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2004.07.29

『街角ライブ』 7月24日(土)

午後6時半。子猫3匹を連れて友人たちが現れた。
生後2ヶ月の子猫たち。かわいい盛り。
都会で彼らが自力で生きるのは困難だろう。

「何とか里親さんを見つけてあげたい」

友人たちの必死の思いが、『街角ライブ』で呼びかけようということにつながった。

道ゆく人たちがどこまで関心を持ってくれるか?
関心を持ってくれた人が里親になってくれるのか?
内心不安ではあった。
でも飼う人もないまま野良になっていくのを座して待つより、
たとえ可能性が薄くてもやれることに全力をつくしたい。
そういう友人の思いに協力しようと思った。
協力する以上全力をつくそうと思った。

「じゃあ始めるよ」

緊張した面持ちの友人に声をかけて歌い始めた。
特にテーマを決めたり、選曲していたわけではなかった。
このところの異常な暑さを受けて夏の歌を中心に、
道行く人に振り向いてもらうことだけを心がけた。
歌と歌の間にMCをはさみ道行く人に呼びかけた。

当初の不安をよそに、猫君たちに目を向け、声を掛けてくれる人が後をたたない。
歌声は完全にバックグランド・ミュージックと化し、僕もそれを心がけた。


2時間経過した。
歌う僕も、声をかけてくれる人との対応に追われる友人たちも疲れてきた。
何しろこの蒸し暑さだ。
慣れている僕でさえまいってきたのだから
初めての経験の友人たちは相当のもんだと思う。
声をかけてくれる人は途切れることがない。
でも里親になってくれる人は現れない。
疲労とともに少しずつあせりが生まれてきた。


「ありがとう!

友人の歓声に歌を中断した。

若い娘さんだ。
迷った末、白猫君の里親になってくれることになった。
親とも相談し了解をもらったという。
一時の感情で引き受けるのではなく考えた末での結論。
この子ならちゃんと育ててくれるだろう。

あと2匹。
休む間もなく、声をかけつづける。


午後9時半。
友人たちも猫君たちも疲れのピーク。
今日はここまでということにして、友人たちは去っていった。

一人残され、僕も疲れがドットきた。
一人になると弱気の虫が騒ぎ出す。
今日はこの辺にしておくかなどと思い始める。
お客さんが途切れたらやめようと思いながら続けていた。
ところがオーディエンスは途切れるどころか増えていくばかり。
しかもオカリナサークル 『カンターレ』の連中がきてくれた。
『カンターレ』は『オカリナ・アンサンブル かざぐるま』のメンバーが所属するサークル。
僕たち『かざぐるま』のコンサートにも足を運んでくれる常連さんたちだ。
こうなると俄然元気が出てくるから現金なものだ。
オリジナルやマイナーな曲も交えてガンガンいった。

結局12時近くまで歌い、疲労困憊にうちにライブを終えた。

<追伸>

その後メールで猫君についての問い合わせがあったりしましたが、
今のところ残り2匹の里親さんは見つかっていません。
猫君たちを育ててくださる方がいらしたら、
どうぞ御連絡お願いいたします。

fwks1254@mb.infoweb.ne.jp

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2004.07.23

小泉さんはスリ替えの天才?

MSN-Mainichi INTERACTIVE

牧太郎のここだけの話:スリ替え語講座?

 「小泉純一郎です。11日の参議院選挙では、自民党は議席を2減らしましたが、与党全体では60議席を獲得し、参議院においても全(すべ)ての委員会で与党が過半数の議席を維持することができました」
 見事な書き出しですね。今日は、この「2004年7月15日発行、小泉内閣メールマガジン第148号」を教材にします。
 まず「2減」という言葉、いかにも「最小の減」という印象じゃあありませんか。もし「選挙区では民主2193万対自民1969万。その差は230万票」なんて書いたら、大敗したと見破られます。まして「比例区の差は440万票」なんて書いたら……責任を取らされる。そこでサラッと「2減」と書きます。後は「全ての」「過半数」「維持」というプラスイメージの言葉を配置します。最後の「できました」。「皆様のおかげ」と頭を下げる姿勢です。

 次が肝心です。「年金、イラクなどに対する強い批判の中で、与野党がほぼ同数という結果になったことは、野党の声にも耳を傾けて(A)『構造改革をしっかり進めよ』という国民の声と受けとめ、改革を促進していきたいと思います」

 これ、ヘンじゃありません? そうです。(A)の部分に入る言葉が消えている。(A)は「年金、イラク問題を再度、議論します」でしょう。これを平気で削りました。そして、一気に、誰もケチの付けられない「構造改革」という言葉を持ってくる。「抵抗勢力」を多用した、あの手法です。

 「来週、韓国の済州島を訪問し、ノ・ムヒョン大統領と打ち解けた雰囲気の中で話し合います」

 この一文、最高です。明るいイメージです。もう選挙なんて過去のコトと思わせます。ここだけの話ですが、小泉さんは首脳外交がうまいとは思いませんが……。「(両国首脳は)打ち解けた雰囲気で(話し合った)」が正しい慣用句ですが、主語を削り、過去形の動詞「話し合った」を無理やり「話し合います」の未来形に変えた。「打ち解けた」という言葉に拘(こだわ)り「成功が約束されている未来」を演出する。お見事!

 小泉さんは天才です……では今日の「スリ替え語講座」を終わります。

………………………………………………………………………………………………………

牧太郎のホームページ

http://www.maki-taro.net/

毎日新聞 2004年7月20日 東京夕刊

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2004.07.21

われは海の子

北海道新聞 - 卓上四季 -(7月19日)

少年時代の淡い思い出がある。夏の海。照りつける太陽。潮の香り。口をついて出るのはあの歌だ。われは海の子白波の、さわぐいそべの松原に、煙たなびくとまやこそ、わがなつかしきすみかなれ▼明治時代に作られた文部省唱歌「われは海の子」は八十年近くも作者不詳とされた。作詞者が元小樽新聞(北海道新聞の前身)記者で児童文学者の故・宮原晃一郎さんとわかったのは十五年前のことである▼幼少時代を過ごした鹿児島市の海を懐かしんで書いたそうだ。故郷の桜島を望む錦江湾岸に四年前、歌碑が完成した。除幕式に出席した義理のおいの鍋谷信勝さん(札幌市在住)が言う。「歌にある通り白砂青松の美しい海でした」と▼世代を超えて歌い継いできたこの愛唱歌が、戦後の一時期に小学校の音楽教科書から外された。「とまや」のような難しい言葉が出てくるという理由からだ。大人だってどれだけの人が「とまや」が「苫屋(とまや)=草ぶきの家」と理解していたことか▼「歌」はくちびるが覚えるという。歌詞の意味がわからなくても曲がすっと入ってきて歌えるようになる。子どもの音楽性は大人が考えるよりも豊かだ。詞とメロディーがこれほどかみ合った歌はそうなかった▼「われは海の子」の歌碑を建立するため募金運動は六年前の「海の記念日」から始まった。いまは「海の日」と呼ばれる。きょうがその日だ。

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2004.07.18

『街角ライブ』 7月15日(土)

汗だくだった。

ホームレス4人衆がたむろしてじっくり聞いてくれた。
同年輩の人が一緒に歌ってくれたのはうれしかった。
彼らは気持ちが優しい。
駅で歌っている連中のところを満遍なくまわって、彼らなりのパフォーマンスを繰りひろげる。
じっくり聴く人。一緒に歌う人。歌にあわせて空き缶を打ち鳴らしたり、踊ったりする人。
そして最後は僕のところに戻ってくる。
調子はずれのリズムは演奏する側からするとありがた迷惑なので、ちょっと苦情を言う。
そうするとちょっとの間やめて、かわりに踊りだす。
でもしばらくするとまた足元に座り込んで空き缶のパーカッションが始まる。
まいったなぁと思いつつ、人のよさそうな顔を見るとま、いっかと思う。


今日印象に残ったお客さんが二人いた。

一人は同年輩かな?仕事帰りなのだろう。作業着を着込んでいた。
時間を気にしながらも顔をくちゃくちゃにして聴いてくれた。
5~6曲聴いたところで歩み寄ってきた。

「僕も昔かぐや姫のコピーをやってたんです。
電車がなくなるからあと1曲しか聴けません。
『あの人の手紙』をやってください」

気合を入れて歌った。
聞き終わった彼は眼に涙を浮かべながら手を握って去った。
多分この歌に自分の青春時代をオーバーラップさせていたんだろう。
無骨な労働者の手の感触が暖かった。

もう一人は3時間近くラストまでじっと無表情のまま聴いてくれていた。
ラストの歌が終わった瞬間、さっさと帰っていった。
拍手をくれるわけでもない。
にこりとするわけでもない。
愛想笑いを投げかけても、黙殺されてる感じだった。
でも3時間もじっと聴いている。
ムム・・・。なんだろう?
プレーを観察されているようで、緊張のうちに演奏を続けた。

これが今日のライブの出来事だった。

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2004.07.17

猫君の里親を探しています

里親さんが見つかりました。
『街角ライブ』で声をかけてくださったたくさんの方
メールで問い合わせを下さった方
本当にありがとうございます


DSCN0854.JPG


生まれてまだ1ヶ月のかわいい子猫が3匹
里親を探しています。

1匹でも育ててくださる方がいらしたらメールをいただけますか?

fwks1254@mb.infoweb.ne.jp

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2004.07.16

アイヌ民族楽器ムックリ奏者・・・・安東ウメ子さん死去

北海道新聞 訃報

 【幕別】
アイヌ民族の口琴・ムックリの奏者として知られる十勝管内幕別町の安東ウメ子(あんどう・うめこ)さんが十五日午前十時八分、大腸がんのため同町内の病院で死去した。七十二歳。自宅は同町千住二八六。通夜は十六日午後七時から、葬儀は十七日午前十時から、同町札内青葉町三一一の二の札内東コミュニティセンターで。喪主は長女の春江(はるえ)さん。
 安東さんは一九三二年、帯広市生まれ。両親ともアイヌ民族で、幼少時からアイヌ民族の歌やムックリの演奏に親しみ、これまでに四枚のCDを出したほか、道内外でコンサートを開いた。五七年、歌や踊りの伝承に取り組む「帯広カムイトウウポポ保存会」を仲間とともに立ち上げ、指導者としてアイヌ文化の継承に努めた。

 二○○三年四月に大腸がんの手術を受けた後も、帯広市内のコンサートに出演。同年十月、道文化財保護功労賞を受けた。


http://hotwired.goo.ne.jp/music/interview/040106/textonly.html

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2004.07.07

竹に短冊 七夕祭り

   竹に短冊 七夕祭り
   
   覆いはいやよ
   
   ろうそく1本ちょうだいな
   
   くれなきゃ かっちゃぐぞ

今日は七夕。
齢50を重ねるとやたら子供の頃のことが思い出される。

夕方、函館公園のすり鉢山に陽が落ちる頃
僕たちは噴水の前に三々五々と集まる。
手には提灯をぶら下げたり、自作の『カンテラ』を持って。
『カンテラ』というのは海苔やお菓子の缶にくぎを打ち付けろうそくを立て、木っ端の取っ手を取り付けたやつ。
中には浴衣に三尺をひきずってる子もいる。
(ついでに鼻水もひきずって)

薄暗くなりかけた街を僕たちは一軒一軒まわり玄関先で大声で歌う。

   タケ~ニタンザク タナバタマツリ

オオイハイヤヨォ

ロ~ソク イッポンチョーダイナ

ク~レナキャ カッチャグゾォ

意味などわかりもせず、まるで呪文のように歌う。
今にしてみると「オオイハイヤヨ」というのは
「大いに祝おう」だったり、「多いはいやよ」だったのかとも思う。
でも僕は長い間「覆いはいやよ」だと信じ込んできた。
居留守を使っちゃダメだよという意味だと思ってきた。
「カッチャグ」というのは引っかくという意味。

すると玄関をあけておばさんが出てきて僕たちにろうそくを配ってくれる。
ろうそくをもらうと僕たちは急いでビニール袋に入れて次の家の玄関先に・・・

  タケ~ニタンザク タナバタマツリ・・・

あきもせずに同じことを繰り返す。

こうして9時まで町内を練り歩くのだ。

ふだん夜遊び、火遊びを許されない小学生にとって
七夕の夜のこの“儀式”には、怪しげで特別の魅力があった。

ビニール袋一杯のろうそくがどのように使われたかはさっぱり覚えていない。長い間机の引出しに眠っていたようにも思うし、親にせびってお菓子とバグッた(交換する)ような気もする。

深夜の便所(トイレではない)でろうそくに火をともし怪しくゆれる炎を見つめながらそのまま眠ってしまったことがある。危うくぼやを起こしそうになりひどく叱られた。
当時の便所はどの家もボットン便所で、40ワットの裸電球だった。
それだけでも充分怪しげではあったが、カンテラの中で揺れるろうそくの炎は魔術的ですっかり魅せられていた。

年に一度の七夕のこの“儀式”は全国でも珍しく、函館周辺でしか行なわれていと聞く。

それも近年はろうそくの変わりにお菓子をもらうのが普通になったという。子供の火遊びを懸念してとのこと。
子供にほいと(物乞い)の真似をさせるのはどんなもんかという批判もあるらしい。
お菓子を用意するほうも結構大変だ。
そういう風潮を反映してか、この“儀式”を無視する家もかなり増えたそうだ。“儀式”に参加する家は玄関先に竹飾りを用意し、子供たちは竹飾りの家を目指してお菓子をもらい歩くのが今風の七夕さん?
驚いたことに子供たちに母親が同伴することもあると聞いた。

友達同士暗い夜道を提灯の灯りを頼りに、怪しい体験を共有する。
大人たちは「竹に短冊」を歌いながら訪問する子供たちにろうそくをあげつつ見守る。
江戸時代に御先祖様の魂の通り道を照らすことに始まり、100年以上にわたって伝えられてきたこんな風習はもう風化してしまったんだろうか。

「七夕」と聞くと反射的にあのシーンがよみがえり、
「タケェニ タンザク」が心をかすめる。
無条件で目頭が熱くなる体験をこれからの子供たちにも残してやりたいものだ・・・。

今晩『街角ライブ』で七夕特集をやろう。
もちろん、歌いマッス!

  竹に短冊 七夕祭り・・・・・・
  

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2004.07.04

街角ライヴ』 7月3日(土)

昼間あれほど暑かったのに涼しい風が吹き抜けていた。
まったりと始めたライヴ。気分は「夏に王手」。

『道連れは南風』

この歌がしばらくはオープニング・テーマとなりそうだ。
1年ぶりにやる歌はちょっと自信なげに響いたかな?
ちょっとばかり梅雨を引きずったみたい。
来週は一歩夏に近づき、もうちょっと元気にいけるかも。


常連の年配のおじさんからリクエストを受けた。
このおじさんはいつも歌にあわせて体をゆすりながら気持ちよさそうに聴いてくれる。
めったにリクエストはしない。ただひたすら歌にあわせて体を揺らしている。
たぶん今日が2回目のリクエスト。

最初のときは賛美歌をリクエストされた。

「慈しみ深き 友なるイエスよ…」

有名な賛美歌だった。
歌詞をうろ覚えだったのでうまく歌えなかったのでハミングで勘弁してもらった。
そのかわり『十字架に帰ろう』という黒人霊歌を歌った。
これがお気に召したらしく、その後あちこちCDを探したらしい。
結局見つからず、あらためてリクエストとなったらしい。

『レスター・フラットとマウンテン・ボーイズ』の名演のことを紹介しつつ、
僕も名演を目指して歌った。
高石ともや訳の日本語バージョンに、英語バージョンを絡ませた。
過去何十回とやった歌だけに、気持ちよく演奏させてもらった。
おじさんの胸には小さな十字架が揺れていたのでクリスチャンなのだろう。

階段の向こう側がやけににぎやかだった。
さくらの二人組だ。
聞くと彼女らは代々木公園に進出するため、今日が新越谷での最後の演奏らしい。
ファンが集まって盛り上げていた。
僕も自分のライブを終えた後顔を出し、久しぶりに一緒に演奏した。
彼女らはこの1年でぐんと力をつけたグループで、僕も彼女らのファンである。
細かいビートの裏側でうねる波ような独特のリズム感は心地が良い。
若いということもあり、説得力という点ではこれからだが楽しみなグループ。

「さくら」のホームページ http://pksp.jp/sakuraen1984/

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