梅田慈将君のライブのこと
音楽友達のらんぶりんまっくさんに誘われて、大井町のライブバーGroovers Paradiseに足を運んだ。
福井県在住の若い歌い手である。
独特の視点で歌うということ以外に予備知識はまったくない。
なにか感じるものがあった。
何かあるんじゃないか?
ほとんど勘のようなものだ。
Groovers Paradaiseではすでにライブ前のオープンマイクで客が演奏している。
中には見知った顔も何人かいる。
彼らは皆すでに梅田君と親交があり、彼の演奏を楽しみに集まってきた人たちのように見受けられる。
初めての場所ということもあり、一人でカウンターに座る。
カウンターは梅田君の演奏を聴くだけではなく、客も含めたライブ全体を感じるには格好の場だった。
オートハープやフラット・マンドリンをまじえた客の演奏に身をゆだね、場の空気に自分をなじませようと努める。
やがて客にうながされるようにステージに登る梅田君。
しばし流れる沈黙。
客の視線はステージ中央にギターを抱えて座る梅田君に注がれ、かたずを飲むように次の動きを待つ。
はにかむように目を細めて笑う梅田君。
とつとつと朴訥に語り始める。
少々かすれたその語り口はどこか懐かしい匂いがする。
やがて静かに歌いだす。
シンプルだ。
メロディも詩もギター伴奏もそして歌唱もあまりにシンプル。
それでいて、脳裏に情景が大きく広がっていく。
息を呑み、梅田君の演奏に耳を傾ける。
ただただ耳を傾ける。
言葉少なの言葉と言葉の間にある何かを雄弁に語っている。
それはオープニングの歌だけではなく、およそ1時間にわたって歌われた歌すべてに共通していた。
梅田君はただただ言葉をつむぎだしそれを伝えるためにだけに、曲を書き演奏をしている。
とつとつと。
そんな印象が強く残った。
最初に感じた懐かしさの正体がわかった。
高田渡さんだ。
渡さんのスタンスやアプローチに通じている。
(ライブがはねた後聞いてみたところ、やはり高田渡を敬愛しているとのこと)
あくの強い渡さんとは違い、どこまでも物腰のソフトな好青年。
でもやさしげな表情とは裏腹に歌の内容は骨太で、心を刺す。
一つ一つの歌が自身の体験に根ざしているように思う。
何よりもシンプルな詩にするまでに沈思黙考を重ねている。
余分なものをことごとくそぎ落としているのを感じる。
あれから数日が経過した。
自分の歌について自問自答をくりかえしている。
僕自身、音をそぎ落とすことで歌を生かすということを目指している。
しかし梅田君ほどにはそぎ落とすことができない。
多分、あそこまでそぎ落とすと自分の歌にはならないだろう。
とはいえ、気づかぬうちに饒舌になりがちな自分の歌を見直すいいチャンスをもらったと思う。
「語らないことが語ること」
そんな歌い手、梅沢慈将君。
これからも気になる存在になりそうだ。
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