『退職の日』 さだまさし
退職の日作詩・作曲 : さだまさし
公園のD-51は
退職したあと
ほんのわずかばかりの レールをもらって
もう動かなくなった
父は特別他人と違った生き方をして来たわけではない
ただ黙々とむしろ平凡に歩いて来たのだ
戦争のさなかに青春を擦り減らし
不幸にも生き残った彼は
だから生きる事もそれに遊ぶ事もあまり上手ではなかった
そういう彼を僕も一度は疑い
否定する事で大人になった気がした けれど
男の重さを世間に教えられて
自分の軽さを他人に教えられて
振り向いて改めて彼をみつめたら
やはり何も答えぬ無器用な背中
退職の朝彼はいつもと変らずに母のこさえた弁当を持って
焦れったい位あたり前に 家を出て行った
母が特別倖せな生き方をして来たとも思えない
ただあの人と長い道を歩いて来たから
いつもと違って彼の帰りを待ち受けて
玄関先でありがとうと言った
長い間ご苦労様とあらたまって手をついた
そういう彼女の芝居染みた仕草を
笑う程僕はスレて無かった様で そして
二人が急に老人になった気がして
うろたえる自分が妙に可笑しくて
「おとうさん」「おかあさん」なんて懐かしい
呼び方をふいに思い出したりして
父は特別いつもと変らずに静かに靴を脱いだあと
僕を見上げて照れた様に ほんの少し笑った公園のD-51は
愛する子供達の
胸の中でいつでも 力強く
山道をかけ登っている
白い煙を吐いて 力強く
いつまでも いつまでも
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この歌を聴くたびに、死んだ父が退職した日のことを思い出す。その時僕はすでに内地で暮らしていたから、北海道の父と一緒にいたわけではない。
でも父の退職の日の光景はイメージとして焼き付けられている。
父の晩年は決して幸福だったとは思えない。
部下の使い込みが明るみになり、引責辞任という形での退職だった。
退職の直後、癌であることが判明し数年間の闘病生活の末この世を去った。
度重なる手術のため全身つぎはぎ状態だった。
僕の中では『退職の日』という歌は、父の退職とその後の闘病生活に連なる日々と重なっている。
病と闘いながら父は目に見えて老いていった。
彼が若い頃の力強いイメージが残っている僕には哀しかった。
父が死にしばらくしたころ、『退職の日』がラジオから流れてきた。
公園のD-51は
愛する子供達の
胸の中でいつでも 力強く
山道をかけ登っている
白い煙を吐いて 力強く
いつまでも いつまでも
このくだりを聞いた瞬間、涙がこぼれ落ちるのを止めることができなかった。脳裏には故郷の山を煙を吐いて登るSLがあった。それが父のイメージと重なった。
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コメント
初めまして。
ここへ来て初めてこの歌の存在を知りました。
とても聴いてみたくなりました。
投稿: 相沢拓実 | 2005.03.21 03:05
さだまさしの
『夢の轍』
というアルバムに収められてますよ。
投稿: Martin 古池 | 2005.03.21 11:05