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2005.02.01

『イムジン河』

イムジン河水清く とうとうと流る
水鳥自由に 群がり飛び交うよ
我が祖国南の地 想いははるか
イムジン河水清く とうとうと流る

北の大地から 南の空へ
飛び行く鳥よ 自由の使者よ
誰が祖国を 二つに分けてしまったの
誰が祖国を 分けてしまったの

イムジン河空遠 虹よかかっておくれ
河よ想いを伝えておくれ
ふるさとをいつまでも 忘れはしない
イムジン河水清く とうとうと流る


「街角ライブ」で『イムジン河』を時々歌う。毎回というわけではないが何かことが起きると必ず歌ってきた。そしてそのたびにたくさんの人たちが一緒に口ずさんでくれた。

この歌は35年程前フォーク・クルセダースによって歌われ、レコード発売を目にして突然発売禁止、放送自粛となった歌だ。にもかかわらず水面下で静かに歌い継がれてきたからこそたくさんの人たちが記憶の底に息づかせてきたのだろう。


『イムジン河』は1960年代に北朝鮮で作られた。作詞はパク・セヨン(朴世永)、作曲はコ・ジョンハン(高宗漢)である。パク・セヨンはプロレタリア文学の詩人で北朝鮮国家『愛国歌』を作詞した人物だそうだ。

この歌が在日朝鮮人によって歌われているのを耳にした松山猛が感動し、訳詞をしてフォークルが歌い始めた。1968年のことだ。

「中学三年のとき、朝鮮中高級学校で偶然に原曲を聴き、胸をつかれた。北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)への帰還運動の中、親友が次々に帰国し、動乱後の分断をいたたまれなく感じていた時期だった。高校卒業後にフォークルと知り合い、あの詞を書いた。ベトナム戦争への反戦運動が世界中で巻き起こっていた。特別な政治思想もなかった僕さえ、反戦デモに参加した。若者の多くが世の中に疑問を抱いていた。ごく普通の若者をも怒らせた時代、多くのことを考えざるを得ない時代だった」

松山猛インタビュー記事から)

               →松山猛の他の記事

ところが『帰ってきたヨッパライ』に続くフォークルの第2弾シングルとして予定されながら、直前で発売中止となってしまった。朝鮮半島の統一を願う歌詞が、原詞に忠実ではないなどと北朝鮮側からクレームがついたらしい。

「原詩に忠実でないと朝鮮総連から抗議をうけたというのがその理由であった。しかし、実は総連側の抗議内容は、<イムジン河>の原詩は、北側にとっては重要な人が作ったものなので、発表する場合は、朝鮮民主主義人民共和国の何某が作った歌と、はっきり明記すること、というものだったのだ。国交のない共産圏の国の正式名称を併記することを東芝は親会社の手前、躊躇したのである。」(黒沢進 CD「ザ・フォーク・クルセダーズ ハレンチ+1」解説 1995)


他方で、北朝鮮の歌が日本で広がることを好ましく思わなかった韓国大使館が東芝に圧力をかけ、発売中止に至ったということもあったらしい。

いずれにしろ、訳者の松山猛やフォークルにはきちんとした説明もないまま『イムジン河』は表舞台から闇に葬られてしまった。

発禁になった『イムジン河』に変わり急遽発売されたのが『悲しくてやりきれない』だった。この歌はサトウハチロウの詩に加藤和彦が曲をつけたものだが、加藤は『イムジン河』の最後から始めに向かって譜面をおこしたという話は有名だ。

「わが祖国南の地 思いははるか」 「故郷をいつまでも 忘れはしない」

この歌は北朝鮮の人たちが国境を流れるイムジン河の流れに思いを託し、故郷の南の地や生き別れになっている家族同胞といつかまた会いたいという切ない思いを歌っている。狭い朝鮮半島。同じ民族がなぜ別れ別れにならねばならないのか。北朝鮮の民がこの歌を歌うときそれは望郷の歌となり、南北統一を願う歌になる。


けれど僕は朝鮮の歌だと割り切ることができないでいる。

「誰が祖国を二つに 分けてしまったの」

1945年。日本が戦争に敗れてそれまで植民地支配をしていた朝鮮半島から撤退した。
その後38度線を境に北はソビエトの後押しを受けた金日成、南はアメリカの後押しを受けた李承晩が「統治」した。ここに同一民族の二つの国家が生まれていく。
5年後の1950年アメリカとソビエトの冷戦の激化から両国は朝鮮戦争(動乱)で激しく争うようになる。このとき多くの民たちが同族同士争い、その後の行き来さえままならぬ状況に追い込まれていく。

直接にはアメリカとソビエト(及び中国)とが二つの国家に分けた張本人ともいえるが、その背景には日本による植民地支配がある。日本も決して無関係ではない。

でも……
政治の話の中でこの歌を持ち出すと、ことの本質は見えなくなってくる。
僕はこの歌を、心の国境として受け止めたいと思っている。
誰にでも人と関わろうとして関われない垣根を持っているものだ。この心の垣根が互いの存在を尊重するものとして機能している分には必要なものだろう。でもその垣根にこだわるがゆえに他人を拒んだり、攻撃をしたりということを我々はついやってしまう。

人と人が虹という掛け橋を介して通じ合えるようにという願いを込めてこの歌を歌い。
朝鮮半島の人たちの歌であると同時に、日本人一人一人に通じる歌。僕自身の心に通じる歌。そんなイメージで歌っている。

(ジョン・レノンの『イマジン』と『イムジン河』をワンセットにして歌っているのは決してごろ合わせだけではないのです)

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