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2006.07.13

「フォークの達人」 西岡たかし

NHK BSで毎月第1金曜の夜、放送している「フォークの達人」
第4回目は西岡たかし御大だった

放送したのがサッカー・ワールドカップの真っ最中
録画しておいたのを、やっと今日観た

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西岡たかし…
「五つの赤い風船」を引き連れて全国に旋風を巻き起こしたのは1969年だったろうか。

名曲『遠い世界に』をラジオで初めて聞いたとき
オート・ハープの美しい音色に驚いた
オート・ハープの存在すら知らなかった僕は、
あの音色をギターで出すにはどうすればいいのか…悩みに悩んだ
カポをネックの高い位置にセットしてみたりしたが出るはずもなかった。

そこでやむをえずフラメンコ風に4本の指で順次かき鳴らす練習をした。
同級生のアラヤ君と初めて作ったフォーク・バンド(?)のテーマソングは
このフラメンコ風『遠い世界に』だった

アラヤ君が手に入れたフォーク・ジャンボリー(だったと思う…)のライブ盤のパワーは強烈だった
『遠い世界に』や『これが僕らの道なのか』を巧みに先導して、
会場を合唱の渦に巻き込んでいくワザは目からウロコだった

あの頃のフォーク集会は
  さあ!みなさん
  一緒に歌いましょう!!
というパターンが多かった
これをやられると、なんとなく気恥ずかしくて…ちょっと引いてしまう

ところが、西岡たかしは歌詞をメロディにのせてさらりとリード
お客に一緒に歌うことを強要するそぶりすら見せない
お客はごくごく自然に歌の輪に入り込んでいる
そんな風情だった

     白状すると、僕もこのワザを盗ませてもらった
     今でもライブで大いに活用させてもらっている

「西岡たかしと五つの赤い風船」は
風のように登場し強烈なインパクトを残し、
まるで風船のように空の向こうに飛んでいった
その後再結成アルバムを出したりしたが、僕の中では遠い想い出に変わっていた

何年か前、NHK衛星放送の「フォーク大集合!」という番組に西岡たかしが出演した
アルフィーの坂崎君が司会をつとめ、スタジオライブをやるという趣向の番組だ
この時の放送に高田渡と西岡たかしがそろって出演したのだ

  二人ともなんてジジイになったんだ

いつぽっくり逝ってもおかしくない風情だった
演奏も衰えを感じさせる、ただただ切ないものだった

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ぐっさん司会の「フォークの達人」で再会した西岡御大は光っていた!

数年前に衰えと感じたものは、実に深い味に昇華していた

「白湯」(さゆ)という歌を披露してくれた。
デビュー以来の親友、高田渡が18歳の時初めて西岡たかしの家を訪ねた時の歌だ
  西岡が紅茶を出そうとしたら、渡はそれを断って
    俺は白湯しか飲まない
    死んだ親父の二の舞にはなりたくない
    親父は飲んだくれの売れない詩人だった
    酒のために命を落とした
  渡は浴びるほど酒を飲み、勝手に老成して、散っていった…
  渡とはデビューも同じ
  同じLPの裏表
  最後のツアーも一緒だった…
西岡たかしが長年の親友であり同士でもあった高田渡に捧げた歌だった

聞いていて涙が止まらなかった

再々結成した「五つの赤い風船」での演奏も
当然ながら「若さのかけら」もなかったが、本当に深い演奏をしてくれた

司会のグッさんに問われる
  西岡さんにとって、フォークとは…?

応える西岡隆の言葉が印象に残った

 僕は自分の音楽をフォークとは捕らえていないんですよ
 自分の音楽っていうかね…
 これから進みたい方向
 学びたい音楽
 音楽は一生学んでも、学びきれるもんじゃない
 それほど深いもんだと思うんです
 だから一生飽きるってことはない
 自分の好きな方向に絞って暖めていく…

 たえず変化するものだし、成長するもんですよ
 この先どう成長していくかもわからない
 だれもその成長を止めることはできないんですよ
 ひょっとすると自分の音楽はフォークというものに
 もうととどまっていないのかもしれない
 

フォークの達人

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