技術の継承 1 職人の血
三十余年、印刷マンとして働いてきた
自分の中には印刷職人としての「血」が流れている
同時に印刷労働者としても育てられてきた
かつて大先輩が己のことをこう称した
オレは印刷の職工だ
「職工」という言葉の裏には
職人であると同時に、自分が組織された工場労働者であるという思いがあったのではないか?
職人というのは自分でたたき上げ、ワザを身につけてきた一匹オオカミというニュアンスが強い
しかし工場で働く以上個人プレーは許されないのも事実だ
「自分は100%純潔の職人ではありえない」
という自嘲が含まれていたに違いない
僕が印刷現場を離れてもう久しい
自分で印刷機を回して生産する立場から一歩引き、「技術担当」と呼ばれるようになった
だから、もう「職工」ともいえない
それで「印刷マン」「印刷人」というあいまいな言い方になってしまう
とはいえここ数年自分の中に流れる「職人」としての血、「職人」としての誇りを強く感じるようになった
それは長老とよばれる年になり、印刷人としての時間が残り少なくなってきたことと無関係ではないだろう
まだ20代の頃
僕たちは先輩に怒鳴りちらされ、蹴とばされ、スパナで追いかけまわされていた
そうして印刷のいろはをたたき込まれたのだ
30代になり、ある程度一人立ちできるようになった
偶然が重なり僕は技術チームの一員になった
さすがに鉄拳は亡くなった
しかしここでも師匠の強烈なシゴキが待っていた
自分が立ち会った刷り物を一瞥しただけで捨てられたりもした
どこが悪いのかを問うても決して教えてくれなかった
自分で考えろ!
現場で培ってきた「自信」が粉々に打ち砕かれる日々だった
そんなことが5年続いた
ある日M師匠はポツンと呟いた
やっと、お前もまともな刷りができるようになったな
あたりはばからず、僕は泣いた
やっと認めてもらえたと思った
うれしくて、うれしくて、うれしくて…
涙が止まらなかった
それからは完全に一本立ちできるようになった
しかしことは簡単ではなかった
一人立ちするということはすべて自分で判断し、責任をとるということだ
少なくともその心意気がなければ通用しなかった
(僕をたたきあげたM師匠は大きな判断ミスを犯したことを恥じ、自ら身を引き会社を辞めていった。今の僕の年、56歳の時だった)
日々の印刷立会にもまれここまで(師匠が身を引いた年齢まで)たどりついた。
ここまでの三十余年
今まで僕は自分の力で道を切り開いてきたという自負とプライドがあった
しかしそれはとんでもない思いあがりだと感じるようになった
自分の中にはM師匠を始め、多くの先輩方、さらにはこれまで関わってきた協力会社のベテラン職人たちの技術が流れている
そう強く感じるようになったのだ
「技術」というものは個人の努力なしには身につけることができない
でもその努力の一つ一つに諸先輩の膨大な歴史が流れ込んでいるのだ
「技術の継承」とはこういうことをいうのだろう
僕の中に流れ込む諸先輩の歴史
それを僕は次代に繋げていくことができるのだろうか
「技術の継承」という伝統のバトンを僕は渡すことができるのだろうか
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