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2006.04.27

は〜るばる来たぜ 函館

は〜るばる来たぜ 函館

函館空港から母の住む「旭が丘の家」まではタクシーで15分。

2000円の道のりです。

大腿部骨折で入院していた母が今日一時帰宅でもどったので

それにあわせて、僕も帰郷したわけです。

「旭が丘の家」で管理者の方にあいさつを済ませ、母と明日の大掃除の段取り…

ピコピコピーン

携帯が鳴り出しました。

中学時代の友人、やっちゃんが車で僕をむかえにきたのです。

親孝行はとりあえず明日十分することにして、

やっちゃんと夜の函館にくりだしました。

やっちゃんとは20年ぶりの再会。

彼が友人の結婚式のため上京したおり、越谷の我が家に一泊したのです。

その時以来で、あとは年賀状だけのおつきあいでした。

頭には白いものがだいぶ混じっていましたが、

20年前の…いや中学時代とぜんぜん変わらぬやっちゃんでした。

僕にとってやっちゃんは、いつも半歩前を行く存在でした。

中学時代は彼が生徒会長で、僕は副会長。

やっちゃんはオピニオンリーダー的な存在。

70年安保を前にして学生運動が頻発し、それは中学校の早熟な連中にも影響を与えていたのです。

この歳になると早熟という言葉で表現できますが、当時は先進的と映っていました。

やっちゃんはまさに先進的中学生だったのです。

そんな彼に僕は憧れ追いつこうとしました。

でもいつも半歩先を行くやっちゃんでした。

いつも後手を踏む僕でしたが、その関係を肯定的受け入れていました。

この関係は大学に入り上京するまで続きました。

彼は都立大の夜間に入学。
やがてノンセクトラジカルの連中と行動をともにしていったようです。

僕はTY大学に1年浪人の末入学。
正統派マルクス・レーニン主義に傾倒していきました。

思想的には似て非なるものでした。

当時の風潮からするとそこで激烈な理論闘争になってしかるべき。

そうならなかったのが不思議です。

多分、思想は違えど互いに人間として認め合っていたんだと思います。

言葉を変えるとそれが竹馬の友ってヤツかもしれません。

本当に不思議な関係でした。

つけくわえると、中学時代にこのほかに仲のよかった仲間が二人います。

一人は柔道のオリンピック候補とまで言われた豪傑で、右翼的傾向の持ち主、ムロタ。

もう一人は、現実的感覚の持ち主で思想的には完璧なノンポリのフジワラ。

それぞれ生活環境も思考パターンもまったく違う4人が絶妙なバランスで共存していました。

社会人になって生活の場がばらばらになり、その後は年賀状だけの付き合いになりました。

でもやっちゃんを中心とした4人の仲間の付き合いがなければ、今の自分とは違った人間になっていたのではないかと思います。

僕にとっての竹馬の友でした。

やっちゃんは函館の思い出のスポットにあちこち連れて行ってくれました。

僕の通った東高校。
4月にオープンした新・五稜郭タワー
ムロタの家
やっちゃんの現在の仕事場
僕の生家
そしてわれわれが中学時代をすごした函館公園界隈

最後にやっちゃん御用達のラーメン屋 「ぶんぶく茶釜」
   華僑の人が市役所の近くでやっている店で、もう30年もの歴史があるそうです。
   大辛の閻魔ラーメンは、僕好みのラーメン。
   食べ終わってもずっと後をひく、一品でした。

土曜の夜、ムロタを含めた3人で飲む約束をして分かれました。

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