【朝市コンサート】 アクシデント
今回はチョットしたアクシデントが…
演奏開始2時間後
時々顔を出しては乱入してくるおじさんが今日も登場
このおじさん居酒屋の大将で、歯に衣を着せぬ物言いで乱入してくる
おめえよ
こんなとこでフォークなんてやってもしょうがあんめぇ
人の流れを見れや
年寄りばっかりでねえか
演歌やれ、演歌
全くなんべん言えばわかるんだ!
譜面をたたきながらまくしたてた
カチンときた
いつもなら受け流して演歌を何曲かやってすますところだが…
今日はチョット虫の居所が悪かった
そんなことないよ
聴いてくれる人もたくさんいるよ
だいたい演歌ばかり3時間も歌えない
おっさんの店で歌うなら全部演歌ってことも考えるけどね
ここはあんたの店ではない
あんたの指図を受けるいわれはない!
思わぬ反発におっさんは捨てぜりふを残して帰っていった
何となく後味は悪かったがここは折れるわけにはいかない
最後まで演歌は歌わなかった
いろいろあらぁな
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コメント
週末ライブ、お疲れ様でした。
そのことは昨日お聞きした件、ですね。
私の持論というか考えなのですが、音楽的に今は我々が「演歌」と思っている曲(調)ってホントに「日本人の心」なのでしょうか?
私はそういうところもあるかもしれないが、かなりの部分で違う、と思っています。演歌は大昔からあるわけでもなく、せいぜい発祥でいえば明治がいいところで、「今ふうの演歌」といえば早くて戦後、もっとドラスティックに云ってしまえば、昭和の後半もので、しかもそれは「POPS」の対義的曲調のものあたりを云う、は言い過ぎですが、「~も遠からず」、だと思ってます。
私の好きな欧州トラッドなんかは、それこそ何百年唄い継がれた曲が確かに存在します。我が日本も歴史ある国ですが、その意味で古来とか伝承、ということと演歌は直接に繋がってはいません。それはもっと違う楽曲です。
また音楽的に我々が演歌だ、と思っている曲に使われている音階やリズム等は果たして日本のオリジナルなんでしょうか?確証を持っていえませんが、私はまず違うと思ってます。
まあ、長くなりますが、論拠もしっかりはしていないし、こういう様な言い方ではその居酒屋のオヤジさんには通じないだろうし、する必要もないのかもしれません。
でもやはり誰かは知っていないといけないですよね。
「演歌は流行歌であって日本古来の音楽とはいえない」ということを。
「音楽心は演歌の中にあるだけではない」ということを。
だから、別に演歌でもジャズでもロックでもクラッシックでも何でも、それぞれが良いと思った音楽こそが良いわけで、人にその良さを押し付けるものでもありません。
言うまでもないでしょうけど、古池さんは持論である、いつもどおりの方向性と嗅覚で良いと思う曲だ、歌いたい曲を演奏するのが正解、といことになります。
投稿: アル明日オーイ(おいちゃん) | 2007.03.26 04:22
おいちゃん
心強いコメントありがとうございます
僕もまったく同感です。
演歌の曲調の大元は
古賀政男さんが朝鮮半島の謡曲の影響を受けて紡ぎだしたものとも言われてますよね
日本のフォークソングを考えた時、
古来から伝えられてきた音楽が断絶していることにぶち当たります。
そこから始まってるわけです。
アメリカンフォークの場合は、アメリカの歴史は短いが移民してきた人たちにはヨーロッパやアフリカなど長い音楽伝統があるわけです。
それらが融合し、あるいは純化しアメリカ「伝統音楽」になっていったんでしょうね。
居酒屋の大将はそんなことを言ってるわけではないでしょうがね
単純に流行り歌をやらなきゃ、誰も聞いてくれないぞ
流行歌ってのは演歌だべ!
という善意の「親心」なんだとは思います。
でも演奏する側としては、自分の価値基準というフィルターを通さなければ演奏できないわけで…
それが、アルさん言うところの「自分の嗅覚」なんだと思います。
投稿: 古池 | 2007.03.26 18:05