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2004.05.20

時間の流れる速さが変わるとき

朝の通勤時間。
地下3階の地下鉄に乗るため、長~いエスカレータに足を乗せた。
いつもなら改札を目指してエスカレータの上を足早に歩くところ。今日は朝からなんとなく気乗りがしなくて、エスカレータの上で足を乗せ、そのまま止まってしまった。
僕の脇をすり抜けるようにたくさんの人が駆け下りていく。
前後に立ち止まる人はいない。
僕のまわりだけ時の流れが遅くなったような感覚に急に襲われる。
取り残されたような気分と、先を急ぐ自分に対する疑念が交錯する。

「俺…なにやってんだろう?何をいつも急いでいるんだろう」

物心ついたころから、いつも何かに追われるように走りつづけてきた気がする。
まるでどれだけ多くのことができるかで人生の価値が決まるかのように。

   目的のある旅ではない。
   旅するための旅。
   大切に生きれば十分に長い人生の旅路

大佛次郎の『旅路』という小説だったと思う。(違うかもしれない)
昔50代だった父が好んで引用していたこのフレーズが、50代を迎えた僕の中でフラッシュバックする。

人生を大切に生きるということがどういうことなのか。
50代になった僕のテーマになりそうだ。

2分間のエスカレータの旅路。そんなことを考えていた。

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2004.05.17

シロツメクサとアカツメクサ

200405170759.jpg


子供のころ、学校帰りの土手道を歩くと一面はシロツメクサの絨毯だった。
道草を食らうのが子供の特権。ランドセルをそこらに放り投げてシロツメクサの絨毯の上に横になり空を見上げるのが好きだった。
北海道の青い空。流れる白い雲。青いキャンバスの上で様々に形を変えていく雲を何かに見立てて空想を広げていく。
飽きると、シロツメクサをつんでは髪飾りを作ったりロープを編んだり。
やがて陽は傾きかけオレンジ色を帯びてくる。腹もすいてくる。
シロツメクサの群落とは別に広がるアカツメクサの密をすすりながら家路をたどる。
当時シロツメクサよりもアカツメクサのほうがあまい蜜がすすれると信じていた。
アカツメクサの蜜は青臭かったがほのかに感じる甘さが結構気に入っていた。

今朝いつもの通勤路を歩いていると、空き地にシロツメクサとアカツメクサが一面に咲いていた。妙に懐かしい気分になる。
衝動的にバラ線を乗り越えて白と赤の絨毯の上に身を投げ出したい欲望にかられた。
「あぶない、あぶない」苦笑いしながら欲望の地を後にした。
僕自身の中に、いまだに道草の心が残っているのがなんとなくおかしかった。

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2004.05.14

雨上がりの朝は とてもきれいさ

夜来の雨は強かった。
一夜明け 外に出ると晴れていた。
汚れも喧騒もすべて洗い流されたように街はきれいだった。
ちょっと蒸し暑い空気は水の香りを含みきれいだった。

滅入ることの多い毎日。
昨日から今日へ、何一つ変わっていないのに、
夜来の雨が一時洗い流してくれたような気になる。

歳を重ねると悲しいことも増えてくる。
でもなんでもないことが憂いを忘れさせてくれるということも分かってきた。

雨上がりの朝は とてもきれいさ

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