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2006.04.10

土俵岳 2006 「土俵の原点」

ぴぴっ!

急にふくらはぎに電気が走る

先々週サッカーで痛めたところが悲鳴を上げる…

やばいな…

同行の原田さんに先に行ってもらうことにして

棡原から日原峠までの登りはだましだましの一人旅に…

今回は足に不安があったので、ギターと弁当だけを背負って身軽だったんですけどね…

でも日ごろのトレーニング不足のため、体が身重だった!

定刻の12時から10分ほど遅れ、やっとの思いで日原峠にたどり着きました。

もう皆さん集まっていて、恒例のトン汁ができあがるのを待っていました。

メンバーに混じって見知らぬ人も…

ビールで喉を潤していると、代表の村田さんが紹介してくれました。

古池さんね

この方たちは40年前に、

この場所を教えてくれた人なんだよ

高取さんという、地元・桧原村出身のお二方でした。

同じ苗字なので、大高さん・小高さんと区別しているとか…

あすなろ山の会の土俵岳集中山行は、かれこれ40年以上も続いてます。

僕が参加するようになって20年ちょっと。

この20年間だけでも思い出や、歴史がびっちりつまってます。

高尾山から笹尾根づたいに縦走し、人馬山山頂でビバークしてハレー彗星を眺めたことや
反対の山頭山から走る勢いで縦走した頃
幼かった子供たちを引き連れて浅間峠でテントを張ったこと
翌年から同年代の仲間たちがそれぞれの子供たちを連れ、前夜から「土俵前夜祭」が始まったこと
子供たちが親離れをして、気楽な一人旅にもどったこの10年

いろんな思い出がつまった「土俵」ですが、

その歴史の始まりについては今まで考えたことがありませんでした。

大高さん、小高さんが子供の頃は

黄色い木苺の群落があり、そこに寝転がっては木苺の実を食べたりしていたなど

興味深い話を聞かせてもらうことができました。

40年前の「土俵」に思いをはせていると、

河島さんがこんな提案を…

昭和30年代に活躍した先輩方、

昭和40年代に活動したわれわれ、

それ以降の現役

みんな年を重ねました

この「土俵」がいつまで続けられるか…

今までは初代メンバーに会運営をお任せし、甘えてきたけれど…

これからは我々や、次の代のメンバーも意識的に関わらなきゃな

と…

思うんですよ

「あすなろ」や「土俵」が我々の代にとっても大事なもんだしね

あすなろ山の会の若手グループって50代…

つまり、僕らの代なんです。

僕たちを最後に若者の入会がないまま、現在にまで至ってしまい…

今では個人山行が中心で、

それを機関紙『あすなろ通信』に投稿し、

山岳会としての行事は「土俵」と新年会のみ…が実態になっています

会として残されたすべての行事を、

昭和30年代から活躍していた初代メンバーが担っているのです。

初代メンバーが力尽きると、

「あすなろ」も「土俵」もそこで終わるかもしれないという危機感

河島さんの提案の意図はそこにあるんだと思います。

河島さんの思いは、僕も痛いほど分かり…

「あすなろ」が心の故郷であり、若き日の立脚点だったわけですからね

この後のミニコンサートでは、そんな思いをこめて歌いました。

涙そうそう


あすなろの歌

『旅』は若き日の旅の道すがらの出会いやわかれを
年老いてからいがぐり頭の孫たちに熱い涙で語り聞かせるという歌
旅の道連れにいつも一緒だったのがワンカップ大関
  (高石ともや)

桜の季節にいつもこの場所で会うわれわれ…
この先もまたこの場所で出会おう
桜舞い散る道の上で
  (森山直太郎)

あすなろ あすなろ 心の旅人
あすなろ あすなろ 心の故郷
  (Martin古池)

ブログ版 「あすなろ通信」の記事

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