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2006.05.23

ふたたび ウディ・ガスリー

骨折で一日中家にいました。

久しぶりに音楽を聞いて過ごしました。

今日聞いたのは次の面々

ウディ・ガスリー
アーロ・ガスリー

ピート・シーガー
ボブ・デュラン

つまりはウディ・ガスリーとガスリーズ・チルドレンたち

日本のフォークソングに多大な影響を与えたっていうとボブ・デュランですよね。

60年代後半から70年代初頭にかけてフォークソングの洗礼を受けた人は
たいていデュランにあこがれているんじゃないかな。

そのデュランはウディ・ガスリーにあこがれたわけで…

デュランだけじゃなくてフォークの親玉的存在のピート・シーガーをはじめ、

たくさんのフォーク・シンガーたちがウディ・ガスリーにあこがれ、お手本にしたんです。

その結果が後のフォーク・リバイバルとして結実するわけです。

それが日本に入ってきたというわけです。

日本フォークソングの草分け 高石ともやはピート・シーガーやマルビナ・レイノルズなんて人の影響を受けていました。
高田渡の人生もある意味ウディ・ガスリーそのまんまって気すらします。
「フォークの神様」 岡林信康もボブ・デュランと並べ、比べられたりしましたもんね。

あらためてウディ・ガスリーの歌を聴きなおしたんですが、シンプルそのもの。
    ギターテクニックだって取り立てうまいとは思わないし
    歌だってぶっきらぼう

フォークソングの始まりの頃って
音楽性だとか芸術性だとかってのはあまり問題じゃなかったんでしょうね。

歌は単に媒体にであって、そこにこめられたメッセージで人と共感を分かち合おうというものだったんだと思います。

事実ウディは歌はシンプルなものが最も伝わるというようなことを語っています。

彼が活動した20年ほどの間に1000曲もの歌を書いたといいます。
  (55歳で亡くなるまでの10年は難病を患いほとんど床に伏していたそうです)
そのほとんどがみなシンプルで似たようなパターンだったとか。

ウディの生き方に対する共感が多くのチルドレンたちを生んだのではないかと思います。

1930年代のアメリカ南部は大恐慌と畑の作りすぎによる砂漠化が進んでいました。
砂嵐の襲撃で田畑を失い、職を求めて都会へ。
でも不景気にあえぐ街には仕事がなくてどん底の生活を余儀なくされる民衆。

ウディは自分と同じ境遇の彼らに向かって歌い続けたのです。

ミュージシャンとしての成功より、民衆とともに生きようとしたウディ

その結果として、旅から旅のホーボー暮らし。
  (ホーボーってのは汽車のただ乗りで職を求めて旅して歩く人々をいいます)

そういう彼の行き方に共感を持ったフォークシンガーが集まり
やがてガスリーズ・チルドレンに

メッセージ性を強く含んだウディの歌の影響で
公民権運動を鼓舞する歌などに発展していくのです。

.

ただ…
ウディのメッセージ・ソング、プロテスト・ソングのみが強調されることを
僕はあまり好みません。

1000曲に上る彼の歌のごくごく一部しか知らない僕ですが、
限られた範囲だけを見ても、ウディ・ガスリーの歌はプロテスト・ソングと同時に
民衆との共感を歌った歌がたくさんあります。

の生き方の本質はプロパガンダにあるのではなく、
民衆との共感にあったと思いたい。

民衆の心の代弁者であり、共感の結果としてプロテストがあったと思いたいのですが…

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