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2004.08.31

ちいさな一人旅  風と自転車

台風の風をぬって自転車を走らせた。200408310739.jpg

いつもの通勤サイクリング。
30分の道のりを45分かけてのプチ一人旅だった。

強烈な向かい風。
ペダルを軽くする。
足をまわす。
まわしてもまわしても前に進まない。

突然風がやむ。
おっ?と思うと横からの突風!
自転車があおられヒヤリ!
あわててバランスをとる。

自転車にとって一番の大敵。
それは風。
雨でも、冬の寒さでもない。
風が一番怖い。

すぐ右側を車が走りぬける道。
神経をすり減らしながら走る。

  ★★★★★★★★★★★★★★★

ふと10年前の自転車旅行を思い出した。

40歳の誕生日。
父の1周忌。
僕にとって特別の意味を持つ旅だった。

生まれ育った函館をスタート。
高校時代をすごした室蘭に一泊。
母の住む札幌をめざした。
400キロの旅路だった。

室蘭から苫小牧までの長い道。
海岸沿いの一本道だった。
右に内浦湾。左に樽前山。
遠くにかすむ苫小牧の製紙会社の煙突。
猛烈な向かい風だった。
漕いでも濃いでも一向に前へ進まない。
何時間走っても景色は変わらない。

強烈な浜風に自然の力の大きさ、獰猛さを実感。
それに立ち向かおうとする人間のなんと小さなことか。

  ★★★★★★★★★★★★★★★

あの時の感覚を思い出していた。
いつもなら何も感じることなく走り抜ける道。
忘れかけていた感覚を思い出させてくれた台風。

たった45分のことだった。
でも結構すてきで、小さな一人旅だった。


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2004.08.30

焼きいも

三遊亭楽太郎師匠の興味深いエッセイを見かけたので紹介します。


     ★★★★★★★★★★★★★★★

     焼きいも


いもも好き嫌いがあるようだ。
まず男女。女性のほうが好む方が多い。
次に年代。戦前、戦中派の人はいもやカボチャを見るのも嫌だと言う。食べず嫌いの反対で、食べ過ぎ嫌いなのである。

いももいろいろと味、形を変えて楽しまれている。
しかし、王道は「焼きいも」である。シンプルで美味。

電子レンジでもできる時代だが、石焼きの本当の味は忘れられない。皮を割って……剥くのではなく焼きいもは割るのである。湯気の上るヤツを直接かじるうまさ。
今、甘栗も剥いたヤツを売っている。
手間をかけないのが主流らしい。
その手間が楽しいと判っている世代も少数派になってきた。

     文・三遊亭楽太郎(落語家)

           スミセイベスト 表紙④
           「SUMISEI ギャラリー 『子供たちの四季』」より

 

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2004.08.25

道産子の「内地」観は変わった?

MSN-Mainichi INTERACTIVE 憂楽帳


★北海道民の意識の変化についてのコラムです。


 夏の甲子園。駒大苫小牧(南北海道)が優勝し、春夏通じて初めて優勝旗が北海道に渡った。ベンチ入りの18人全員が道産子だ。北海道出身者としては、うれしい限りだ。野球技術もさることながら、若者たちには「内地」(北海道で中高年の本州の呼び方)との心理的な距離も全くないのだろう。

 北海道で過ごした高校時代、京都への修学旅行は列車、青函連絡船を乗り継いで8泊9日の行程だった。修学旅行直前、担任が「内地に行ったことのある者は」と聞くと、クラスで2、3人しかいなかった。飛行機の利用はまだ少なく、心理的にも津軽海峡は北海道と本州を大きく隔てていた。

 道産子の先祖の多くは「内地」から渡ってきた。私の先代は明治時代、茨城県の鹿島灘を望む寒村から北方領土の択捉島に向かい、北海道にたどりついた。貧しさゆえに古里を捨てた負い目と新天地に向かう進取の気性が交錯し、どこか屈折した先代のDNAを「内地」世代までは受け継いでいたように思える。ところが、球児の快音は、私の「内地」観を完全に吹き飛ばした。【清宮克良】

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2004.08.24

駒大苫小牧 いとこのentaのコメント

居酒屋 ENTA巣

大変なコトが、起こっちゃいましたよ~!オリンピックかって?違いますよ!高校野球ですよ。みんな見てくれましたか~?
 な、なんと、北海道の高校が、いつの間にか決勝まで行っちゃったと思ったら、....なんとなんと、優勝しちゃったんですよ~!

いつも、いつも、いつも、いつも、いつも、いつも、いつも、いつも、いつも、.......結局負けちゃう道産子だったんですよ。
「おお、2回戦行ったか。」
「ふ~ん、ベスト16ね....。」
「へ~、ベスト8に入ったか、珍しい~。」
そろそろ、負けちゃうんだろな~と思ってたら、
「....準決勝ッ~!?」
「勝った~!? 決勝進出、ホントに!?」...スッゲエ~~!!!!!!

決勝戦だって、始まる前からTVの前でかまえちゃいたけど「相手も決勝まで来た強豪だからな~。......善戦すればな.....。」
てな感じで居たんですよ。........ところが、ところが、
「よし、打ったぞ!」 「オッ、やるジャン」 「よ~し、タイムリーだ!」
そのうちに、「......勝てるかも」 「.......勝つかも」 「.......がんばれ!」 「......勝ちそう」 「勝つぞ、勝て~!」って叫んでたら

「............ヤッタ~~~ヤッタ~~~~ヤッタ~~~~~!!!!!」 
「.....勝った~~~勝った~~~勝ったぞ~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!」

......なんちゅうか、北海道出身者にとっては、これは「特大金メダル」ですよ。「夢がかなった」「奇跡が起きた瞬間」なんですよ。

負けた済美の選手も、勝った苫小牧の選手も、監督も、あんまり泣くから、よけいに、私も涙がとまらなくなっちゃって............。

打撃戦だったんで、長い試合で終わらないし....、目はれちゃってるし....、もう店へ行って準備しなきゃ.......。ダッシュダッシュ~!

.....自分も、もっともっと、がんばろうと思います。今、思うだけじゃなく、ず~っと頑張ろう。「世界一の居酒屋」目指して。


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駒大苫小牧優勝

北海道新聞 卓上四季
社説

歴史的な勝利である。夏の甲子園で済美に打ち勝って全国の頂点に立った駒大苫小牧ナインに「おめでとう」、そして「ありがとう」と言いたい。悲願だった深紅の大優勝旗が初めて北海道に来た。

思えば一九二○年(大正九年)の第六回大会に北海中が初出場してから八十五年目で、北海道のチームがやっと手にした優勝旗である。雪国のハンディを指摘されたこともある。もうそれはない。北海道だからといじけることはない。

甲子園は一種の祝祭だ。郷里の代表に夢を託し、その奮闘から地域の人々が希望や生きる力を得ようとする。球場やテレビの前で駒大苫小牧に声援を送った多くの人々も、北海道に明るい光が当たることを望んでいたのではないか

その夢はかなえられた。北海道だってやれる。祝祭の後は、道民それぞれが奮闘する番だ。


(コラム『卓上四季』。全文はこちら)


 『オカリナ・アンサンブル かざぐるま』の練習と決勝戦の時間が重なった。他のメンバーには申し訳ないと思いつつも僕は1500円のラジオを買い求め稽古場に入った。右耳にイヤホンをはめ、左耳でオカリナの音を追った。メンバーもなかばあきらめ顔。

回を追うごとに次第に興奮が高まっていく。ハラハラ、ドキドキしながら気など抜くことができない展開が続く。画像が見えないから空想がかきたてられ余計興奮する。

優勝が決まった瞬間、何故か僕は自分の高校時代を思い出していた。もう30年以上も前の。

雪でびっちり覆われた校庭を僕たちは走り回っていた。1時間近くも鬼ごっこをくりかえす。雪に足をとられすぐ転ぶ。全身雪まみれになりながら僕らは笑っていた。校舎に入ると廊下や階段でうさぎ跳び。汗とサロメチールの臭い。体力練習をしながら体育館が空くのを待っていた。

道産子が津軽海峡を越えて全国で名をなすということはひとかどの苦労ではなかったと思う。甲子園をねらえる学校は昔と違い室内練習場くらい持っているだろうが、それでも冬場の練習は大変だったと思う。

優勝が決まった瞬間。じわじわとこみ上げてくるものを禁じえなかった。

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2004.08.22

街角ライブ 8月21日 阿波踊りの喧騒の中で

今日は南越谷名物の「阿波踊り」パレード。
駅周辺は大変な賑わいで、演奏どころではなくなる。
去年はその中でスタンバイして祭りが終わる9時を待っていた。
今年はうまい具合に『コーポ南越谷 夏祭りコンサート』とぶつかった。
『夏祭りコンサート』を終えて駅に着いた時はすでに9時半を回っていたが、喧騒はまだまだ続いていた。

アンプを使えばライブになるのだがすでに若者が一人、近くで演奏を始めていたのでアンプはやめて生演奏にした。
雑踏と喧騒、若者の激しい演奏にかき消されがちだったが、淡々と歌い続けた。過去の経験からそういう中でも淡々と演奏を続けることで少しづつ聴いてくれる人が集まる。それがやがて大きな輪になる。「あせらず、あわてず、あきらめず」の精神で、じっくりとやった。

幸いマコチャン親子が聴きに来てくれたのと、阿波踊り帰りの昔の友人Yamasitaさんが孫を連れて通りかかり、そのまま聴いてくれたことなどで寂しい思いをせずにすんだ。(喧騒の中で注目されることなく歌い続けるということは結構つらいものなのです)


今日の出来事。

①たまに通りかかる老婦人が初めて声をかけてくれた。長い白髪をの方でいつも柱の影から背中をこちらに向けて何時間も聴いてくれていた。声をかけるのをずっとためらっていたと思われるが今日初めて声をかけてくれた。
「がんばって」と静かに言ってくれただけなのだが、この一言がやけにうれしかった。

②こちらは常連さんに近い30台のお兄さん。以前記事にもしたことがあるが若いのに昔のフォークソングについてやけに詳しい人。僕よりもいろんなことを知っていて驚かされる。
11時半を過ぎそろそろラストソングと思っていると『無縁坂』のリクエストをしてくれた。
「しのぶしのばず無縁坂」のところを「●●菩提寺 三宅坂」に入れ変えて歌ってほしいと言う。
何かあったのかなと思い、たずねるとご母堂が7月に他界されたという。
心を込めて歌わせてもらった。

無縁坂がこの日のラストシングとなり、厳粛な気持ちで『街角ライブ』を終えた。

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コーポ南越谷夏祭りコンサート

コーポ南越谷での演奏は「オカリナ・アンサンブル かざぐるま」としては3回目になる。
(僕は寄せ集めの親父バンドで1度やったことがある)
歴史のあるマンションで自治会活動もしっかりされているマンションのようだ。
今2世が自治会活動にも参加するようになってきて、過去の経験がきっちり引き継がれている。
野外でのステージだがしっかりとしたPAで、演奏もやりやすかった。

演奏した曲目です。

  1.恋人もいないのに        (オカリナ)
  2.岬めぐり              (ヴォーカル)
  3.北の国から            (オカリナ)
  4.夜空のトランペット        (オカリナ)
  5.あなただけが「冬のソナタ」より (オカリナ)
  6.見上げてごらん夜の星を    (ヴォーカル)
  7.青春の影             (ヴォーカル)
  8.夜空を仰いで           (ヴォーカル)

「かざぐるま」の前は島歌保存会の方々の演奏と踊りだった。島歌の持つ強烈なパワーから場の空気を変えるのが少々難しかったけれど面白い経験になった。

初めての経験という点ではプロレスのリングがステージだったこと。
夏祭りの企画でプロレスの団体を呼んで興行(?)したそうだ。
残念ながら見ることはできなかったが、試合で使ったリングがロープだけはずしてそのままステージになったわけだ。せっかくだからロープを張った状態で演奏したいとも思ったが、「かざぐるま」のイメージではないと他のメンバーに怒られそうなので口にしなかった。リングだけ合って足元がふわふわして何となく心もとなかった。


今日は南越谷ですっかり名物になった「阿波踊り」のパレードとぶつかっていた。
    
    チャンカチャンカ……

お囃子が遠くから聞こえる中での文字通り「夏祭りコンサート」だった。

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2004.08.21

道産子 けっぱれ!

夏の甲子園で、駒大苫小牧が76年ぶりの決勝進出を決めた。
7点のリードを2点差にまでつめよられたときはどうなるかと思ったが、がんばりとおした。
もうこれだけで充分すぎるほどうれしいが、ここまできたのだから春の覇者済美を破り優勝してほしい。

雪で閉ざされ満足な練習もできなかった北海道の高校野球。
どこまで勝ち残れるかという観点でしか語られることがなかった歴史。
サッカーでは室蘭大谷が準優勝の経験があるが、野球では初めて!
試合を見ていて同じ道産子として目頭が熱くなったが、うれし涙は明日までとっておこう。

駒大苫小牧のキャプテンが試合終了後のインタビューで
  「道産子らしく、思い切ってやります!」
と答えていた。

けっぱれ道産子!!

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2004.08.18

ライブハウス「夢現」で初ライブ

久しぶりにライブハウスで演奏した。
きちんとした音響設備が整った箱での演奏は久しぶりだ。
気持ちよく演奏させてもらった。

専属で歌っていたライブハウス『ぶどうの木』が店をたたんでから5年以上になるだろうか。その後僕は「オカリナ・アンサンブル かざぐるま」での演奏をメインに活動してきた。演奏の場所はお世辞にも音響設備が整っていたとはいえなかった。
また「かざぐるま」の活動と平行してやってきた『街角ライブ』。雑踏の中で歌うライブがすっかり定着していた。

1時間弱の演奏を終えて感じたことが二つ。
一つはギター演奏が荒れているということ。
もう一つは歌の表現幅が広がったということ。

『ぶどうの木』時代、ボーカルは若さにまかせて勢いで歌っていた。荒削りだった。それが多少は繊細な表現ができるようになっている。

ギターは以前は不要な音は入れないという意識で、音の一つ一つにこだわっていた。でも今はかなり無頓着に弾いている。

良くも悪くも路上での『街角ライブ』での演奏に慣れたためだろう。

歌に表現力がついたのは不特定のオーディエンスを対象に歌い、もまれたことが幸いしたようだ。
でもギターの音は雑踏の中では自分の耳に届かず、いつしか力まかせのガサツなものになっていた。

『夢現』でのライブは自分の演奏を見つめ直すいいチャンスになった。
お盆のためかお客さんが少なく、ちょっと寂しかったが満足している。

<P.S>

先月40年ぶりの再会を果たしたばかりの小学校時代の同級生、takuya君が遊びに来てくれた。
アフターライブでカラオケをやりながらゆっくり話し、旧情を暖めることができた。
takuya君もギター弾きで、いろんなギターを通り抜けてきている。
一緒に出演した中島裕介のギターに興味を持ったようだ。
詳しくは“takuya's page”をご覧下さい。

http://www.koalanet.ne.jp/~takuya-i/htm/hitorigoto.htm

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2004.08.17

普通の人生をチャンと生きてるヒトに、「金メダル!」

居酒屋 ENTA巣


「居酒屋 ENTA巣」のホームページのちょっとすてきな文です。

オリンピック、見てますか~? 
もう~、最高!感激で、チョットもらい泣きしちゃいましたよ~。
「記録は破られるモノだ」と、言う言葉があるけど、破らせないヒトも居るんだなぁ......。素晴らしいですね~。

先日、「ジャパン・ワイン・チャレンジ」(「ワールド・ワイン・チャレンジ」の日本大会)が、有って、ENTA巣でも扱ってる
「シリオ・モスカート」が「銅賞」を獲得しました!

スポーツで頑張ってるヒト、おいしいワインを造ってるヒト、普通の人生をチャンと生きてるヒトに、「金メダル!」

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2004.08.14

清津峡ミニライブ

DSCN0933.JPG

南丹沢に 清津峡 というキャンプ場がある。

アウトドアがブームとなりオートキャンプ場が圧倒的に主流となっているが「清津峡」は時の流れに逆らうかのようにブームとは無縁のキャンプ場だ。

まず車が入り込めない。
バス停から山道を15分ほど下っていくしかたどり着くすべがない。
当然荷物は肩に背負うえる分しか持ち込めない。

キャンプ場は森を切り開いた川沿いの台地にあり、
手作りのバンガローが点在しているだけのキャンプ場だ。

電気がない。だから夜はランプの灯りが頼り。

ガスもない。煮炊きはかまどで火をおこすかたき火ということになる。

当然自動販売機の類はない。飲み物は自分で持ち込むしかない。
(水は自然な湧き水が潤沢にある)

街の生活をそのままアウトドアに持ちこんだようなオートキャンプ場とは趣をだいぶ異にする。

でもそこには街の暮らしとは隔絶された、得がたい時間と空間がある。

僕が「清津峡」に通いだしてからもう20年以上になる。
毎年1度か2度だが欠かさず通っている。
60リットルのでかいザックにテントと食料をつめこむ。
ギターケースを抱えながらヨタヨタ山道を下るのが僕のスタイルだ。

ゆったりした時間を過ごし、夜のとばりがおりるころ
管理棟前のテーブルをステージにしてギターを弾き始める。
たきびの灯りとランプがスポットライトのアコースティックライブだ。
徐々にテーブルのまわりに人が集まり始める。
お客さんはその時来ていた人たち。
(時々鹿やムササビも参加する)
前宣伝は一切なし。
酒を酌み交わしながらのライブ。
構成も選曲もへったくれもない。
なりゆきまかせ、風まかせ。
時に飛び入りがあったり、一緒に歌うということもある。

佳境にはっいてくるとあっちのテント、こっちのバンガローからリクエストが飛び交う。
何しろ暗い。闇に向って歌うようなものだ。
でも闇の中からしっかり反応が返ってくる。

ライブは深夜まで続く。
体力が尽きる頃集まってくれた人も徐々に自分のねぐらへ戻り始め、
たき火の火が消えるようにライブも終わる。

こんな自然発生的なライブがもう10年以上続いている。

僕にとっては大切な年に一度の儀式。
自然の中で
見知らぬ人と
酒を酌み交わしながら
情けを酌み交わし、
歌う。

音楽のひとつの原点だと思う。

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2004.08.06

会話(⇒怪話、⇒快話)話し合い(⇒放し合い、⇒離し合い)

またしても蒲生の喫茶店「いずみ瓦版」からちょっと考えてしまうお話しです。


会話(⇒怪話、⇒快話)話し合い(⇒放し合い、⇒離し合い)

親は子と会話しているつもり。
でも子供にとっては一方的に押し付けられていると感じることが多く、少しでも弱いことを言ったり、親が答えられなくなったりすると
「世の中もっと厳しい。そんな事でどうする」
「くだらないこと言うな。今お前に必要なのは勉強だ。そんなこと考えているから…云々」

子供にとって怪話。だから話の合う友人の所へ行って快話を楽しみに夜中でも、また泊り込んでも行ってしまう。
話し合いが「あっち行け!」の離し合いになってギクシャクする。

親子だけではない。夫婦も友人もお互いに放し合い
放しっぱなしで受け止めることをしない。
つまり自分のことを言うだけで聞いているふりをする。


北朝鮮へ小泉さんが行きジェンキンスさんに「日本にいらっしゃい」と言っても「NO」。
一国の首相が話してもダメなのに、曾我さんが行って長期説得かと思ったらあっという間に日本へ。

何があったのか。

もしかしたらそこに快話があったのかもしれない。

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かくれんぼ こんな競技はどう?

オリンピックで11人1チームになってかくれんぼをやる。

ルールは簡単。
一人が鬼になり、10人が隠れる。
競技場に特設の隠れ場所を作る。
そこは倉庫があったり、山があったり、土管があったり…
子供のころかくれんぼをしたシチュエーションを大きくして再現。

鬼は超小型カメラを頭に取り付け隠れた人を探し回る。
その模様はオーロラビジョンに逐一映し出される。

一定時間内に一人でも多くを見つけた国が勝ち。

カメラは鬼の意思とは無関係に映し出していくから、隠れた人も映ってしまう。
だから発見コールは「めっけ!」

これに缶けりを絡ましても面白いかも…。

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2004.08.05

独り言

独り言

ギターについて-その1  2004/7/28
 Martin小池君と40年ぶりに再会して、ギターをもう一度やろうと思って最初にやったのは、何年間もケースに入れっぱなしのギターを出して、弦を外し、指板を磨きフレットの状態を見ること。そんなに弾いた覚えも無いのにフレットはずいぶん減るもんなんだな。


40年ぶりに再会した小学校の同級生takuya君。
彼もギター弾き。
ホームページをのぞくとよだれが出そうなギターをたくさん持っていた。
そのtakuya君のページ。「独り言」です。

僕もたくさんのギターとの出逢いがあり、別れがありました。
出逢いのうれしさ、別れの寂しさ。

なんとも言えないんだゎ・・・

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2004.08.04

PDAからテスト

PDAからの送信が可能か
テストです
0Kならば
どこからでも記事が送くれるので
強力な武器になりますね

それでは
G0!

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2004.08.03

日本語の誤用調査

北海道新聞 バックナンバー

日本語の危機が叫ばれて久しい。
文化庁が日本語に関する調査をしたらしい。
笑えぬ日本語の誤用がかなりあるらしい。

耳が痛いコラムを読んでみてください。

「言葉は時代とともに変わる宿命を持つ。
だが、本来の意味や多様さにむとんちゃくだと日本語の豊かさを失い、生き方も薄っぺらくなるのではないか。」


参考文献
  『かなり気がかりな日本語』
  野口恵子 著
  集英社新書

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今日は「はちみつの日」

8月3日は『はちみつの日』だとか。
日本人は語呂合わせでいろんな記念日を作る。

「何の関係があるんだ」

と目くじらを立てるのも大人気ない。

北海道新聞のコラム『卓上四季』に面白い記事が載っていた。
いい記事だなと思った。

ふだん気にもとめない蜂のこと、はちみつのことを考えるチャンス。
そう思うことにした。

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2004.08.02

『街角ライブ』 7月30日(土)


今日も猫君2匹を連れてのライブ。
先週1匹里親さんが見つかり、あと2匹の里親を探すのだ。

そもそもこの猫君たち、友人のアパートで飼うことが出来ない。
里親さんがいなければ自動的に野良の道をたどることになる。
いたいけな彼らを見ていると哀れになり、かわいがってくれる里親を探さなければという気持ちになる。


ライブ開始時間は7時。
早めにセッティングして猫君の到着を待ったが、なかなか現れない。
先週使ったポスターを掲示しておいたら、早くも問い合わせの声が。

とりあえずライブを始めた。
今週もテーマは無し。
歌い始めて間もなく、友人たちが大きなポスターをかかえて現れた。
ポスターを作るのに時間がかかったようだ。

2回めということもあり、彼らも慣れてきたようだ。
僕は空間を提供するだけで良かった。
彼らと声をかけてくれた人達が話し合いを続け、僕は横目で気にしながらもライブに集中していった。

思ったよりも早く2匹の引き取り手が見つかった。
子猫を手放さざるを得ない友人たちも、心中は穏やかではないはず。
願わくは猫君たちが幸せに暮らしてくれることを…

ライブで声をかけてくださったたくさんの方々。
メールで問い合わせをしてくれた方。
本当にありがとう。


友人たちが引き上げた後、ふたたびライブ一人旅。
いつも一人でやってるから慣れているくせに、
友が去るとなんとなく取り残された感じで寂しかった。

今日は越谷花火の日。
人通りが多い。
浴衣姿の若者たちもたくさん歩いている。
はなやいだ雰囲気。
足を止めてくれる人も多い。
休む暇なしで、延々と歌いつづけた。

いつも思うのだが伊勢正三の歌は人々に本当に浸透している。
リクエストの多いミュージシャンでは伊勢正三がダントツだと思う。
それも老若男女を問わずだ。
今日も『なごり雪』のリクエストを皮切りに正ヤン特集。
同年代の人々に混じって若者たちも結構いた。
そこで『神田川』『赤ちょうちん』を歌いながらMCで僕の青春時代に付いて語った。

30年前これらの歌が流行っている頃、僕も3畳一間の小さな下宿屋に暮らしていた。
歌の中では若い二人という設定だが、残念ながら僕の下宿屋は女人禁制。
ただお金がない、わびしいという点では同じだった。
お金がないということは食べるものがないということだ。
僕の食生活はデパートの食料品売り場の試食コーナーに頼ることになる。
バイトのお金が入り、少し余裕があると僕は当時18円の納豆と2円のキャベツを買った。
当時キャベツが大豊作で投売りしていたのです。

歌の背景にある時代。その時代を生きていた自分の青春について語った。

語りだすと止まらないのが僕の悪いくせ。
でもこの語りが僕のライブの一番の肝だと思っている。
『フォーク寄席』とよんでいたこともあった。
『街角ライブ』の難しさは、語りにまで行く前に終わってしまうことが多いこと。
ほとんど『人間ジュークボックス』状態のほうが多い。
流れる人が足を止めて歌に耳を傾けてくれることは多いが、
場の雰囲気が語りにまで高まるということはそう多くない。
それでも最近は1回4~5時間のライブの中で1~2回は『フォーク寄席』ができるようになってきた。
この状態を毎回維持できるかどうかが今の僕の課題なのです。


今回のライブのエポックメーキングなできごと。

その一。
20代後半の青年が僕の歌に合わせて身体をゆすり、声を合わせて歌っていた。
何度も何度もうなづきながらしばらく聞いていてくれた。
やがて僕のところに歩み寄ってきて

「元気が出ました。本当に励まされました」

そう言ってくれた。
こういう一言は、僕も励まされる。むしろこちらが勇気を分けてもらうようだ。
握手をして彼は去っていった。


そのニ。
息子たちが中学生の頃お世話になった越谷南中の先生たちが大挙現れた。
僕は当時南中のPTA会長をやっていた。
3年間の任期の間に何度かPTA行事の時に演奏をしたことがあった。
10年近く前の話しだ。

「まだ歌ってたんですか?

これが先生たちの率直な感想だろう。
でもその表情には揶揄の色は感じられず、素直に喜んでくれていると思えた。
照れて歌いにくかったのも事実だが、それ以上に僕も嬉しかった。
10年の時間を経て今こういう再会ができたのだから。

「ライフワークですね。いつまでも続けてください」

そういい残して先生たちは去っていった。


今日もいろんなことがあった『街角ライブ』だった。
疲労困憊だったが、いい気持ちで家路につけた。

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2004.08.01

サム・ピック

200408011033.jpg

偶然楽器屋で見つけたサムピック。
ゴム製でピックの部分と、指への取り付け部分のパーツが別れている。
今までのサムピックとはイメージが違う。
値段も違う。(500円!)
しかも台紙に取り付けられ、包装までされている。
台紙にはカントリー・ブルース・ギタリストのあの打田十紀夫氏の監修とかかれている。

なにやら良さそうジャン!
衝動的に買ってしまった。それも2個。

早速その夜の『街角ライブ』で試奏してみた。

はっきりいってこれはいいです!

何よりも指への装着感がいい。
従来のものは長時間引いているうちに親指を圧迫して痛くなってくる。
でもこいつは違った。まるで親指の一部であるかのように感じられた。
(ちょっとオーバーか?)

しなりがいいので、弦に対して柔らかい。
これがまたいい。

僕は従来のサムピックが弦に対してあたりが強いという不満を感じていた。だからサムピックを買ってそのままの状態で使うことはなかった。やすりで削ったり、薄くしたり・・・。
そうして加工してもブルースやカントリー系の曲をやる時はいいのだが、フォーク系の曲をやるとベース音だけが強くなる。
いつしかサムピックを使うことは稀になり、奏法も変わっていった。
ブルース、カントリー系スリーフィンガーで、フォーク系はフォーフィンガーを使うという風に。

このサムピックはベース音とメロディ音の差が少なく音色も按配がいい。
『街角ライブ』でサムピックを使った演奏が復活しそう。

心配な点もある。
ゴムのベルトに切り込みが入っていて、そこにピック本体をはさんで使うのだが、そこがすぐ切れそうな感じがする。
何しろ1個500円です。
もったいないと思ってしまうのは貧乏性のせいでしょうか…?

http://www.tab-guitar-school.co.jp/Other-goods.html

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