辻仁成 「函館物語」
五木寛之の「青春の門」全10巻(?)でした。
「青春の門」を堕落編まで読み進むうちにダンボール箱の中から別の本が出てきたのです。
辻仁成の「函館物語」でした。
手にとって見ると、懐かしい函館の写真が随所に…
そのままついふらふらと道草を喰っていました。
「僅か4年しか過ごしていない函館の占める位置は、とても大きい。
何故、私が函館にこだわるのか。過ごした4年という短い時期が、私にとっては最も多感な青春期だったことは否定できない。しかし私が函館にこだわる理由はそれだけにはおさまらない。函館というこの歴史のある港町自体が持っている幻想的なトポスが私にいまだに何かを投げかけてくるのである。」(要約)
こんな書き出しで始まる「函館物語」は、辻仁成の目を通して函館に暮らす人々の風景を描写されています。そこには函館に流れる歴史の匂いがかすかに感じられ、不思議な感覚に誘われていきます。
それは僕自身が幼年期から思春期を同じ街、同じ路地、で暮らした体験からくる懐かしさだけではないような気がします。
それが何なのかと読み進めていくうちにこんな一節が書かれていました。
「この函館には、厳しい美しさの中に、人々の根源的な霊的記憶を呼び覚ます信号のようなものが埋め込まれている気がしてならないのだ。
この街のそこかしこに横たわるのものは、それだけで人々の中に眠るそれぞれのノスタルジーをくすぐってくるのだが、それは現世の記憶だけではなく、遠い過去の記憶をもよびさます磁場を持っているようだ。」
札幌の病院で死への病と闘いながら、「函館物語」を読みふけっていた父のことがふとよぎりました。
20年前に故郷函館を離れ、室蘭や札幌で暮らした父は、人生の最後に函館の遠い記憶をたぐっていたのではないかと思います。
(「青春の門」の放浪編は僕が生まれた頃の函館が舞台になっています)
僕が函館を思うとき、それは多分自分自身の原風景だけではなく、自分に流れる父や母の記憶、祖父や祖母の記憶、函館の気風を培ってきた人々の記憶というものが知らずのうちに流れ込んでいるように思えてなりません。
辻仁成 「函館物語」
僕にとって大切な一冊になりそうな気がします…。
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コメント
「自分自身の原風景だけではなく~」...確かにそんな気がします。うまく言葉で説明できないんですけど、僕がブログに書く動機付けになってます。
「函館物語」手に取ったことはあるのですが、今度じっくり読んでみたいなと思います。
*リンクありがとうございます!
投稿: びーとぽっぷす | 2005.07.14 13:01