札幌日記 2008 秋

2008.10.28

ららちゃんと札幌ミニミニオフ会

音楽コミュ「へたくそ親父のギター弾き語り」(へた親)の北海道在住メンバー

ららちゃんと初めてお会いした

ららちゃんは「へた親」の初期からのメンバー

可愛らしく洒脱なネット書き込みで「へた親」のマスコット的存在

残念ながら東京と北海道は遠い

いつかは北海道オフ会を実現しようと思っていたが簡単に実現距離ではない

出張のおかげでそのららちゃんと会うことができた

検品作業を予定より早く終え、7時半に札幌駅で待ち合わせた

期待に胸を膨らませながら駅に着いたが、誰がららちゃんか分からない

探そうにも探せない

そこにららちゃんからの電話

どうやら近くにいるようなのだが、電話を耳に押し当てたまま

あっちをうろうろ、こっちをうろうろ

ふと後ろをふりむくと、携帯を耳に押し当てキョロキョロしている女性

目が合った!

ららちゃんだ!!

何のことはない二人ともすぐそばにいて電話で呼び合っていたのだ

最初の出会いがこんな調子なので打ち解けあうのにまったく時間がかからなかった

近くの日本料理屋さんでとりあえずは乾杯

食事をしながら、あれこれと話に花が咲く

「へた親」の話
音楽の話
などなど

ネットを通してやり取りをしているのと、道産子同士気質が似ているのか

まるで昔からの友達のように感じられた

昔風に言うとペンパルが初めて会ったようなもんだが、ちっともそんな感じがしなかった

場所を変えて近くのカラオケボックスに

もちろんカラオケのボリュームは落としてギターで歌う

さすらいのギタリストさんが以前オフ会の模様をCDに焼いてららちゃんに送っている

だから僕の歌は聴いているのだが、録音とナマとではまったく違う

ららちゃんのリクエストにお応えしながら、何曲か歌う

ららちゃんもいろいろ弾いてくれる

初めて聴くららちゃんのギターはカッコよかった

初めて聴く歌声はウェット感があって素敵だった

その後、ふたたびおしゃべりに突入

気がつくと最終列車は終わっていた

こうなったらままよとばかりに音楽談義が炸裂

気がつくと深夜の2時をまわっていた

さすがにナンボなんでもまずかんべ

ということでお開きに

名残を惜しみつつもタクシーで帰っていった

とにかく楽しい、充実した時間だった

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2008.10.27

サッポロ大検品

旅の目的は…
出張検品だった

札幌のクライアントに納品された製品の中に不良品が混入していた
6種類セットのパンフレットが化粧箱の中にパックされた製品
このうち2種のパンフレットの表紙がこすれて汚れていた

ごく少数の不良混入ではある
しかしごくわずかであったとしても全力対応しなければ信用失墜につながる
受注産業にとっては致命的

従来であれば製品を引き上げ、しかるべき部署で検査をする

しかしながら、いかんせん!
その時間がない
札幌は遠い!

北海道に拠点をもたない当社
運送関係のつてを頼りに現地で人を雇って対応することにした

現地での対応と検品の仕切りをするために、札幌に「明るい」僕が行くことになった

朝9時すぎ
場所と人を提供してくれたH運送に到着

大谷地という札幌の東の外れにある大流通団地の一角にある
実家のあった厚別から車で10分

父の勤めた大○藤●の配送センターがあった
大谷地の地理はなんとなく記憶にある

検査場になる一室には10名ほどのパートさんがすでに待機していた

これから何が始まるのか緊張の面持ちの彼女たち
どうやら印刷物の検査は初めてのようだ

こんにちわー!
東京の●●印刷から来た古池でぇす!
ちゅうか、厚別に実家があった古池でぇす!!

不安な空気がこれで一気にゆるむ

検査をする製品が到着するまでの間、東京から持参した不良見本と良品
さらにセットされた状態のブツを使って段取りを説明する
(このほかに差し替え用の良品100冊を山用のザックにつめこんで来ていた)

やがてブツが到着

とたんに狭い検査場は大わらわになる

感心したのは簡単な説明をしただけなのに、内容をいち早く理解して作業を始めたことだ

印刷物の検品は素人の方々

多少てこずるだろうと覚悟していたが、なんも心配することはなかった

H運送の従業員の方が先頭きって指示を出してくれる

それに従いながらも、より効率的な方法を進言するパートさんたち

僕は品質の判定基準を示すだけでよかった

途中で合流した当社の営業担当も目を丸くしていた

古池さん
うちの会社の検査センターよりすごいね
迫力だね!

なんだか自分がほめられたようでうれしい気分

そりゃそうよ
なんてったて、道産子集団だよ
馬力は充分!

なんて軽口をたたく余裕!

当初の見込みでは7時近くまで検品に時間がかかるかと思っていた

それが5時には全数ケリがついてしまった

その後最後のまとめは僕と営業担当の仕事

二人で検品後の製品を抜き取りチェックしながら数合わせ

6時過ぎにはすべての作業は終了

道産子検査員の皆さんの頑張りには頭が下がるばかり!

彼女らに深々と頭を下げて本日の業務は終了

彼女らの検査の仕方を見ていて思ったことが一つある

慣れはこわい

当社の検査に慣れた人たちの仕事はたしかに早い

身体で覚えているから自然に効率的な動きをすることができる

でも、そこに落とし穴が

慣れているがゆえにややもすると品質判定基準が甘くなる傾向がある

これくらい大丈夫だろう

という意識がどこかで働いてしまうのは、検品慣れしているからだと思う

けれど検品に慣れていない札幌のパートさんたちは、慣れていないがゆえに一つ一つの製品に対して真摯な態度で接していた

それが僕にはうれしく、頼もしく感じられた

受け入れ態勢を整えてくれたH運送の方々と

実作業に当たってくれたパートの皆さんに

心から感謝!!

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2008.10.26

墓参り 親父来たよ!

カトリック月寒教会に父は眠っている

野幌の原生林からは30分ほど

白石駅から歩いて10分ほどだ

教会に着いたときはもうとっぷりと暮れていた

聖堂の裏に納骨堂がある

その一角に父の眠る墓がある

納骨堂はいわばお墓のマンションみたいなもんだ

100人ほどのお骨がここに眠っている

教会はすでに人影はない

納骨堂の電気をつけ父の墓に歩み寄った

親父
来たよ
3年ぶりだな

R0011808手を合わせ、大理石の墓石を開ける

そこにはあの日のままに父が安置されていた

椅子を持ってきて腰を下ろし、父と対面する

しばらく黙って祈っていた

やがてギターを取り出し、静かに弾き始める

瑞穂の池弾いたように、心のままに弾く

つぶやくように歌い始める

少しずつ歌は形になっていく

ゴスペルを歌い、

賛美歌を歌う

30分歌ったろうか

最後は「永遠の絆」(Will The Circle Be Unbroken)

最初は日本語で、最後のリフレインは英語で

リフレインを何度もくりかえす

歌声が納骨堂に響き渡る

父の墓で彼と対面すると涙が自然に流れ落ちる

3年前もそうだった

悲しいわけではない

切ないわけでもない

なのに自然に湧き出してくるのはなぜなんだろう

それは暖かい涙なんだ

リフレインをくりかえしながら、目から大粒の涙が途切れることなく流れていた

やがて 俺たち一人ぼっちになるのかな
でもよ  俺が死んだらよ
また    父ちゃんに会えるよね

Will the circle be unbroken
By and by Lord, by and by
There's a better home awaiting
In the sky, Lord in the sky

原詩はかあちゃんだが、そんなことお構いなしに父ちゃんに置き換えた

人様を前にしたライブでは、エンディングはゴスペル風に歌い上げる

でも、今日のお客様は父を含め100人ほどの魂のみなさま

静かに静かにフェイドアウトした

墓の扉を閉じる時、今使ったピックを1枚中に入れた

墓参りの度にピックをおいていこうと思う

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野幌の原生林を歩く

札幌の東のはずれから江別市にかけて広大な原生林がある

野幌の原生林だ

正式には野幌森林公園というらしい

19884僕の父は晩年の15年を野幌原生林のそば、厚別で母と二人で暮らしていた

ガンにおかされ、さらに心臓を患い数度に渡る手術をくりかえしていた頃は手術と手術のあいまにこの原生林を歩き回っていた

手術の間隔は半年~1年単位だった

次の手術を受けるための体力を作るため

さらにはガンと戦うためにひたすら歩いていたらしい

僕も最後の手術の前に父と一緒にここを歩いた

その頃は満足に歩けずヨタヨタとしていた

本人は一向に気にかけず、歩くことがガンに打ち克つすべと考えていたように思うImg327_2

最後の手術を終えた後、僕は父の回復を願って原生林をすべて踏破した

半年後、父が危篤に陥った時も雪に埋もれた原生林を歩いた

あれから15年の年月が過ぎ去ろうとしている

5年ほど前に一人で暮らしていた母が厚別を引き払い函館に帰った

以来、僕が野幌原生林に足を踏み入れることはなかった

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福田先生の家を辞して原生林に着いた頃、すでに午後2時をまわっていた

5時半には暗くなるので歩ける時間はいいとこ3時間

R0011771 もとよりすべてを歩く気はなかった

父がここを歩きながら何を思ったか、ただそれを感じたかった

父がここに始めて足を踏み入れたのはおそらく今の僕と同じような年齢だったはずだ

まだ、元気で現役生活を送っていた頃だ

森林の中に足を踏み入れる

紅葉はすでに終わりを向かえ、かすかに冬の匂いがしていたR0011797

しかしこの日は10月末にしては暖かい

ゆっくり歩いているのに汗ばむほどだった

時々写真を撮りながらひたすら歩き続けた

背中のギターが重たい

瑞穂の池が目的地

池というにはあまりに大きな瑞穂の池だ

以前、父をサポートしながらこの池までやってきた

あの時と同じ道をたどっている

葉が落ちかかって空がやけにまぶしい

それでも両側から覆いかぶさる樹木は圧倒的だ

小一時間も歩いただろうか

急に目の前が開け、眼下に瑞穂の池が姿をあらわした

人はほとんどいない

池のほとりまで行き、ギターを取り出した

R0011789

誰に聞かせるということもなく、思いつくままに弾く

いつか自然に「北の国から」のメロディに変わる

ふたたびアドリにもどり、さらに「北の国から」に

こんなことを30分もくりかえしていた

急に日がかげり風が吹いてきた

空気はひんやりと冷たくなってきたR0011792

急いでギターをしまい、ふたたび森林の中に足を踏み入れた

来た時よりも少々ピッチを上げて帰りの体制に入った

来た道を引き返すのも芸がないのでぐるりと大回りする

森林の中を抜けた時もうすでに夕闇が迫っていたR0011804_2

結局ただ歩いただけで、何も感じることはできずに終わった

それでいいと思った

ただ歩いただけの数時間だったが、いつかその意味が分かる時がくるだろう

そのまま歩き続け、厚別の元実家の前を抜け、新札幌駅をめざした

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恩師・福田隆三先生を訪ねる

人生の師とよべる人をあげよ

そう問われたら、僕は迷うことなく福田先生の名を上げる

それはおそらく僕たち同級生の誰しもが感じていることだと思う

若い日に福田先生と出合い、教えを請うたことがその後の僕の生き方を決定づけた

間違いなくそうだと思っている

僕たちの担任だったころはもちろん、73歳の現在にいたるまで

変わらぬ情熱を周囲に振りまいている

来年3月に50年の教員生活に終止符を打つことを決めておられるR0011753

しかしその後も新たな研究課題を追求していく覚悟とのこと

福田先生は北海道の自由民権家・本多新(アラタ)研究の第一人者としても知られているが、現在はブラキストンの研究に没頭しておられる

まさに「生涯現役」を志しておられる

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T君と福田先生の家を訪ねたのは昼前だった

残念ながら奥様はご不在だったが、先生はいつものようににこやかに明るく迎え入れてくれた

それぞれの近況を語り合う

昨年脳梗塞で倒れたなんてことを微塵も感じさせないしっかりとした口調

言葉の端々に衰えぬ情熱を感じさせてくれる

あらためて人生論を戦わせるわけではない

しかし先生と時間を過ごすといつも今の自分をふりかえり、自分の道を確かめさせてもらえる

ふと脳裏にある言葉がよぎった

「一人の百歩より、百人の一歩」

先生がよく口にしていた言葉だ

学生運動の影響が色濃かった高校生活だった

一部の「先進的」な先輩たちが生徒会執行部をにぎり、他の生徒たちにアジを送っていた

一面で共感する部分を感じつつも、アジの内容は難解で僕には「急進的」「過激」ともうつっていた

しかし、論理で対抗するすべもなかった

そんな時福田先生はこの言葉を口にした

社会の不正、矛盾に対する正義感からくる発言

それはまったくもって正当だろう

でも!

僕にはまったくもって理解できなかった

なんでそこに「プロレタリア独裁」「暴力革命」「反帝反スタ」などという言葉が飛び出してくるのか

「一人の百歩より 百人の一歩」

たとえどんなに正論だとしても、「先進的」学生だけではなく一般的な(後進的な?!)学生の胸を打つ言葉でなけりゃ支持を得ることはできない

たとえ1歩ずつでいいから、たくさんの人たちと心を合わせ、力を合わせて進むべきだ

強烈だった

この言葉が僕の座右の銘になり、今でも変わることがない

さて、今の自分の環境の中ではたして「一人の百歩」=「ひとりよがり」に陥っていることはないか

仕事ではどうか?

音楽活動ではどうか?

家庭ではどうか?

先生のお宅を辞し、T君と別れた後、
あらためて今の自分をふりかえっていた

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S君のホームグランド「ありがとう」で歌う

すすきのの「またくるベア」を後にして、僕とS君は白石に向かった

めざすは「ありがとう」というフォーク酒場

オーナーはS君の仕事上の元同僚で脱サラをして店を始めたそうだ

僕らと同じ54歳

まさにフォークソングの洗礼を受けた世代だ

店内はけっこう広くゆったりとしていて落ち着ける雰囲気

さすがに北海道というかんじ

機材もそろっていて、音響もいい

斉藤哲夫さんなどフォークシンガーを招いてのライブもやっているそうだ

いっぱつで気に入ってしまった

S君は彼のホームであるこの店に僕を連れてきたかったんだろうな

彼の心配りがうれしかった

飲みながら、東京の音楽事情などを話しているうちに

古池さん
せっかくだから歌ってよ

とうながされる

ギター持参、これらの機材、素敵なお店の環境

もとより、歌いたくてうずうずしていたのでふたつ返事で演奏開始

R0011713_2

当初2~3曲のつもりだったがうながされ、ノセられるままに10曲以上も歌った

途中からはMCも含めてライブの体裁に早変わり

お客様の反応もよろしく、楽しく歌わせてもらった

その後、何人かの方が歌われ最後にS君のソロステージ

10月26日にここで開かれるミュージックジャンボリーの予行演習といって2曲披露してくれた

彼の歌を聴いてるうちに、胸に熱いものがこみ上げてきた

S君とは3年ぶりの再会だが、その前30年は(卒業後)まったく交流がなかった

お互いに姿をくらましていた時期もあった

今こうして再開し、それぞれの音楽を聴く

互いの人生の紆余曲折を感じていた

ステージで演奏する彼のそばにふらふらと歩み寄った

手にはギターを持っていた

彼の演奏の邪魔にならぬように、アドリブでリフを絡ませていった

S君の歌が胸にくる

河島英五の「てんびんばかり」という歌だ

家を出て行く息子がいる
引きとめようとする母親がいる
どちらも愛している
どちらもうらんでいる
どちらも泣いている

人生の裏と表を描いた名曲だと思う

S君の歌に彼の道のりを思い、自分の道のりを思う

自分たちのあの時代を思い、息子たちのことがかぶさっていく

ぐっとくる思いを必死でこらえながらリフを弾いた

35年の時間を越えて、今こうして音楽を通してふたたびあいまみえている

その不思議さ

そのうれしさ

そのありがたさを

思わざるをえなかった

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高校時代の仲間たち

待ち合わせ場所は札幌駅のみどりの窓口だった

すでにT君、U君が待っていた

3年前の同窓会以来の再会だ

二人とも高校時代から親しくしていた仲間R0011707

U君はサッカー部のチームメイト

T君は大学受験失敗後の自宅浪人メイト(?)

東京に出てからも親しくつき合ってた気の置けない連中だ

3人でT君行きつけの天麩羅屋でいっぱいやりながらⅠ君の到着を待つ

なんとⅠ君は登別から札幌まで車を走らせているという

最短でも120キロほどの道のり

内地(本州)の感覚だと日光から日本橋までがたしか100キロだと思った

明日の朝早くに仕事のためとんぼ返りするというⅠ君

まったく頭が下がる思いだ

Ⅰ君の到着を待ってすすきのスナック「またくるベア」を目指す

この店はやはり同級生のYさんがママ

いわば我々の札幌での拠点になっている

出張で札幌に行ったはずの僕がギターを背負っているのを見てあきれ顔

せっかく持ってきたんだから、
しょうがない
おまえの歌でも聴いてやるか

てな按配で「またくるベア」ミニライブがスタートR0011709

やはり、青春時代をともに過ごした仲間たちだからフォークソングを中心に歌った

僕たちが高校時代を過ごしたのは70年安保闘争の真っ盛りのころだった

1級上、2級上には学生運動の闘士も多かった

1年の時は卒業式が「左翼」の先輩に占拠され中断
2年の時は機動隊の警戒態勢の下での卒業式だった

僕たちの代は急進的で過激な左翼運動にいささか嫌気がさしていた世代だった

いわゆる「三無主義」「シラケ派」世代への通過点のような世代

イデオロギーで「上」から縛られることを嫌い、「俺は俺、文句あっか?」と開き直る気分と
社会的な矛盾に対して目を閉じてはいけないという気分とが同居していた世代だった

当時のフォークソングはそんな微妙なバランス(言葉を変えると葛藤)に揺れる我々の気分を代弁していたように思う

10曲も歌ったろうか

突然T君が言い出した

古池よ
「遠い世界に」
やってくれや

まさにこの歌が当時の僕たちの気分を表していた

あのころを思い出しながら静かに歌いだした

1番を歌い終え、2番からは少しアップテンポにするとみんな一緒に歌いだす

あれから35年経つってのに歌詞をそらんじている

だけど 僕たち若者がいる

最後のこのフレーズを何度かくり返すうちに胸に熱いものが去来した

R0011710

【付記】

この後、仕事を終えてS君が「またくるベア」に飛び込んできてくれた

S君もまたいまだに演奏活動を続けている同級生だ

このあと僕はS君に連れられて、彼のホームグランドで演奏することになる

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2008.10.25

札幌日記 2008 秋

仕事上のトラブルで札幌に急遽出張となりました

クライアントに納めた製品の中に不良品が混入していたのです

製品を引き上げて検品をし、良品と差し替えてふたたびクライアントに納めるというのが札幌での仕事です

札幌に拠点がないため差し替え用の良品を送ることができず、山用の大型ザックに積み込んで札幌に飛びました

検品の場所はH運送の倉庫を借りることに、同時に現地のパートさんを雇って検品してもらうことにしました

このH運送

なんと、かつて実家があった厚別のすぐ近くの大谷地だったんです

当時父の勤めていたDF社の配送センターが大谷地にあり、僕も何度か行ったことがありました

なんとなく運命めいたものを感じての出張でした

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せっかく札幌に行くんだから・・・

生来の遊び癖がムクムクと頭をもたげ、業務外の計画がどんどん膨らんでいきました

仕事は月曜日、土日はあ・そ・べ・る!

てなワケでいつものようにギターを持参

まずは「街角ゲリラ・ライブ」を計画

ネット上での音楽友達、ららちゃんにお会いしてセッションなんぞも計画
(これはららちゃんと以前から約束していました)

それに・・・
札幌在住の高校時代の恩師や同級生たちと旧情を暖めないワケにはいかないっしょ!

めったに札幌までいけないんだから父の墓参りもしないわけにはいかないし・・・

晩年の父が闘病生活をしながら歩いた野幌の原生林もぜひ歩きたかったし

かくして、頭の中は業務外の予定でいっぱい!

ワクワクしながら検品の旅に出かけたのであります

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