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2007.10.10

街角ライブの記録 8 【2003年12月23日】

Martin Koike 風の便り vol.8

2003/12/23(火) 発行

坂庭しょうご 『天国の岸辺』に旅立つ


ギターケースを開け、マーチンを取り出した。『街角ライブ』では普段シーガルのギターを使っている。マーチンよりも音がやや硬いため愛用している。でも今日はマーチン。弦を張り替え、磨いてきた。気持ちは高ぶっていた。1曲目はブルーグラスのインスト曲で「デヴィルス・ドリーム」。続いてカントリーの名曲「ワイルド・ウッド・フラワー」。『街角ライブ』ではめったにやらないインストだ。寒さで凍えた指でところどころつっかえながら、弾く。知らず知らずのうちに涙腺が緩んでいた。

坂庭しょうごが逝った。享年53歳。癌だったという。「坂庭しょうご」と言われてピンとくる人はそう多くはないだろう。音楽シーンではどちらかというとマイナーなギタリストだった。でも『花嫁』の作曲者といわれるとそうかと思うかもしれない。

30年前、京都の実力派ギタリストとして「はしだのりひことクライマックス」に参加し『花嫁』を作り、解散後は「高石ともやとナターシャ・セヴン」で長い間活動した。独特のギターワークと高いハスキーヴォイスで「ナターシャ」の不動のレギュラーとして活動していた。20年前(1983)、ナターシャ・セブンは自然消滅。その後坂庭はソロ活動や「フォークス」や「SUM」のメンバーとして地道に活動していた。

僕が坂庭しょうごと初めて出会ったのは25年前。「ナターシャ」のコンサートだった。流れるようなメロディアスなソロを弾く城田じゅんじとは対照的に朴訥にゴツゴツと弾きたおす坂庭のギターが印象に残った。5年間ギターや歌から遠ざかっていた僕に、彼の弾く『ブラック・マウンテン・ラグ』や『ワイルド・ウッド・フラワー』はズシズシ突き刺さっていった。以来彼のギター・ワークのとりこになった。再び始めたギターのお手本は坂庭しょうごだった。コンサートがあるたびに出かけては彼のテクニックを盗もうと目を凝らしていた。そのころ生まれた次男に「しんご」と名づけるくらいハマッタ。「しんご君へ しょうご」と書かれたサインは今でも宝物として保管してある。(ちなみに次男しんごは今プロギタリストをめざして練習やライブにに明け暮れている)

昨年の暮れ、10年ぶりに坂庭のステージを見た。有楽町で行なわれた『高石ともや年忘れコンサート』だった。2部構成のステージが終わり、アンコールの拍手が続く中突然、坂庭しょうごの名がコールされステージに登場した。城田じゅんじが登場した。『暮れだけやろうナターシャ・セブン 再会コンサート』だった。何の前触れもなく突然表れた『暮れだけナターシャ』は会場を興奮のるつぼに引き込んだ。そらんじるほど聞き込んだナターシャの音楽は手馴れたタッチで演奏された。坂庭のギターは冴え渡っていた。

あの興奮からまる1年。僕の愛したギタリストは遠く、空のかなたへ消えた。『再会』することはもうない。でも僕の耳から坂庭が弾くマーチンの音色は消えることはないだろう。いつまでも。


いつ いつまでも

僕の胸に

きっと きっと思い出す

けどもう会えぬ

『思い出の赤いヤッケ』 

高石ともやとナターシャ・セブン

坂庭しょうごのホームページ http://www.shogobrand.com/

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