原点 三つ子の魂 百までも
とっかかりはなんといっても、到着早々見せられた母方の祖父の葉書
戦後10年、まだ世の中は安定せず貧乏暮らしを余儀なくさせられていた祖父は函館から根室まで漁業の厳しい出稼ぎに行かざるをえませんでした。祖父はすでに60歳を超えていたと思われます
僕はまだ生まれて間もないころです
僕が知らないところで、父と娘の営みが行われていた事実を葉書の行間を通して感じさせてもらうことができました
深く感じ入り、何気なく母の部屋を見回すと4枚の写真が飾られていました
妹の結婚式のため集まった家族の写真(25年前)
60代前半と思われる両親の写真(20年ほど前の写真)
父の癌の最初の手術に、家族が全員集まった写真(15年前)
そして父の遺影
それぞれの写真は、我が家の歴史の断片に過ぎません
でも断片と断片の間につめこまれたさまざまな出来事や思いが克明に思い出されます
若かった母の写真を見つめ、すっかり小さくなった母の今を見…
言いようのない感慨にとらわれました
人生の終盤「冬の時代」を生きている母
僕にしてもすでに「秋の時代」のまっただなか
人生のせつなさを感じざるをえませんでした
そんな気持ちのまま、母を伴い本家レンカ堂に行きました
やぁや
あんた、ちょっとよく来たね
まずはあがんなさい
独特の函館弁で叔母は迎えてくれました
ちょうど良かったさ
きょうはあんた兵隊おじちゃんの命日で
明日はおじいちゃんの命日さ
まずはおがんどいで
仏間に通された僕は、いつもなら何気なく線香を上げるだけです
でも今回は、仏間にかざられた幾枚かの写真がやけに気になりました
父方の祖父義一じいさんととみばあさんの遺影
祖父母の長男・清おじちゃんの写真
会ったことはないが、青島で戦死した伝説の兵隊おじちゃんの写真(祖父母の次男)
そしてこれらの遺影に混じってかざられた1枚の集合写真
昭和42年の新年会で家族親戚がすべて集まったときの写真
これはワタシの宝さ
みんないるもね
おじいちゃんも、おばあちゃんも、父さんもいる
ほれ、あんたの父さんも写ってる
せいどんやきっちゃん、ハジちゃんもいるし
ミッチもいる…
みんないるさ
あんたもここにいるし、エンちゃんもいるワ
ワタシ、毎日この写真に話しかけてんだわ
毎日おがんでんの
叔母はこの仏間で寝起きしています
まるで、仏間を守るかのように
あんたがた
おなかすいてるっしょ
今、東京庵からラーメン取るからね
ここのラーメンは昔の味でたいしたおいしんだわ
昔ながらの塩ラーメンをすすりながら、叔母と母は昔話を始めました
延々といつ果てるともなく、同じ話しを3度も4度もくりかえし…
まるで反芻をくりかえす牛のように遠い昔の話に興じる二人
(麺がのびるべさ!)
やがていつものセリフをつけくわえる叔母
ワタシはね、あんたの母さんが来てくれるのが楽しみでサ
江口さん(眼科)に行くたんびに、寄ってくれてさ
二人でこうして昔々の話をすんの
だってさ、昔々の話しをして分かるのは
もうあんたの母さんしかいないのサ
昔々の人間で「古池」を名乗る最後の二人サ
その晩、僕は幼なじみとの再会を果たしました
そして、宿は宝来町にできたJALシティホテルにとりました
ここはやはり幼なじみ・朗君の家があったところです
40年前の十勝沖地震で朗君の家は真ん中から二つに裂けました
しばらくは裂け目にトタンを貼って暮らしてましたが、その後転居し…
今は、たいした立派なホテルに生まれ変わっています
翌朝早く、僕はホテルを出て青柳町の生家と子供時代遊びまわった街を歩きました
ゆっくりとかみ締めるように
俺は…
なんでこんなに函館にこだわるんだろう
ずっと自問自答していました
血縁、地縁というものをこれほど深く感じることは
これまでさほどありませんでした
けれど、今の僕を形作っているもの
その原型は間違いなく、この函館の地で
両親をはじめとした親類や、多くの友達とのかかわり
そしてそれらをすっぽり飲み込んだ函館の風土の中で育てられたのだと思います
この先、ふたたび函館の地で暮らすことはないとおそらく思います
でも、どこでどのように生きようと、自分の中に函館人の血が脈打っているということを忘れることはないと思います
それが僕の原点であり、
今の僕をさかのぼると、間違いなくダイレクトに函館で生まれ育った歴史につながっていくのです
三つ子の魂 百までも…!
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