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2004.09.26

『街角ライブ』 9月25日

6時半に新越谷駅到着。指定席では高校生のあんちゃんが先に歌っていた。8時半に終わると言うのでそれまで別の場所で歌うことにする。コンビニの裏手の壁を背にしてセッティング。視野にやはり高校生グループが歌手いるのが目に入ったのでアンプは使わず生声で。

長男が仕事帰り通りかかりしばらく聞いていた。彼の目にはいい年をして歌い続ける親父の姿がどのように映っているのかちょっと気にかかるところ。
  「声はギンギンに届いているがギターがかき消されて聞こえない」
そう言い残して帰っていった。
フィンガーピッキング主体のスタイルは街角ではやはりちょっと弱い。

いつもの場所に移動した。正確に言うとコンビニの店員からクレームがついて移動せざるをえなかった。ここのところ毎回何かしらクレームがつく。僕がということではなく、ストリートミュージシャン全体に対するクレームなのだろう。やりずらくなってきている。

例の高校生はちょうど演奏が終わったところ。先ほどのクレームの直後なのでちょっと遠慮がちに音を出す。何しろコンビニ入り口の目の前が僕の指定席なもんで。

今日は途絶えることなく聴いてくれる人がいたが、ちょっと問題が発生。ストリートライブをやる上で大きな問題点になると思う。それは演奏者としての自分と聞き手との関係。

ちょっと酒の入っている3人組が歌っている僕のマイクに割り込んで一緒に大声で歌いだしたのだ。それを見ていた年配のおじさんも「歌わせてもらえるんですか?」というやり取りになってしまた。結局は2~3曲歌ってもらった後、強引に休憩しライブは一時中断。

問題点は2つある。

①駅というシチュエーションではマイクを使って大声で歌うと容易に騒音に変わってしまう。それがクレームにつながり今後演奏できなくなることにもなりかねない。これについてはその場その場でうまく対応していくしかない。

②より本質的な問題。演奏者と聴衆の関係について。
街角でライブをやることの意味は音楽を通じてキャッチボールを交わしたいということにある。コンサートよりもはるかに身近なところで音楽を通したやりとりができるのが『街角ライブ』。
けれど演奏者と聴衆が渾然一体になってしまっては秩序は保てないばかりか、キャッチボールも成立しない。互いに違った場所にいるからこそキャッチボールができるのだ。
昔、フォークゲリラが全盛の頃演奏者と聴衆が歌を通して一体化するという考えがあった。それは70年安保とかベトナム反戦といった社会全体を巻き込んだ大衆運動があってフォークソングもその一部というようなとらえ方もあったため「一体化」は容易にできると考えられていたのだと思う。でもそれはある意味幻想であり無理があったと思われる。

どんなに近い距離で演奏したとしてもそこには演奏者と聴衆の距離がある。それは維持しなければならないものだと思う。適度な距離を維持しつつ、いいキャッチボールができるようにコントロールすることもストリートミュージシャンには求められるんだと思う。


演奏しているすぐ横で座り込んでいるお姉さんがいた。チケットピアで発売待ちをするため徹夜するようだ。
アルフィーの「My Sweet Home Town」という曲をやると話しかけてきてくれた。
彼女はアルフィーのチケットを買うため徹夜するとのこと。
  「こんなところでアルフィーの歌が聞けるとは思わなかった」
うれしそうに笑いかけてくれた。
気をよくしてアルフィーを何曲かやった。
彼女は福岡に住むというアルフィーファンの友達に電話して僕の歌うアルフィーを聞かせていた。
こういうやりとりは結構楽しい。
実は僕と高見沢は生年月日が同じ昭和29年4月18日。高見沢の書く歌にはその辺の時代背景があるというようなことを織り交ぜながら歌った。


その他の出来事。

吉田政美が声楽の練習の後現れ、「さとうきび畑」「I Love You」「OhMy Litlle Girl」を歌う。僕もハーモニーをつけ久々のコンビ復活。久しぶりということもありちょっと場の雰囲気に飲まれているようだった。
声楽を学ぶことで声を体全体で響かせることを意識しているようだった。その成果はそれなりに表れているようだ。
ただ僕の感想は吉田はもっと場数をこなすべきだと思う。彼が感じている発声上の問題点も場数をこなす中でクリアされていくようにも思う。基本をたたきこむだけではなく、「本番」という追い込まれた場所でどれだけ自分を発揮できるかということが問われてくるように思う。吉田も感じているとは思うが「本番」でしか培われないもの(歌唱法も含めて)あるのだ。


12月11日に「かざぐるま」で演奏することになっている「スペース悠々」のママさんが顔を出してくれた。
彼女はおとといの「風のコンサート」にもきてくれた。
「一生懸命」「誠実さ」が顔に表れているような人。
近々になったら「スペース悠々」でのコンサートもお知らせします。お出かけください。


ということで今日の報告はここまで。

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風のコンサート 2004秋

今回で何回目になるのだろうか。
かざぐるま」を作って7年。結成2年目から『風のコンサート』をはじめた。
今まではパーカッションやベースのあるステージだったが、吉田政美が声楽勉強の武者修行中で活動休止。
3人だけでやるのは初めて。

オカリナ2本とギターだけのシンプルなステージでどこまでできるのか。
シンプルになればなるほど正確なアンサンブルが要求される。どこまで精度を上げられるか。
これが今回のコンサートの課題だった。

脇役のパーカッションやベースにどれだけ助けられていたかを練習段階から痛感していた。
そのことでメンバー内では議論もあった。ペースメーカーとしてのパーカッションの助っ人ほしい等。

結果的に3人だけでやって正解だと思っている。
オカリナアンサンブルの難しさは、息の出し方ひとつで微妙にピッチが変わってしまうことにある。
1本で吹いているときや、パーカッションベースがあるときはそのまま気づかずにいってしまえる部分があった。
でも2本のアンサンブルということになると微妙なピッチの差が表面化する。今まで以上に互いの音を聞きあわなければ音楽として成立しない。
それが意識的にできるかどうか。「かざぐるま」として今後音楽活動を維持できるかどうかの試金石になると思っていた。

ステージの録音を聞くと技術が足りない点やミスなど多々あるが、課題は全体としてクリアされたように思う。
今後は精度をさらに高めていくことが課題になるだろう。
オカリナ2本のアンサンブルの精度。ギターとのアンサンブルの精度。これがしっかりしてはじめて他の楽器とのアンサンブルが成立するように思う。

コンサート自体は曲の構成やアレンジに工夫を凝らしいい内容になったと思っている。
昼の部、夜の部合わせて180人ほどのお客さんのアンケートにもそれが反映されていたと思う。
ほとんど全員がアンケートに応じてくれたこと。ほとんどが好意的に受け止めてくれたていたこと。さらに建設的な意見や提案が多かったこと。

ありがたいと思う。こういうお客さんに支えられているからこそ「かざぐるま」も7年間続けられたのだとあらためて思う。

最後に毎回サポートととして裏方を勤めてくれる皆さんや、音のバランスを聴いてアドバイスしてくれた吉田政美に感謝します。

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2004.09.12

『街角ライブ』 9月11日

2週間ぶりの『街角ライブ』だった。
先週は『森のコンサート』。八ヶ岳山麓で歌っていた。
わずか1回休んだだけなのだが、ずいぶん久しぶりのような気がする。

新鮮な気持ちでセッティングを済ませ、集中を高めている時、背広姿の東武の人に注意を受ける。
「この場所での演奏はやめてください。入り口のそばだと人の流れに影響します。テナントから苦情が出てます」
久しぶりの苦情だった。警備員のおじいさんに文句を言われたり、甘栗屋の親方にクレームをつけられたりしたことはあったが、そのつど演奏場所を変えてきた。もう1年以上もノークレームできただけにちょっとガクッときた。場所を移動してセッティングをやり直す。せっかく高まった集中が途切れてしまった。それでもライブが始まる前だったからまだ良しとしよう。

そんなことがあったのでライブはまったりと歌い始めた。場所を10メートルもずらしたわけではないのだがいつもとは感じが微妙に違う。まったり歌いながら少しずつその場所に慣れていった。

今週からライブ構成の縦糸を秋の歌に変えた。秋をテーマにした歌は意外に多く、多彩。別れの歌が多いのだが嫁入りの歌やら収穫の歌やら結構いろいろある。そういう歌を組み合わせてストーリー仕立てにするのが僕のやり方だが、まだストーリーや小話ができていない。今回はランダムにいろいろ歌ってみた。

歌い始めの頃、24歳の長男が通りかかり声をかけてくれた。
「何だ人がほとんどいないジャン。飽きられたかな?」と厳しい一言。
「まだ始まったばかり。これからよ!」と強がる親父。
お客さんは秋風とともに去っていったのか、ちょっと寂しいライブが続く。
2時間近く黙々と歌い続けた。

5時間もライブをやってると、聴衆皆無の時間帯が必ずある。そんな時どう歌うかということが大切になってくる。ライブというのは聴衆があって始めて成立するもの。客のいない時間はライブとして成立していないわけだが、そこで手を抜いたり、練習気分になったりすると『独り歌い』が延々と続くことになる。
そういう時こそ気合を入れて歌うように心がけている。MC(語り)こそ入れないが1曲に思いを込めて歌う。

アテネ・オリンピックで生まれた名言
「あわてず、あせらず、あきらめず」
これがそんなときの心境だ。

聴衆がほとんどいない時間帯。たった二人だったが地べたに腰を下ろしてじっくりと聴いてくれた人がいた。毎回欠かさず来てくれるSisidoさん。彼は8時に現れ、10時半ごろ帰っていく60年配のおじさん。1曲ごとにチェックを入れて歌の出来をメモしている。今日はSisidoさんのほかにやはり60年配のご婦人が腰を下ろして2時間近く聞いていてくれた。

こういう人たちに僕は助けられていると思う。『街角ライブ』で一番つらいのは自分の演奏が見向きもされないこと。
人は目の前をたくさん歩いている。
でも誰一人足を止めることなく通り過ぎてしまう。
この状況はストリートミュージシャンにとってはつらいことだ。

二人がこのつらい時間帯にいてくれた。精神的に助けられました。

その後遅い時間帯になってから、人が集まりリクエストが行き交うようになった。
古池節も炸裂し、それに呼応するように若者数人が場を盛り上げてくれた。
そんな様子を見届けるかのようにこの二人の聴衆は静かに去っていった。

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2004.09.07

第7回 「森の音楽祭」の記録

八ヶ岳山麓の原村にある「大杉小屋」に着いたのは3時過ぎだった。小雨がぱらついていて野外での演奏に不安を感じる。

今年は20~30代の若い衆の参加が多く、ステージの設置などはもう終わっていた。昨年同様斜面の底に土盛りをして固めた舞台に、ビニールシートで大きな屋根を張ってある。消防士のキューちゃんがザイル1本で張った屋根だそうだ。この屋根なら多少の雨でもOK。早速機材の設置に取り掛かった。アンプやスピーカーが濡れることを恐れながら1時間がかりでセッティング。

コンサート開始の5時を待ちながら小屋で一服してると、突如バケツをひっくり返したようなどしゃぶりになった。雷までも近くで鳴り出した。いよいよこれはダメかと思いつつも、この雨の中を今から器材を小屋に運ぶわけにもいかず、ひたすら小降りになるの待った。

7時近くになりようやく小降りになり2時間遅れでコンサート開始。

今回は次の人達が出演。(出演順)
 ★「オカリナアンサンブル かざぐるま」
 ★シンガー せおしんじ(ゲスト出演)
 ★棟梁・山本のフォルクローレバンド「ピミエンタ」。
 ★Martin 古池

オープニングは「かざぐるま」。
 ①秋の童謡変奏曲
  村祭り
  とおりゃんせ~しかられて~夕焼け小焼け~赤とんぼ
  證誠寺のたぬき囃
  虫の声~村祭り
 ②見上げてごらん夜の星を
 ③夏の終わりのハーモニー
 ④恋人もいないのに
 ⑤はじめから今まで(冬のソナタ)
 ⑥あなただけが(冬のソナタ)
 ⑦夜空のトランペット
 ⑧夜空を仰いで

今回の選曲は9月23日の「風のコンサート2004秋」でやる曲を中心に組んだ。現在の仕上がり具合をチェックするという意味もあったが、満足のいくところまで来ていたと思う。
「かざぐるま」としては3年ぶりの参加。結成間もない頃、第1回目の『森の音楽祭』でおどおどしながらも必死で演奏した頃のことが頭をよぎった。7年続ければ演奏も舞台度胸もつくんだなと思う。近年稀に見る(?)良いできだった。

二番手はせおしんじ。
広島から仙人小屋にそばうちの修行にきている若いシンガーソングライター。オリジナルを中心に元気のいい歌を聞かせてくれた。せお君の声は力強く理屈抜きでハートに飛び込んでくる。
越谷の若手ストリートミュージシャンにぜひ聞かせてやりたいと思った。越谷の連中は良くも悪くも都会的なイメージ。うまいが線が細い。せお君は特別うまいとは思わないが、歌に力がある。街のシンガーと山のシンガーが交流できればたがいに刺激になると思う。
かくいう僕も刺激され、飛び入りで一緒にやってしまった。知らない歌ばかりだがアドリブでソロを取ったりハーモニーをつけたりと気持ちいいセッションとなった。

そしてレギュラーの棟梁・山本の登場。
彼の所属する「ピミエンタ」から他にチャランゴの原田さん。その娘さんが出演。この娘さん、生まれた時からフォルクローレを聞いて育っただけあって、本能的に太鼓を叩いていた。
棟梁と原田母さんの演奏はキャリアを感じさせる安定したプレーだった。僕はステージからはなれたところで勝手にギターのバックサポートをしたが、彼らの演奏はチャランゴの伴奏だけで成り立ってしまうところがさすがだった。エンディングの『上をむいて歩こう』はステージに上げてもらい共演させてもらった。最初ギターを弾いたがチャランゴの伴奏がすてきだったので、ギターをやめてケーナに持ち替え棟梁の演奏にハーモニーを付けた。

最後の出演は僕、Martin 古池。
過去の「森の音楽祭」では観客を巻き込んでのフォーク寄席だった。今年もそのつもりでいたが、雨のため観客は小屋の中がほとんど。顔が見えないためキャッチボールがうまくできない。このため急遽方針を変えてじっくり聞いてもらうことにした。
季節の歌を縦糸に、「戦争知らない子供たち」の世代から「戦争知らない子供たちを知らない子供たち」へのメッセージを横糸にした。今年はそれほど若者の観客が増えていた。
エンディングはお約束の「あすなろの歌」この音楽祭を土台で支えている「あすなろ山の会」のテーマソングだ。この歌を作って20年。音楽祭で歌いだして7年。時がたつにつれて歌に魂が入っていくのを実感しながら演奏を終えた。


雨中の野外コンサートは大変だったが、気持ちが高揚する。
でも会場設営をしてくれた人達は大変だったと思う。
豪雨の中足を運んでくれたい客さんにも感謝!
来年は8回目。若者の参加も増えている。
「もっと大規模にやりたいね」
棟梁・山本と話しながら幕をとじた。


アフター・ライブ
音楽祭が終わった後小屋の土間に10人以上の若者と、数人のおじさんが集まった。
若者たちは20代から30代。おじさんたちは50代から70代。なんと3世代にまたがる人の和ができた。
狭い土間で肩を寄せ合い、酒を飲みながらのアフターライブが夜中の3時半まで続いた。
「古池さん、今年はいつもみたいに走りまくってないすね。欲求不満でしょ?」
消防士・キューちゃんのリクエストにお応えしてアフターライブでは走った。雨で演奏時間が短かく、できなかったことを取り戻すかのように歌いまくり、語りまくった。
歌を通して若者に問いかけ、それに反応する若者たちに長老たちが答える。それを受けて歌は展開していく。いい関係だな。いい時間だなと思いつつ夜はふけていった。

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2004.09.02

八ヶ岳山麓 『森の音楽祭』

9月の第1土曜の夕方から夜半まで、八ヶ岳山麓で野外コンサートが行なわれる。
夕方幕が開き、夕暮れの薄暮を経過し夜半まで続くコンサート。虫の声をバックコーラスに、森のシルエットを背景に、星ふる夜空を天井に繰り広げられる。
今年で7回目を数え、僕は第1回目からのレギュラーメンバー。

コンサートが始まった発端は「あすなろ山の会」の先輩、Jirouさんが山小屋作りを目論んだことだった。Jirouさんは仲間を募り出資制度で手作りの山小屋を作り、山の会の資料館にしたり、出資者が自由に使えるようにしたいという夢があったのだ。

第1回目のコンサートはこれから小屋を建てるという段階で何もできていない状態だった。森の斜面を伐採し急造のステージと客席があるのみ。ステージといっても丸太の上にベニヤを渡しただけ。客席は丸太を倒したもの。ステップを踏むとぐらぐら揺れていた。出演者は我々『オカリナ・アンサンブル かざぐるま』と地元の大工さん、棟梁・山本が率いるフォルクロ-レバンドだけだった。オーディエンスはそれでも30人くらいは集まったろうか。
『オカリナ・アンサンブル かざぐるま』は結成して半年目。バンドとしては形ができていない状態だった。おぼつかない演奏を必死にこなした記憶がある。

2年目の音楽祭ではすでに小屋ができあがっていた。棟梁・山本の指導のもとに「あすなろ山の会」の有志や他の出資者たちが手作りで建てたのだ。

以降、回を重ねるたびに小屋は手を入れられ、増築されていった。ある年は土間ができたり、翌年にはテラスが作られたりしてきた。

音楽祭も回を重ねるにしたがい出演者が多彩になっていった。地元のミュージシャンが出たり、尺八の演奏があったり。お客さんの顔ぶれも地元の人が来てくれるようになり、少しずつ根をおろしていった。

ここ数年「かざぐるま」としては参加できず、僕は単身出演してきた。
第7回目の今回、久しぶりに「かざぐるま」でいく。
山小屋がちょっとずつ形を整えてきたように、「かざぐるま」も徐々に成長してきた。その様子をお見せできればいいなと思っている。

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