

②「ファイト」抜粋~「泣かないでアマテラス」

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2010.09.11

本日の「朝市コンサート」 中止させていただきます

急な所用のため

本日の「朝市コンサート」は中止させていただきます。

ごめんなさい

なお、「セプテンバーコンサート」にはまにあうように駆けつけます。

どうぞよろしくお願いいたします。

★9月11日(土) セプテンバーコンサート in 四谷 出演
          10:30~16:30
          四谷ひろば
           (Martin古池の出演時間は12:50~15分間です)

           2001年9月11日のあの事件を忘れぬように全国規模で企画されているコンサートです。
                 
どんな戦争もどんなテロリズムもダメだ!厭だ!そんな思いで出演させていただきます

セプテンバーコンサートのHP


四谷ひろばの地図

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2010.09.09

今年も炸裂!! ジジ・ババ・パワー! 第3回 寿コンサート

9月とはいえじりじりの陽射しが照りつける昼下がり。

蒲生寿町の町内会館には敬老の日を前にして、およそ30名の「さつき会」のご老人たちが集まった。

今年はあまりに暑い夏だった。

皆さん達者でのりきられたか…
いささか心配だったが、見知った元気な顔に迎えられた。

.

「寿コンサート」も今年で3年目。

実際は「さつき会」の敬老行事のアトラクション。

蒲生寿町の老人会なので舷をかついで(?)「寿コンサート」と勝手に名づけている。

僕自身、10年ほど前まで寿町の住人でもあり、年々愛着のわくコンサートになっている。

3時間ほどの行事なのでアトラクションは1時間以内に抑えるつもりでプログラムを組んだ。

ノリのいいご老人たちなので、リクエストなどもあるだろう。45分で組んで伸びても1時間で抑えなければいけないと思っていた。

いつものことながら選曲はぎりぎりまで悩んだ。

ご老人たちは御年70~80歳。

戦時中に幼少時代を過ごし、戦後の復興期に青春時代を迎えた方が多い。

軍歌や童謡・唱歌で育った子供たちは、心が最もみずみずしい思春期~青春期にアメリカから入ってきたハイカラな歌にあこがれたにちがいない。

だから青春時代に聴きかつ歌ったと思われる歌をつかみに持ってきたかった。

.

同時に親として過ごしてきた30~40代は高度経済成長時代。

まさに企業戦士として身を粉にして働いてきた世代だ。

そんな夫を家庭で支えてきたばあちゃんたちだ。

そのころの流行歌もぜひ入れたかった。

.

そして僕の世代とご老人たちの世代の接点になるテーマ。

迷わず決めた。

「故郷のこと。親子のこと」

彼らは生まれた時から蒲生の住人だったとは限らない。

むしろ別のところで生まれ育ち、戦火を逃れて蒲生に来た人もいるはずだ。

あるいは嫁いでこの町に来た人も多いはずだ。

様々なところからこの蒲生に流れ着き、今ここに根を生やし生きている。

当然親子のさまざまなあれこれもあったに違いない。

それでもこの地で生きてきて良かった。

そう思ってもらえるようなステージにしたかった。

そういう思いで作ったプログラムだ。

  1.真っ赤な太陽
  2.りんごの木の下で
  3.星影の小径
  4.サントワマミー
  5.私の青空
  6.津軽海峡冬景色(~特急はつかり5号の車内放送)
  7.函館物語
  8.秋桜
  9.無縁坂
  10.マイボーイ
  11.テネシーワルツ
  12.上を向いて歩こう

驚いた。

オープニングの「真っ赤な太陽」を歌いだすと、突然皆さん一緒に歌いだしたのだ。

やる曲やる曲すべて、口ずさみ、手をたたいてくれる。

津軽海峡冬景色」にいたっては大合唱だ。

これまでやった2回の寿コンサートよりはるかにエンジンのかかりが早い。

いや、のっけからフルスロットルだ!

じいちゃん、ばあちゃんに後押しされて僕の口も滑らか。

これが効果的に効いたのか、「秋桜」「無縁坂」「マイボーイ」などは目をつぶってじっくり聴いてくれる。

この辺で予定の45分を経過したので、エンディングの「上を向いて歩こう」に持っていこうと思っていた。

けれども終わるのを許してくれない雰囲気がただよい、「ジャニー・ギター」「ダニー・ボーイ」を追加した。

歌い終わるとため息を漏らす人もいた。遠い昔を思い出していたのかもしれない。

リクエストが入った。「神田川」だ。

歌いだすと、会場中が一緒に歌いだす。

.

  え?
  これって、俺の世代の歌だぜ!
  なんで、こんなに盛り上がるの?

.

歌いながらそんな疑問が頭をもたげる。

そういえば、昔会社の大先輩もそうだった。
僕がこの歌を歌うたびに必ず涙を流し、何度も何度も歌うことを強要された。
楽曲のよさが世代を超えてしまったということなんだろうか。

最後はスペシャルサービスで日本とアメリカの失恋ソングのキワメツケ。

悲しい酒」と「テネシーワルツ」をじっくり歌う。

エンディング「上を向いて歩こう」は当然の如く大合唱になった。

当初予定の倍、1時間半のロングコンサート。

おおいに歌い、しゃべりにしゃべった。

最後の最後までじいちゃん・ばあちゃんにはノセられ、背中を押され続けたコンサートだった。

こんなにも楽しいコンサート。

来年も再来年もずっと続けていきたい!

切にそう願いつつ、会場を後にした。

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第1回 寿コンサート 「おそるべし じじばばパワー!!」

第2回 寿コンサート 「元気なり、地元のジジ・ババたち!」

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台風一過 秋突入

20100909_15

「突入」という言葉に違和感を感じないほど、いきなり秋はやってきた

空の高さ、流れる雲、色づくたんぼ、虫の声…

秋を予見させるものは徐々にしのびよっていた

あまりに強い陽射しとまとわりつく暑さに、すべて霞んでいた

昨日一日暴れまわった台風をやりすごし、一夜あけると…
季節はカタンと秋になっていた

窓から流れ込む心地よい風に心が誘われた

自転車でいこう
季節の変わり目を感じられるのは今日しかない

短パン、サンダル、野球帽
いつもの夏装束で出かけよう

普段なら駆け抜けてしまう道

風がとっても心地よし
まわり道していこう

越谷に残されたわずかな田園まで足をのばす

ゆっくりゆっくりペダルをまわす

露出した足を秋風がくすぐる

頭の中をひとつのメロディがかすかに流れだし、やがて形を結ぶ

いつまで僕は
走り続けるのか
若者は走るよ
ふりむきもしないで

       『孤独のマラソンランナー』

自分の中を季節がひとつまわった

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2010.09.08

八ヶ岳 「小さな山小屋音楽会」 森の中の上質な時間・空間をめざして

ホームと思えるライブが僕にはいくつかある

この八ヶ岳の森の中でくりひろげられる音楽会もそのひとつだ

ここで歌う時、僕はすべてのしがらみから開放され自由になれる

その時歌いたい歌を心のままに演ずることができる

語りたいことを心のおもむくままに語ることができる

何をどうやってもここでは許される

お客さんの中核は「あすなろ山の会」の長老たち

70歳をとうに過ぎた長老たちは僕の演奏をしわくちゃの表情で聴いてくれる

それだけではない

思いもかけぬところで、思いもかけぬチャチャを入れてくる

1曲ごとにやりとりがあり、そのやりとりに触発されて次の歌が決まることも多い

時にはひとつの歌をきっかけに討論会のようにすらなる
(元60年安保の闘志や元官僚、元大学教授など一家言ある多彩なメンバーがそろっているのだ)

時に暴走することもある

しかし僕の投げるボールにいちいち食らいついてくれる「最高のお客さん」たち

彼らに見守られ、いじられながら僕は流れに身をまかす

.

.

先週末、「小さな山小屋音楽会」が開かれた

今回の出演者は3人だった

Martin古池
Charleyさん
時田さん

地元のCharleyさんは昨年に引き続きの出演

1年間の間に数々の場を経験されてきたと見える

歌の説得力が昨年を凌駕している!

特に2部で歌った一連の長渕のカバーは胸にズシッと来るものがあった

なんといってもChaleyさんは本当に楽しそうに、顔をくしゃくしゃにして歌う

この表情が僕は大好きだ

.

初参加の時田さんはChaleyさんの音楽仲間

僕と同じ年だ

ご自身の歩んでこられた道のりを語りながら、とつとつと歌う時田さんに僕は惹きつけられた

  いい歌い手にまためぐりあえた

.

僕は今年もシナリオなしで臨んだ

歌い進むにつれ客席とのおしゃべりもはずみ、なんとなく次の歌を決めていった

こういういきあたりばったりが楽しい

テーマだのモチーフだのしちめんどうくさいことは一切考えなかった

譜面をざっくりとテーブルの上に置き、あとは客席から引き出されるままに歌うことができた

.

日のまだ高い午後3時に始まった「小さな山小屋音楽会」が終わったのは8時過ぎだった

昨年に引き続き、今年もしっとりとしたいい音楽会になったと思う

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今回音楽会の名前を変えたのにはワケがある

12回(13年)続いてきた「森の音楽祭」のスタイルを昨年から変えたのだ

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13年前、第1回目の時は山小屋はまだ建っていなかった

森の斜面の木を数本伐採し、そこにコンパネを敷いてステージにした

出演者は3組だった

オカリナ・アンサンブル かざぐるま
地元のフォルクローレバンド ピミエンタ
Martin古池

お客さんは「あすなろ山の会」のメンバーを中心に十数人だった

質素だが暖かい音楽会だった

しかし、この地を開墾して「自分たちの手で山小屋を建てる」という夢に燃えていた

.

以来毎年9月の最初の土曜日に音楽会を開いてきた

山小屋建設の進捗状況を1年ごとに確かめてきた

音楽祭も年々参加者が増え盛大なものになっていった

ビミエンタの山本棟梁が地元のミュージシャンたちにも声をかけ出演者が増えた

僕も関東の音楽仲間たちとともに八ヶ岳に向かった

いつからかPA装置を導入し、大音量で十数組の出演者が熱演をくりひろげた

お客さんは地元の住人や小屋の利用者などにまで広がっていった

「あすなろ山の会」のメンバーはホスト役に徹した

事前の準備
当日の進行
豚汁を作り、
炭火で焼き鳥を焼く

やることはいくらでもあった

営利目的を一切排除し、ボランティア的に音楽祭を企画、実行する

若い世代の協力も得て運営されるようになり、「森の音楽祭」は年毎に肥大化していった

おそらく素人の集団が企画・運営しうる極限にまで、音楽祭は成長したと思われる

.

第10回 森の音楽祭はその意味で最高の盛り上がりのうちに幕を閉じた

しかし、反面で音楽祭のあり方に疑問も持ち上がってきた

今のやり方は当初の目的から外れてはいないか?
森の中で上質な時間に身をまかすこじんまりとした音楽会にしたかったんじゃないのか
今の音楽祭は商業的色彩の強い音楽イベントやライブの模倣になってはいないか
音楽祭を支えている「あすなろ」のメンバーも高齢になり、支えきれなくなってきた

「森の音楽祭」は1年中断され、仕切り直しの冷却期間とされた

.

昨年、「森の音楽祭」は「森の音楽会」として再開された

心がけたことは、「森の中の上質な時間・空間」を大切にする

演奏者とオーディエンスが相互通行できる形にする

巷で言われる「ライブ」の形にはこだわらない

参加者全員が等しく楽しめるものにする
(誰かがホスト役になるということではなく、参加者全員で作っていく)

こじんまりとした音楽会は、楽しくもしっとりとしたいい時間になった

小屋作りを目指した第1回目の雰囲気を出来上がった小屋のテラスで再現することができた

.

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今年、12回目となる「森の音楽祭」は「小さな山小屋音楽会」に名前を変えた

山小屋作りの一環として始まった音楽会なんだから、この名前こそが本来の姿を表していると思う

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音楽会としての発展っていったい何なのか?

この2年いつも問いかけてきた課題である

最初の10回は定着させ、さらに大きくなることが目標だった

素人集団が最大限の挑戦をさせてもらったと思う
当時出演してくれたミュージシャンの皆さん、
集まってくれたお客さんには心から感謝したい

でも身の丈を超えてしまった

等身大の音楽会、始まった時のような不慣れでもピュアだった音楽会に立ち返りたい

小さくても深さを増していく音楽会として続けていきたい

それこそがこれからの発展の形だと思う

森の中の小さな山小屋で上質な時間と空間を作り出していく

それは演奏者と聴衆とで作り上げていく「井戸端ライブ」のようなものだと思う。

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あと何年、この音楽会が続けられるかはわからない

でも続けられる限り、最後の最後まで続ける覚悟をかため、音楽会に終止符を打った

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【参考】 

  ★森の音楽祭の過去の記事 (「街角の歌芸人」より)

【Charleyさんのブログから関連記事】

  ★Martin古池

  ★山男たちの描いた絵

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2010.09.02

若乃花

昭和35年(1960年)

函館山の麓にあった我が家にテレビが来た。

庭の一角に隠居所を増築した祖父母がテレビと一緒にやって来たんだ。

祖父は相撲中継が好きだった。

僕はテレビがものめずらしく祖父の傍らで相撲中継を見ていた。

煙管(きせる)をくゆらせながら、目を細め白黒の画面を沈着冷静に見
つめる祖父。

その祖父が一度だけ興奮した面持ちで大声を上げたのを覚えている。

  やっぱり若乃花はつえぇなぁ!

3月場所14勝同士の栃錦と若乃花。

千秋楽を制したのは若乃花だった。

そのとき以来若乃花という名前が刻み付けられた。

その年の7月。

七夕さんを前にして、祖父は僕と弟に下駄を買ってくれた。

  お前たち、どの下駄がいいんだ

僕たちは祖父の機嫌を伺いながら、若乃花と栃錦の名が書かれた下駄をねだった。
若乃花の下駄は僕で、栃錦は弟だった。(弟はずいぶん不満だったようだ)

僕はこの下駄を愛用していたが、一夏が終わるころにはもう履けなくなっていた。

歯はすりへり、鼻緒は何度も切れ、そして若乃花の墨文字は薄れて読み取れないほどだった。

小学校に上がり僕の興味は相撲からプロレスに移った。

相撲の仕切りが子供の僕には長すぎて立合いまで待ちきれなかったんだ。

その点プロレスはスピーディだった。絶えずハラハラドキドキさせられた。

もちろん力道山にあこがれた。若乃花の兄弟子だったということを知りますますひいきに熱が入った。

やがて僕はサッカーを始めた。しだいにプロレスからも相撲からも興味を失っていった。僕は中学生になっていた。

再び相撲中継を見るようになったのは、僕が高校生になってからだった。

若乃花の実弟、貴ノ花の相撲にすっかり魅せられたのだ。

小兵でも強く華麗だった貴乃花に、子供のころあこがれた若乃花を見たのかもしれない。

年齢も近く(4歳年長)当時住んでいた室蘭出身というのも大きな理由だった。(若乃花も貴ノ花も室蘭の地で幼少時代を過ごしていた)

貴ノ花の悲壮感あふれる必死の相撲を見るたび、その影に僕は若乃花を見ていた。

後に貴ノ花の長男(初代若乃花の甥)・3代目若乃花が短い相撲人生を駆け抜ける。

3代目も小兵だった。大きな相手にスピードと粘りで対抗する3代目の相撲も好きだった。先に横綱になった弟、貴乃花は好きになれなかった。

若乃花の遺伝子を感じるのは3代目若乃花だった。

室蘭が育てた不世出の大横綱・初代若乃花が昨日亡くなった。

そんなことちっとも知らず、昨夜は室蘭時代の同級生と呑んでいた。

1年ぶりに再会した彼らと別れた後、その知らせをネットで知ったの
だ。

子供の僕にとって若乃花は月光仮面にならぶヒーローだった。

実は若乃花の相撲の取り口はよく覚えていない。

映りの悪い白黒テレビのブラウン管の中で大柄の力士を土俵に投げつけるイメージだけが残っている。

そのイメージだけが今でも強く心の中に残っている。

我が最初のヒーロー

若乃花幹士の魂よ永遠なれ!

         合掌!

この文章は自分の中にある記憶とイメージを元にファン意識全開で書いたものです。したがって細かい部分で思い込みもあるかもしれません。史実との違いがあればお許しください。

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2010.09.01

九十九里浜 ひとり キャンプ

海に行きたかった
とにかく海に行きたかった

ワケなどなかった
今行かなけりゃ、この先海辺でテントを張ることなどない
ただそんな衝動に突き動かされていた

海に行って何をする?
何をするかなんて、考えていなかった

いやむしろ海に行っても何もしない
その方が大切に思えた

ひとりで潮風の中でぼんやり時を過ごす

それだけが目的のようなものだ


凝視することをやめようと思った
耳をそばだてることをやめようと思った
考えることもやめようと思った

極論かもしれない
意思を持つことすらやめようと思った



はたして
そんな状態になれたのか?

なれたともいえるし、なれなかったともいえる



夏の終わりとは思えぬ直射日光の下で
海につかり、波間を漂った
何時間も、何時間も

意思が働いたとするならば流されないようにすることだけだった


夕方の刻々と変わりゆく浜辺の景色の中
分単位の変化にただ身を置いていた

青い空に秋の雲がたなびく
青が少しずつ赤に染まっていく
夕日は山の端に落ち、オレンジに変わっていく
やがて夕暮れの群青が忍び寄る


人っ子ひとりいない
波が磯にぶつかりはじける音
飛び散るしぶき


それも見えづらくなるほどの夕闇があたりを埋めていく

なお動くことなく、その場に座り込んでいた





闇の中をテント場に戻る

懐中電灯を頼りに、七輪に火をおこす
米を炊く
現地調達した肉と魚を焼く


意思を積極的に働かせた唯一の時かもしれない


腹を満たすためだけの食事を終え、
そのまま椅子に腰を下ろす


七輪の中のほのかに燃える炭を眺め続ける
何時間もたったような気がする

ふと思い立ってギターを取り出し弾いてみる
ただつま弾くだけ、
いやになりやめてしまう
歌などただの一度も歌うことはなかった


思った

  俺は無人島にひとりでも
  ギターは持っていかないだろう
  聴く人もいないのに…
  ギターなんぞ持っていってどうするんだ
  心の慰みになんかなりゃしない



時が経ったのか、経たないのか
分からず、闇の中で七輪の灯りを見つめていた


遠くに聞こえる波の音
そこかしこから虫の声
空にまたたく星の海



ひどく孤独を覚える
やたら人恋しい


そんな自分を見つめる、別の自分
ささやきかける

  いいんだよ
  お前にはこのさみしさが必要なんだ
  何も考えるな、ただここにいろ


バーボンの酔いがまわりはじめる
いよいよ何も考える気力がなくなる

やがて七輪の火も落ち、ほのかな冷気が忍び寄る





気がつくと、空はすでに白んでいる

シュラフカバーを身体に巻きつけてそのまま眠っていたらしい

残り火をかき集め火をおこし湯を沸かす
珈琲を落とし、一口すする

水平線から太陽が頭をのぞかせる

身体も心も温まった気になる



  今日は
  少しは気力を奮い立たせよう





  結局オレは
  何のためにひとりでここまで来たのかな
  でもいいさ
  自分の行動に説明をつけようなんて
  そんなことはやめっちまえ


  衝動に駆られ、心のままに動いた
  めったに出来るこっちゃない
  それができた
  それだけでいいべさ

  それだけで充分だべさ

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