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2005.02.11

建国記念の日 に思う

最近は「建国記念の日」がきても当たり前のことのように扱われている。
人に誕生日があるように国に建国記念日があっても当然ではある。
けれどなぜ2月11日でなくてはならないのか?
僕はいまだにそれを合理的に説明できる理由を見つけ出せないでいる。
毎年この日を迎えるたびに胡散臭いものを禁じえないでいる。

そもそも2月11日は神武天皇が即位した日で、明治5年に政府が紀元節として制定した日だという。その後2月11日を期して明治20年に大日本帝国憲法が発布され、大正15年からは建国祭が執り行われるようになり国民に「定着」していった。

まずここで疑問1.
神武天皇って歴史上実在したの?
伝説上の人物という考え方が通説。(第1代神武天皇から第9代までは架空の天皇という見方もあるらしい)
他方で古事記や日本書紀は神武天皇の史実を反映しているという考え方もある。
いずれにしろ歴史的には検証されていないことに変わりはない。

疑問2
なぜ2月11日なのか?
BC660年1月1日に神武天皇が即位したといわれていることに端を発している。しかし明治政府が天皇制を固めると同時に西洋化によって急速な国力の増強も図っていた。その一環として太陽暦の導入があった。「王政復古」と「西洋化」のジレンマから苦し紛れに換算して割り出したのが2月11日ということになる。(下記引用参照)


紀元節
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
紀元節(きげんせつ)は、かつての祝祭日の中の四大節(紀元節、四方節、天長節、明治節)の一つ。2月11日。

日本書紀に、紀元前660年1月1日に神武天皇が橿原に宮を建てたとの記述があることから、明治政府がこの日を日本の建国を祝う日と定め、日本の紀元の始まる日であるとして紀元節と名付けた。明治5年11月15日(1872年12月15日)の太政官布告で1月1日を紀元節とすると定め、1873年1月1日をもってグレゴリオ暦に改暦されたので、その年の旧暦1月1日に当たる1月29日に紀元節の行事を行った。
しかし、これにより、旧暦の正月こそが正しい正月だという解釈が広く行われるようになってしまった。この国民の反応を見て、これでは国民が新暦を使わなくなると危機感を持った政府は、神武天皇即位の日を新暦(グレゴリオ暦・陽暦)に換算して、紀元節を新暦の特定の日付に固定しようと考えた。水戸家の『大日本史』編集員であった藤田一正が、推古天皇以前の時代の日付について元嘉暦がずっと過去にも行われていたと仮定して逆算し、2月11日という日付を算出した。翌年からは2月11日に実施されることとなった。

建国の日をいつにするべきなのか?
たとえばアメリカ合衆国はイギリスからの独立の日を記念日としている。
韓国にしても日本の植民地支配から解放された8月15日が建国記念日になっている。
現在ほとんどの国家は歴史的整合性のある日を(近代国家として歩き出した日)建国記念日としている。非常にわかりやすい。
これはほとんどの国が諸外国との関係で国家としての浮沈を絶えず繰り返してきた結果なのだろう。つまり他国に対する建国宣言である。(フランスは市民革命勃発の日のため内部的要素が強いかも…)
これに対して日本は極東の島国として幸か不幸か諸外国に支配された経験がなかった。この結果明確に建国の日を制定しにくい。(階級闘争の結果としての革命も日本には存在しなかったので国民的に合意を得られる日というものも制定しにくい)

いずれにしろ明治政府は近代国家の体裁を整え、なおかつ早急に諸外国と対等の力をつけるために国民をまとめる必要があった。そのために天皇制でいくしかなかった。それで神武天皇である。

僕は歴史家ではないから神武天皇の存在の検証をするすべはもっていない。また神話や伝説を根拠に建国記念とするのも悪くはないなと思っている。(韓国は日本からの独立記念日・光復節とは別に、伝説上の檀君王倹が古朝鮮王国(檀君朝鮮)を建国した日を開天節としている)


問題は政府による紀元節の位置づけと目的にある。
僕の親の世代は(大正~昭和初期の人たちです)歴代天皇の名前を子供のころから暗誦させられている。母は小学生だった僕を捕まえてはまるで呪文を唱えるように歴代天皇の名をそらんじては得意げに笑っていた。
「ジンム~スイゼイ~アンネイ~イトク~コウショウ~コウアン……」
明治以来何十年もの時間をかけて築き上げられた「天皇=国家元首=神」という思想が末端の国民にまで浸透していったひとつの証左だろう。
かくして天皇の名によって日本は軍国主義の道を突き進んでいく。近隣の朝鮮や中国、東南アジアを支配しさらには大国アメリカにまで牙を向いていく。これをとめられるものは一人もいなかった。少しでもそんな動きをしようものなら「非国民」のレッテルを貼られ「赤」あつかいされた。その結果は憲兵に捕まり営巣送りというわけだ。(僕の父は旧制中学時代に学徒出陣に沸き立つ学友に対して「学生はペンを持て」と言ってぼこぼこにされたそうだ)

話は横道にそれるが北朝鮮のキム・ジョンイルを天皇に置き換えてみよう。今われわれの眼にあまりにも異様に映っている北朝鮮って60年前の日本に通じるものがあるんじゃないかなって気がする。
「天皇陛下、万歳!」と言って散っていった当時の若者たち。「将軍様、万歳!」を唱える北朝鮮の若者たち。立場、時代は違ってもおかれている環境は似てやしないか?


戦後、立憲君主制は廃止され「主権在民」の世の中に変わった。天皇は国民の象徴となり、紀元節も廃止された。

ところが戦後10年足らずで「紀元節」復活の動きが生まれた。さまざまな紆余曲折を経て1966年12月8日に施行された。太平洋戦争に突入した1941年12月8日から数えてちょうど25年目のことだった。
この動きと足並みをそろえるようにして再軍備の動きも始まっていた。1950年朝鮮動乱のとき警察予備隊として復活し、1954年(昭和29年)には自衛隊法が成立している。

そこには何者かのある意思を感じざるを得ない。その意思は完結に向けて今も着々と、いや急速に歩き続けている。
建国記念日に感じる胡散臭さは、そのためなんだろう。


建国記念日は国民にとって必要なものではあろう。何を持って建国とするか、その国の姿勢が明確に顕されることは国際的にも国内的にも重要なことだろうと思う。
敗戦から新たな道を歩き始めた日本が、神武天皇即位の日にこだわる必要性があったのか。むしろ日本国憲法発布の日を建国の日となすべきではなかったのか。(世界中のほとんどの国が近代国家として歩き出した日を建国の日としている!)

いやもしかしたら日本はいまだに近代国家として一人歩きできていないのかもしれない。アメリカという保護者の背中を見ながらよちよち、おどおど歩いているボンボンなのかもしれない。

風化しつつある「建国記念の日」。日本が「本当に私たちの国だ」と誰もが胸を張って語れるように、今一度議論する必要があるのではないだろうか。

35年前のあの歌が いまだに僕の心からはなれずにいる。

雲にかくれた小さな星は
これが日本だ 私の国だ
若い力を体に感じて
みんなで歩こう 長い道だが
ひとつの道を 力のかぎり
明日の世界を探しにいこう


   『遠い世界に』


まとまらない思いのままにまとまらない文章になってしまった。
ご意見、ご批判もあるでしょう。皆さんのお考えをお聞かせ願えませんでしょうか。

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