« 2004年12月 | トップページ | 2005年2月 »

2005.01.31

買い食い

「イーグル文京」のドーナツパンを久しぶりに食べた。

仕事場に向う道を歩きながらドーナツパンをほおばる。ゆっくり噛みくだし、口の中に広がる甘さを楽しむ。

すれちがう人が視線をそらしていく。
後ろから歩いてきた同僚の女の子が困ったような顔をして追い越していく。

50過ぎの親父が何をガキみたいに買い食いしているのだといわれそうだが、ガキの頃からの習慣なのだからしょうがない。

アンパンやドーナツパンって(豆パン・ジャムパンの類も)買い食いしながら歩くのが一番うまいと思う。
ゆっくり歩きながら、その歩調に合わせるようにかみしめる。空を眺めたり、足元の植え込みなんか眺める。
なんとなくほっとするのは、子供の頃の買い食いの記憶が体に刷り込まれているからだろうか。

多分いくつになっても、買い食いはやめられないと思う。


(→パン屋「イーグル文京」とドーナツパンについての記事はこちら)


200501310837.jpg

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

織歌座でジャズを聴く

200501301806.jpg


久しぶりにジャズの演奏を聞きに行った。
三郷の「織歌座」(旧「夢現」)
毎月最終日曜日に「セッションライブ」をやっているそうで初めて足を運んだのだが内容はジャズ。

アマチュア・ジャズメンが集まり延々と入れ替わり立ち代りで演奏を続けていた。アマチュアといってもプロはだしの人たちばかりで楽しめた。

ただ聴衆=演奏者という状態なのでもっと広がりを持たせたほうが良いのになと感じた。演奏はできないがジャズを聴きたいという客層はたくさんいるはずだ。
そういう人たちが入りやすい雰囲気がもっとあれば良いのに。

昔演奏していたライブハウス「ぶどうの木」がミュージシャンのたまり場になり、一般客が入り込みにくいという雰囲気があった。結局経営がうまく行かず店を閉めたのであるが、その最大の要因はジャズを聞きたい一般客の取り込みができなかったことにあった。店の存続をかけた経営側と所属ミュージシャンの話し合いは、僕にはつらい思い出だ。

カラオケ人口が増え、自分が歌いたい、演奏したいという人が増えた。ライブハウスにとっては受難の時代なのかもしれない。それだけに店とミュージシャン、そして一般客の関係は大切になるのだろうと思う。

ジャズに身をゆだねながらそんなことを考えていた。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.30

街角ライブ 1月29日 スイングアウト

先週は風邪のためお休みでした。
まだ完調とはいかないけれど、MIKUさんがオカリナ持参で遊びに来るとのことなので少しゆっくり目に「出勤」。
いつもの場所ではアンプやパーカッションなど機材を持ち込んだ若者たちがたむろしていました。時々かち合う連中がもう演奏を終えたのだと思いセッティングしていると彼らも準備を始めたので話しかけてみました。いつもの連中とは違うグループで、交渉の上彼らに先に演奏してもらうことに。

「ひよこ豆」というグループで、ボーカルの娘さんを中心にギターのお兄ちゃん。箱型のパーカッションのお姉ちゃんの3人組。うまいなと思いました。ボーカルの太い声に他の二人の抑えたハーモニーがうまくマッチしているという感じ。
ただ演奏を始めてまもなく警備員から「苦情がでている」との規制が入ってしまい、アンプラグドにせざるをえなくなりました。演奏を始めてすぐにこれはやばいと僕も思っていた矢先の出来事でした。
「ひよこ豆」はうまいけれどそれを演出する点で、新越谷のコンコースという条件下ではアンプは要らないと感じました。それほどボーカルが力強い。アンプラグドの演奏でも人がたくさん集まったということはインパクトが強いということです。これが彼らの魅力になっていくんだろうと思います。
CDもすでに出しているとのことです。これからが楽しみのグループだと思いました。

200501291940.jpg

彼らの演奏が終わり僕も少しちょろちょろ音を出し始めたのですが、場の空気がすっかり『ひよこ豆』になっていたので本格的に始めるまで30分くらいかかってしまいました。

不思議なもので「場の風」というものがあります。力のある人の演奏に聴衆が反応し路上ライブとして成立すると「場の風」が吹くのです。そうなると風が吹き止むまではなかなか空気が変わりません。そんな時無理に演奏してもうまくいかないものです。昨日がそんな感じでした。いったん場が落ち着くまで待つしかないのです。


さて、そんなわけでいつもより2時間遅れのライブ開始。
待っててくれた人も何人かいて、お待たせしましたという感じで一気に全快!
先週休んだおかげで、何曲か新しいレパートリーも用意できました。今回は新曲を中心に選曲。
特に従兄弟のenta古池幸介の曲を何曲か。
それと先日なくなった北原謙二さんの『若いふたり』も。

でもやはり最大の盛り上がりはリクエストアワー。お客さんのリクエストにお応えして歌っていくうちに、だんだん一緒にスイングアウトしていくのが最近のパターン。今回もアメリカンフォークソングやらグループサウンズ特集やらで楽しませていただきました。

ある方がこんなことを言ってくれました。

「古池さんのライブはほかの若者たちと違って、お客さんとの距離が近いよね。」 「ライブが一方通行じゃないところが魅力」

ありがたいご指摘です。歌を通してのキャッチボールを目指している僕としてはそういう評価が一番嬉しい。

今回のお客さん。

『ぶどうの木』時代に時々一緒にやったkuriharaさんたち。一緒に盛り上がってくれてありがとう。
makoちゃんとお友達。じっくり聴いてくれてありがとう。
お名前は知らないけれど、すべての歌にハーモニーをつけてくれたお兄さんありがとう。嬉しかったですよ。
毎回、1曲1曲データをとり、チェックしてくれているsisidoおじさんありがとう。
美空ひばりさんの歌をリクエストしてくれたお二人組み。『川の流れのように』もっと歌いこんでおきますね。
すぐ脇の地べたに腰を下ろして、一杯やりながら聴いていてくれたおじさん。体冷えなかったかい?
それに付き合って一緒に飲みながら聴いてくれた若いアベック。いつもありがとう。
札幌出身のお兄さん。お茶の差入れどうもありがとう。今度ジンギスカン食いにいきましょう。
オカリナを持参してきてくれたMIKUさん。今度は一緒に演奏しましょうね。
その他通りすがりのたくさんの皆さん。どうもありがとう。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.27

若いふたり」歌手の北原謙二さんが死去(読売新聞)

@nifty:NEWS@nifty:「若いふたり」歌手の北原謙二さんが死去(読売新聞)


北原謙二というと『若いふたり』がすぐ浮かんでくる。
小学生の頃、やたらくちずさんでいた。

チャン チャン チャチャチャ チャン チャ
チャン チャン チャチャチャ チャン チャ

ドドンパのリズムがなんとなくウキウキさせてくれた。

幼い頃に流行った歌なので、もっと高齢の方だと思っていた。享年65歳はちょっと意外だった。

「街角ライブ」で『若いふたり』を歌わせてもらうことにする。
僕が幼い頃に出会った忘れられない歌として。
-------------------------------------

   若いふたり

君には君の 夢があり
僕には僕の 夢がある
ふたつの夢を よせあえば
そよ風甘い 春の丘
若い若い 若いふたりのことだもの


君には君の 歌があり
僕には僕の 歌がある
ふたりが歌を おぼえたら
たのしく晴れる 青い空
若い若い 若いふたりのことだもの


君には君の 道があり
僕には僕の 道がある
ふたりの道は 遠いけど
昨日も今日も はずむ足
若い若い 若いふたりのことだもの

-----------------------------------------

ご冥福をお祈りします。

北原謙二さんについてのサイトはこちら

| | | コメント (1) | トラックバック (0)

2005.01.23

『北の零年』 見てきました

3代にわたる蝦夷っ子だった僕としては、ぜひ見たかった映画でした。
僕のじいさんの代の人たちが内地から北海道に渡ってきてどんな思いで人生をやり直したのか?

北海道から内地に移り住んではや30年の僕としては興味のあるテーマでした。

僕のじいさんは商人でした。
果たして渡道して最初から商売をやっていたのか?
それとも土地を開墾してそこから身を起こしたのか?
今となってはわからないことだらけなのですが、少なくとも『北の零年』の中に当時の状況の一端が描かれているのではないかと思っていました。

今はまだ評価を下せる段階ではありませんが、そんな興味を満足させてくれる内容の映画でした。

内地で生まれ育った方はもちろん、北海道に住む方もぜひご覧になられることをお勧めします。

⇒『北の零年』オフィシャルサイト

| | | コメント (0) | トラックバック (1)

2005.01.21

『赤い月』

高島礼子主演の『赤い月』をDVDで観た。
なかにし礼の自伝的小説をドラマ化したやつだ。常盤貴子主演の映画も観たが高島礼子の方がはるかに面白かった。


小樽から満州に渡り軍部相手に日本酒の製造で成功をおさめるが、敗戦で全てを失い命からがら日本に引き上げるという内容。実際主人の森田勇太郎は引き上げのさなか長年の心労で病気になり命を落としてしまう。

「お国のために」自らの命を賭して闘う軍人や、自分のみが生きながらえることを潔しとせず捕虜になる志願をする勇太郎。

主人公・波子はそんな男たちの「美学」とは裏腹に「生」に執着し、激しく生き抜いていく。その過程で直面するさまざまな人間ドラマ。

「生きて、生きて、生きて、生き抜くのよ」

「母よ、あなたの人生は、激しくも、残酷で、美しい」

戦争、敗戦、引き上げという極限状態を背景にさまざまな人間模様を通して、『生きる』ということの意味を強烈に問いかけてきた。

⇒ 『赤い月』のサイトはこちら

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.16

『ENTA巣』のホームページから

いとこのエンチャンのお店、居酒屋『ENTA巣』のホームページにとってもいい文があったのでご紹介します。

オヤジシンガーとしてはたえず気がかりなこと。
それはいつまで続けられるんだろう・・・?ってことです。
気持ちの中では体の続く限り、声の出る限りなんて思ってるんですが…
でも50歳を過ぎるといろいろ出てくるしね。

てなことはほとんど考えたことないんですが…

オヤジを通り越してジジ、ババミュージシャンの熱演にふれたりすると、涙が出てきますよね。
「よし、俺も!!」 と、単純に思ってしまうのです。

結局、長く続けているからこそ、しつこく歌い続けているからこそ
ジジ、ババミュージシャンでいられるんでしょうね。

では エンチャンワールドをどうぞ。

---------------------------------------------------------

寒いけど、いい天気が続いてますね~。............ いい天気だけど、寒いですね~。........ どっちだ?

正月気分が抜けてないのか、ボケてんのか判んない感じなのに、
さっさと連休なんか有るし....曜日の感覚もズレちゃって.....。

成人式かぁ..........ず~っと、成人やってるしなぁ。.........
若者たちは、立派に成人して、早く 「シブ~い酒呑み」になって下さいね~。

ところで、こないだ、BBキングの新しいDVDを見たんですよ、
2003年のTVショーのライブらしいんですが、かなり久々のライブで、
思いっきり太っちゃったから、イスに座ってギター弾いて唄ってるんですけど........いいですね~。

昔のパワフルなBBとは、また違った、以前にも増して、何回りも大きくなった「包容力」を感じさせてもらいました。

..........素晴らしいなぁ。..........年期ってのかな.......。

なんだろ、BBに限らず、いつも感じるオジサンたちの熟年のカッコ良さは......。

最後までカッコ良かった レイ・チャールズ、フランク・シナトラ、カウント・ベイシー、サラ・ヴォーン、アマリア・ロドリゲス...........。

...........その他にも、けっこう長生きしたヒトたちが、「生涯現役」で見せてくれた「生き方」には、ただただ....尊敬!

イブライム・フェレール、シャルル・アズナブールは、まだ頑張ってくれてますね~。
うんと長生きして欲しいですね~。

若さのカケガイの無さは、充分に実感ながらも、
素敵にトシを重ねて見せてくれる本物のオトナたちがくれる夢と希望は、
ひとりにヒトツの「それぞれの 愛すべき人生」を応援してくれちゃうんですね~。

............いいなぁ.......感謝だなぁ、YEAH!

私らも なるべく長生きして、やることやって、いつか なるべくカッコいいジジババになりましょう~。

カゲながら..........成人式おめでとう~!

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

雨 街角ライブ

天気予報では雪のはずだったのに、あいにくの雨。
それもけっこう本降り。

こんな日のライブはめいりますね。
機材や楽器を濡らしちゃいけないとか、人通りが少なくて寂しいライブになりそうとかいろいろ考えちゃうんです。
この季節の雨は冷たくて、親父シンガーにはちときついものがあったりして…。

でもこれが雪だったりするとはりきって出かけるのです。
「犬は喜び庭かけまわり・・・」の心境かな?

そんなくすぶった気分で新越谷駅にやってきました。
いつもの場所ではすでに若者3人組がライブをやってました。
とりまきのファンの娘っ子がたくさんいてにぎやか!
彼女らは3人組のライブの追っかけなんでしょうな。
追っかけられた経験のない親父シンガーとしてはいじけるばかり・・・
でもこの3人組、けっこう魅力的な音楽をやってました。
ギターとベースとパーカッションの組み合わせなのですが、厚みのあるそれでいて重たくない感じがGood!

彼らの演奏が終わるのを待ち、余韻にひたる娘っ子らがいなくなるのを待って演奏開始。
でもなんとなく気分が重くて集中できない時間が続いてしまいました。
イカン、イカンと思うのですが、なかなか浮いてこない。
選曲も冬の歌がメインということもあり、暗め・寂しめ・重ため。
明るい冬の歌って本当に少ないですね。

ますます沈んでいく気分に待ったをかけてくれたのは半年ぶりに聴きに来てくれた人。(お顔は覚えているのですが、お名前だけが思い出せません…)
彼は30代半ばなのにフォークソングについてものすごく詳しい人なのです。僕もたじたじとするほど。
その彼が次から次へとリクエストをしてくれて。するとけっこうたくさんの人が足を止めてくれてリクエストアワーに。

こうなると気分が一気に上昇し、声まで出てくるから不思議です。
やがてアメリカンフォークソングのリクエストがかかり、ボブ・デュランやP.P.Mを。
すると違った客層(50代半ばの青春時代をアメリカンフォークで過ごした人たちが足を止めてくれるようになり、しまいには『悲惨な戦争』や『500マイル』のコーラスになってしまいました。
いわゆるスイング・アウトってやつです。

小一時間もそんな時間が続き…。こうなるとがぜん面白くなってきてね…。
気分が重くて、沈みがちだったライブ前半がどっかに飛んでってしまったのでした。

それではみなさん
また来週…

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.14

戸田 百歩ラーメン

不思議に余韻がのこるラーメン。最初の一口はごく平凡な味だった。高菜を少し乗せただけで一気に味が変わった。微妙に相性がいい。200501142123.jpg

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.12

霜 寒い朝

年が明けてから寒い朝が続きますね。
30分自転車を漕ぐと指先が痛くなる。

200501120752.jpg

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.11

今日は鏡開き

鏡開き(かがみびらき)とは、正月に年神に供えた鏡餅を雑煮や汁粉にして食べ、一家の円満を願う行事である。鏡割り(かがみわり)ともいう。

武家社会の風習だったものが一般化した。刃物で切るのは切腹を連想させるため、手で割ったり、木鎚で砕いたりする。また、「切る」という言葉を避けて「開く」という縁起の良い言葉を使っている。(全文はこちら→鏡開き - Wikipedia


そもそも鏡餅とは?

----------------------------------------------

今日は鏡開き。

我が家から鏡餅が消えて何年になるだろうか。

何年か前に開きそこなった鏡餅が戸棚の中で年を越してしまったことがあった。
今の鏡餅はプラスチックの包装がされているからかびない。いやかびても見えない。
さすがに1年以上放置された鏡餅は捨ててしまった。

多分それからだろう正月の習慣とは疎遠になっていったのは。


我が家だけのことではないらしい。

テレビの特番で「お正月の習慣が希薄になった」と嘆いていた。

おせち料理を作る家庭も減っているそうだし、門松やしめ飾りをしている家も本当に少なくなった。
そういえば昔はお正月というと日の丸を掲げる家が多かったけど今年は1軒も見なかった。
テレビの中ではためいている日の丸を国立競技場に見たけれど。(サッカーの天皇杯決勝)

「おせちに飽きたらカレーもね」なんてコマーシャルも昔あったっけ。まだおせちを作る家が主流だからこそ生まれたコマーシャルなんだろう。

テレビのインタビューで40代くらいのお父さんが言っていた。「うちの正月は焼肉屋で始まります」

我が家に残っている正月文化といえば、雑煮を肴にお屠蘇でいっぱいくらいかな?


日本の伝統文化を継承するってことは大切なことなんだろうけど、現実から乖離した文化ってのもなんだしね…。

せめて伝統文化に意味だけでも折に触れ確認しましょうか…。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.05

今年の『街角ライブ』のテーマは?

今年は埋もれた名曲の発掘に力を注ごうかなと思っています。

3年目の『街角ライブ』ですが、今までも柱がいくつかありました。
①季節の歌を中心にプログラムを組む。これは僕がライブ活動を始めた頃からの基本姿勢です。もう15年くらいこのスタンスでやってきました。
②好きな歌、マニアックな歌、オリジナル。これはもう完全に僕自身の好みの世界。
③リクエストの多い歌を歌う。これはどちらかというと聞いてくださるお客さんサイドに立った選曲です。このおかげであまり演奏をしたことのない歌をたくさん覚えることができました。
④かくれた名曲を発掘して歌う。

大まかに分類するとこの4つの柱を組み合わせてプログラムしてきました。

『街角ライブ』の1年目は季節の歌を縦糸に好きな歌をメインにしてきました。
2年目の去年は季節の歌はそのままにリクエスト曲が多い展開でした。

昨年末忘年会で1年ぶりに顔を合わせたFさんと音楽談義をしていて彼がこんなことを言い出しました。

「古池ちゃんは歌詞を大事にする人だから分かると思うけど、『街角ライブ』で歌詞を表示する方法は何かないかなぁ。残しておきたい歌、歌い継ぎたい歌、埋もれてしまうにはあまりにもったいない歌、忍びない歌っていっぱいあるじゃない。そういう歌を古池ちゃんのライブでやって欲しいんだ。メロディと一緒に歌詞を歌い継いで欲しいんだ。」

Fさんとは10年くらい前に『微笑をあなたに』という二人で作った歌があります。詩を彼が書いて僕が曲をつけたものです。それぞれの子供たちが通っている中学校のテーマソングとして作られた歌でした。
その時から音楽に対する共通のアプローチを感じていました。彼の提案は充分納得のいくものでした。僕のスタイルもいわば『温故知新』という部分があり、そのやり方を励まされた格好にもなり今年のテーマにしようと思ったしだいです。

フォークソングのアプローチっていろいろあると思います。
オリジナルを追求する行き方が主流になっていますが、フォークの源流には人々に歌われていた歌を発掘するという行き方もあります。
アメリカでは1930年代にA.P.カーターという人がそれを実践しました。アメリカを旅して歩き各地に埋もれていた歌を発掘してはレコーディングするという作業です。発掘された歌はオリジナル・カーター・ファミリーによって歌われ、後のフォークシンガーに大きな影響を与えています。ウディ・ガスリーやピート・シーガーもその一人です。
ちなみにカントリーミュージックやフォークソングのギター奏法に大きな影響を与えた「カーター・ファミリー・ピッキング」はカーター・ファミリーのメイベル・カーターによって編み出された奏法です。このカーター・ファミリーの子孫は今でも活動を続けています。(来日もしています)

カーター・ファミリーの話を長々としたのは、僕の中にA・Pカーターさんのやり方に共鳴する部分が大きく、いずれは本腰を入れて取り組みたいと思っていたテーマだからです。ただ日本の場合アメリカとは音楽事情がかなり違うのでどういうアプローチでそれをやればいいか迷っていました。

Fさんとの話の中で感じたことがあります。こだわる必要なんかないということです。フォークシンガーとしての僕のフィルターを通して心にすとんと落ちる歌であればOKということです。
自分が感じる歌を、自分の解釈で、自分なりのアレンジで歌えればそれでいいのかなと思っています。
そういう1曲1曲を大切に歌い継いで行くことを今年の『街角ライブ』のテーマにしたいと思います。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

母と過ごした正月休み

もうすぐ80歳になろうとする母親が函館から出てきた。
我が家の年中行事である。父が亡くなってから一人暮らしをしている母は関東に散らばっている子供たちのところを渡り歩いて正月を過ごすのだ。普通ならば子供たちが里帰りをするものだが、母は「あんたたちが来ればお金かかるっしょ。私が行けば一人分ですむ」と言って自分が体を運んでくる。


毎年正月の間だけ寒い北海道から暖かい内地に飛んでくる。まるで渡り鳥のようだ。さすがに最近は体がくたびれてきたようだ。膝が悪いため杖は欠かせないのだが、今年は我が家に折りたたみ式のコンパクトな車椅子を送りつけてきた。まだ杖で大丈夫と言いつつも、状況によっては必要になるかもしれないとの配慮からだ。(転ばぬ先の杖どころではない!)試運転と称して土浦に住む知人を訪ねた折に車椅子で移動した。車椅子を押しながら目頭が熱くなるのを禁じえなかった。でもそれは親不孝者の勝手な感傷。母は「らくちん、らくちん」とはしゃいでいた。


母を見て人生いかに生くべきかを考える。杖を突きながらえっちらおっちらやってくる母に「なんもそこまでして来っことないべさ」とは言えない。母は自分が心身ともに衰えた時、何かに頼りたくなるのを恐れているのだろう。必死に自分と闘っているのだと思う。何かを頼りだしたらそこで崩れると思っているようにも見える。だから東にパソコン教室があれば行って習い、西に水泳教室があれば行って習い、北に野外劇があると聞けば行って鑑賞する。そして南に子供たちがいれば行って煙に巻く。


今人生の『秋の時代』を生きている僕が、年老い『冬の時代』を迎えたた時、彼女と同じように好奇心を持ち続け、自分の体を動かし続けることができるだろうか。

「がんばんなさいよ!」

子供の頃ことあるごとに母に言われ続けてきた言葉だ。当時は耳にたこができていて、まさに馬の耳に念仏だった。老いと闘いながら生きている母の姿は身をもって生きる姿勢を見せてくれているような気がする。
母と別れ際に交わした握手。手のぬくもりを通して無言のうちに言われたような気がした。

「がんばんなさいよ!」


函館 旭ケ丘の家 レジダント

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2004年12月 | トップページ | 2005年2月 »