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2004.02.29

夕闇近し

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夕闇が迫ってきた。
電柱にへばりつく作業員のピッチが上がっている。
急げ、がんばれ。
おひさまと競争だ。
空はどこまでもおおらかに赤かった。

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2004.02.25

電車と携帯

朝の通勤電車でのできごと。
僕は運良く座ることができたので『サッカーマガジン』を開いて
Jリーグ各チームの昨年データから、戦力の比較分析をしていた。
数字の羅列からそのチームの傾向や特徴を想像しイメージするのは結構はまる。

電車は込んできて前に立ってる人との距離はかなり接近してきた。
本に目を落としている僕の頭の上でふいにピピピピピッ…、カチャカチャカチャと鳴り出した。
メールだとすぐに気が付いたが、その時は気にとめなかった。「じきに終わるだろう」と思っていた。
ところが10分たってもその音は止まらなかった。
あの音は気になりだすと、どうしようもなくなる。僕の思考は浦和レッズのところで止まったままだった。
何度かちらちらその音の持ち主を見やった。30もなかばと思えるご婦人だった。
彼女はこちらの視線には全く気がつかない様子。(気がつかないふりをしていたのかな?)
「おい、混雑時は携帯の電源を切ってくださいと車内放送で何度も言ってるだろう!」と思いつつ、しばらくは我慢していた。
電車が急ブレーキをかけた。立っている人達はみな大きくゆれた。
彼女もゆれた。そして何事もなかったようにメールの続きを打ち始めた。

僕の中でなにかがはじけた。
「申し訳ないんだけど、ピピピッていう音を止めてもらえません?
頭の上でそれをやられると気になって本も読めないんだけど」
衝動的に口をついて出てしまった。
彼女は不愉快そうな顔をした。
注意されたことに対する不快感なのか、
僕は座って本を読んでるくせに、立っている自分に文句言えた義理かと思ったのかは分からない。
あとの顛末はご想像におまかせするが、あまり気分の良くない朝だった。

ひところ電車内での携帯電話に対する議論が沸騰したころがあった。
僕は目くじらを立てて議論するようなもんじゃないと、その議論自体をちょっと冷淡に見ていた。
良識の範囲で判断すればいい話しじゃないかと思っていた。
仲間同士で大声で話しをする若者たちもいる。
ウォークマンのイヤホンから漏れるドラムのハイハットの音をたれながす若者もいる。
酔っ払っておだをあげ、その場にはいない上司の批判をして盛りあがるおっさんたちもいる。
車両を走り回り、しかられると泣き喚く子供も多い。
そんな子供をしかりつけるお母さんの声の方がはるかにやかましいということもある。
そういうことに比べて、見えない相手に対し携帯で話しをすることの非がどれほど大きいのか。
携帯だけをことさらに論じるのは片手落ちだと思っていた。
(ラジオやテレビの特集でもこぞってこの議論を取り上げていた)

でも良識ってなんだろう?
人に不快感を与えることを継続的に行なうのは良識に反することだろう。
でも不快感を覚える内容ってのは一人一人違うだろう。
例えば僕だったら電車の中で携帯をやっていても、小声で2~3分程度だったら全く気にならない。
でも5分以上もやられたんじゃいらだってくる。
大声でやられたんじゃたとえ10秒でも癇にさわる。
なりだした携帯の音を大慌てで消す姿を見ると、最初からマナーモードにしとけよと思う。
人に後ろ指をさされまいと思ったら、何もしないことが一番。
でもそれすらも怪しい。おまえの存在そのものが不快だといわれたらなんと答えよう。
で、結局僕もやりたいようにやってるんですよね。
だからこんなことを思ってる僕にしたってどこで人に不快感を与えているかわからない。
自分では気づかずにどれだけ人のひんしゅくをかっていることか…。
なんだか怖くなってきたなぁ…。

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2004.02.22

一鵠堂

札幌ラーメンに比べてあっさり目の味噌がおいしい。白味噌と赤味噌があるけど白が好きかな?餃子もいけまっせ!

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2004.02.20

夜明け前

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1時間早起きして、散歩に出かけた。
2月なかばなのに早朝の空気はぬるんでいた。
歩くうちに徐々に夜が明けてきた。
夜明けを見るなんてひさしぶりだ。
赤く染まった空にちょっと感動。
早起きは三文の得。
なにかいいことがおきればなぁ…

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2004.02.19

胃が痛くなる試合 オマーン戦

こんなに疲れた試合は久しぶりだ。
押しているのに、いいパスも入っているのになぜゴールネットをゆらせない。
前半終了までは見ているほうもまだ余裕だった。
むしろオマーンの健闘を心地よく思っていた。
中村俊輔のPKをはばんだキーパーの読みと反応に驚嘆した。
(自分も現役時代キーパーだったためか、キーパーのファインセーブには敵味方関係なく拍手を送るクチだ)
でも後半が始まっても同じ展開を繰り返すうちに胃のあたりがきりきりしてきた。
得点できそうな気がしないのだ。
オマーンのマンマークの固さ、寄せの早さ、ルーズボール奪ったあとのカウンター
どれをとっても不安をかきたてる内容だった。
ロスタイム突入。
もうほとんどあきらめに変わっていた。
気持ちは次の試合に切り替わっていた時に久保のゴール。
安堵と緊張の糸が切れて、床に突っ伏してしまった。
最後まで試合を捨てなかった選手に対して、ちょっと自分が恥ずかしかった。
このはらはらドキドキ。
だからサッカーは面白い。
フ~…

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2004.02.18

菜の花

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毎日通う道
気が付くと菜の花が咲いていた
いつの間に…?
時間に終われ、いそがしく歩いている間に
季節はひとつまわろうとしている
季節とともに生きられればいいな

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2004.02.10

恵命我神散

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薬屋の前で恵命我神散ののぼりを見つけた。
突如として忘れていた記憶が僕の中でスパークした。
「我神散」
僕にとっては心をくすぐる懐かしい響きだ。

中学生のころ『予習』という名の塾に通っていた。
サッカーに明け暮れちっとも勉強しようとしない僕に、
業を煮やした母は母親の強権を発動して近所の予習塾に僕を投げ込んだ。(当時母は強くて怖かった)
『予習』は年齢不詳の池田先生という女性が自宅(アパ-ト)を開放して子供たちに勉強を教えていた。
年齢不詳というのは中学生の僕たちの目にはおばさんにも見えたし、
独身であるがゆえの(?)厚化粧が若くも見せていたためだ。

池田先生は独自の教育観を持っていて、学校の授業をよく理解するための補助と自分の塾を位置付けていた。
したがって当時やっとでき始めた進学塾とは一線を画しているという自負があったようだ。
どちらかというと寺小屋のような塾で、預かったいじょうは丸ごと子供と付き合うという信念だったようだ。
頻繁にサボり皆から遅れがちな僕は勉強以外のところでもずいぶんお世話になった記憶がある。

池田先生はことあるごとに僕たちに『我神散』を飲ませた。
「我神散はなんにでも効くのよ」が口癖で、腹をこわした子供にはもちろん、風邪をひいたといえばお湯に溶かして飲ませ、腫れ物ができたといえばタバコの葉と一緒に煎じて塗ったりしてくれた。
僕がもっとも我神散のお世話になったのは池田先生が『予習』仲間を引き連れて
青森の種差海岸にキャンプに連れられていった時のことだ。
初めての内地への旅行で僕たちは興奮していた。(函館出身なのです)
興奮する僕たちをさらにあおったのは池田先生だった。
「種差はきれいなのよ。5メートルくらいの高さの岩の上をピョンピョンとびながらヤッホーというの…」
池田先生の目は夢見る乙女のごとしだった。
僕たちの興奮は絶頂に達していた。
砂浜を走り回っていた僕は瞬間意識を失った。
洗濯物を干すロープが張ってあるのに気が付かず全速力でロープに突っ込んでいったのだ。
悪いことにロープはちょうど首の高さに張ってあった。
首がどんどんはれ上がり、熱をもってしまった。
池田先生は沈着冷静だった。
直ちに僕を寝かせ我神散を水で溶き湿布薬を作り首に塗りこんでくれた。
湿布は熱のためすぐに乾いてしまう。
何度も何度も我神散をとりかえ夕方には腫れはひいていた。
我神散の湿布のほかに、水で溶かしたものを何杯ものまされたのは言うまでもない。

あまりの懐かしさにネットで『恵命我神散』を調べてみた。
『恵命我神散』は屋久島で生まれた生薬で、
な・なんと、単なる胃腸薬だった…!

種差海岸での一件があった翌年、池田先生は大阪に嫁いでいった。
結婚にあたって生徒たちにこう言い放った。
「私は『世界平和』のために結婚します。だからみんなとはお別れだけど、
世界に平和が訪れた時先生のことを思い出して下さい」

すべての病気に万能の『我神散』を信じた先生。
世界平和のために我が身を捧げて嫁いでいった先生。
御存命なら御年70歳を越えていることだろう。

『我神散』は胃腸薬だったし、『世界平和』もいまだ訪れていない。
けれど僕は忘れない。
真剣に生き、かつ大まじめに自分を信じた池田先生のことを。
『我神散』のひびきとともに…

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2004.02.09

イタリア料理ino ino

ビルの谷間のちっぽけなレストラン。
シャレたよそおいで気になっていた。
午後の陽射しがさしこむお店はいい光りがまわっていた。
エアポケットのような空間。
二人づれにはいいかも。

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右中指にばい菌が入り腫れてしまった。
多分爪を切ったとき深爪をしてしまったためと思われる。
そのうち直るだろうとたかをくくって10日ばかり放置していた。
それがまずかった。昨日の朝痛みが激しく、目覚めた。
指先は倍ほどに膨れあがっていた。
そく病院へ。有無を言う間もなく切開。

指1本といえど自由が利かないとこんなに不便だとは…
まず、箸が使えない。ペンで字がかけない。
パソコンのキーボードも中指がつかえないためミスタッチを繰り返している。

昔、ジャンゴ・ラインハルトというギタリストがいた。
指が2本しかないのに激しい演奏を身上とする人だった。
それしかない指をフルに駆使して築き上げた独自の世界。
僕はジャンゴのようになれるのかなぁ?
多分ダメだろうな。
なんてことを思って1日過ごしていた。
あ~ぁ。早く直れよ。
コンサートまでもう時間がないんだから…

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2004.02.08

こもれびの『桂』

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安行の林のはずれに
古い民家を改築したような日本料理屋がある。
休日の昼下がり
ぶらりと暖簾をくぐってみた。
特別しゃれた店でもないし、
特別においしいと感じたわけでもない。
ごくあたりまえの店なのだが妙になごんでしまった。
竹を植えた窓から差し込む午後の日差しがゆれて
テーブルや木の椅子にこもれびをつくり
一瞬子供の頃の懐かしい風景に滑り込んだためなのだろう。
2月の日差しはかすかに春を予感させてくれた

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2004.02.02

雨上がりの夜

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雨が上がりの夜
いつもの道が、ちがう風景に見える

足早に通り過ぎる景色が惜しくて
しばしたたずんでいた

濡れた路面に反射する信号機の赤、青、黄色

オレンジ色の街灯

通り過ぎる車のテールランプ

忘れかけた時間を
ひととき 思い出させてくれた

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