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2008.05.12

1年目の命日 ババ猫ミーちゃん 

Dscn1102 昨年の5月10日

我が家で14年間一緒に暮らしたババ猫ミーちゃんが、糖尿病とその合併症で亡くなりました

今日はあれから1年目の命日

いまだにその面影がちらついています




我が家の物置に産み捨てられていた野良でした
親に捨てられた猫でした
弱り果ててそのままでは多分生きられなかったでしょう

当時小学生だった子供たちが必死に育て、何とか生き延びることができました 2

その子供たちも、今ではいい加減いい大人に成長しており…

子供たちの成長とともにまるで影のように寄り添って生きてきた猫でした



夕方、公園の枯れ柳の下で眠っているミーの墓参りに行ってきました

お墓といっても何もない
柳の木だけが目印です

線香がわりに煙草に火をつけました

霧雨の中に揺れる紫煙をぼんやり眺めていると、いろんなことを思い出し…

ちょっとばかり涙目に・・・


この先ふたたび猫を飼うこともないと思います
別れのつらさはもう味わいたくない・・・

猫よりこちらが先にくたばる可能性だってある
そうなると、残された猫はかわいそうだしね

生き物を飼うのをためらう年齢になってきたってことでしょうか・・・


⇒「ババ猫ミーちゃんの糖尿生活」(ブログ「街角の歌芸人」より)

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コメント

北海道と反対側の九州でカントリー工房をしています。工房の名前が昔一緒に暮らしたネコの名前です。タイムマシンで時代をさかのぼりミーちゃんの思い出がない人生とある人生と選択する瞬間があるとします。きっと古池さんやっぱり後者を選ぶ気がします。「愛」が「想い出」という言葉に置き換えられる部分があるなんて思うのは私だけでしょうか・・・。

投稿: yonatan | 2009.09.10 18:54

yonatanさん

素敵なコメントありがとうございます


  「愛」が「想い出」という言葉に置き換えられる


この言葉の感じ、よく分かります

おそらく、いや間違いなく僕はミーの思い出とともに歩いていくと思います

今日も散歩の道すがら、ミーのお墓の前を通りました

特別なことは何もしないけれど
必ず一言かけて通り過ぎます


  おっす!
  来たぜ!
  じゃあ、またな

投稿: Martin古池 | 2009.09.10 22:49

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