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2005.06.24

『ジーコにもっと自由を』  牛木素吉郎さんのコラム

週刊 サッカーマガジン」に牛木素吉郎氏のコラムが載っていました。

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ぼく自身の意見は「ジーコありがとう、今後もよろしく」である。つまり、1年後のドイツ大会もジーコに任せ、いままでよりも、もっと自由にやらせたい。

「ジーコで勝てる」という意見ではない。

 いまの日本のサッカーのレベルでは、誰が監督であっても、ドイツで1勝をあげるのも容易ではない。しかし、日本のサッカーの将来のためには、ジーコのやり方を続けるのがいい。

 そのとき、そのときの時点で、もっともいいと思われる選手を起用し、一人ひとりの才能を自由に発揮させて組み合わせる。そういうやり方に、日本のサッカー界が慣れることが重要である。

 目標は本番でまず1勝すること。若手の育成はジーコの仕事ではない。

牛木素吉郎・・・

僕にとって、忘れられない名前です。

1967年。
まだ月刊誌だった、創刊まもない「サッカーマガジン」。
メキシコオリンピックを前にして、マイナーなスポーツだった蹴球=サッカーを紹介する数少ないメディアでした。

中学生になりサッカー部に入った僕にとり、「サッカーマガジン」は情報源として、技術教科書として大切な本でした。発売日を首を長くして待ち、なけなしのこずかいを握りしめて本屋まで走ったものです。

その「サッカーマガジン」に毎月あらわれる名前が「牛木素吉郎」でした。
なんて読むのかわからないまま、彼の書く熱い記事に心ひかれていました。

今でも忘れられない記事があります。

メキシコオリンピックでメキシコを破り銅メダルを勝ちとったあとのことです。日本にもプロリーグを作ろうと牛木さんは熱く説いていました。プロ化しなければワールドカップはいつまでも夢のままだと書いていたように記憶しています。
この記事に刺激された多感な少年はプロ化とワールドカップ出場を夢見ることになります。それまではプロもワールドカップもまったく意識したことすらありませんでした。

僕の通っていた函館市立潮見中学は当時、2年連続で優勝した函館市のチャンピオンチームでした。(僕が3年のときは2回戦で負けちゃいましたけど…)
井の中の蛙だった少年は牛木さんの記事に刺激されサッカーで身を立てることを夢見たのです。

高校3年間で自分の本当の実力を思い知らされ、サッカーの夢はやがて色あせていきました。「サッカーマガジン」や牛木さんの記事ともだんだん疎遠になっていきました。

『ジーコにもっと自由を』というショッキングなタイトルとともに「牛木素一郎」の名を見たときなんともいえぬ懐かしい感覚になりました。
同時にふだんからジーコに対してもっている思いを代弁してくれたと感じました。

40年にわたって日本サッカー界を見つめ、提言し続けた牛木さんの見解に説得力を感じた僕でした。

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