古い音楽仲間の死
蒲生に移り住んでまもなく30年になります
当時僕は一時は捨てた音楽を
再び取り戻そうとあがいていました
自分がよってたつべき原点を探し、
ブルーグラスやカーターファミリーを真似ていた時代です
ある日蒲生中央通りを歩いていたらこんな看板が
当店にはゲーム機はありません
インベーダ全盛の頃です
興味がわき、入ってみると壁にガットギターが立てかけてありました
このギター
触らしてもらっていいですか?
鼻の下に髭をたくわえたマスターに声をかけました
喫茶いずみのマスター・鶴岡昭二さんとの出会いでした
僕は毎日のようにいずみに通い、いつしかカウンター族の仲間入りをしました
マスターの
イケチャン
1曲やってくれよ
という声がかかると
お客さんの前で数曲披露する
というパターンでした
僕にとってはお店という箱の中で演奏する初めての機会だったのです
店がはねたあと僕たちは深夜までセッションを繰り広げました
一風変わったセッションでした
お互いその時頭に浮かんだことを即興で詩とメロディをつけて歌うのです
それを受けてもう片方がやはり即興で膨らましていく
これを休むことなく延々と続け…
マスターとのセッションが、
今の僕の演奏スタイルを作り上げてきたことはまちがいありません
当時の僕は声量を武器にめいっぱい歌い上げるスタイルでした
ギターもフラットピッキングで、ブルーグラス風にスピード感あるヤツを目指していました
でもマスターはそんな僕のやり方には批判的でした
いけちゃんよ
あんた、ギターも歌もうまいけどさ
それだけじゃ、人の心に届かないぜ
3曲も聴いたら腹いっぱいになっちゃう
まだ若かった僕は、頭では理解しながらも
自分のスタイルを変える気はもうとうありませんでした
反面、マスターの歌に嫉妬も感じていました
とにかく歌の説得力がすごい
それは僕にはないものでした
だから、自分のスタイルを変えずにマスターのやり方を盗もうと思っていました
深夜のセッションはその絶好のチャンスでした
その後、僕は独り立ちしてライブハウスなどで歌うようになりました
自然にマスターと歌うことも少なくなりました
新しい音楽仲間と演奏したり、ソロ活動に重点が移っていきました
長い時間が過ぎました
若いと言われぬ年になり、
演奏スタイルや歌い方も自然に変わってきました
ライブ中心の活動の中でお客に育てられ、少しずつ変わって行ったのです
ある時、見知らぬお客さんに声をかけられました
新越谷の駅で歌っているときでした
おたくの歌い方って私の知り合いにそっくりだ
蒲生にある「いずみ」っていう喫茶店のマスター
ご存知ですか?
声の質も歌ってる歌もぜんぜん違うけど
本当によく似てる・・・
その時気がついたのです
あの頃やった深夜のセッションが
今になって形になったんだな・・・
いつも心がけていることがあります
歌は語りなり
歌に自分の人生を投影して
語り部になる
それがもし人の心を代弁することにつながれば
これ以上の幸せはない
若い日
いずみのマスターと切磋琢磨したころ
彼から学んだことです
鶴岡昭二さん
心からご冥福をお祈りいたします
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コメント
感動!
書かれている事の全て、わかります。
投稿: そよかぜ福介 | 2007.07.10 23:54
そよかぜさん
ありがとうございます
投稿: Martin古池 | 2007.07.11 23:19