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2010.01.12

「オールマイティ・ストリート蒲生」

机の底から古いカセットテープをひっぱり出した。

20年ほど前に作ったいくつかの自作曲を聴き直すためだ。

そのひとつに「オールマイティ・ストリート蒲生」という歌がある。

久しぶりにこの歌を聴き、思わず涙腺がゆるんでしまった。

吹き込みの時の情景が浮かび上がってきたのだ。

喫茶「いずみ」の2階に10人ほどの若い商店主たちが集まった。

リズムボックスから流れるラテンのリズム
2本のギターがかわるがわる弾くリフ
それにあわせて歌うボーカル
ボーカルに乗せてぶあついハーモニー
ややはなれたところから合いの手のかけ声

一発撮りだった

以後、この歌は蒲生中央通商店街に長年流れることになる

その頃僕は蒲生中央通商店街の喫茶「いずみ」に入りびたっていた。

当時ここには写真家、画家、音楽家など「芸術」を志すさまざまな若者が集まり、「カウンター族」と呼ばれていた。

特にマスターの故・鶴岡昭二さんは音楽をやる人だったためミュージシャンの卵が集まり、僕もその一人だった。

いわば現代の梁山泊か虎の穴が当時の「いずみ」だった。

ここで音楽談義やらセッションを深夜までくりひろげていた。

セッションといっても一風変わっていた。

マスターが即興で弾き語りをやる。
ひとしきり歌ったあと今度はそれを受けて僕が即興で歌う。
今度はそれを受けて、マスターが話を展開する。
目の前にあるものすべてが即興の材料になり、セッションは1時間以上も続いた。

僕たちはそれを弾き語りならぬ「語り弾き」と呼んでいた。

鶴岡マスターは僕にとっては音楽のライバルであるとともに、「語り弾き」の師匠でもあった。

鶴岡マスターと組んでたくさんの歌を作った。

オールマイティ・ストリート蒲生」もそのひとつだ。

それは「語り弾きセッション」の延長上にあるものだった。

ほとんどの歌は中央通商店街の活性化促進の性格が強かった。

大手のスーパーが近隣に数店舗でき、そのあおりで商店街がジリ貧状態になりつつあったのだ。

鶴岡マスターは「考動集団・やじろべえ」というグループを作り、若い商店主たちとさまざまな試みをして街の活性化をはかっていた。

僕は「やじろべえ」の客分として音楽顧問(?)みたいなことをやっていた。

「語り弾きセッション」の中から産まれた歌は「やじろべえ」の活動の中で使われた。

オールマイティ・ストリート蒲生」がことさら印象に残っているのは、「やじろべえ」のみんなで完成させたためだと思う。

自分で作り自分で歌うことで自己完結する歌はけっこう寂しいものだ。

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デスペラード・ステージでオーナー企画のライブに出演する。

2月6日(土)だ。

ライブのコンセプトは

オリジナル曲と自分が影響を受けたミュージシャンのカバー

僕には少々ハードルの高いテーマである。

「オリジナル」といわれるものがないわけではない。

駄作だらけながら数十曲はある。

でも、ライブで自作曲を歌うことは少ない。

歌ったとしてもライブの展開に必要な時にだけ、そっと挿入する程度だ。

自作曲がライブの中で主役になることはまずない。

(僕の「オリジナルソング考」はまたあらためて書いてみたいと思っている)

今回は脇役を主役にしようってんだからハードルも高くなる。

僕の場合自分の中で練り上げて曲を書くというよりも、人との関わり合いの中で生まれる歌が多いように思う。

山の会のテーマソング、商店街とのつきあい、PTA関係、子供との遊び歌、

最近では仕事からみで出版社のおつきあい・・・

オールマイティ・ストリート蒲生」のようにきわめてパーソナルな歌が、ライブというある程度の普遍性を求められる場でどんな風に受け止められるのか?

怖いような、楽しみなような・・・

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