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2005.08.10

被爆のマリア像 原爆投下から60年

北海道新聞 「卓上四季」から引用させていただきます。

被爆のマリア像

▼右側のほおと髪は黒く焦げている。水晶の眼球を失った瞳。なんと悲しげな表情だろう。昔、写真で見た「被爆マリア像」である。きのう、長崎市の浦上天主堂でそのマリア(聖母)像が六十年ぶりに祭壇に安置された

▼爆心地から五百五十メートル。丘の天主堂はすさまじい爆風と熱線を浴びて倒壊。周りではカトリック教徒一万二千人のうち八千五百人以上が亡くなった。原爆は目標地点から北に三キロそれ、浦上地区に落ちたのである

▼首から下がない聖母像をがれきの中から見つけたのは戦後、復員した神父だった。大聖堂の屋根は落ち、鐘楼ドームは崩れ、天使像もステンドグラスも粉々。高さ三十センチ弱の頭部だけとはいえ、残っていたのは奇跡といわれた

▼神父はその像をトラピスト修道院(渡島管内上磯町)に持ち帰った。七五年に返還するまでの三十年間、自室の机の上に置き、浦上の人々の悲しみをたたえた聖母像に祈り続けたそうだ

▼「怒りの広島、祈りの長崎」という言葉を思い出す。キリスト教との歴史的なかかわりから「祈り」と長崎が結びついたのはごく自然なことである。被爆マリア像はその象徴でもある

▼だが核に対する怒りは広島も長崎も変わらない。きのうの平和祈念式典で被爆者代表の坂本フミヱさん(74)は語った。「命ある限り、『長崎を最後の被爆地に』と叫び続ける」と。静かなる怒りがそこにあった。

30年前の、ぼくは長崎にいました。

原水禁世界大会に参加するためです。

広島から始まって、長崎、佐世保とおよそ一週間の旅でした。

北海道から出てきたばかりの田舎もんが、学生運動の洗礼を受けての参加。自分の中では学生運動をなんとなく認めつつも、一歩引いた立場にいました。先輩闘志が語る戦略論がどこか空虚で大言壮語に思え、今ひとつ信じきれなかったのです。

けれどクリスチャンの家庭で育ったぼくは、長崎の浦上天主堂に落とされた原爆をこの身に感じなければいけないと思い参加したのでした。

そこでの見聞や出会った人たちにぼくは圧倒されていました。そしてその時、このマリア像のことを耳にしました。

上磯のトラピスト修道院に移されていた「被爆マリア像」が長崎浦上天主堂に戻されたというニュースを聞いてちょっと感慨にひたってます。トラピスト修道院は高校3年の夏、2週間過ごした場所です。

(この項続く)

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2001年11月、まだ始めて間もないころの「さわらび通信」に『平和への使節=浦上 [続きを読む]

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