街角ライブの記録 【私の履歴書】
北海道入植者の祖父から数えて三代目、生粋の蝦夷っ子(えぞっこ)として、北海道函館山のふもとに生まれる。
父はクラシック音楽が好きで一日中クラシックを流していた。
けれどもある日・・・
赤ん坊の僕はラジオから流れたエノケンの歌に反応してベビーベッドの中で体を振っていたという。
「知らない間に恋をして・・・」
僕にとって初めての音楽体験だった。
小学生のころ歌謡曲に夢中になり当時の御三家(橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦)にあこがれ、
園まり・伊東ゆかりに胸を熱くしていた。
同時に真空管ラジオから流れるビートルズやアメリカンフォークソングに耳を傾けていた。
中学時代、ネックのそりかえったギターを手に入れる。
気分はもう一気にベンチャーズやグループサウンズだった。
15の春。函館労音で 『高石友也リサイタル』 を見てショックを受ける。
ギター1本のシンプルなステージ、それまで親しんできた恋の歌とはまったく違う強烈な歌。
フォークソングとの最初の出会いだった。
高校時代。一人の反戦フォーク少年がギターを抱えて町の公園や駅前広場をうろついていた。
東京の空の下では新宿駅西口でフォーク・ゲリラがひとつのムーブメントを起こしていた。
少年は思っていた。「歌で世の中が変えられるんじゃないか」
20歳の春。上京。駒場の「三畳一間の小さな下宿」で「キャベツばかりをかじる」生活を始める。
反戦フォーク少年が左翼運動に走るのに時間はかからなかった。
23歳。歌をやめる。「歌で世の中は変えられない」現実の日々の中で挫折。
ジャズやブルース、カントリーを聴く日々をすごす。
27歳。長男誕生。
偶然見つけた街角のポスターで12年ぶりに 『高石ともやとナターシャ・セブン』 のコンサートに足を運ぶ。
またしてもショックを受ける。そこには日々の暮らしを何気なく歌った心地のよい空間があった。
「こんなに力が入らない歌があってもいいんだ」
帰宅後ほこりをかぶっていたギターを抱え、長男にむかい即興で歌いだした。
フォークソングとの二度目の出会いだった。
蒲生の喫茶店『いずみ』で仲間たちと切磋琢磨を繰り返す。
自分のスタイルを模索する。
30歳。次男が誕生。
今はもうない越谷のライブハウス『ぶどうの木』を拠点に音楽活動を本格的に再開する。
43歳。オカリナ・アンサンブル『かざぐるま』を結成。現在にいたる。
49歳。『かざぐるま』の活動の合間をぬってソロ活動を再開。
53歳。10周年を期に『かざぐるま』から卒業。
自分の音楽の原点をあらためて見つめなおし
新たな音楽活動の展開をめざして邁進中です。
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