男同士じゃないか 昔のように話し明かそうよ
自宅に招いてくれたのはムロタのはからいでした。
実はムロタの奥さんミキコちゃんと僕とは幼稚園時代からの幼馴染。
家族ぐるみのおつきあいでした。
ミキコちゃんは今では声楽家として函館では有名人とか…
かくして函館の地の物を中心としたミキコちゃん手作りの料理をつつきながらミニ同窓会が始まりました。
うれしかったのは、会えなかった30年以上の時間を一気に飛び越えてしまったこと。
思えば、中学時代の3年間、僕たちは毎日顔をつき合わせていました。
なんかオモシロイことできないべか?
いろんな企画を立てては、それを実行に移していたんです。
放送劇 「帰ってきたヨッパライ」を自作自演したり…
フォーククルセダースとクレージーキャッツの影響です。
放送委員だった僕は放送室を発信基地にして、アングラ放送をいろいろ企画していました。
ゴシップ誌(?) 「調査新聞」を発行して、先生ににらまれたり…
調査新聞はクラス変えをした後も、それぞれの学級新聞として受け継がれていきました。
僕は3年D組「少年3D」を発行し、担任によく批判されていました。
生徒会の執行部に入りやっちゃんを会長に、面白いこと探しの試みを全校に発信し始めたり…
人のやれないことをやれ!
水前寺清子さんの受け売りです…
まったくミーハーこの上なし今しかできないことをやるべ!
これも加藤たいぞうさんの受け売りです
そんな精神で、僕たちは毎日クラブ活動が終わった後、誰かの家に集まり、夜遅くまで一緒にいました。
そういうことが黙認されるリベラルな空気が当時の潮見中学にはありました。
リベラリスト・橋本校長先生の影響でしょう。
僕たちの飛び跳ねた行動に批判的な先生も肯定的な先生もいました。
共鳴してくれた友だちももちろん多かった。
肯定も批判も、共鳴も無関心もすべてが自由に共存する雰囲気が潮見中学にはありました。
そんな自由闊達な風土の中で、僕たちはそれぞれの生き方の基礎を作ってきたような気がします。
話が進むにつれ、今のみんなにあの頃の生き方が色濃く投影されていることを感じさせてくれました。
あれから何十年も時間がたってサ
みんなそれぞれに、それぞれの道を歩いてきてサ
自分の世界を持ってるべさ?
したっけな
俺たちにとっちゃ、あの時代がすべての原点なんだわ
あの時代がなかったら、今の俺たちはないわけでサ
したから、古池よ
函館に帰ってきたら、必ず連絡よこせ
俺にでも、やっちゃんにでも
かならず、俺たちは受け入れるからよ
それが、函館に残ってるもんの義務だワ
なんども、なんどもそうくりかえすムロタの言葉が心にしみました。
そして浮かんできたのが杉田二郎の名曲 「男どうし」の歌詞でした
しらけた時代だね うすっぺらな言葉だけど
友情はこわれないと ムキになって叫びたいこの頃だ昔ならいつでも ゆかいな仲間たちが
すぐにやってきただろう 泣いて笑った幼友達だ故郷に帰ったら 俺にまかせておくれ
秋の祭りの頃だし みんながそろうだろうそうさ 男どうしじゃないか
昔のように 話し明かそうよ
最後に持参したギターを出してみんなで歌いました。
潮見中学校の校歌
青柳小学校の校歌
あの頃はやった懐かしい歌を何曲か
そして みゆきさんの 『時代』
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