『街角ライブ』 9月11日
2週間ぶりの『街角ライブ』だった。
先週は『森のコンサート』。八ヶ岳山麓で歌っていた。
わずか1回休んだだけなのだが、ずいぶん久しぶりのような気がする。
新鮮な気持ちでセッティングを済ませ、集中を高めている時、背広姿の東武の人に注意を受ける。
「この場所での演奏はやめてください。入り口のそばだと人の流れに影響します。テナントから苦情が出てます」
久しぶりの苦情だった。警備員のおじいさんに文句を言われたり、甘栗屋の親方にクレームをつけられたりしたことはあったが、そのつど演奏場所を変えてきた。もう1年以上もノークレームできただけにちょっとガクッときた。場所を移動してセッティングをやり直す。せっかく高まった集中が途切れてしまった。それでもライブが始まる前だったからまだ良しとしよう。
そんなことがあったのでライブはまったりと歌い始めた。場所を10メートルもずらしたわけではないのだがいつもとは感じが微妙に違う。まったり歌いながら少しずつその場所に慣れていった。
今週からライブ構成の縦糸を秋の歌に変えた。秋をテーマにした歌は意外に多く、多彩。別れの歌が多いのだが嫁入りの歌やら収穫の歌やら結構いろいろある。そういう歌を組み合わせてストーリー仕立てにするのが僕のやり方だが、まだストーリーや小話ができていない。今回はランダムにいろいろ歌ってみた。
歌い始めの頃、24歳の長男が通りかかり声をかけてくれた。
「何だ人がほとんどいないジャン。飽きられたかな?」と厳しい一言。
「まだ始まったばかり。これからよ!」と強がる親父。
お客さんは秋風とともに去っていったのか、ちょっと寂しいライブが続く。
2時間近く黙々と歌い続けた。
5時間もライブをやってると、聴衆皆無の時間帯が必ずある。そんな時どう歌うかということが大切になってくる。ライブというのは聴衆があって始めて成立するもの。客のいない時間はライブとして成立していないわけだが、そこで手を抜いたり、練習気分になったりすると『独り歌い』が延々と続くことになる。
そういう時こそ気合を入れて歌うように心がけている。MC(語り)こそ入れないが1曲に思いを込めて歌う。
アテネ・オリンピックで生まれた名言
「あわてず、あせらず、あきらめず」
これがそんなときの心境だ。
聴衆がほとんどいない時間帯。たった二人だったが地べたに腰を下ろしてじっくりと聴いてくれた人がいた。毎回欠かさず来てくれるSisidoさん。彼は8時に現れ、10時半ごろ帰っていく60年配のおじさん。1曲ごとにチェックを入れて歌の出来をメモしている。今日はSisidoさんのほかにやはり60年配のご婦人が腰を下ろして2時間近く聞いていてくれた。
こういう人たちに僕は助けられていると思う。『街角ライブ』で一番つらいのは自分の演奏が見向きもされないこと。
人は目の前をたくさん歩いている。
でも誰一人足を止めることなく通り過ぎてしまう。
この状況はストリートミュージシャンにとってはつらいことだ。
二人がこのつらい時間帯にいてくれた。精神的に助けられました。
その後遅い時間帯になってから、人が集まりリクエストが行き交うようになった。
古池節も炸裂し、それに呼応するように若者数人が場を盛り上げてくれた。
そんな様子を見届けるかのようにこの二人の聴衆は静かに去っていった。
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コメント
ひさしぶりです。この間(と言っても春頃かな)、府中の姉の家の不幸の帰り武蔵野線から東武線に乗り換える途中、古池さんがライブをやっているのを見てビックリ。声もかけずに通り過ぎてごめんなさい。今日いずみへ行ってマスターに古池さんのhpの事を聞きました。この歳になって路上ライブをやっているなんてスゴイ!
私も3年前の夏に脳梗塞を発症して右半身麻痺になってしまいました。あれから絶望的になった時もあったけれど、2年近いリハビリのかいあって利き手交換もして、今では前と同じように生活も出来、仕事も出来、週に2回蒲生のお客さんを回っています。hpを見ると大変そうだけど好きなことやっていることは羨ましい。まさに中年の☆彡!私も頑張らねば。今頃南越でやっている頃ですね。今度聴きに行くからね。
投稿: 元やじろべえの神立 | 2004.09.25 21:34
ひさしぶりです。この間(と言っても春頃かな)、府中の姉の家の不幸の帰り武蔵野線から東武線に乗り換える途中、古池さんがライブをやっているのを見てビックリ。声もかけずに通り過ぎてごめんなさい。今日いずみへ行ってマスターに古池さんのhpの事を聞きました。この歳になって路上ライブをやっているなんてスゴイ!
私も3年前の夏に脳梗塞を発症して右半身麻痺になってしまいました。あれから絶望的になった時もあったけれど、2年近いリハビリのかいあって利き手交換もして、今では前と同じように生活も出来、仕事も出来、週に2回蒲生のお客さんを回っています。hpを見ると大変そうだけど好きなことやっていることは羨ましい。まさに中年の☆彡!私も頑張らねば。今頃南越でやっている頃ですね。今度聴きに行くからね。
投稿: 元やじろべえの神立 | 2004.09.25 21:34
かんちゃん
コメントありがとうございます。
新越谷でのライブ中かんちゃんがいたの覚えてますよ。
元気そうで安心しました。
『いずみ』のマスターから脳梗塞のことは聞いていたので心配していました。
元気そうに歩くかんちゃんの姿を見て、20年前に考動集団「やじろべえ」でイメージソングの吹込みをやった時のことを思い出していました。
今思うと、あの頃 蒲生中央通商店街のイメージソングをいくつか作ったことが越谷での音楽活動の出発点になっていたようです。
『オールマイティ・ストリート・蒲生』
『お化け屋敷の歌』
『朝市の歌』
今では歌うことも無くなりましたが、「やじろべえ」のメンバーで手作りの録音をした忘れられない歌です。
毎週土曜日の夜、あの場所でライブをやっているので、今度ぜひお出かけください。
投稿: Martin 古池 | 2004.09.26 09:46