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2004.06.30

我が心の 『函館市立青柳小学校』 旧校歌

       安保  徳輔 作詞
       工藤富次郎 作曲


1.臥牛の緑空に映え

  宇賀の潮路や遠光る

  ああゆく末も幸多き

  学びの窓にいそしまん   


2.みよや巴に青柳の

  誉をになうそのしるし
 
  四方にしきふる天つ日の

  くしき光をさながらに   


3.現し宝とうまれたる
  
  ああ清若の我等いま

  この学舎にいそしみて

  清き世たてんいざもろともに

http://www.h2.dion.ne.jp/~sakaeda/aoyagi2.html

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2004.06.28

『街角ライブ』報告 6月26日(土)


人出も少なく、なんとなく寂しいなと思いつつ歌っていた。
こんな時ほどていねいに演奏するべきだと思いながらも、湿りがちなまま歌いつづけた。
人がいればトークも飛び出し、トークが出ればノリも出てくる。
前半ははほとんどトークもできないまま、ただひたすら歌っていた。
ライブは聴衆との関係で成立するというのは本当だ。

いいかげん寂しくなってきた頃、真横でじっと聞いてくれている人がいるのに気がついた。
現金なものでそういう人が一人でもいるととたんに元気になる。

何曲か歌った後、彼が不意に近づいてきた。

「takuya です」

ビックリした。
小学校時代の同級生だった。
ジャスト40年ぶりの再会だった。


話は遡ること4日前。僕はネットで「早坂茂三氏」について調べていた。
早坂氏はあの田中角さんの秘書で有名な人だ。
僕と同郷の函館人、早坂氏が亡くなられ、彼についての足跡などを調べているうちにあるホームページに飛び火した。

函館から内地に出てきて今は松戸で根をおろしているという人のホームページだった。最近彼が帰郷したときに撮影した写真のアルバムページだった。

函館の青柳町近辺で生まれ育った僕の目に懐かしい母校「青柳小学校」の写真がとびこんできた。
キャプションに「私の母校です」とある。オッと、思った。

さらにページをくっているとまたもや懐かしい写真が・・・
何の変哲もないただの家の写真。
でもキャプションに驚いた。

「元国会議員のA・F氏の家。彼の娘は私の同級生でした」

興奮した。
ぼくもこの娘A・Hさんとは同級生。
ということはこのホームページの作者は僕の同級生ということだ!
むさぼるように彼のサイトを読みまわり、誰なのかを知ろうとした。
結局、わからずにあつかましくもメールをしてしまった。

「もしかして、僕と同級生ではありませんか?」

はたして、それが takuya さんだった。

彼も僕のホームページに目を通してくれ、返事のメールを書いてくれた。


その takuya さんがさっそく新越谷の『街角ライブ』に足を運んでくれたのだ。

興奮した。
もう歌うどころではない。
40年の時間を埋めるかのように話し込んだ。
しばらくしてライブを聞きにまこちゃん夫婦が現れた。
まこちゃんのご主人も僕や takuya さんと同じ学年。
三者三つ巴で話に花が咲いた。(負けじとまこちゃんもからんできたから四者だ)

もうライブどころではない。
一時間近くも話しに花が咲いてしまった。

はっと気がつき、ふたたび歌いだした。
何人かお客さんも集まり始めていた。僕たちの会話を聞いていたのだろう。リクエストされた歌は・・・

玉置の『メロディ』。

同じ北海道出身で同世代の玉置。
しかも学生時代の追憶をテーマにした『メロディ』。
まさにこの時にぴったりの歌だった。

これはもう歌いましたよ。心をこめて歌いましたよ。

そして歌の最後に母校青柳小学校の校歌をつなげていった。
もちろん takuya さんも一緒に口ずさんでいた。


この『青柳小学校校歌』は今はもう歌われていない。少子化のため子供の数が減少し、青柳小学校は近くの谷地頭小学校と合併し、その時に新校歌ができたのだ。

校歌を歌いながら、過ぎ去った時代と『青柳小学校校歌』に対するレクイエムという思いにかられ、ほろりとしてしまった。


ライブはいつもよりちょっと早めに切り上げた。
胸がいっぱいだったから。

takuya さんとは再会を約して別れた。

これがこの日の『街角ライブ』でのできごとだった・・・
(『北の国から』の純のイメージで・・・)

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2004.06.24

トマト

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いつの頃からだろう
トマトを丸ごと齧ることがなくなったのは。

トマトの食べ方。
包丁で切ってサラダに入れ、ドレッシングをかけて食べる。
湯剥きしてつぶしてスパゲッティのソースにして食べる。
ミキサーをかけてジュースにして飲む。

トマトという素材に一手間かけて食べるのがあたりまえになっていた。
あたりまえの食材として、あたりまえのように食べてきたトマト。
特別おいしいとも思わずに食べるようになって久しい。

最近のトマトは昔のように青臭い、えぐい味がしなくなったという人もいる。
ドレッシングをかけちゃえばそういうことすら気がつかない。


最近、ダイエットに挑戦した。
「国立病院の2週間ダイエット」というやつだ。
最初からなんとなく眉唾っぽさを感じてはいたが、
理に反しているとは思わなかった。
野菜を食事の中心に据えて、3食きっちり食べる。
炭水化物だけが制限されたメニューだった。
肥満の長男につきあってのダイエットだった。

昼食にトマトを丸ごと食べる日がある。
ほかはグレープフルーツとゆで卵。そしてコーヒー。
メインディッシュはトマト。
大切に大切に食べる。

歯をたててかじる。
前歯にトマトの皮の抵抗を感じる。
その後果肉がずるッという感じで口の中にすべりこんでくる。
さらに齧る。
一口目とは微妙に違った、ナンともいえない歯ごたえ。
ワンテンポ遅れて果肉が一緒に口の中に流れ込む。

長い間忘れていた感触だった。

そしてトマトが甘いということも長い間忘れていた。

包丁を入れたトマトをすっぱく感じていたのは、齧ると同時に果肉が舌に到達するせいなのだろうか。
ドレッシングのかかったトマトはトマトよりもドレッシングのほうが強すぎる。
ましてつやぶしたり、ジュースにしたりしたものはもうトマトとは別の食べ物だ。

丸ごとトマトを食べる感触と味がやみつきになってしまった。
僕の昼食はトマトが欠かせなくなっている

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2004.06.23

ドーナツパン

       200406230841.jpg


朝の通勤路。ふいに甘い物を食べたくなることがある。


柳町のパン屋 『イーグル文京』。

ドーナツパンを1個だけ買い、歩きながらほおばる。

歯を立てるとカリッとかすかな音。
固いが弾力に富んでモチモチしている。

食いちぎろうとしてひっぱても強い抵抗を感じる。

噛んでもなかなか粉砕できない。
何度も何度も噛むうちにパン生地の風味が溶け出してくる。

飲み込むときに喉で一度ブレーキがかかる。

食べ終わった後も口の中にしばらくは余韻。
あんこの甘味がしっかり自己主張している。

昔風の頑固なドーナツパンという印象。


味も昔風なら、売り子も昔風。
店に入り注文してもしばらくは出てこない。
パンの仕込みに精を出している白髪のおばちゃん。
愛想もへったくれもない。

でもここのドーナツパンが好きだ。


一時期、セブンイレブンのドーナッツパンにはまったことがあった。
雪のように細かい砂糖をまぶした、柔らかくて口当たりの良いパン。
あんこも今風で、甘ったるくない。
おしゃれな味。
ドーナツではなくドーナッツ。
うまいと思っていた。
朝通勤の友は長い間、セブンイレブンのドーナッツパンだった。

セブンイレブンのすぐとなりの『イーグル文京』はある。
気まぐれでここのドーナツパンを買ってみた。

あまりの無骨さに「うっ!」と感じた。

でもやたら懐かしかった。
子供のころ食べた『青柳ベーカリー』のドーナツパンと同じ感触だった。
すっかり忘れていた。

「そうだよ、これだよ。この感じだったんだ」

以来僕は『イーグル文京』のドーナツパンのファン。

ひとつだけ不満がある。
ドーナツパンを注文するとポリエチレンの袋に入れてくれる。
白い紙の袋がいい。
ドーナツの油が紙袋にしみこんで、手に持ったところが透けて見える。
茶色いドーナツパンの生地が透けて見える。
食べ終わった後に紙袋からしみて手についた油をなめる。
これがいいんだよ。


ドーナツパンの歌を作りたくなった


→「買い食い」の記事へ

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2004.06.21

困った トラックバックがついてしまった

初めてトラック・バックがついてしまった。

思いもよらなかった…

オイラどうすればいいの?

あちこちクリックしてみたけどよくワカラン


誰かオセェーテ!!


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2004.06.20

『街角ライブ』  6/19(土)

友人が旅行のため、猫のご飯を出すようにたのまれていた。
ところが猫君は散歩に行ったきりなかなか帰ってこない。家を開けっ放しにするわけにもいかないので帰りを待っていたら新越谷に着くのが遅くなってしまった。

心の準備をする間もなくライブを始めたのだが声が出ない!。高音が裏返るのだ。やばいと思ってる間に人垣ができてしまった。中断するわけにもいかずそのまま続行。納得のいかないまま歌い続けた。

こんなときにかぎってお客さんが途切れない。そのまま2時間歌い続けた。

でも前回もそうだったが歌い続けるうちに声が出るようになってくる。
多分先週の『街角ライブ』はお休みをしたのでまる2週間声を出していなかったのがまずかったのだろう。

久しぶりにお笑い大道芸人の吉田君がやってきた。聞くとここしばらく大道芸は中断して寄席でやっていたらしい。寄席と大道芸とではやり方も勝手も違うらしい。寄席ではネタの内容がまず問われるらしい。大道芸ではネタよりもお客さんをいかにして盛り上げるか。スタンスがぜんぜん違うと言う。何となく分かるような気がした。
僕もライブハウスでの演奏と街角とでは同じ歌をやるにしてもぜんぜん違う。どっちがやりよいかという問題ではなく、演奏する条件が違うからそれぞれの条件に合わせて演奏するとまったく違ったスタンスになってしまうのだ。
彼は寄席よりも大道芸での瞬間芸としてのパフォーマンスの方がやりやすいらしい。でも僕のとなりでパフォーマンスを始めた彼に、いつものやかましいほどのノリがない。ほとんど何もできないまま2時間ほどで帰り支度を始めてしまった。迷いが出始めているのかな…?

今日は偶然がいくつも重なった。ほとんど来るはずのない仕事場の人たちが通りかかり演奏しているところを目撃されてしまったのだ。最初に営業のT本部長。その1時間後には労働組合のS委員長。最後は同じ技術屋のH課長。仕事がらみの知り合いに聴かれるのは実に緊張する。みなそれぞれに酔っているようだったが、仕事場で顔を合わせるのが何となく面映い。

11時を前にして今日は人通りが途絶えた。11時半までを一応の目安にしているので聞く人もない中を歌い続けた。練習の意味もかねて普段はめったに歌わないやつをやり、最後は亡くなったレイ・チャールズに哀悼の意をこめて『I Can't Stop Loving You 』で締めくくった。

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2004.06.10

サッカー インド戦

やっと、やっとフラストレーションのたまらない試合が見られた。

本職の解説者が言うように、決定力が上がったとか、相手や状況によって宮本と小笠原を買えて3バックを4バックにスムーズに変更できたとか、日本代表が良くなってきた要因は色々あるんだろう。ジーコが言うようにゆっくり攻めて落着いて決めることができたというのもあるだろう。

「欧州組」が機能して初めて成立った勝利ではないかと思う。インド戦では小野と中村。「国内組」も技術や試合感では「海外組」と遜色ないとは思う。でも小野のタメや中村の+αがあって初めてゲームを作ることができたように思える。

むしろ「国内組」は小野や中村が自由にプレーできる条件を作ったという点でがんばったというべきだと思う。
自由にプレーできた小野や中村がいい展開を作り、結果として「国内組」のプレーを引きだした。いわば「海外組」と「国内組」がうまくかみ合ったということなんだろう。

それでも不安が残るのは相手がインドだからはじめてできたという部分がある。インドは「守りを意識した」と監督が言うわりには攻めてきた。攻める姿勢はカウンター狙いというものではなかった。むしろ中盤からのプレスの意識が高いように見えた。つまりは他のアジアチームほどにはディフェンスラインを下げてがちがちに守るという感じではなかった。だから意外とスペースが多かったように思える。だから日本は自由に攻撃できた。その結果が7-0というスコア。でも僕はインドの守備を見るともっとチャンスを作れたと思うし、もっと得点できたように思うのだが…。

後半も半ばになりインドが負けを意識し、これ以上の失点を避けようとしたのかラインを下げた。ここからの日本は妙に攻めあぐんでいるように見えた。これは7点とって満足してしまったためか、守りを固められて攻め手が見つからなかったのか、それはわからない。でもどちらにしても問題を感じる。これがトーナメント戦なら分かる。セーフティに勝ちを固めればいい。でもリーグ戦でしかもやっと折り返し地点だ。もっと得点をねらっていって欲しかった。

守りを固めた相手にどう崩すのかという点でちょっと不安は残ったけど、とにかく今日は素直に喜ぼう。

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2004.06.07

そのうち

毎月送られてくる『いずみ瓦版』。
音楽友達のTさんが経営する喫茶店「いずみ」の手書き、手作り情報誌。
気になる記事が載っていたので転載します。
マスター勝手に掲載してゴメンね。



      そのうち

   そのうち お金がたまったら
   そのうち うちでも建てたら
   そのうち 子供から 手が放れたら
   そのうち 仕事が落着いたら
   そのうち 時間のゆとりができたら
   そのうち……
   そのうち……
   そのうち……と
    できない理由を
    くりかえしているうちに
    結局は何もやらなかった
    空しい人生の幕がおりて
    頭の上に 寂しい墓標が立つ
    そのうち そのうち
    日がくれる
    いまきた この道
    かえれない
    そのうち そのうち
    弁解しながら日が暮れる
 
  出典:相田みつを
 



 
            『私が出逢った感動のうた』
 
  この詩に出会った時、ドキッとして、鳥肌が立った。
  何か自分のことを言われているようで。
  自分の人生、自分で進んでいくしかない。
  そして、出来ないと、○○のせいだとか、
  これこれこういう訳があったからと言い訳をして、
  だから、人間なのかもしれない。
  でも他人のことは、言うのはよそう。
  自分だって出来ないんだから。
 

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紫陽花

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紫陽花って 雨降りがにあう花


子供のころ住んでいた家には
 背よりも高い紫陽花がたくさん咲いていた
 
子供の僕には
 紫陽花は見上げる花だった
 
紫陽花の向こうは
 いつも青い空だった
 
梅雨のない北海道では
 雨がにあう花とは思っていなかった


     大人になって 鎌倉に行った
     初めてのデートだった

     鎌倉は雨に煙っていた
      しっとりと心の襞に染み込むような雨だった
 
     傘をさし 紫陽花を眺める彼女

      そこだけが光って見えた


紫陽花って 雨降りがにあう花

紫陽花って 淡い恋の花

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2004.06.04

イングランドに感謝!!

つい先月まではジーコジャパンへの風当たりは強かった。
いらいらする試合が続き、こんなことでドイツにいけるのかと思わせる試合が続いた。
(でも不思議に負けなかったのだか…)

チェコに勝ってから少し風向きが変わってきた。

      お、やるじゃない!

新聞の論調も微妙に変わってきた。

そして圧倒的に不利と思われたイングランドと引き分けた。
ゲームの内容もあのイングランドと対等以上に渡り合っていた。

素直に喜びたい。

日本は間違いなく力をつけてきていると思う。
まぐれでチェコやイングランドとあそこまで戦えないと思う。

でも思うのだがあれだけやれたのは
チェコやイングランドが日本の潜在能力を引き出してくれたためではないか?

日本はどうも相手チームに合わせてしまう傾向があるようだ。
A代表だけではない。
最近変身してスペクタクルなゲームを見せてくれるU-23も去年まではそうだった。
アジアの決して強豪とは思えないチームと対戦する時はそのチームのペースに合わせてしまう。
その結果、気がついたときには自分たちのリズムを崩してしまっている。
ところが世界の強豪を相手にするとそのペースについていこうと必死になる。
それがいい結果につながっている。

その意味ではチェコやイングランドに感謝しなければならない。
たとえ触発されて潜在能力を引き出されたにしても、
一度高いレベルのゲームを経験することは自信につながる。
やれたという実績は何よりも自分たちに一番焼き付けられ、それが自信に変わっていくだろう。


ただ35年来のサッカーファンとしては、
相手に引き出されるのではなくコンスタントに力を発揮して欲しいと切に願う。
コンスタントに力を発揮できるようになってはじめて本物の強さだと思う。

その意味では「格下」のインド戦で日本がどういう戦いを展開するかということが問われてくる。
ドイツ本戦での日本を占うことになるのではないだろうか。

目覚めろニッポン!!

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初夏?

200406040733.jpg

寒い日、雨の日が続いていた。
まるで一足早い梅雨のようだった。

     やっと晴れた日が続いた。
     川沿いの朝の光は初夏を思わせた。

       これから梅雨本番がやってくると言うのに…

          つかのまの晴れ日に
          心の洗濯物は晴れたろうか…?


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