またひとり 昭和の巨星が逝く
宮川泰さんが旅立たれました。
戦後の音楽界に残した功績はいろんな記事で語られています。
僕の中では宮川さんは日本の音楽を大衆化した仕掛け人というイメージが強いんです。
ポップスとオーケストラの距離を縮めた人というんでしょうか。
もともとは、ポップス畑の人だそうです。
関西で渡辺晋とシックス・ジョーンズのピアニストから始まり、
「ザ・ヒットパレード」や「シャボン玉ホリデー」で音楽を手がけたそうです。
作曲家、アレンジャーとしても名曲をたくさん残しています。
『恋のバカンス』 『ウナ・セラ・デ東京』 『銀色の道』 (ザ・ピーナツ)
『若いってすばらしい』 (槇みちる)
『逢いたくて 逢いたくて』 (園まり)
『君をのせて』 (沢田研二)
そして一連のハナ肇とクレージーキャッツの映画や歌。
宮川さんは大衆の心の中にスーッとはいていくメロディラインを数多く生み出してきました。
それらが『宇宙戦艦ヤマト』に凝縮されました。
(勝手に僕が思っているだけですが…)
『宇宙戦艦大和』が成功したことによって、オーケストラによる組曲などが作られたのです。
(このシンフォニー組曲は永久保存版として、僕の机の引き出しに大切にとってあるんですよ)
このあとは宮川さんはオーケストラによるさまざまな試みをしたそうです。
ベートーベンをおちょくったような曲をオーケストラに演奏させようとして怒られたとかって話をどこかで聞いたことがあります。
さまざまな試みを通してクラシック音楽=オーケストラにポップスを認知させる土台を作ったところが宮川さんのすごいところだと思います。
(これも勝手に思っているだけですが…)
僕が宮川泰という人を初めて意識したのは『宇宙戦艦大和』でした。
僕が成人してからのことです。
でも少年時代に無条件に好きだった音楽の数々。
それらが宮川さんの手によるものだったと知ったのはずっと後になってのことでした。
今思えば、もっと早くそれを知っておきたかった。
そうすればもっと早い時期に、宮川さんの軽妙洒脱なトークに触れることができたのに…
大真面目な音楽トークを笑いの中で展開する宮川さんのしゃべりっぷり。
これはクレージーキャッツとのやり取りの中でつちかわれたものなんでしょうか…。
本当に惜しい人を失ったと思います。
心からご冥福を祈ります。
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