函館帰省日記 2008冬

2008.03.02

原点  三つ子の魂 百までも

今回の帰省は今まで以上に、自分に流れる函館の血というものを感じさせてもらいました

とっかかりはなんといっても、到着早々見せられた母方の祖父の葉書写真


戦後10年、まだ世の中は安定せず貧乏暮らしを余儀なくさせられていた祖父は函館から根室まで漁業の厳しい出稼ぎに行かざるをえませんでした。祖父はすでに60歳を超えていたと思われます
僕はまだ生まれて間もないころです

僕が知らないところで、父と娘の営みが行われていた事実を葉書の行間を通して感じさせてもらうことができました

深く感じ入り、何気なく母の部屋を見回すと4枚の写真が飾られていました

 妹の結婚式のため集まった家族の写真(25年前)写真


 60代前半と思われる両親の写真(20年ほど前の写真)写真

 父の癌の最初の手術に、家族が全員集まった写真(15年前)写真

 そして父の遺影写真


それぞれの写真は、我が家の歴史の断片に過ぎません

でも断片と断片の間につめこまれたさまざまな出来事や思いが克明に思い出されます

若かった母の写真を見つめ、すっかり小さくなった母の今を見…
言いようのない感慨にとらわれました

人生の終盤「冬の時代」を生きている母
僕にしてもすでに「秋の時代」のまっただなか

人生のせつなさを感じざるをえませんでした



そんな気持ちのまま、母を伴い本家レンカ堂に行きました


  やぁや
  あんた、ちょっとよく来たね
  まずはあがんなさい



独特の函館弁で叔母は迎えてくれました
  

  ちょうど良かったさ
  きょうはあんた兵隊おじちゃんの命日で
  明日はおじいちゃんの命日さ
  まずはおがんどいで



仏間に通された僕は、いつもなら何気なく線香を上げるだけです
でも今回は、仏間にかざられた幾枚かの写真がやけに気になりました

 父方の祖父義一じいさんととみばあさんの遺影写真写真

 祖父母の長男・清おじちゃんの写真写真

 会ったことはないが、青島で戦死した伝説の兵隊おじちゃんの写真(祖父母の次男)写真

そしてこれらの遺影に混じってかざられた1枚の集合写真
 昭和42年の新年会で家族親戚がすべて集まったときの写真
写真


  これはワタシの宝さ
  みんないるもね
  おじいちゃんも、おばあちゃんも、父さんもいる
  ほれ、あんたの父さんも写ってる
  せいどんやきっちゃん、ハジちゃんもいるし
  ミッチもいる…
  みんないるさ

  あんたもここにいるし、エンちゃんもいるワ

  ワタシ、毎日この写真に話しかけてんだわ
  毎日おがんでんの



叔母はこの仏間で寝起きしています
まるで、仏間を守るかのように


  あんたがた
  おなかすいてるっしょ
  今、東京庵からラーメン取るからね
  ここのラーメンは昔の味でたいしたおいしんだわ



昔ながらの塩ラーメンをすすりながら、叔母と母は昔話を始めました
延々といつ果てるともなく、同じ話しを3度も4度もくりかえし…
まるで反芻をくりかえす牛のように遠い昔の話に興じる二人
(麺がのびるべさ!)


やがていつものセリフをつけくわえる叔母


  ワタシはね、あんたの母さんが来てくれるのが楽しみでサ
  江口さん(眼科)に行くたんびに、寄ってくれてさ
  二人でこうして昔々の話をすんの
  だってさ、昔々の話しをして分かるのは
  もうあんたの母さんしかいないのサ
  昔々の人間で「古池」を名乗る最後の二人サ

写真



その晩、僕は幼なじみとの再会を果たしました写真


そして、宿は宝来町にできたJALシティホテルにとりました

ここはやはり幼なじみ・朗君の家があったところです
40年前の十勝沖地震で朗君の家は真ん中から二つに裂けました
しばらくは裂け目にトタンを貼って暮らしてましたが、その後転居し…
今は、たいした立派なホテルに生まれ変わっています


翌朝早く、僕はホテルを出て青柳町の生家と子供時代遊びまわった街を歩きました
ゆっくりとかみ締めるように写真写真




  俺は…
  なんでこんなに函館にこだわるんだろう


ずっと自問自答していました

血縁、地縁というものをこれほど深く感じることは
これまでさほどありませんでした

けれど、今の僕を形作っているもの
その原型は間違いなく、この函館の地で
両親をはじめとした親類や、多くの友達とのかかわり
そしてそれらをすっぽり飲み込んだ函館の風土の中で育てられたのだと思います

この先、ふたたび函館の地で暮らすことはないとおそらく思います

でも、どこでどのように生きようと、自分の中に函館人の血が脈打っているということを忘れることはないと思います

それが僕の原点であり、
今の僕をさかのぼると、間違いなくダイレクトに函館で生まれ育った歴史につながっていくのです


三つ子の魂 百までも…!




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旅の目的 江口眼科とレンカ堂

実は…
今回の旅の本当の目的は

母親の目の手術にあたっての医者から説明を聞くためでした

加齢黄斑変性というのが病名です


昨年、母は手術を5回やりました

 転倒し大腿部骨折のための手術
 両膝の手術(一昨年は歩くのもままならなかったのです)
 そして白内障で両目を手術

手術に明けリハビリに暮れをくりかえした1年でした

そのかいあって、サイボーグのように元気に復活したのです


ところが!
左目の視力が上がらず、なおかつ変な黒点が見える

診断された結果が加齢黄斑変性です

これまで普通の外科的手術では難しかったのですが、数年前にレーザーを使った画期的手術が認可されたそうです

放っておけば失明もありうるということで、手術をすることにしました

ところがまだ認可されて間もないので手術の症例が少なく、医者としても本人だけではなく家族の了承も得たいとのことでした

これが急遽帰省したてんまつです


ところで、目医者さんは江口眼科
函館だけではなく、全道的に著名な眼科です

僕も子供の頃、結構お世話になったお医者さん
院長先生は80歳を超えてなお元気で治療を続けています
(院長の娘は小中学校で僕と同期でした)

うれしいことに
江口眼科は古池家の本家・レンカ堂のとなりにあり…
母がここで手術、入院することをレンカ堂の叔母は喜んでいるフシがあり…


  あんたね
  なぁんも心配することないんだからね
  なんてったて、裏口からすぐ行けるんだから
  ワタシは毎日、郁ちゃんに会いにいけるから
  楽しみでなんないのサ
  なんといったって
  昔を知ってる女で
  古池を名乗る生き残りは
  あんたの母さんとワタシだけなんだからね
  毎日行って、昔話さ!
  楽しみでなんないのサ



と、ケタケタ叔母は笑いながら言うのであります
(ちなみに、この叔母とはENTA巣の母さんでもあります)


かくして、

江口眼科できっちり説明を受け、
レンカ堂で叔母やイトコ夫婦に顔を合わせ、
旅の本当の目的を果たすことができました

手術自体は痛みもないらしく、たいした難しさもないとのことなので安心はしています

術前、術後の心のケアは本家のハナおばちゃんにお願いすれば万全



ということで長男としての義務は果たせた…と思っちょります(汗)

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ジャズバー「フェルマータ」でセッション

こだますおぢさん、ミッキーおじさんに連れられて行ったお店は「フェルマータ」でした

ジャズのレコードを聴きながらゆったりと酒が飲めるスペースでした
マスターはアルトサックス奏者で、あちこちのイヴェントで演奏している方だそうです


  もう少し早ければ、俺んとこに人ばガッツリ集めてさ
  あんたに演奏してもらうべって思ってたんだけどさ
  ジャズの店だけど、ダイジョブだと思って、
  連れてくべって思ってたんだわ


と、こだますおぢさん

マスターの了解をもらってさっそく演奏しました

  テネシーワルツ
  グッドモーニング・サンシャイン
  アフター・ミッドナイト
  シルバーウィング
  ロンリー・トゥギャザー


トミさんメドレーをなんとなくジャズ風にアレンジしての演奏でした

そのうちマスターがアルトサックスで参戦
お互いに音を探りながらでしたが、
数曲コラボレーションが実現

きわめつけは、「函館物語」をマスターにからんでもらって歌ったことでした

函館物語を函館の地で歌えたってのが僕にはうれしかった
もちろん作者のシンヤ君とサウンドインSのことも紹介しました


ミッキーおじさんやこだますおぢさんはじめ、居合わせたお客さんにも喜んでもらえたようです


  あったかくなったら、大門横丁で野外ライブやるべや
  人だらガッツリ集められっからよ


そんな話しまで飛び出し、大いに盛り上がりました

大門横丁での野外ライブの話し
かなりその気になっています
もし実現して、しかもそれが定着でもしようもんなら…
函館に帰る動機づけにもなるしね

ここ数年、僕は函館との関係を何とか強めたいと思ってきました
なんといっても故郷ですし、この街を抜きにして自分を語れないと思ってきましたから
自分の年齢を考えると、今本気でやっとかなかったらこの先につながらないって気もしてます
ジジイになってからの動きって制約されるでしょうからね


なまら(ものすごく)楽しい時間を過ごさせてもらいました

人と人のつながりの不思議さを実感させてもらいました

両おぢさんに感謝です!

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こだますおぢさんの店を訪ねる

ネットで知り合い、親しくさせてもらってるおぢさんの店「こだるま食堂」を訪ねました

おぢさんは古い函館の写真を集めそれを記録として残されています
それをブログなどに公開したり、展示したりしてます

お会いするのは今回が二回目ですが、骨の髄まで函館人
自分の函館人としてのアイデンティティを確かめさせてもらえる人です


今回はおぢさんの友人、ミッキーおじさんも来てくれました
ミッキーおじさんはFMいるかのDJを永年勤めた音楽通
赤帽子屋さんという手作り帽子屋の店主


お二人とも僕より五歳ほど先輩になります


初対面の僕にミッキーおじさんは手作りの帽子をプレゼントしてくれました
はきこんだジーンズの生地を使ってハンチング(鳥打帽)にリメイクしたものです
もちろんご本人の手作り
ジーパンのイメージを残しながらハンチングに生まれ変わったヤツは見事としか言いようがない

一発で気に入りました

ありがたく頂戴しました

(写真で僕がかぶってるヤツがミーっキーおじさん手作りのハンチングです)




長いこと函館を離れて暮らしていると、函館人気質というのが良くわかります

とにかく人が良くて、世話焼き、好奇心旺盛で、しかもあっけらかんとしている

言葉で表すのが難しいことは良く分かってるんですが、そんな感じの人が本当に多い

(もちろんなかにはへなまずるい御仁もいるとは思いますが…)

離れてみると、そのよさが良く分かるっていいますが
僕もまたそんな函館人でいたいと願っています


こだますおぢさんにしても、ミッキーおじさんにしても
そんなはごだで人気質丸出しの方で…

いい時間を過ごさせてもらいました


このあと、3人は大門の「フェルマータ」というジャズバーにくりだすことになります

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サウンド・イン・Sを訪ねる 「函館物語」発祥の店

サウンドインSを訪ねました

中学の同級生シンヤ君のやってるライブ酒場です

そして「函館物語」発祥の店でもあります
この店でシンヤはこの歌を書いたのです

CMのコマソンに使うということでH堂がデモテープを持っていったが、バブルがはじけておじゃんになった名曲「函館物語」

この店で十年細々と歌われ続けてきました

去年訪ねたとき一発で気に入り、以来僕も内地で歌わせてもらっています


店内はお客が一人もいなくて…
シンヤが一人カウンターでポツネンとしていました


おお古池
来てたのかい
まあ座れや

2月はさっぱりだ


淡々と語るシンヤ

互いの音楽について長いこと語り合いました


わるいな
せっかく来てもらったのに
客がいなくて
これだば、おめぇも演奏する気にならねぇべさ



なんもさ
ちょっと遊ぶべ


ギターを取り出し引き始めると、シンヤも合わせて弾き始めました

もちろん「函館物語」もそれぞれのバージョンで

一時間以上セッション
気がつくともう3時


おいシンヤ
もう深夜だべや
帰んないばなんないな



客がいなくてライブはできなかったけど、いい話ができました
いいセッションができました

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幼なじみ

函館に帰ると必ず会う仲間たちがいる

同じ小学校、中学校でともに少年時代を過ごしたともだ

なかには幼稚園が一緒
高校まで一緒というのもいる

とりわけ多感な中学時代を一緒になってかけずり回った連中だ

皆それぞれに函館に根を張って生きている


函館に帰るたびにM君の家に集まり、細君の手料理をごちそうになる

この細君からして毎日僕と一緒に幼稚園に通った幼なじみ



今回は士別のジンギスカンをごちそうになった


僕にとってはあずましい(居心地のいい)一時だ

話題は少年時代にさかのぼり、やがてはこれからの函館論にまで広がっていく


そしていいかげんできあがったころ、僕のミニライブが始まる
これがいつものパターン

今回は懐かしいフォークソングに加え、小中学校の校歌も歌った



⇒函館帰省日記 2006年春 幼なじみ

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「阿さ利」のコロッケ

子供の頃好きだったコロッケ
いまだ健在なり !


当時五円だった
10円玉を握りしめ肉屋「阿さ利」へ
コロッケをほおばりながら歩く
最高の買い食いだった
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    2008.02.28

    新雪

    新雪
    目覚めると窓の外は雪が降りしきっていた

    さっそく飛び起き朝の散歩

    宝来町のホテルから青柳町、谷地頭と少年時代を過ごした街並みを歩きました

    新雪を踏みしめるキュッキュッという音が心地よい

    浮かんできたメロディは

    雪の降る街を
    雪の降る街を
    思いでだけが通り過ぎてゆく
    雪の降る街を…


    子供の頃、
    そりで遊んだ道
    雪合戦に興じた公園

    中学生だった頃
    あこがれた女の子の家ごんぼほって(駄々をこねて)母に殴られた街角


    遠い思い出がよぎり…

    雪が思い出に白いベールをかけ舞い落ちる

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    50年前の葉書

    50年前の葉書
    死んだ母方の祖父から、娘(つまり母)に宛てた葉書です

    消印を見ると昭和30年2月

    函館から根室に漁業の出稼ぎに出ていた祖父でした

    二人目の子供を宿した娘を気づかった文面でした

    僕が一歳になる頃です


    褪色してかなり黄ばんだ葉書用紙
    (このころは再生紙など存在すらしなかったんだろうな)

    万年筆の青さだけが妙に生々しく…

    あまりの達筆に判読不能の箇所もありましたが、しっとりとしたいい手紙でした

    身重の娘を気遣い、孫の「まさぼう」(僕のことです)の成長を願い、娘の亭主に配慮し…

    敗戦後十年の歳月が流れたにも関わらず、
    いまだ貧困にあえいでいた当時の空気が行間からかいま見ることができました

    貧困であるがゆえに家族の絆が深く、たがいに気遣いながら生きていたんでしょうね


    いいものを見させてもらいました

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    足跡

    足跡
    空港をでるとそこは雪国だった

    氷点下4度

    久しぶりに雪の感触を楽しむ

    ギュチギュッ

    新雪ならキュッキュッなんだけどね

    たいそうなタイトルのわりにはきたない足跡

    でも
    この街で僕は生まれ育った

    レンタカーやさんを何軒も回ったけど 一軒も車がありませんでした

    この季節はあまり車をおかないとのことです

    内地から来てなれない雪道で事故られても困るとと思ってるのか

    たんに商売にならないだけなのか

    予約がメインだそうです

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