ああ上野駅 伊沢八郎さん逝く
どこかに故郷の香りをのせて
入る列車のなつかしさ
上野はおいらの 心の駅だ
くじけちゃならない 人生が
あの日ここから 始まった就職列車に ゆられて着いた
遠いあの夜を 思い出す
上野はおいらの 心の駅だ
配達がえりの 自転車を
とめて聞いてる 国なまりホームの時計を 見つめていたら
母の笑顔に なってきた
上野はおいらの 心の駅だ
お店の仕事は 辛いけど
胸にゃでっかい 夢がある「ああ上野駅」
この歌が流行ったのは1969年(昭和39年)でした
僕はまだ小学校4年生
でも白黒テレビのブラウン管の向こうで歌う
角刈り頭のおっさんは強烈なイメージとして残ってます
張りのある声と大声量
全身震わせて歌うというイメージ
歌謡曲大好き少年の僕は意味もよくわからぬまま真似て歌っていました
1964年という年はインパクトのある年でした
6月には新潟地震
函館も揺れました。
白黒ブラウン管には燃える新潟の町が映し出されていました
10月は東海道新幹線が開通
ちんちん電車と蒸気機関車しか知らない少年には
「夢の超特急」は本当に夢でした
そして…東京オリンピック
これは強烈でしたよね
重量挙げの三宅
東洋の魔女 日本バレーボール女子 鬼の大松 回転レシーブ
アベベのマラソン2連覇 国立競技場で抜かれた円谷選手…
鮮明に記憶の中に生きています
池田首相の辞任とギョロ目の佐藤栄作の登場
「貧乏人は麦を食え」
このセリフと共に池田総理大臣の記憶が残っています
子供の夢を刺激する映画や漫画も始まっています
モスラ対ゴジラ
ひょっこりひょうたん島
オバケのQ太郎
1969年は高度経済成長の真っ只中にありました
高度経済成長を下から支えていたのが 「金の卵」「月の石」と呼ばれた集団就職でした
田舎の農家の次男坊なんかが中学卒業後、東京の工場に集団就職
就職列車と呼ばれる臨時列車が1954年から1975年まで毎年運行されたそうです
そういえば、「Always 3丁目の夕日」という映画がヒットしましたよね
あの物語も昭和30年代、就職列車の中から始まってましたね
「金の卵」は上野駅に降り立つところから東京での生活の第1歩を始めた…
上野はおいらの 心の駅だ
くじけちゃならない 人生が
あの日ここから 始まった
それを考えると、グッときます…
高度経済成長を支えた「金の卵」たちも、今60歳前後
つまり団塊の世代というわけです
彼らが定年を迎える、この時期に
伊沢八郎さんがこの世を去った
なんとなく象徴的な感じがします
高度経済成長、バブル経済とその崩壊、ガマンの低成長のうちに定年を迎え…
戦後の日本経済の浮沈と足並みをそろえここまできた金の卵
あらためて「ああ上野駅」を聞きました
今朝のテレビから流れてきたのです
不覚にも涙が落ちこぼれました
この歌に人生のうたかたを感じるのは…深読みに過ぎるというもんでしょうか?
ちなみに僕は金の卵からはちょっとだけ「遅れてきた世代」
集団就職組ではありません
でも北国生まれの僕にとっても上野駅には特別の思いが
やはり…
あります
伊沢さんのご冥福をお祈りします
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