« 【骨折り日記】 さわやかな朝 | トップページ | 【骨折り日記】 人の情けが身にしみる »

2006.05.25

風のコンサートのテーマ 「風」

今回の「風のコンサート」は【風】をテーマのひとつにしました。

「かざぐるま」
「風のコンサート」

風を銘うってるのに、今まで風をテーマにしなかったのも不思議な感じ。

んで、風にまつわる歌を2曲ほど歌います。

風に吹かれて (Blowin In The Wind)
風に吹かれて-Rockdom

同じ日本語タイトルがついていますが、
前のやつはもちろんボブ・デュランの名曲です。

もうひとつは、アルフィー

両方とも大切にしてきた歌です。

ボブ・デュランの『風に吹かれて』は1963年の作。
アメリカではケネディが暗殺され、
ベトナム戦争に本格的参戦を始めたころです。

ボブ・デュランはウディ・ガスリーの影響を強く受け、で反戦の歌を歌い始めたのです。
彼が20代始めのころです。
(ウディ・ガスリーはこの歌が出た4年後にこの世を去っています)

『風に吹かれて』は人々の心に深く浸透しました。
後世になっても多くの人たちに歌われ続けています。

この歌の優れた点

まずメロディが美しい
そしてデュランの朴訥な声
まるでミスマッチな二つの要素が絡み合って、説得力をかもし出している。
(ピーター・ポール&マリーの美しいバージョンもいい。
けれどデュランの歌は心のひだに足跡を直接残していくようだ)
そして何よりも…
歌のスタンスがいい。
プロテスト・フォークにありがちな扇動的な内容じゃない。
結論を人に押し付けることなく、一人ひとりの心に問いかけるスタンス。
この歌は公民権運動やベトナム反戦だけで終わることなく、いまだに歌い継がれている。普遍的な意味を得ている理由はそこに尽きるのではないかと思います。

  風に吹かれて

どれだけ道を歩いたら
人として認められるのか
いくつの海を飛び越えたら
白いハトは砂でやすらげるのか
いくつの弾丸の雨が降ったなら
尽きるときが来るのだろう
その答えは、ただ 風に吹かれているだけ

いくたび空を見上げたら
青空がみえるだろう
いくつ 耳をつけたなら
悲しみの声がきこえるのか
どれだけ死んだらあいつらは気づくだろう
人々が命を落としたってことを
その答えは、ただ 風に吹かれているだけ

どのくらいの時間、この山はありつづけるのか
海に流されてしまうまでに
どれほどの時間 人々は存在できるのか
自由になれるまで
いったいいくたび人々は顔をそむけ
見えぬふりをするのか
その答えは、ただ 風に吹かれているだけ

僕の歌で、この歌をどこまで表現できるか分かりません
ボブ・デュランにならって、思い切り力を抜いて歌ってみたいと思います。

そう… 答えは ただ 風に吹かれているだけ

アルフィーの『風に吹かれて―Rockdom』
この歌は1969年がテーマ

1969年…
そうです。
70年安保を前にして全国で様々な社会運動が展開された年です。
第1回フォークジャンボリーが開催された年でもあり、
新宿西口広場でフォーク・ゲリラが活動した年です。

子供から大人への道を歩き、背伸びし放題の僕たちに
1969年は様々なことを教えてくれたのです。
中学生から高校生になるころの話です。
この年は僕たちにとってもエポックメイキングな年でした。

この歌を作ったのはアルフィーの高見沢俊彦
1954年4月18日生まれ。同じ日、僕も生まれました。

1969年当時の僕たちは、歌われているような青春を過ごすにはちょっと若すぎた。

高見沢がどんな思いでこの歌を書いたかは分からないけれど…
思い入れの深い歌のようです
(コンサートで泣きながら歌ったということです)

俺たちの時代を忘れないで
風に吹かれていた あの頃

このリフレインを何度もくりかえす時
僕もまた、1969年の僕を思い出します
それはいつしか大学時代の自分に変わっていきます
ロックアウトされたキャンパスで機動隊と対峙したあの頃に…

|

« 【骨折り日記】 さわやかな朝 | トップページ | 【骨折り日記】 人の情けが身にしみる »

オカリナ・アンサンブル かざぐるま」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 風のコンサートのテーマ 「風」:

« 【骨折り日記】 さわやかな朝 | トップページ | 【骨折り日記】 人の情けが身にしみる »