『みかんの花咲く丘』の川田正子さん逝く
「みかんの花咲く丘」
みかんの花が 咲いている
思い出の道 丘の道
はるかに見える 青い海
お船がとおく かすんでる黒い煙を はきながら
お船はどこへ 行くのでしょう
波に揺られて 島のかげ
汽笛がボウと 鳴りましたいつか来た丘 母さんと
いっしょに眺めた あの島よ
今日もひとりで 見ていると
やさしい母さん 思われる作詞:加藤省吾
作曲:海沼 実
唄 :川田正子
童謡歌手の川田正子さんが亡くなったそうです。
東京都出身。戦中、児童合唱団「音羽ゆりかご会」で頭角を現し、NHKラジオにも出演。
当時はもっぱら軍歌調の曲を歌った。
戦後になって本格的に童謡に取り組み、「里の秋」「みかんの花咲く丘」「とんがり帽子」などが大ヒット。
かれんで、はつらつとした歌声は、戦争で傷ついた人々の心を癒やした。
2人の妹も歌手として活動し、「川田三姉妹」と呼ばれて人気を集めた。
変声期を迎えた1947年に、一度引退したが、71年に復帰。
童謡を中心にカンツォーネや日本歌曲にまで幅を広げて活動する傍ら、
「森の木児童合唱団」を主宰し、歌唱指導にあたった。
【以上@nifty:NEWSより抜粋】
子供のころ童謡が大好きでした。
母はラジオの子供番組をかかさず聞かせてくれました。
「お話出てこい」や「歌のおばさん」などなど…
子供番組がないときは、母にせがんで唄ってもらいました。
母は人間ジュークボックスのように歌わされたそうです。
まったく記憶にはないのですが…
でも、たくさんの童謡が今でも僕のかすかな記憶として心の底に沈殿しています。
幼稚園に入るころになると、僕自身が人間ジュークボックスとなっていてました。
とにかく四六時中歌っていたそうです。 (これもあまり記憶にない…)
『みかんの花咲く丘』もそんなレパートリーの1曲です。
しかも、かなり好きな歌でした。
北海道にはみかんの木はありません。
自分のなかで勝手にまだ見ぬみかんの花咲く丘をイメージして憧れていました。
そこは海のそばの小高い丘です。
濃い緑の木々の中でみかん色の花が咲いている。
暖かい午後の日差しがさしている…。
まったく安直ですが、そんなイメージをしていました。
子供の頃この歌が大好きだったわけが最近やっと分かりました。
「オカリナ・アンサンブル かざぐるま」 でレパートリーに取り上げた時、おやっと思ったのです。
8分の6拍子なんです。
童謡や唱歌ってほとんどが2拍子か4拍子。
マーチが好きだった僕は2拍子が体に染み付いていました。
そこに8分の6拍子。
まだ見ぬみかんの花咲く丘とあいまって、しゃれた音楽と感じたんじゃないかな。
その歌を川田正子さんが歌っていると知ったのは、自分に子供ができてからのことです。
71歳。
虚血性心不全だったそうです。
合掌…
素敵な歌をありがとうございました。
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コメント
コメントくださりありがとうございました。
川田正子さんは戦後の日本を多くの人たちと共有してきました。一つの時代が終わったと強く感じています。ご冥福をお祈りします。
投稿: 七五白書 | 2006.01.29 12:20
2006年1月22日の夜川田正子さんがなくなられてから既に時間がたっていますが,一筆コメントさせて頂きます。私は昭和17年生まれの63歳(男性)ですが,子ども時代を過ごした昭和20年代が懐かしく,つい半年前に童謡のCDを買い込み,パソコン作業のBGMとして流していました。川田正子さんは,私より8歳年上で,あまりなじみが無かったのですが,当時よく聴いた「みかんの花咲く丘」や「とんがり帽子」の歌手が正子さんであることをその後知りました。川田姉妹の中では孝子さんをはじめ他の童謡歌手の方々はよく知っていましたが,正子さんのデビューが私の生まれた年なので,活躍時期がずれていたためでしょう。当時の歌声を聞いてみて,子どもながらある種の使命感とともに精いっぱい声を出して歌っていると感じました。彼女の数ある歌の中で,「里の秋」「蛙の笛」「母さんたずねて」が特に好きで,哀調さえにじませるメロディーに加えて,詞の格調の高さに感動しています(いずれも斉藤信夫氏の作詞でした)。この年になると,これらの歌はもはや単なる童謡の域を超えて,子供時代の郷愁とともに,何か人生の機微さえ感じさせてくれます。ここに川田正子さんの訃報に接し,初めて私にとっての戦後が終わったという気持ちです。――合掌(2006.2.12)。
投稿: 昭和人 | 2006.02.12 19:31
昭和人さん
コメントありがとうございます。
戦前、戦中派の方は、川田さんの訃報にひとつの時代=戦後が終わったと感じる方が多いのですね。
私の先輩方もそうおっしゃっていました。
僕自身は戦後の生まれで、童謡や唱歌は母から歌い継がれたものものです。
その背景に川田さんがいらっしゃったということは大人になってから知ったことです。
人生の先輩方のこれらの歌に寄せられる思いを引き継ぎたいと思います。
歌や音楽をライフワークとしている僕ですが、童謡にこめられた歴史とともに時代に歌いついでいきたいと思います。
投稿: Martin古池 | 2006.02.12 22:03