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2006.05.16

AERA in FOLK ~あれはロックな春だった!

Img323_1 団塊の世代を中心に、アコースティック・ギターが売れているとか…
フォーク酒場が全国あちこちに生まれ、
勤め帰りの中年おじさんたちが酒を酌み交わし
ギター片手にステージで歌うということが流行っているそうです。

団塊の世代
そう、敗戦直後に生まれ、激動の高度経済成長を支えてきた世代。
かれらが定年を迎え、セカンドライフを模索する時代になっているのです。

団塊の世代が青春時代をすごしたころ…
ベトナム反戦運動にゆれ、70年安保闘争で社会は激しく動いていました。
そして、バックグランドにはいつもフォークソングがありました。

フォークが見直されているこの時期に出された『AERA in FOLK』
まさに「ジャスト・イン・タイム」でした。

社会の激動を反映したフォークの黎明期は、社会的なメッセージソングが全盛でした。
その象徴が1969年の「第1回 中津川フォークジャンボリー」。
アマチュアが自分たちの手で立ち上げたこの大音楽会
高石友也、岡林信康、高田渡、五つの赤い風船、遠藤賢司、上条恒彦、ジャックス、中川五郎…
まさに関西フォークをになっていた面々が集まり、大成功をおさめました。

この1969年という年がまた時代の象徴でもありました。
それは70年安保条約の自動締結の前年で、
それを阻止するべくさまざまな社会運動の勢いが頂点に達している年でした。

時を同じくしてアメリカでウッドストックが開催されたのもこの年。
フォークジャンボリーとウッドストックは相関関係があったわけではなく
それぞれ独立して開催されたものです。

翌1970年は70年安保闘争が敗北に終わり、社会に無力感挫折感が漂い始めました。
第2回フォークジャンボリーも混乱を反映した中で開催されました。

高石友也は渡米し不参加。
ジャンボリーも興行的要素が強くなりました。
テレビ局が入ったり、さまざまなジャンルのミュージシャンを集めたりで
性格が若干変わってきました。

そんな中でも、さまざまなミュージシャンが「デビュー」しています。
(加川良、なぎらけんいち等)

そして、最後のフォークジャンボリーとなった71年。
社会派フォークは70年安保敗北とともに低迷していきます。
変わって、個々人の心の中を見つめる歌が増えていきます。
これらが入り混じって開催された第3回フォークジャンボリー。
規模もふくれあがります。
混乱も深まります。

そして、事件は起こりました。
ジャンボリーの商業化に対する不満や、さまざまなストレスを抱えた人々によってメインステージは占拠。

一方サブステージでは吉田拓郎の伝説的ステージが展開されます。
電源が切れたステージで拓郎は『人間なんて』を延々2時間にわたって歌い続けます。
時代が岡林から拓郎に代ったといわれる瞬間です。

フォークジャンボリーはこれ以降開催されることはありませんでした。
フォークソングも多様化の道を歩き始め、さまざまなタイプのミュージシャンが現れました。
(認知されたというべきか?)

そして…Img336_1
フォークソングはニューミュージックとよばれるようになり、
やがては「Jポップ」へと集約されていくのです。

『AERA in FOLK』は
フォークの黎明期からニューミュージックにいたる足跡に多くの誌面をさいています。

それは、団塊の世代の青春の鎮魂歌ともとれるし、
「僕たちの…終わらない青春」ともとれます。
そして、過ぎてしまった青春…の再生を語っているようにも思えます。

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