終わっちゃった… ドクター・コトー診療所
魂を揺さぶられる感動ってんではないけど
心にしみいるいいドラマでしたね
出演者一人一人がはまり役でしたよね
ほかの誰にも換えがきかない配役だったと思います
というか、それぞれの役者がドラマの進行と共に配役に投影され、育っていった印象でした
もちろん役者さんの努力なんでしょうけど
ドラマを観ている側も自分の心の中で育てていったんだと思いますよ
いいドラマってそういうところがあるような気がします
コトー先生が主役のドラマですが、
彼に関わる人すべての織りなすドラマ
そんな風に思ってたんですが、最後までそのスタンスは貫かれましたね
コトー先生とは対極にいた鳴海医師にしてもそうでした
コトー先生の医療姿勢はいわば人間の顔をした医療とでもいうんでしょうか
島の人=家族に接するような気持ち
大切な人のため
でも鳴海医師はそれにアンチテーゼを投げかけます
患者に情を持ち込んではならない
あったかいコトー先生とは対照的に理知的で冷たく患者との距離をおく鳴海医師
でも、それを単純なかたき役と描かないところがいい
愛する妻に自分の手で手術を施し、結果的に植物人間にしてしまった苦い思い
医療に情を持ち込まずという姿勢はその体験からきています
この姿を見て先生はどう思います
妻は生きていると思いますか、死んでると思いますか?
綾香さんの手術中、予期せぬ出血
冷静な判断を失うコトー先生
それを一喝する鳴海医師
両者の医療観のせめぎあいがそこにはありました
綾香さんの手術は成功しますが、結果的に二つの医療観が補完しあった感があります
術後、情に流され常軌を逸した自分に葛藤するコトー先生
そこには敗北感と自分の医療姿勢への疑問が渦巻いていたと思います
さすがはコトー先生ですね
みごとな手術でした
そう語りかけた鳴海医師には勝ち誇った色はありませんでした
術後の葛藤の末にコトー先生は前日の鳴海医師の問いに答えます
まるで自分に言い聞かせるように…
人として、先生が生きていると思えば奥さんは生きています
医師として、生きていると思えば…
やっぱり奥さんは生きていると思います
このやりとりを通して鳴海医師はドラマの重要な登場人物=主人公に昇華していきます
鳴海医師の冷静なスタンスがなければ安易なヒューマニズム・ドラマで終わるところでした
おそらくこの先も鳴海医師の医療に情を持ち込まずの姿勢は変わることはないでしょう
そしておそらくコトー先生も人間の顔をした医療をめざしていくでしょう
そして、
医師とはいったい何なのか
そう自問しながら互いの医療の姿勢を貫いていくんじゃないかな
島に帰ったコトー先生を、島民は心からあたたかく迎えます
そこにいるのはそれぞれの人生をかかえた主人公たちでした
地上に根を張るたくさんの星たちでした
流れるエンディングテーマ
銀の龍の背に乗って
自転車をこぐコトー先生
映し出される島民たちのスナップ
静かな余韻を残してドクターコトー診療所2006は幕を下ろしました
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コメント
tenpersonさん
トラックバックに見させてもらいました
ヤシガニラーメンって実際はないんですね!
ヤシガニそばがあるんだから、いつかできればいいですね
ドクターコトーシリーズももっと続けばいいですね
投稿: 古池 | 2006.12.24 13:20