芝居 「重層空間」を見る
「戦後・被爆60年。語り継ぎたい思いが、ここにある…」
こういうテーマの品川ピースフォーラムの芝居に行ってきました。
「Live in 清津峡」で共演し、知り合いになった「品川こども劇場」のしばちゃんに誘われたのです。
品川ピースフォーラムとは、品川の地から平和や憲法9条について発信しているグループです。
しばちゃんら「品川こども劇場」のメンバーも関わっていて、今年で11回目の公演だそうです。
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公演は2部構成。
1部はナレーションと映像を軸に、手記の朗読や合唱をはさんで戦後昭和史をあとづけるという内容でした。
広島の原爆の映像をバックに被爆者の手記が朗読されたり、武力の永久不保持を定めた憲法について語られました。
日本国憲法第9条は唯一の被爆国・日本の戦争と平和に対する決意表明。
その意味を問いかけるというモチーフで構成された1部は相当に中身が詰まっており、かつ重い内容でした。
正直なところ、まる1時間にわたる公演は僕には少々重かった。
1部だけですっかり疲れてしまった。
それは内容というより表現手法の問題のような気がします。
これでもか、これでもかという感じで1時間もたたみかけられるとちょっとね…
消化不良といか、引いちゃうというか…
1部が終わり、僕の疲労感をいやしてくれたのは、しばちゃんたち3人組によるゲリラ・ライブ。
休憩フロアでエレキ、アコギ、タンバリンによるミニライブはほほえましくて、ほっとさせてもらいました。
2部はいよいよメインイベントの芝居、『重層空間』
この芝居は「品川ピースボート」が発足した1995年に創作、初演された作品だそうです。
それを今回2005年用にリメイクされ再演の運びになったとか。
若者たちが同窓会の打ち合わせのため集まっているところにハムに不思議な電波を受信。
こちらは…
広島中央放送局…
現在…空襲のため…
放送…不可能になりました…
助けてください………
これをめぐって若者たちの間で議論が始まります。
戦争のことなどほとんど考えたこともない今風の若者。
兄が自衛隊員で、自衛隊が憲法違反だという論調に反感を持っている女の子。
東南アジアに旅行に行ったときに現地の女の子に旧日本軍の残虐な仕打ちを聞かされショックを受けた女の子。
さまざまな子が戦争について思い思いに感じたままに話します。
でも、結局ラチがあかず中学時代の担任の先生やら、ご近所の老人やらに教えを請うことに・・・
先生は正義感が旺盛で空回りをしながらも、子供たちに日本の戦争事実を伝えていこうとしています。
中国戦線で戦い、民間人虐殺も命じられるままにやらざるを得なかった人。
戦争体験を時代に残すために何かをしたいと思い模索する老人。
これらの戦争体験者と若者たちとのやり取りの仲で、何ができるのかというやり取りが展開されます。
結論は大江健三郎氏らが提唱した「9条の会」に呼応しようということに…
最後に『ピース・ウェイブ』という歌を合唱して幕を閉じました。
出演者の真摯な情熱が伝わってくる演劇でした。
ただ、いくつか気になったこともあります。
ひとつは、劇の冒頭に政治家と思われる人が登場し、日の丸をバックに演説を始めます。
その演説は首相の靖国参拝を擁護し、自衛隊の海外派兵を支持するという内容でした。
ところがその演説に対して、ホールのあちこちからヤジが浴びせられます。ヤジは次第にエスカレートして会場全体を覆うほどに…
かの政治家氏はそのヤジに圧倒され、日の丸の旗もろとも演台から転げ落ちてすごすご退場するはめになります。
会場を埋めつくしたヤジはもちろん演出でしょう。
でも僕はすごくいやな感じを受けて、おもわず引いてしまいました。
たぶん、演劇の手法に違和感を感じたんだと思います。
僕はそこに芸術性というよりはプロパガンダを感じてしまったのです。
お客さんが全員同じ社会認識を持っているならば、つまり共通目的を持って集まった政治集会ならばプロパガンダもありだとは思います。
でも、一般公開した演劇ならばいろんな人が来るわけで…
排他的な感じがして、僕はちょっとなじめなかったな・・・
もうひとつは最後に「9条の会」に呼応して、それぞれができるところから始めようと結論を出している点。
僕は問題提起だけにとどめて結論は出さず、観衆一人ひとりの心に訴えかけるという形の方が良いような気がします。
その方が芝居自体により普遍性が生まれてくるように思えました。
いずれにしろ、若者の真剣さ、ベテランの信念を強く感じた観劇でした。
日本全体がおかしな方向に向かって動き出していると感じる人は、少なくないと思います。
たくさんの人たちが感じている疑問や不安を、演劇や歌を通して形にすること。
そして広く発信していくことは大切なことだと思います。
しばちゃん。
誘ってくれてありがとう。
いろんなことを考えさせてもらいましたよ。
また今度チャンスがあったら清津峡でセッションしましょう!
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コメント
多数決での「満場一致」というものには、どこかに疑念をもつという根本的な反芻の批判精神をもっていなければ、見えない堕落と大きなあやまちさえおこすことさえある。
というようなことを、私のもっとも尊敬する戦後現代詩人は言っていました。
何度も何度も立ち戻ったってかまわない。矛盾や不条理を解決することが全てではなく、常に存在して止まないそれについて考え続けることに意味も価値もある。できるだけ多くの様々な種類の人間同士がそれについて。
以前聞いたエピソードですが、古池さんの御尊父が戦時中の「学徒出陣」に対して、『学生の本分は勉強し、学ぶことなのではないか』と
の発言に袋叩きにされたということをおもわず思い出してしまいました・・・。
投稿: MATSUMURA | 2005.12.12 22:26
わざわざ遠い所からありがとうございました。
さすが、僕も同じ事を感じながらも、何故かここにいます。僕のメッセージ(ゲリラ・ライブをやる意味)を受け止めてくれたのは、古池さんだけでした(笑)
また、僕の創った曲の中に詰め込んだメッセージを受け止めてくれたのも、古池さんだけでした。
大げさだけど、「地獄で仏」って感じ(笑)
ほんとうにありがとうございました。
今度はって訳ではないのですが、古池さんのライブに行きます。
投稿: しば | 2005.12.13 01:10
しばちゃん
コメントありがとう。
メールでのご質問
「プロパガンダ」の意味は
政治的目的のための宣伝という意味です。
今ではほとんど死語に近くなっているかも…
僕の若いころにはこういう単語がずいぶんとびかっていましたよ
「芸術表現とプロパガンダ」については、僕自身思うところがあるので、近々ブログに書いてみようかと思ってます。
ある意味、僕のたどった音楽の旅路にもつながるように思います。
MATSUMURA君
いつもながら、コメントありがとう。
僕の親父は函館中学の(現在函館中部高校)の学生のころ「学生はペンを取れ」と主張して袋叩きにあったそうです。
当時は、学徒出陣が花盛りで「学生よ、銃を持て」とか言われていた時代です。
父に明確な反戦思想があったわけではないようです。でも世の中が付和雷同して戦争への道を転げ落ちていくことに、父は若さゆえの反骨精神を発揮したようです。
その父も結局は時代の流れの中で戦争に行きました。人間魚雷回天の乗組員、つまり特攻隊員として訓練を受けているさなかには敗戦となったそうです。
「若さゆえの反骨精神」というのは満場一致に対する本能的な疑念なんでしょうね。
投稿: Martin古池 | 2005.12.14 00:47
初めてコメントします。
重層空間にほんのちょっと出ていた役者です。
しばに声をかけてもらってココに飛んできました。
遠いところ来ていただきありがとうございました。
私も一般人系で役者として出ているので、
たまに演劇をやっている人間でも
『どっちの方向に訴えかけたいのかしら?』
という内容が出てくることがあるんですよね(^^;
運動って外に向かって声を発しなければならないのに
『内輪受け』に走る傾向がある…。
そうすると自己満足の世界に入って結局広がらないんですよね。
率直なご意見が嬉しいです。
今、PCが壊れていて借り物なので、また直って
本調子になったらば是非、ちょくちょく遊びにきます。
投稿: ベリー | 2005.12.14 15:17
べりーさん
当サイトにようこそいらっしゃいました!
コメントどうもありがとう!
「重層空間Ⅱ」
楽しませていただきましたよ。
内容的には楽しむというよりも、考えさせられるというものでしたけどね。
感想については、本文に書かせてもらいましたが、真摯さは伝わってきました。
僕も中学、高校と演劇部に在籍したり、創作劇を演じたりもしたことがあります。
今まで見た芝居の中で一番印象に残っているのは、宇野重吉さん演じるイプセンの「にんじん」でした。
宇野重吉さん晩年の芝居です。
独白も多い演出でしたが、肩から力の抜けた演技と、独白でありながらたえず観客に向けて深いオーラを放っているたのが忘れられません。
演じるということの深さ、難しさを思い知らされた芝居でした。
以来、芝居でもフォークライブでも「淡々と、でもしっかり」をめざしています。
(僕のライブは『フォーク寄席』と称して、芝居仕立てにすることがあるんですよ)
またこのサイトに遊びにきてくださいね。
投稿: Martin 古池 | 2005.12.16 14:55