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2004.10.25

食料届かない、車も人手も足りず…避難3日目

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食料届かない、車も人手も足りず…避難3日目(読売新聞)
 約9万8000人が避難生活を強いられている新潟県中越地震で、発生から3日目を迎えた25日朝、各地の役場や避難所では食料や水が配られた。しかし、配送車両や人手などが足りず、届かない事態も相次いだ。
 中越地方には25日夜、雨が降るとの予報も出ており、2次的な土砂災害の発生も懸念されている。被災者の疲労と不安は募る一方だ。

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中越地震

朝仕事に行くと親しくしている同僚 OGAWA君の姿がなかった。地震の直後、郷里の新潟それも小千谷の実家に車で駆けつけているとのこと。

大変な地震だった。僕の住んでいる越谷でも大揺れだった。僕はちょうど『街角ライブ』の真っ最中。駅ビルのエレベータが動かなくなっていた。


僕にも大きな地震の経験がある。

ひとつは昭和39年(1964年)の「新潟地震」。白黒テレビの画面の中で炎上するビルの映像が今でも記憶に残っている。小学4年の時だった。このときの記憶はこれだけだから、函館では大きな揺れや被害はなかったのではないかと思う。


もうひとつは実際に体験した「十勝沖地震」。
これは大きかった。
昭和43年(1968年)。中学2年だった。
体育の授業中だった。体育館で腹筋運動をしながら妙にプルプルするなと思っていた。筋肉が痙攣しているのかと思った直後にグラっときた。普段は怖いものなしという顔をしている体育のKON先生が血相変え、「外に出ろ」と叫んでいたのを覚えている。
この時の地震で3階建ての函館大学の1階がつぶれて2階建てになった。
中須の街 函館は元々地盤が弱いのだろう、街のあちこちで道路に亀裂が入った。
同級生のF君の家が真中から2つに裂け左右に傾いたのを覚えている。
(その後F君の家は裂け目にトタンを貼りつけて住んでいた。左右に傾いた家は住み心地がさぞや悪かったことだろう。昨年8年ぶりに函館に帰るとF君の家は跡形もなく、そこには全日空ホテルが建っていた)


先ほどOGAWA君と連絡が取れた。家族はみな無事だったそうだが家の中がグチャグチャだそうだ。

今回の地震で亡くなられた方のご冥福とともに、避難されている方の安全と一日も早い復旧を祈りたい。

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