「出口のない海」 人間魚雷 回天の青春模様
太平洋戦争末期
敗戦の色が濃くなった日本。
本土への空襲も許すようになっていました。
敗色を一掃しようとしてたてられた戦略、それは特別攻撃隊。
つまり特攻でした。
戦闘機に爆弾を積んで敵に突っ込む特攻。
これは我々にもなじみが深い。
いわゆる神風ってやつです。
でも海からの特攻もあったってことはあまり知られていません。
この映画は「特別攻撃隊 人間魚雷 回天」の物語です。
巨大な魚雷の艦頭には1.6トンもの爆薬を積んであります。
これは大型戦艦を1発で沈没させるのに充分な火薬の量だそうです。
普通の魚雷と違うのは、この回天には人間が乗り込むってことです。
潜水艦から発射された回天は、人間が操縦し敵艦隊に体当たりするのです。
まさに一撃必殺!を期した特攻作戦でした。
回天のスクリューは前進しかできず、脱出装置もない。
ひとたび出動したら引き返すことも、逃げ出すこともできない。
それが…
人間魚雷 回天でした。
追いつめられた日本の戦況。
学生たちはペンを持つべき手に銃を持ち、兵士として志願してゆきます。
学徒出陣です。
海軍兵としての訓練を受ける最中、彼らに薫陶を述べる上官。
日本の戦況はきわめて重大な局面にさしかかっている。
お国を救うため、海軍は画期的な新兵器を開発した。
この新兵器による作戦が遂行されれば、
皇国・日本を勝利に導くことができるのである!
しかぁしだ!
これは非常に危険を伴う作戦でもある。
我々は貴様らにこれを強制することはない。
2時間の猶予を与える。
じっくり考えて、この紙を提出してほしい。
名前とともに、作戦に参加するものは◎。どちらでもないものは○。
参加せざるものは×を書いて提出すること。
若者たちの多くは◎を提出することになります。
自分が生きては帰れないことを予感しながら…
市川海老蔵演じる主人公の並木は、明治大学野球部のピッチャーでした。
甲子園で優勝した経験を持つほどです。
並木の心の葛藤を軸に物語りは展開します。
野球部で補欠だった友は用紙に×を書きました
死への恐怖に勝てず◎を書けなかったのでしょう
オレは軍隊でもやっぱり補欠だったよ
そう力なく笑った彼は輸送船で航海中に敵艦の攻撃にあい命を落とします。
陸上部のオリンピック候補だった男は、マラソンをやめ学徒出陣を待たず他の学友より早く軍隊に志願します。
野球に情熱を燃やす並木をシニカルに批判します。
けれど戦争の中で自分の存在に迷っている自分を無理やり納得させようとしていたのでした。
ことあるごとに並木を批判した彼も、本当は心の迷いを整理できずにいたのでした。
回天の整備員は甲子園優勝投手だった並木にあこがれていました。
並木をことあるごとに励まし、深い友情で結ばれていきます。
並木らが乗った潜水艦は4機の回天を搭載していました。
1機は航行中に敵の爆雷にやられ、スクリューを破損し発射不能に。
乗組員だった男は泣きます。
お国の役に立てなかった…と
もう1機も発射直前に故障
乗組員は並木に土下座して頼み込みます
次の出撃を俺に譲ってくれ
俺に残された道は死んで軍神になることだけなんだ
並木自身も回天の故障で乗り込んでいながら、発射できませんでした。
回天から降りてきた彼に、整備員が笑いかけます。
彼は憧れの並木が無事だったのを喜んだのです。
しかし並木はその彼を殴りつけます。
結局、回天は1機発射されたのみでむなしく帰港します。
やがて終戦を迎え…
終戦と前後して並木の乗った回天は海中に突っ込み、彼は酸欠で命を落とします。
終戦後しばらくして、米軍によって引き上げられた回天には並木の息絶えた姿が…
その足元には1冊の手帳と野球のボールが転がっていました。
手帳には並木の思いがつづられていました。
彼が息絶える間際まで書き連ねたものでした。
戦争という異常な状況の中で
当時の若者たちはどんな思いで自らを死へと駆り立てていったんだろう。
どのように自分を納得させたんだろう
この謎を抱えながら、僕は長い時間を過ごしてきました。
父は一度だけ語ってくれたことがありました。
自分が人間魚雷 回天の乗組員だったことを。
僕がまだ高校生のころです。
当時僕は、フォークゲリラを気取って反戦歌を歌っていました。
若さゆえに一面的な平和主義で戦争をとらえていました。
戦で死んでいった若者たちは犬死だった
そんな内容の詩を歌った僕に父は静かに語ってくれたのです。
戦争はたしかによくない。
あの戦争は間違いだった。
若者たちが一部の権力者の暴走によって命を落としていった。
それは事実だ。
でもな、ほかに選択肢のない異常な状態。
それが戦争だ。
その中で、自ら死を選んだ若者たちの葛藤はな…
犬死の一言で片付けられないもんだ
閉ざされた状況の中で
自分の生の意味、死の意味を問いつめた若者たちがいたってことは知ってほしい
「出口のない海」を見ながら、考え込んでいました。
並木をはじめとする若者たちの葛藤は、
父が僕に残した宿題のヒントなのは間違いないと思います。
でも…
僕が父から伝えられた戦争の記憶
これを次の世代に伝えなければならないと思っています。
それは父の受け売りではなく、僕自身の言葉で語らなければならない。
でも、それをするには
あまりにも理解が浅いように思えて…
あまりも言葉が稚拙なように思えて…
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コメント
先日はコメント(檜原村浅間嶺のハイキング)ありがとう
ございました。なかなか奥多摩は近くて日常から離れて
みるいいポジションだと思いました。
ところで、映画はまだ見ていませんが、回天の話で、私
はこんな経験を持っています。
中学生の頃広島にいて、江田島の海軍兵学校を訪ねた時
回天の実物が展示されていました。操縦席が覗きこめる
ようになっていて、その上の丸い蓋が数十本のボルトで
留められるようになっていました。それは、一度外部から
固定されると中からは開けられないということを意味します。
このことを見て気持ちが凍りつく気がしました。いくら
特攻としての決意があったとしても、飛行機とはまた異なる
一人分の狭い空間に閉じ込められる思いはどんなものだろう
かと・・・
とにかく、戦慄した記憶が脳みそに深く刻み込まれました。
広島時代は戦争を意識する機会が多くあり、現在の私に大きな
影響を与えました。
投稿: 渡辺俊一 | 2006.09.25 17:12
渡辺さんは広島のご出身でしたか。
我々は体験することのなかった戦争も、良心や故郷の空気からいろいろ伝えられていますよね。
戦争体験が風化してきている今、親の代から受け継いだものを自分の中だけにとどめておいてはいけないな
そんな風に感じる昨今です。
投稿: Martin古池 | 2006.09.27 00:04