« 2004年10月 | トップページ | 2004年12月 »

2004.11.28

街角ライブ 11月27日 寒風の中で

風邪をひいてしまった。
早く始めて早く終わろうと思い、6時に音を出した。
不思議なものだ。歌い始めは声も気分も重かったのに、時間がたつほどに調子がうなぎのぼり。
結局、11時半まで歌いきってしまった。

先日ある方から1本の電話をいただいた。去年嫁いだ娘さんが結婚記念日の前々日交通事故で独協病院に入院されているそうだ。かなりの重症で長期戦になるとのこと。看病のため青森から出てきている彼女は心身ともに疲れ切っているようす。偶然聴いた『街角ライブ』で心が癒されたとのこと。
「私のようにあなたの歌を聞いて癒される人がたくさんいるはずだから、がんばって続けてください」
かすかな津軽弁をしのばせながらそう言ってくれた。(僕も函館出身。津軽弁の流れを受けている)

先週はさびしいライブで気落ちしていたが、そんなことがあり今週は力が入った。

ライブの方は途切れることなく聴いてくれる人がいて、大きな盛り上がりこそなかったが充実した内容になった。

1年ぶりに現れた三郷のまるやま君に15分時間を上げて演奏してもらった。バンドを結成しそちらの活動が重点になっているそうだが確かにもまれた跡は感じられた。

昔世話になった上司(ASANO氏・YOKOKURA氏)が偶然通りかかり声をかけてくれた。驚いたというか照れくさかった。

寒いだろうといって座布団を差し入れてくれた北海道出身のおじさん、ありがとう。
お花をくれたおばさんありがとう。
ニコニコしながら最後まで付き合ってくれたカップル。ありがとう。
ジュリーのコピーバンドをやってるという人、一緒に歌ってくれてありがとう。
同年代の元フォークシンガー。オリジナルを披露してくれてありがとう。フォークジャンボリーの香りがしましたよ。

寒風の中で譜面は飛ばされるは、体は冷えるはで結構大変だったが無事終了。


| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.11.27

買っちゃった!

エブソンの複合機。
確かに便利。
確かにきれい。
今まで活躍してくれたキヤノンは下取りしてもらった。
それにしてもあの下取り価格の情けなさはなんだ!
悲しくなった。

200411271643.jpg

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.11.25

三島由紀夫割腹自殺から34年

1970年の今日、11月25日。三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊駐屯地に立てこもり世に檄をを飛とばし割腹して果てた。

当時高校生だった僕はテレビに映し出される三島の映像を見てショックを受けていた。
「なぜ三島が…?」
思いはこの一点に集中していた。
「文学青年」を気取っていた僕は『金閣寺』の三島由紀夫と『楯の会』の三島由紀夫がどうしても結びつかなかったのだ。

1970年。世情は様々な話題で揺れていた。
3月には赤軍派による「よど号ハイジャック」。
4月には大阪万博の『太陽の塔』占拠事件。(アイジャック)
べ平連による座り込みデモ。
樺美智子さんの追悼集会での騒乱事件。
全国で左派、新左翼による70年安保反対のデモが展開される。
そして6月23日の安保条約自動締結になだれ込んでいく。

国の方向性をめぐっての激動の1年だった。
70年安保闘争が「敗北」に終わり、闘争課題を失った新左翼内の「内ゲバ」が激化し始めたのもこの年だった。

激動の1970年を締めくくるようにしておきたのが「三島事件」だった。それまでは「左翼」からの攻勢だったのが一転して「右翼」からの攻勢というイメージでもあった。
左翼については人並みに知識をもっていたのだが、右翼についてはまったく知らなかった。まして右翼と三島がどうつながるのか。青天の霹靂だった。

アメリカからの本当の独立を勝ちとるため、自衛隊は立ち上がれ。あと二年の内に自主性を回復せねば自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであろう。

こんな内容の檄を飛ばした三島だが、僕の目にはアナクロにうつっていた。何しろ自衛隊の存在そのものが憲法違反として問われていたご時世だったから。

今思うと、日米安保条約で日本がアメリカの核の傘の下に入ることが確定した1970年。独自の自主的軍隊として自衛隊に決起をせまった三島もまた安保闘争の落とし子だったのかもしれない。

あれから35年近い時が流れた。

素人の浅はかな感想を率直に言わせてもらおう。
北朝鮮の核の影におびえ、拉致事件に断固たる対応が取れない日本。
アメリカの要請でイラクに自衛隊を派遣している日本。

これって、アメリカの傭兵とは違うのかな…?


| | | コメント (0) | トラックバック (1)

2004.11.24

進化論と米大統領選

北海道新聞 卓上四季

(11月24日)
現代進化論の始祖、ダーウィンが「種の起源」の初版を出したのが、百四十五年前のきょうである。当時は神が万物を創(つく)ったとする世の中。旧約聖書の創世記を真っ向から否定する内容は大反響を呼んだ▼ダーウィンも「万物を創造したのは神」と信じていた。それが、ビーグル号による船旅の途中で、ガラパゴス諸島に生息するゾウガメの違いから進化論が芽生えてゆく。航海後、種の進化についての試論をまとめたのだが▼さて、今回の米大統領選。この進化論が、ブッシュ氏の再選と関係があるというのである。たとえば米紙ニューヨーク・タイムズのコラム。進化論を否定する宗教右派の投票を増やしたことが、決定的な勝因になったという▼進化論は、いわゆるキリスト教原理主義者にとっては受け入れがたいものだ。妊娠中絶や同性結婚、死刑廃止、反戦運動も同じである。これらを主張する人々をリベラル(自由主義者)と侮蔑(ぶべつ)した▼思い出すのは一九八八年の大統領選である。このとき米国にいたのだが、父親のブッシュ陣営の対立候補のデュカキス・マサチューセッツ州知事に対するリベラル攻撃は、すさまじかった▼今回の選挙でも、同様の戦略があったそうだ。ケリー氏は「東部のリベラル」呼ばわりされて、票を失ったともいわれる。宗教と科学の板挟みにあったダーウィンは、この“騒ぎ”をどう思うのだろうか。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.11.23

秋 夕暮れ

夕暮れ 川沿いの道を歩いた。
秋の夕日はつるべ落としというのは本当だ。
あっという間に夕闇につつまれてしまった。

200411231556.jpg

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.11.22

炭労解散*遺産を埋もれさせるな

北海道新聞 バックナンバー

炭労解散*遺産を埋もれさせるな(11月19日)

 日本炭鉱労働組合(炭労)が十九日、札幌で解散大会を開く。  一九五○年結成、最盛期には組合員三十二万人を数え、戦後日本の労働運動の中軸を担ったが、最後の炭鉱となった太平洋炭砿(釧路市)が二○○二年に閉山、ついにその役割を終えた。  石炭から石油へのエネルギー転換の大波を受け、産業自体が消滅した。かつてない経験だが、炭労が産業の盛衰の中で果たした役割は大きい。 (→全文はこちら

---------------------------------------------------------

子供時代、石炭ストーブで育ったぼくにはジーンとくる話。

高校の同級生には芦別や赤平の炭鉱が閉鎖されたため室蘭に流れてきた同級生も何人かいた。

時代の流れの中でいろんな産業があらわれては消えていく。

今隆盛のIT産業も多分例外じゃないんだろう。

炭鉱の仕事=危険=男が命を張る仕事

そんなイメージがある。

「男の仕事」とイメージされる仕事ってどれくらい残ってるんだろう…?

| | | コメント (0) | トラックバック (1)

2004.11.21

秋の空気

秋の空気はオレンジ色。
物哀しいけど嫌いじゃない。
なんとなく懐かしい匂いがする。


200411200959.jpg

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

半年ぶりの歯医者さん

足が遠退いてた歯医者さん。
痛くなってやっと重い腰をあげた。
できることならおつきあいしたくなかった。
麻酔をするから痛くないのだが緊張のあまり肩がこってしまった。


200411211237.jpg


| | | コメント (0) | トラックバック (0)

ぶきみなかかし

畦道を歩いていてドキッとした。
まるで落ち武者のさらし首。
すずめよりも人間に効きそうなかかしだった。

200411211345.jpg

| | | コメント (2) | トラックバック (0)

買い出しサイクリング

200411211518.jpg


市場まで10㌔。
いつもは車で行く。
天気がいいのでザックをかついで自転車。
以前はこれがあたりまえだったのに。

久しぶりの原点帰りはヘトヘトになった。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.11.20

瑞沼小学校 かざぐるまコンサート

DSCN1091.JPG


三郷市立瑞沼小学校で「オカリナ・アンサンブル かざぐるま」のコンサートをやってきました。
学校行事、「音楽鑑賞」の一環として企画されたもので、過去お琴のコンサートなどが催されたそうです。

瑞沼小学校はすぐお隣の「さつき小学校」と統合されるため今年度いっぱいで廃校になるそうです。
「三郷団地」というマンモス団地のそばにあり廃校という言葉は想像もつかないほどなのですが、それほど近年子供の数が減っているということなのでしょう。「高齢化社会」という言葉が妙に現実味を帯びて感じられました。

生徒総数役150人。1学年平均25人。体育館は本当に広く感じました。
子供たちの表情は明るく、ニコニコしながら挨拶を返してくれ、うれしかったです。

コンサートを前に先生が「みんなが静かにすればマイクがなくても先生の声が聞こえまーす」と声をかけるとそれまでざわざわしていたのがスーッと静かに。少人数ならではだなと妙に感心しました。
「かざぐるま」はこれまでも学校の体育館で何度も演奏してきたので、その経験から体育館の広さ対策としてマイクをセットしていました。でももしかしたらマイクなんかなくても充分にイケタかなとも思います。

子供が対象のコンサートなので、宮崎アニメの主題歌を何曲か入れたりしたのですが、さすがに反応があります。演奏していて手応えが返ってきてやりやすかった。子供たちの反応の仕方はさまざまでしたが、一生懸命聴いてくれているのが伝わってきました。

今回は子供たちにオカリナの音を聞かせることが趣旨だったので、歌は1曲だけ。
でも僕、Martin古池はこの1曲に全身全霊をかけましたよ。
森山直太郎君の『さくら』。
歌は卒業をテーマにした内容。今年度で無くなる学校だという思いが強くて子供たちが大きくなったとき瑞沼小学校が心のよりどころになってもらえるようにという祈りを込めて歌いました。
僕の出た函館市立青柳小学校も谷地頭小学校と合併になり、僕の体に染み付いた校歌が歌われなくなっています。正直本当に寂しい。
瑞沼小学校の校歌も今年いっぱいでなくなるわけです。でも子供たちの心の中に、記憶の中にいつまでも行き続けて欲しい。そんな願いを込めて、『さくら』のエンディングは瑞沼小学校の校歌をワンフレーズ忍び込ませたのですが、わかったかな・・・? 最前列に座っていた男の子が不思議そうな顔をして聴いていました。

   本日のプログラム
  1. 小さな世界   (ミッキーマウスのテーマ)
  2. いつも何度でも (宮崎アニメから)
  3. もののけ姫   (宮崎アニメから)
  4. となりのトトロ  (宮崎アニメから)
  5. 大きな古時計
  6. 世界にひとつだけの花(スマップ)
  7. 見上げてごらん夜の星を
  8. 夜空のトランペット
  9. コンドルは飛んでいく
 10. さくら  (森山直太郎)
 11. もみじ (唱歌) 子供たちと一緒に

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

朝霧

朝霧はすきだ。
なにもかもを乳白色のベールにつつみこむ。
見えすぎないということは大切なことかもしれない。200411200834.jpg

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.11.12

N.S.P が復活していた


叙情派フォークの代表格と言われた N.S.P(New Sadistic Pink) が復活していたなんて知らなかった!
それも一時的な復活ではなく継続的に活動を続けているそうです。

N.S.Pの歌は天野滋が描く詩の世界が魅力的で、情景が目に浮かんでくる歌が多い。
彼らが活動していたのは70年安保が収束し、プロテスト・反戦フォークが急速に力を失っていく時代でした。若者たちは社会に対する関心よりも自分自身の心の襞に目を向けるようになっていて、そんな若者の心に染み込んでいったのが N.S.P. の歌でした。

大ヒットを飛ばしたわけではないし、はでな活動を展開したわけでもありません。でもふと気がつくと若者たちの心の襞に自然に入り込んでいたというかんじでしょうか。

僕は当時プロテストフォークをしっかり引きずっていたので、N.S.P.の音楽は軟弱と感じていました。でも反面で妙に心惹かれていたものです。

『夕暮れ時はさみしそう』を初めて聞いた時、田舎の堤防 夕暮れ時に ぼんやりベンチにすわっている情景がふわっと浮かんできて、なぜか涙がこぼれてきたのを覚えています。

『あせ』はなぜだか知らないがリヤカーを引きながらツブツブのしょっぱい汗が流れ落ちている風景が目に浮かんでくる。

そして『さようなら』。コタツに丸まってみかんをむいている自分の姿を連想し…。ちょうどその頃失恋したばかりだったので妙に心に残る歌でした。(『さようなら』は以来忘れられない歌になり、冬のライブでは欠かせないレパートリーになっている)

チャンスがあれば今の50過ぎのN.S.P.の演奏を聴いてみたいものです。
30年近い時の流れを今のN.S.P.が何を感じ、それをどう表現しているのか?
同世代のフォークシンガーとしては気になるところです。


| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.11.08

おわび 瑞沼小学校の学級数について

私の勘違いで瑞沼小学校の学級数を「全校で1学級」と書いてしまいました。
これは各学年1学級の誤りです。
したがって全校で6学級だそうです。

昨日『オカリナ・アンサンブル かざぐるま』のメンバーから誤りを指摘されました。
赤面の思いです。

大変もうしわけありませんでした。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.11.04

激闘! サッカー ナビスコカップ

久しぶりにいい試合を見た。

FC東京は好きなチ一ム。原監督の積極的な采配がチ一ムに浸透している。気持ちが前に出ている小気味のいいチームだ。

浦和レッズは地元チームであるばかりか40年近く好きなチームだった。旧三菱重工の杉山隆三にあこがれ、横山謙三をお手本にしてサッカーをした。(ぼくは高校時代からキーパーだったのです)

好きなチーム同士の決勝。複雑な心境だった。

最後の最後まで八ラハラギドギド!いやドキドキ。

決着つかずPK戦にまでもつれこんだが、もうどちらが勝っても良かった。

カップ戦のおもしろさは気持ちと気持ちのぶつかりあい。技術や戦略を超えた部分にある。

堪能させてもらった。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.11.01

三郷市立瑞沼(みずぬま)小学校

昭和57年に生徒の過密解消を目指して創立された小学校だそうだ。瑞沼小学校からコンサートの話が持ち込まれたのは1ヶ月近く前だった。
ちょっと忙しい時期でもあったので、どうしようか迷ったのだが「かざぐるま」メンバーの堀さんからこの学校が、今年度で廃校になる話を聞いた。

ふっと頭をよぎったのが僕の母校、函館市立青柳小学校。数年前に旧谷地頭(やちがしら)小学校を吸収する形で合併している。両校に配慮する形で新しい校歌が作られ旧青柳小、谷地頭小の校歌は使われなくなっている。
一昨年帰郷したときその話を初めて聞いた。身体のスミまで染み込んだ旧校歌が今はもう歌われていないと知り、なんともいえない寂しさと喪失感を覚えた。

昔は山の分校が廃校になり街の本校に吸収されるというようなことがずいぶんあった。しかし最近は街の学校も生徒不足になり吸収合併という現象が起きている。

少子化の影響から三郷市も年々子供の数が減少の一途をたどっている。三郷市全体でピーク時に比べて生徒数で40%。クラス数で25%も減少したという。
瑞沼小学校も昭和58年に13学級だったのが今では6学級しかないという。(★)

廃校の話を聞き、何をさておいても出向き、コンサートを成功させたいという気持ちになった。


瑞沼小学校の統廃合をめぐって、いろいろ議論がわきあがったという。行政の対応と保護者の思いとがうまくかみ合わなかったようでもある。
当事者ではない僕はこれ以上のことは分からないし、コメントすべきでもないと思う。

廃校という事実の中で子供たちが瑞沼小学校の良い思い出を心に旅立ってほしいと切に願うばかりだ。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2004年10月 | トップページ | 2004年12月 »