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2008.03.24

無国籍堂 ファーストライブ

千葉県は船橋の高根木戸にある「無国籍堂」という酒場でライブをやってきました

今まで3回ほどここで演奏したことがあったので勝手はわかっていました

  2回はちさこ&ゆうのライブで飛び入り
  1度はMartin古池・無国籍堂ライブの打ち合わせで

けれど、正式に新ライブを旗揚げするとなるとやはり緊張感が違います

およそ2時間を一人でやるわけですから

しかもお客様は文字通り無国籍=ボーダレス

  ドイツ人もいれば、イギリス人もいる、東南アジア系の人も
  そしてもちろん日本人も

選曲などをどう組もうかちょっと迷いました
が・・・
結局はいつもどおり大雑把に決めて、あとはその場の雰囲気でやることにしました
考えても始まらないもんね

1部はまだ若干の緊張感があり、お客様も何が始まるのか虎視眈々と伺ってる感じもありました

ライブの進行も比較的整然とお行儀よく流れました

うれしかったのは年配のご夫婦が僕のブログ「街角の歌芸人」を読んで来てくださったこと

なんでも「私の青空」で検索して「街角の歌芸人」にたどり着いたとのこと

当然のことながらリクエストをいただき
普段はあまり歌わない歌だけに緊張しつつ歌わせていただきました
(ミシシッピ・ジョン・ハート風のアレンジにしてみました)

歌う方も聴く方も軽い緊張感のうちに1部を終えました

そして30分の休憩

このとき二つの出会いがありました

ひとつは

無国籍堂のママ・みわさんのお父上との出会い
彼と僕は高校時代を室蘭で過ごしていました
高校こそ違えど、彼と僕は1級違いで同じ街の空気を吸っていたのです

しかも、住まいも同じ町内(伊達市網代町)

同じ時代を同じ町で過ごしていたのです
同じレコード屋に足を運び、同じ楽器屋に通っていたのです

これは大いに感動しました

二つ目はマイケル君というイギリスの若者との出会い
彼はご両親がイギリス人の宣教師
釧路に教会を設立し、そこでマイケル君は生まれ育ったのです
青い目の道産子が語る北海道弁は実に流暢でした

そして、もしかしたら釧路のららちゃんと何らかのつながりがあるのではという予感さえ感じました(ゴスペルがらみ)

ライブの始まる前にちさこちゃんの友達が松山千春が好きなのでリクエストを頼まれていました

そんなわけで、2部はのっけから北海道シリーズの選曲になりました
松山千春の初期の名曲やら、中島みゆき姉さんの歌やらでヒートアップ

その時代を象徴する歌のリクエストも舞い込み始め、伊勢正三シリーズをやったりでボルテージはどんどん上がっていきました

1部のお行儀のよさはどこかに吹っ飛んでしまい…

拍車をかけたのが「無国籍堂」の常連グループ
「夜遊び工務店」の面々が乱入
今日は浜松に帰るメンバーの送別会ということではなむけの歌シリーズを急遽組みました

当初2時間の予定だったライブが気がつけば3時間になっていました

エンディングは「函館物語」

アンコールは松山千春の「おやすみ」

楽しいライブでした

カンペキにお客さんのノリに支えられたライブでした

このテンションでのライブはやる方は結構きついんですが
(息切れする!)
ある意味最高のライブでした

演奏する方、聴く方という部分の境目が希薄になり両者のやりとりの中から次の展開が生まれてくる
まさにボーダーレス=無国籍(?こじつけか?)


次回は4月19日(土)

楽しみなライブが始まりました

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2008.03.23

まるで中東でのアウェイ戦 「三貴ライブ」

Img_0917 厳しかったな…

三貴ライブ始まって以来、初めてのきついライブでした

何がキツイかって
お客様の反応がゼロだったてことです

初期の三貴ライブでは反応の悪いこともありましたが
ここ1年くらいはいい感じのライブが続いていただけにね…

「アウェイがホームに変わる瞬間」ってのが必ずあったんですが
今回はとうとう最後までアウェイのまま終わってしまいました

オープニングは「グッドモーニング・サンシャイン」で軽快に始めたんですが、客席の食いつきが良くない

歌ってる僕に一瞥をくれただけで、それぞれのテーブルの仲間たちとの談笑に夢中という感じでした

何曲かメジャーな歌をやって様子を見ましたが、まったく乗ってこない

この時点で、腹をくくりました

  今日は、BGMに徹しよう
  談笑の邪魔にならないように
  かといって自分の存在が埋没しないように
  こんな状態だからこそ、いい演奏を心がけよう

そう言い聞かせて、淡々と演奏を続けました

アウェイ状態で始まるのはいつものこと
そんな時でも自分の演奏をきっちりやっていると
必ずとっかかりが見つかるもんです

ところが、今回はそれが見つからない
一顧だにしてくれない
黙殺されているんじゃないかって思っちゃうほど無反応振りでした

唯一の救いは Img_0922
会社の後輩で常連のMATUMURA君と
品川からちっちゃなバイクで駆けつけてくれたVolte君

場の空気を察してかサクラ的な拍手をすることもなく
彼らはひたすら聞く事に徹してくれました

それが大きな励ましになりました

演奏しながら思ったのは、中東でのサッカーアウェイ戦
スタジアムは相手チームの応援団で埋め尽くされ、鳴り物入りのプレッシャーがかかる中
スタンドの一角でひっそりと応援する日本応援団
MATUMURA君とVolte君はまさにそんな感じでした

くさらず2時間の演奏を終えることができたのは彼らのおかげです



お客様は飲食に来ているワケで、音楽を聴きに来ているワケではない
そんなお客様を巻き込んでライブに仕上げていく
このことの難しさを改めて思い知らされています

 まだまだ力不足だな…

とっかりがあれば、そこから発展させることも可能ですが Img_0919
そのとっかかりを作ることすらできなかった
まさになすすべもなかった

演奏自体が悪かったわけではないと思います
お客様の波長と、自分の波長を合わせることができなかったことが最大の課題でしょう

今までのやり方はアウェイのときはひたすらいい演奏を心がけ
お客様の反応を待つというスタンスです

でももしかしたら、もう少し積極的に切り込んでも良かったのかも…
そんな気持ちもあることはあります

答えはすぐに出せるいうものではありません
いろいろ試行錯誤を続けるのみです

いずれにしろ「いい演奏」の精度をもっともっと高めなければならないと思います Img_0918


  ライブは水物
  いい時も悪い時もある
  いい時に有頂天にならず
  悪い時にくさらず
  淡々と続けていこう

そう言い聞かせています

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越谷のゴミ 持ち込むべからず

断腸の思いで積み込んだ車いっぱいの「ゴミ」

戸塚環境センターに持ち込みました

延々と待たされた挙句、窓口にやっとたどり着いたのです
昨日はどこの家も大掃除をやらかしていたのかしら
そう思うほどの混雑振り

ところが!
窓口のお兄さん、手続きを済ませ最後に免許証の掲示の段になって

  あ、こりゃだめだよ
  川口以外のゴミは受け取れません


  ええ?!
  前はやってくれたじゃない?


  今はだめなんです!

何度頼んでも、木で鼻をくくる返事が返るのみ

がっかりして越谷のゴミ処理センターへ

ところがここでも

  ゴミの持込みサービスはやってないんです
  川口は川口
  ここは越谷です

この、一点張り…

すっかり途方に暮れてしまいました

  おいおいこのまま車の中にゴミを積みっぱなしかよ
  それはナンボなんでも切なすぎるよ

やむを得ず自宅のマンションのゴミ置き場に

車のゴミをすべて降ろし、コンビニに走りました
買ってきたのはゴミ分別用の袋とビニールの紐

ダンボール5箱につめこまれた「ゴミ」の数々をすべて小分けにしてビニール袋に詰め替えました

この作業に1時間

次にやはりダンボール4箱につめこまれた本
紐で結わえなおしました

この作業が良くなかった!

昨日あえて本の入ったダンボール箱の中身は見なかったんです
見るとつらくなるから

ところが紐で結わえるとなるといやでも1冊1冊手に取らざるをえない

仕事になったもんじゃないですよ

1冊ごとに思い出がつまってるんだから

高校時代読んだ北山修の本
恩師にもらった「学問のすすめ」(福沢諭吉大先生)
大学時代、Rumiちゃんと別れるきっかけになった小林多喜二の「党生活者」「オルグ」
左翼活動に没頭していたころの記録「革命的社会主義の旗を掲げて」
マラソンを始めるきっかけになった高石ともやさんの本
一人で山を歩き回ってたころ影響を受けた加藤文太郎の「単独行」
そして新田次郎の「孤高の人」(加藤文太郎をモデルにした小説)
中島みゆきの数々の本
ついでに松山千春の「足寄より」

そして極めつけは
親父が死の間際病床で読んでいた吉村昭

今にいたる数々の足跡がそこにはありました

表紙を見るたびに往時のできごとが頭をよぎり、もうだめでした
涙…

やはり本だけは「ゴミ」にして投げれなかった

せめて
ターニングポイントになった本だけを拾い集めて物置に戻しました


  越谷のゴミは持ち込むべからず

川口市に冷たくされたおかげで、大事なものをもう一度拾いなおしたような気分です

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衣替え・・・My Room編

最近我が家の山の神の機嫌がきわめて悪いのであります

狭いマンション住まい

引っ越してきたころはスペースにまだ余裕があったんですがね…

子供もまだ中学生でしたしね

年々少しずつギターの数が増え、子供たちが成人したころから加速度的に増殖したギターの数…

たしかにやばい状態になっていました

先日、次男が買ってきたベース

とうとう、爆発した山の神


  いい加減にしてよ!
  私のいる場所がないでしょ!ぷっくっくな顔



何もいえず黙りこくる男3人…冷や汗


そりゃそうだわ
3人のギターを合わせるとなんと15本のギター
2台のキーボード
くわえて6台のアンプ
その他もろもろであふれかえっているのでありまして…


今日はお彼岸
 僕は休み
 カミサン仕事

とりあえず、鬼のいぬ間の大掃除
部屋のレイアウトを変え
今後使いそうもないものはすべて投げることにしました

レイアウトは山の神がおわします場の確保を最優先に
そのためにはまずは「不要物」の撤去から

出てくる出てくる「ごみ」の山
断腸の思いで「ごみ」を出しました

車いっぱいにもなり…

明日はごみ処理場に行き、それらの「ごみ」たちを投げることに…


実は
山の神の場所を確保するとともに、ひそかに考えたのは随所に小さな隙間を作りました

もちろん、その隙間にギターケースをはめ込むためです

僕の7本のギターたちはそれぞれひっそりと身を隠す運命とあいなりました

日常的に弾く「サイモン&パトリック」だけを出して、他はケースに入れて隙間に…
(それでも2本はあいかわらず車の中)


そのかいあってか、今日は山の神もご機嫌うるわしいようで…

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2008.03.18

それぞれのライブ

レギュラーで毎月5本のライブをやっている

そのうち2本は隔月、1本は各週したがってならすと毎週1本はどこかで歌っている計算になる

(実際は1日2本ということもあるので演奏のない週もある)

1回のライブはおよそ2時間 かなりハードな日程ということになる

(何しろ普段は正業…というか堅気の仕事をしながらだ)

よく聞かれることがある

そんなに頻繁にやっていて飽きませんか?

ネタやレパートリーが尽きるんじゃないの?

幸いなことにそう感じることはない 多分、一つ一つのライブに特徴があり、位置づけも違うからだろうと思う

続きを読む "それぞれのライブ"

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2008.03.16

衣替え  春の歌

春の歌…

ていっても宮城道雄さんじゃないですよ
(あれは「春の海」だった)

春歌でもないですよ

しいて言えば旬歌かな?


気候もだいぶ春めいてきて、スギ花粉もバンバン飛んでいることだし

冬の歌から春の歌に衣替えしました



やっぱり春の歌は明るくて、あったかくていいですね

冬の歌も好きだけど、暗くて重くて寂しくて
そんなのが多いですからね

春はこれから芽吹いていくようなイメージの歌が多くて好きだな
青春の歌
とまでは言いませんけどね


今日は1年ぶりに歌う春の歌をおさらいしようと思っています

ターゲットは
今週連チャンのライブ


 金曜日の夜は「三貴ライブ」
 土曜の朝は 「朝市コンサート」
 そしてその晩は「無国籍堂ライブ」

気合が入ります

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2008.03.09

3月のライブ・コンサート予定

3月8日(土)    朝市コンサート
            朝 8:30~11:30
            越谷市場 2号棟入り口 景品引換所そば

3月21日(金)   三貴ライブ
            夜 9:00~11:30
            南越谷 ダイエーそば 
            【地図】お好み焼き「三貴」
              埼玉県 越谷市 南越谷1-13-7
                    048-988-3500

3月22日(土)    朝市コンサート
            朝 8:30~11:30
            越谷市場 2号棟入り口 景品引換所そば

3月22日(土)   無国籍堂ライブ
            午後7時~9時半ごろ(2ステージの予定⇒内容は別物)
            新京成線 高根木戸駅 徒歩30秒
              千葉県船橋市西習志野2丁目3-4
                   047-407-4237

            
【地図】
             ★チャージ無料(飲食代のみ)

未定         第5回 すみれコンサート
            18:30~
            蒲生駅 東口 すみれ美容室
                          ⇒ 詳細はこちらへ

今月から千葉県船橋市の(新京成線・高根木戸駅)にある、

無国籍堂でライブをやることになりました

毎月第4土曜日の予定です

オーナーがドイツ人と日本人の奥さん

お客さんも日本人だけでなくいろんな国の人が集まる不思議な酒場です

どんなライブに育っていくか楽しみです

ぜひ足をお運びくださいね

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2008.03.02

原点  三つ子の魂 百までも

今回の帰省は今まで以上に、自分に流れる函館の血というものを感じさせてもらいました

とっかかりはなんといっても、到着早々見せられた母方の祖父の葉書写真


戦後10年、まだ世の中は安定せず貧乏暮らしを余儀なくさせられていた祖父は函館から根室まで漁業の厳しい出稼ぎに行かざるをえませんでした。祖父はすでに60歳を超えていたと思われます
僕はまだ生まれて間もないころです

僕が知らないところで、父と娘の営みが行われていた事実を葉書の行間を通して感じさせてもらうことができました

深く感じ入り、何気なく母の部屋を見回すと4枚の写真が飾られていました

 妹の結婚式のため集まった家族の写真(25年前)写真


 60代前半と思われる両親の写真(20年ほど前の写真)写真

 父の癌の最初の手術に、家族が全員集まった写真(15年前)写真

 そして父の遺影写真


それぞれの写真は、我が家の歴史の断片に過ぎません

でも断片と断片の間につめこまれたさまざまな出来事や思いが克明に思い出されます

若かった母の写真を見つめ、すっかり小さくなった母の今を見…
言いようのない感慨にとらわれました

人生の終盤「冬の時代」を生きている母
僕にしてもすでに「秋の時代」のまっただなか

人生のせつなさを感じざるをえませんでした



そんな気持ちのまま、母を伴い本家レンカ堂に行きました


  やぁや
  あんた、ちょっとよく来たね
  まずはあがんなさい



独特の函館弁で叔母は迎えてくれました
  

  ちょうど良かったさ
  きょうはあんた兵隊おじちゃんの命日で
  明日はおじいちゃんの命日さ
  まずはおがんどいで



仏間に通された僕は、いつもなら何気なく線香を上げるだけです
でも今回は、仏間にかざられた幾枚かの写真がやけに気になりました

 父方の祖父義一じいさんととみばあさんの遺影写真写真

 祖父母の長男・清おじちゃんの写真写真

 会ったことはないが、青島で戦死した伝説の兵隊おじちゃんの写真(祖父母の次男)写真

そしてこれらの遺影に混じってかざられた1枚の集合写真
 昭和42年の新年会で家族親戚がすべて集まったときの写真
写真


  これはワタシの宝さ
  みんないるもね
  おじいちゃんも、おばあちゃんも、父さんもいる
  ほれ、あんたの父さんも写ってる
  せいどんやきっちゃん、ハジちゃんもいるし
  ミッチもいる…
  みんないるさ

  あんたもここにいるし、エンちゃんもいるワ

  ワタシ、毎日この写真に話しかけてんだわ
  毎日おがんでんの



叔母はこの仏間で寝起きしています
まるで、仏間を守るかのように


  あんたがた
  おなかすいてるっしょ
  今、東京庵からラーメン取るからね
  ここのラーメンは昔の味でたいしたおいしんだわ



昔ながらの塩ラーメンをすすりながら、叔母と母は昔話を始めました
延々といつ果てるともなく、同じ話しを3度も4度もくりかえし…
まるで反芻をくりかえす牛のように遠い昔の話に興じる二人
(麺がのびるべさ!)


やがていつものセリフをつけくわえる叔母


  ワタシはね、あんたの母さんが来てくれるのが楽しみでサ
  江口さん(眼科)に行くたんびに、寄ってくれてさ
  二人でこうして昔々の話をすんの
  だってさ、昔々の話しをして分かるのは
  もうあんたの母さんしかいないのサ
  昔々の人間で「古池」を名乗る最後の二人サ

写真



その晩、僕は幼なじみとの再会を果たしました写真


そして、宿は宝来町にできたJALシティホテルにとりました

ここはやはり幼なじみ・朗君の家があったところです
40年前の十勝沖地震で朗君の家は真ん中から二つに裂けました
しばらくは裂け目にトタンを貼って暮らしてましたが、その後転居し…
今は、たいした立派なホテルに生まれ変わっています


翌朝早く、僕はホテルを出て青柳町の生家と子供時代遊びまわった街を歩きました
ゆっくりとかみ締めるように写真写真




  俺は…
  なんでこんなに函館にこだわるんだろう


ずっと自問自答していました

血縁、地縁というものをこれほど深く感じることは
これまでさほどありませんでした

けれど、今の僕を形作っているもの
その原型は間違いなく、この函館の地で
両親をはじめとした親類や、多くの友達とのかかわり
そしてそれらをすっぽり飲み込んだ函館の風土の中で育てられたのだと思います

この先、ふたたび函館の地で暮らすことはないとおそらく思います

でも、どこでどのように生きようと、自分の中に函館人の血が脈打っているということを忘れることはないと思います

それが僕の原点であり、
今の僕をさかのぼると、間違いなくダイレクトに函館で生まれ育った歴史につながっていくのです


三つ子の魂 百までも…!




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旅の目的 江口眼科とレンカ堂

実は…
今回の旅の本当の目的は

母親の目の手術にあたっての医者から説明を聞くためでした

加齢黄斑変性というのが病名です


昨年、母は手術を5回やりました

 転倒し大腿部骨折のための手術
 両膝の手術(一昨年は歩くのもままならなかったのです)
 そして白内障で両目を手術

手術に明けリハビリに暮れをくりかえした1年でした

そのかいあって、サイボーグのように元気に復活したのです


ところが!
左目の視力が上がらず、なおかつ変な黒点が見える

診断された結果が加齢黄斑変性です

これまで普通の外科的手術では難しかったのですが、数年前にレーザーを使った画期的手術が認可されたそうです

放っておけば失明もありうるということで、手術をすることにしました

ところがまだ認可されて間もないので手術の症例が少なく、医者としても本人だけではなく家族の了承も得たいとのことでした

これが急遽帰省したてんまつです


ところで、目医者さんは江口眼科
函館だけではなく、全道的に著名な眼科です

僕も子供の頃、結構お世話になったお医者さん
院長先生は80歳を超えてなお元気で治療を続けています
(院長の娘は小中学校で僕と同期でした)

うれしいことに
江口眼科は古池家の本家・レンカ堂のとなりにあり…
母がここで手術、入院することをレンカ堂の叔母は喜んでいるフシがあり…


  あんたね
  なぁんも心配することないんだからね
  なんてったて、裏口からすぐ行けるんだから
  ワタシは毎日、郁ちゃんに会いにいけるから
  楽しみでなんないのサ
  なんといったって
  昔を知ってる女で
  古池を名乗る生き残りは
  あんたの母さんとワタシだけなんだからね
  毎日行って、昔話さ!
  楽しみでなんないのサ



と、ケタケタ叔母は笑いながら言うのであります
(ちなみに、この叔母とはENTA巣の母さんでもあります)


かくして、

江口眼科できっちり説明を受け、
レンカ堂で叔母やイトコ夫婦に顔を合わせ、
旅の本当の目的を果たすことができました

手術自体は痛みもないらしく、たいした難しさもないとのことなので安心はしています

術前、術後の心のケアは本家のハナおばちゃんにお願いすれば万全



ということで長男としての義務は果たせた…と思っちょります(汗)

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ジャズバー「フェルマータ」でセッション

こだますおぢさん、ミッキーおじさんに連れられて行ったお店は「フェルマータ」でした

ジャズのレコードを聴きながらゆったりと酒が飲めるスペースでした
マスターはアルトサックス奏者で、あちこちのイヴェントで演奏している方だそうです


  もう少し早ければ、俺んとこに人ばガッツリ集めてさ
  あんたに演奏してもらうべって思ってたんだけどさ
  ジャズの店だけど、ダイジョブだと思って、
  連れてくべって思ってたんだわ


と、こだますおぢさん

マスターの了解をもらってさっそく演奏しました

  テネシーワルツ
  グッドモーニング・サンシャイン
  アフター・ミッドナイト
  シルバーウィング
  ロンリー・トゥギャザー


トミさんメドレーをなんとなくジャズ風にアレンジしての演奏でした

そのうちマスターがアルトサックスで参戦
お互いに音を探りながらでしたが、
数曲コラボレーションが実現

きわめつけは、「函館物語」をマスターにからんでもらって歌ったことでした

函館物語を函館の地で歌えたってのが僕にはうれしかった
もちろん作者のシンヤ君とサウンドインSのことも紹介しました


ミッキーおじさんやこだますおぢさんはじめ、居合わせたお客さんにも喜んでもらえたようです


  あったかくなったら、大門横丁で野外ライブやるべや
  人だらガッツリ集められっからよ


そんな話しまで飛び出し、大いに盛り上がりました

大門横丁での野外ライブの話し
かなりその気になっています
もし実現して、しかもそれが定着でもしようもんなら…
函館に帰る動機づけにもなるしね

ここ数年、僕は函館との関係を何とか強めたいと思ってきました
なんといっても故郷ですし、この街を抜きにして自分を語れないと思ってきましたから
自分の年齢を考えると、今本気でやっとかなかったらこの先につながらないって気もしてます
ジジイになってからの動きって制約されるでしょうからね


なまら(ものすごく)楽しい時間を過ごさせてもらいました

人と人のつながりの不思議さを実感させてもらいました

両おぢさんに感謝です!

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こだますおぢさんの店を訪ねる

ネットで知り合い、親しくさせてもらってるおぢさんの店「こだるま食堂」を訪ねました

おぢさんは古い函館の写真を集めそれを記録として残されています
それをブログなどに公開したり、展示したりしてます

お会いするのは今回が二回目ですが、骨の髄まで函館人
自分の函館人としてのアイデンティティを確かめさせてもらえる人です


今回はおぢさんの友人、ミッキーおじさんも来てくれました
ミッキーおじさんはFMいるかのDJを永年勤めた音楽通
赤帽子屋さんという手作り帽子屋の店主


お二人とも僕より五歳ほど先輩になります


初対面の僕にミッキーおじさんは手作りの帽子をプレゼントしてくれました
はきこんだジーンズの生地を使ってハンチング(鳥打帽)にリメイクしたものです
もちろんご本人の手作り
ジーパンのイメージを残しながらハンチングに生まれ変わったヤツは見事としか言いようがない

一発で気に入りました

ありがたく頂戴しました

(写真で僕がかぶってるヤツがミーっキーおじさん手作りのハンチングです)




長いこと函館を離れて暮らしていると、函館人気質というのが良くわかります

とにかく人が良くて、世話焼き、好奇心旺盛で、しかもあっけらかんとしている

言葉で表すのが難しいことは良く分かってるんですが、そんな感じの人が本当に多い

(もちろんなかにはへなまずるい御仁もいるとは思いますが…)

離れてみると、そのよさが良く分かるっていいますが
僕もまたそんな函館人でいたいと願っています


こだますおぢさんにしても、ミッキーおじさんにしても
そんなはごだで人気質丸出しの方で…

いい時間を過ごさせてもらいました


このあと、3人は大門の「フェルマータ」というジャズバーにくりだすことになります

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サウンド・イン・Sを訪ねる 「函館物語」発祥の店

サウンドインSを訪ねました

中学の同級生シンヤ君のやってるライブ酒場です

そして「函館物語」発祥の店でもあります
この店でシンヤはこの歌を書いたのです

CMのコマソンに使うということでH堂がデモテープを持っていったが、バブルがはじけておじゃんになった名曲「函館物語」

この店で十年細々と歌われ続けてきました

去年訪ねたとき一発で気に入り、以来僕も内地で歌わせてもらっています


店内はお客が一人もいなくて…
シンヤが一人カウンターでポツネンとしていました


おお古池
来てたのかい
まあ座れや

2月はさっぱりだ


淡々と語るシンヤ

互いの音楽について長いこと語り合いました


わるいな
せっかく来てもらったのに
客がいなくて
これだば、おめぇも演奏する気にならねぇべさ



なんもさ
ちょっと遊ぶべ


ギターを取り出し引き始めると、シンヤも合わせて弾き始めました

もちろん「函館物語」もそれぞれのバージョンで

一時間以上セッション
気がつくともう3時


おいシンヤ
もう深夜だべや
帰んないばなんないな



客がいなくてライブはできなかったけど、いい話ができました
いいセッションができました

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幼なじみ

函館に帰ると必ず会う仲間たちがいる

同じ小学校、中学校でともに少年時代を過ごしたともだ

なかには幼稚園が一緒
高校まで一緒というのもいる

とりわけ多感な中学時代を一緒になってかけずり回った連中だ

皆それぞれに函館に根を張って生きている


函館に帰るたびにM君の家に集まり、細君の手料理をごちそうになる

この細君からして毎日僕と一緒に幼稚園に通った幼なじみ



今回は士別のジンギスカンをごちそうになった


僕にとってはあずましい(居心地のいい)一時だ

話題は少年時代にさかのぼり、やがてはこれからの函館論にまで広がっていく


そしていいかげんできあがったころ、僕のミニライブが始まる
これがいつものパターン

今回は懐かしいフォークソングに加え、小中学校の校歌も歌った



⇒函館帰省日記 2006年春 幼なじみ

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「阿さ利」のコロッケ

子供の頃好きだったコロッケ
いまだ健在なり !


当時五円だった
10円玉を握りしめ肉屋「阿さ利」へ
コロッケをほおばりながら歩く
最高の買い食いだった
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