2024.10.11
「歌声音楽会」はどんなカタチが望ましいのか。
長年あの手この手と試行錯誤をくりかえしてきた。
現段階で到達しているのが「会話を楽しむ音楽会」。
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演者が音楽やトークを「提供」するのは「会話」ではない。
ライブや歌謡ショーなどでは一方通行のそういうカタチもあり。
でも会話とは一堂に会して互いに話し合うこと。
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演者である自分が話のタネを投げかける形で歌や会話は始まる。
それを肴にして「会話」が生まれる。
さらに演者と参加者というかたまりのやりとりだけではなく、参加者同士の間にも会話が生まれる、膨らんでいく。
その会話が次の歌につながっていく。
この循環が次々と間断なくくりかえされていく。
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いわば「道しるべのない歌の旅」。
道草を食みながら、刹那刹那をつなげて目的のない「旅するための旅」を楽しむ。
そんな風なのが僕の理想とするカタチ。
それが「会話を楽しむ音楽会」だ。
そういう音楽会を「井戸端音楽会」とか「お茶の間音楽会」と称している。
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今現在こういう歌声音楽会をあちこちでさせてもらっている。
ベースになっているのは次の3つの歌声音楽会。
・デイサービスで10年ほど続けている「さんすまいる音楽会」。
・喫茶店JUNEでやはり10年近く続けている「歌声喫茶」。
・おーるどタイムでやっている「フォークの歌声音楽会」。
うれしいことにこの3つの音楽会では理想とするカタチで進められるようになっている。
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水先案内人の僕の役割は
①最初の出だしの歌と会話のきっかけを作ることと、
②会話の内容をうまく集約して次の歌につなげること、
③そして音楽会のラストを適切な着地点に軟着陸させること。
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あえてリクエストを募る必要はない。
なぜなら会話の中から自然に浮き彫りになってくるから。
浮き彫りになった複数の歌の中から選別すればいい。
(以前はリクエストを掘り起こすために色々策を弄し、四苦八苦していた)
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歌う楽しみだけではなく、会話すること自体もまた楽しみ。
歌と会話とがシームレスにつながり渾然一体となった音楽会になりつつある。
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ただ「会話を(も)楽しむ音楽会」をやるにはいくつか条件があるようだ。
①こじんまりとした小さな小さな音楽会であること。
参加人数が20人にもなると会話は成立しにくくなる。
②ひとつの場所で長い期間続けられていること。
音楽会のカラーが定着するには何年もの時間が必要だ。
③核になる参加メンバーが何人かいること。
そういう人たちがいることで初めての参加者への気配りが会全体としてなされる。
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「会話を楽しむ音楽会」にするために水先案内人として気をつけていることもいくつかある。
①己の存在を極力消すこと。
できれば空気のような存在でありたい。
司会者(水先案内人)の強い個性や仕切りで音楽会を運営していくのはどうもなじまない。
②道草話の中にも絶えずアンテナの感度を上げていること。
なんてことない馬鹿話であったとしても、その中に次の歌につながるお宝が潜んでいる。
それを見過ごさずにスポットライトを当てるためには感度良好でいなければならない。
③それらを保つために心はいつも開いていたい。
心を開いていなければ自分のこだわりや好みに左右されてしまうこともあり、独善に走る危険性が生まれる。
なんでもありの精神。Everythings OKだ。
④参加者全員をたえず視野に収めておくこと。
いろんな年代や好みの方が一堂に会する。
中には知らない歌、あまり好みではない歌を選別されることも当然起きる。
大人の集まりだからそういう状況ではにこにこしながら聴き手にまわったりしてくださる。
でもその状況がずっと続けば疎外感だって生まれる。
それを避けるため参加者全員を視野に収めておきたい。
音楽会全体を通して一人の取りこぼしも起こさないように交通整理したい。
歌声音楽会は参加者全員で作り上げられる時間・空間でありたいから。
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さんすまいる音楽会、歌声喫茶@JUNE、フォークの歌声音楽会の3本柱。
長い年月をかけてようやっと理想とする「会話も楽しむ音楽会」として定着しつつある。
そして五里霧中・暗中模索の中で試行錯誤をくりかえしてきたことは決してむだではなかったと思いたい。
試行錯誤をしてきたあれこれは、新しく始めた「井戸端音楽会@楽龍時」などにも活かしていきたい。
また時々お声のかかる出前コンサートにも活かされている。
さらにはショー形式のライブにも歌声音楽会の要素が自然と含まれるようになってきた。
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今のカタチが最終到達点かどうかは分からない。
この先変わっていくかもしれない。
変わることなく練度・精度が上がっていくだけなののかもしれない。
ただ何十年もいろいろ迷いながら歌い続けてきて、今もっとも心地いいのは「会話も楽しむ音楽会」というカタチ。
これが70歳時点でのひとつの到達点のように思える。
2024.10.09
変貌 「太陽のない街」から「陽のあたる街」へ
かつて務めていた共同印刷とその周辺を歩いた。
退職したのは2011年3月。東北大震災の直後だった。
それからすでに13年にもなる。
このあたりに足を向けたのは実に10年ぶりほどだ。
会社のそして街の変貌ぶりに驚き、ちょっと切なさを感じた。
会社が全面的に建て替えられ、新社屋になったという話は聞いていた。
以前の社屋は戦前に建てられた鉄筋コンクリートのゴツゴツした古めかしい建物だった。
それがすっかり近代的に。
カーブを描いたフォルムで全面ガラス張り。
威風堂々としたビルがそびえ立っていた。
僕が40年近くうごめいていた印刷現場は地方工場に移設され、今ではオフィスビルに特化されたらしい。
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俺にとっての共同印刷はもう心の中にしかない
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そんな感慨にふけってしまった。
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そしてそれ以上に切なかったのは街の変貌だった。
かつては共同印刷の周辺の陽もあたらぬような路地裏には小さな印刷屋や製本屋がひしめいていた。
大通りから路地に入れば、あちらこちらから印刷の音や製本の音が聞こえてくる。
タンタンタンタンという小気味のいいリズミカルな機械の音。
溶剤や油の入り交じったような独特の香り。
そして紙の匂い。
バラックに毛の生えたような建物を開けっぴろげにして作業する製本屋。
路地のあちこちでは菜っ葉服を着た人たちが一服する煙草の香りが漂っていた。夏には日影を求め、冬には日だまりを探しながら。
そんな風景は路地という路地で見ることができた。
それがこの街の風物詩。
僕の好きな風景だった。
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それらは見事に消え去っていた。
路地という路地はきれいに整備され、明るく「健康的」な雰囲気に変わっていた。
静かでおだやかな雰囲気が漂っていた。
機械の音が聞こえない。
印刷や製本の匂いも漂ってこない。
菜っ葉服と煙草の香りもない。
みんなない、なにもかも根こそぎない。
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かつてこの街は「太陽のない街」と言われた。
大正末期の共同印刷の労働争議を題材にしたプロレタリア小説から来ている。(徳永直:著、戦旗社:刊)
僕が勤めていた頃はさすがに「太陽のない街」に描かれた風景はもうなかった。
それでも路地裏に「太陽のない街」の雰囲気をかすかに感じることができた。
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今は「陽のあたる街」にすっかり変貌してしまった。
ここで暮らす人たちにとってはそれは良いことなのだろう。
健康的で文化的な今風の暮らしを手にすることができたのだから。
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でも失われた街の風物詩を思うと淋しく、切なさを禁じ得ない。
失われたものへの哀憐の情とでもいうのだろうか。
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駅に向う帰路、昔よくお世話になった飲み屋や古本屋が健在だったことが救いだった。
さすがに古本屋は代替わりしたようだ。かつての白髪のおじちゃんから金髪に染めたあんちゃんが奥で店番をしていた。
なじみだった飲み屋・遠州屋の名物、モツ煮で一杯やろうかと思った。
残念ながら開店前であきらめて、帰りの電車に乗り込んだ。
さらば「あすなろ山の会」
65年の歴史をかさねてきた「あすなろ山の会」がその幕をおろした。
会員はみんな歳を重ね、自由に山登りを続けるのが難しい年齢となった。
この10年は会としての山行もままならず、個人山行主体となった。
それぞれの山行記録を会報「あすなろ通信」に投稿することくらいしかできなくなった。
決定的な出来事がふたつあった。
ひとつはコロナの影響。
会としての山行がこれをきっかけでまったくできなくなった。
もうひとつは「あすなろ山の会」長老として会の支柱だった大杉二郎さんが昨年亡くなったこと。
これが決定的だったように思う。
二郎さんは確かに最長老のひとりだったけれど、初期メンバーはみな御年90歳に近い方々ばかりだ。
僕はあすなろ山の会では一番の若者。
その若者からして70歳の峠を越えている。
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最後の集まり(解散式)が小石川後楽園の涵徳亭で行われた。
人生の大半を「あすなろ山の会」と共にしてきた者が集まり、昔話に花を咲かす。
国内の山はもちろんだが、アルプス山脈に挑んだ人たちもいれば、ヒマラヤトレッキングに何度も通った先輩方も多い。
富士山やその近辺の山々にこもり、富士山写真の撮影に情熱を燃やす先輩もいる。
谷川岳の一の倉沢の初登に挑み完登した強者もいる。
話題にはことかかない。
僕が「あすなろ」で学んだ一番大きなこと、それは山を楽しむこと。
でも楽しむことのほんとうの意味は、しっかりトレーニングを積み準備を重ね自分を追い込まなければならないということだ。
そういうことがなければほんとうの意味で「山を楽しむ」ことにつながらない。
解散式に出席された方々は正直若い頃の剛健さからはほど遠かった。
大病された方もいれば、かつての健脚ぶりが嘘のようにストックをついてヨレヨレと歩く方もいる。
でも皆さんその年なりに、身体の状態なりに日々トレーニングを重ねている。
もう二度と山には入れないかもしれない。
にもかかわらずご自分にできる範囲のトレーニングを今もまだ積んでいらっしゃる。
トレーニングは決して特別なことではなくすでに日常なんだろう。
ストックをつきながらよたよたと歩く先輩方の姿を思い浮かべる。
涙が出る。
解散式の最後に「あすなろの歌」をみんなで歌う。
この1曲を歌うためだけに僕はギターを背負っていった。
「あすなろの歌」は40年前、創立25周年に向けて作った歌だ。
当時30歳だった僕が先輩方の山旅の姿をイメージしながら書いた。
「あすなろ山の会」の集まりがあるたびに歌い続けてきた。
それは山の中であったり、亡くなった大杉二郎さんの「あすなろ小屋」で20年に渡って毎年やってきた「森の音楽会」だったりした。
「あすなろの歌」ができてから40年の時を経た。
山の会の最後になってようやっとこの歌に現実味が生まれたような気がする。
長い道のりを 君は歩いてきたんだね
想い出しておくれよ さまよい歩いた日々を
ザックに夢をつめて はるか山の彼方
いつまでこの道を 君は歩き続けるのか
何を求めてゆくのか 何かがそこにあるのか
旅するための旅を また始めるのだろう
あすなろ あすなろ 心の旅人
あすなろ あすなろ 心のふるさと
みんな長い道のりをお疲れさまでしたという気持ちもある。
同時にこれからも「旅するための旅をまた始めるのだろう」というメッセージにもつながるように思う。
大切に生きれば充分に長い人生の旅路。
「明日はなろう檜になろう」と日々を一生懸命生きるという「あすなろ精神」は人生の終盤を迎えた今だからこそ問われることなんだろう。
「あすなろ山の会」昨日をもって解散した。
そして「あすなろ」は文字通り「心のふるさと」となった。
2024.09.30
2024年10月 ライブ・音楽会予定
10月05日(土) 楽龍時フェスタ
時 間 12:30~17:30
場 所 民家ライブハウス・楽龍時
場 所 民家ライブハウス・楽龍時
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10月09日(水) 喫茶店JUNE 歌声喫茶
時 間 16:30~18:30
場 所 喫茶店JUNE(tea room ジュン)
料 金 ¥1000 (1ドリンク付き)
水先案内人 Martin古池
★昭和の香り漂う喫茶店で昭和を思いおこす歌の数々を参加者みんなで歌います。
歌とおしゃべりあふれる黄昏時をご一緒しませんか。
★今月は開始時間が16:30になります。(通常より30分早いのでご注意願います)
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10月12日(土) 第18回 Live in 清津峡
時 間 18:00~24:00 over
場 所 南丹沢 清津峡キャンプ場
★第1回目から20年になりました。
(台風と大雨でキャンプ場への山道が崩壊したのと、コロナの影響で2回お休みしたけど)
ガスも電気も何もない自然に中で音楽とキャンプを楽しむ音楽祭です。
10月17日(木) SOMPOケア 配信ライブ
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10月18日(金) さんすまいる音楽会
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10月20日(日) フォークの歌声音楽会@おーるどたいむ
時 間 12:00~15:00
場 所 場 所 Live cafe おーるどタイム
https://oldtimemk.exblog.jp/
場 所 場 所 Live cafe おーるどタイム
https://oldtimemk.exblog.jp/
出 演 Martin古池
参加費 ご注文をお願いいたします。
★今月は開始時間が2時間早い12:00からとなります。
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10月22日(火) 函館旭が丘の家コンサート
時 間 15:00~16:00
場 所 函館 特別養護老人ホーム 旭が丘の家
場 所 函館 特別養護老人ホーム 旭が丘の家
出 演 Martin古池
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11月03日(日) おーるどたいむ de ライブ 秋の陣 2024
時 間 15:00~18:00
場 所 場 所 Live cafe おーるどタイム
https://oldtimemk.exblog.jp/
場 所 場 所 Live cafe おーるどタイム
https://oldtimemk.exblog.jp/
出 演 ピロSugawara : Martin古池
木戸銭 ¥2000(別途ご注文をお願いいたします)
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10月08日(火) ギター・ワークショップ@JUNE
10月31日(木)→29日から変更になりました。
★10月29日は仮予定です。変更があった場合あらためてお知らせいたします。
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10月19日(土) 青空演奏
時 間 12:30~16:30
場 所 越谷中央市民会館前の川沿い芝生広場
★10月は他のイベント、ライブ出演のため19日のみとなります。
音Cafe Ohanaライブを終えて
Ohanaさんで歌うのは1月以来のこと。
スタッフさん御一同、あたたかく迎え入れてくれありがたかった。
来てくださったお客様も皆さんなじみの皆様。
初めて来てくださった方もライブ開始前からあったかオーラを放っている。
もうライブ開始前からすでにアットホームな雰囲気に。
スタート前からおしゃべりに花が咲き、シームレスにライブ突入。
ライブステージは特別なものではなく、どうでもいいような世間話の延長上にあるってのが僕の理想。
もっと言えば「歌は肴」でやりとり=おしゃべりにつながる円滑材ってのが最高。
のっけからそんな理想のライブ像に。
Ohanaライブの大きなテーマは「わが青春の歌物語」。
今回は小テーマとして「ひとりグループサウンズ編」。
このテーマがお客様にはまった。
皆さんほぼほぼ同世代。
グループサウンズは骨の髄までしみこんでいる。
(ちょっとお若い方も小学生の頃テレビからお茶の間に流れていたことだろうしね)
オープニングの「なんとなく なんとなく」を歌い出すとお客様も自然発生的に一緒に歌い始める。
こいつぁハナから調子がいいやぃ
と思いつつ「夕陽が泣いている」のイントロを弾き始めた。
最初の1小節を弾き終わらぬうちに皆さん即反応。
そこでいきなり演奏を止めひとこと。
これだけでわかっちゃうよね
スパイダースについてひとくさりしつつ突然演奏再開。
まさにシームレス。
みなさん一緒に歌い出す。
口ずさむなんてもんじゃなく、ガッツリ歌ってくれる。
この段階で本日の方針は「みんなで歌おうグループサウンズ」にすることに決めた。
歌詞を先唱しながら歌い進めるスタイルにした。
(五つの赤い風船の西岡さんがやっていた歌詞先唱スタイルのモノマネ)
終始そんな調子でたっぷり1時間、みんなで歌いみんなで言葉を交わした。
選曲は先月の「おーるどたいむ de ライブ」とほぼ同じ。(何曲かは入れ替えたり割愛したりしたけど)
おもしろいと思ったのは、同じ歌を同じように歌ってるのに、ステージは決して同じにはならない。
演奏するお店によっても変わるし、お客様によっても当然変わってくる。
「ライブは生モノ」ってことなんだね。
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第2部はオープンマイクのコーナー。
手塚さん、中谷さん、ピロちゃんのお三方がそれぞれのステージを展開してくれた。
それぞれの好みやスタイルの違いを堪能させてもらえた。
そしてエンディングはみんなで2曲歌って〆るコーナー。
中谷さん主導で「空も飛べるはず」。
手塚さん主導で「Moonbow」。
故郷へ帰りたい Take Me Home Country Roads
この歌を覚えたのは18才の頃。
大学受験に失敗し、伊達のカトリック教会に間借りし「受験勉強」に精を出していた頃だ。
エミール・デュマスというアメリカ人神父に教わった。
エミールさんから教えてもらった数多くの歌のうちの1曲。
長年、原語にこだわって歌ってきた。
英語の発音とイントネーションをエミールさんにチェックされた。
そのシーンが今も焼きついているためだろう。
そのシーンが今も焼きついているためだろう。
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およそ50年を経てやっと日本語の歌詞をつけることにした。
「離郷・望郷」をテーマにしたライブを近々にふたつ予定している。
それにあわせてのことだ。今やらなきゃこの先二度とやることは無いだろうという思いもあった。
それにあわせてのことだ。今やらなきゃこの先二度とやることは無いだろうという思いもあった。
ところが原詩の中にはアメリカの地名がしこたま入ってくる。
ウェストバージニアだの、ブルーリッジ山脈だの、シェナンドー川だのね。
それをなぞったんじゃ日本語詞にする意味がない。
それをなぞったんじゃ日本語詞にする意味がない。
このあたり一帯は古くからの炭鉱があるところだそうだ。
「炭鉱の町」なら我が故郷、北海道にもたくさんある。
高校時代の同級生やサッカー部の先輩にも炭鉱の町からやって来た人がけっこういた。
赤平、夕張、三笠、そして芦別。思い出すだけでも5~6人の友人がいる。
彼らのお父上は炭鉱が閉山され、慣れ親しんだ炭鉱の仕事を捨て鉄の町・室蘭にやって来た。
ずいぶん苦労されたことだろう。そして望郷の念もまた強かったのではなかろうか。
ずいぶん苦労されたことだろう。そして望郷の念もまた強かったのではなかろうか。
数年前、自分のルーツを探る旅の一環で炭鉱町をあちこち訪ねた。
その時目にした景色や音や匂いが残っている。
その時目にした景色や音や匂いが残っている。
2024.08.29
2024年09月 ライブ・音楽会予定
9月3日(火) 喫茶店JUNE 歌声喫茶
時 間 17:00~19:00
場 所 喫茶店JUNE(tea room ジュン)
料 金 ¥1000 (1ドリンク付き)
水先案内人 Martin古池
★昭和の香り漂う喫茶店で昭和を思いおこす歌の数々を参加者みんなで歌います。
歌とおしゃべりあふれる黄昏時をご一緒しませんか。
★今月は開始時間が17:00になります。(通常より30分遅いのでご注意願います)
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9月08日(日) Martin古池の 井戸端歌声音楽会
時 間 13:00~15:00
場 所 民家ライブハウス・楽龍時
場 所 民家ライブハウス・楽龍時
お客様とのおしゃべりやリクエストをもとに作っていく、井戸端会議のような音楽会です。
一般に「歌声喫茶」というと歌が中心の音楽会。
井戸端音楽会はみんなで歌うことはもちろんのこと、歌にまつわる背景話や参加者それぞれの思い出話など一緒におしゃべりをしようというものです。
楽器持参での参加も大歓迎です。
井戸端音楽会はみんなで歌うことはもちろんのこと、歌にまつわる背景話や参加者それぞれの思い出話など一緒におしゃべりをしようというものです。
楽器持参での参加も大歓迎です。
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9月15日(日) ブリスイン野田 歌謡ショー
時 間 13:00~15:00
場 所 ブリスイン野田(クローズド)
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9月16日(月) Martin古池 Ohanaライブ
時 間 13:30~16:00
場 所 音Cafe Ohana
場 所 音Cafe Ohana
千葉県船橋市本町3-1-1 柏ビル2階
船橋駅より徒歩5分
今年2回目のOhanaライブ。
「グループ・サウンズを歌うの巻」と題して歌います。
1部はMartin古池のソロステージ。
2部はお客様によるオープン・マイクです。
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9月19日(木) SOMPOケア 配信ライブ
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9月29日(日) フォークの歌声音楽会@おーるどたいむ
時 間 14:00~17:00
場 所 場 所 Live cafe おーるどタイム
https://oldtimemk.exblog.jp/
場 所 場 所 Live cafe おーるどタイム
https://oldtimemk.exblog.jp/
出 演 Martin古池
参加費 ご注文をお願いいたします。
9月06日(金) ギター・ワークショップ@JUNE
9月17日(火)→仮
★9月17日は仮予定です。変更があった場合あらためてお知らせいたします。
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2024.08.27
おーるどたいむ de ライブ 夏の陣 Martin古池の巻
ライブの1部ではらんぶりんまっくさんが安定のギターにのせて重たく、中身の濃ぉいステージを展開してくれた。
お客様も皆さんまっくさんの歌に真剣に耳をかたむけていた。
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そんな1部を受けての2部。
「夏だ! アツイぞ! グループサウンズ」
なんとまあ軽い演目だこと。
でもいいのです。
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お客様のほとんどが同世代。
つまりは皆さんグループサウンズ世代。
ひととき思春期、青春期にタイムスリップできればそれでヨシとするつもりで臨んだ。
いつものようにテーマを設けたりストーリーを組んだりということは一切しなかった。
理屈抜きであの時代にタイムスリップしたい。
だから歌いたい歌だけ準備し、あとは出たとこ勝負の道草ステージに。
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そして歌を聴いていただくよりも、一緒に口ずさんでいただけることを目標にした。
そしてその「思惑」は1曲目からあっさりとクリアされた。
1曲目の「夕陽が泣いている」を歌い始めた途端、客席で口ずさむ声が聞こえ始める。
3曲目あたりから自然にみんなで歌える空気になれればいいと思っていたんだがな。
のっけから先導しながら歌うことになった。(最後までそれは続いたのだ!)
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こうなるとあとは勢いだけで最後まで走っちゃえと腹を決めた。
いちおう歌いながらのギターリフを練習してたんだけど、すっかりすっ飛んでしまった。
もう小細工はいっさい無しのシンプル演奏で流れに身を任せた。
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歌ったのは次の通り。
①夕陽が泣いている(スパイダース)
②ノー・ノー・ボーイ(スパイダース)
③想い出の渚(ワイルドワンズ)
④夕陽と共に(ワイルドワンズ)
⑤長い髪の少女(ゴースデン・カップス)
⑥愛する君に(ゴールデン・カップス)
⑦君に会いたい(ジャガーズ)
⑧好きさ 好きさ 好きさ(カーナビーツ)
⑨オーケイ!(カーナビーツ)
⑩サハリンの灯は消えず(ジェノバ)
⑪愛のリメンバー(寺内タケシとバニーズ)
⑫エメラルドの伝説(テンプターズ)
⑬花の首飾り(タイガース)
⑭僕のマリー(タイガース)
⑮君だけに愛を(タイガース)
⑯バラ色の雲(ビレッジ・シンガーズ)
⑰亜麻色の髪の乙女(ビレッジ・シンガーズ)
⑱ブルー・シャトー(ブルーコメッツ)
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ほとんどの歌を2分30秒以内にアレンジしたんで、余計なMCさえ入れなければ50分に治るはずだった。
でもそれは・・・あまかった。
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どの歌もお客様の心の中に根付いた歌ばかり。
歌だけで収ろうはずがない。
歌に対するお客様のリアクション、それに対する僕のリアクション。
リアクションの応酬で1時間などゆうに超えてしまった。
(「勝手にアンコール」を含めて60分に収めるのが当初予定)
結局いつも通りの道草ステージ。
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それでも流れを止めずに勢いで走り続けたこと、そしてなによりもお客様のノスタルジーをストレートにトレースできたのは良かった。
タイムスリップして「あの頃」に戻っても、一緒に歌うことで今に生々しく再現できる。
これもまた歌の持つ大きな力なんだろう。
全18曲を駆け抜ける。(しかも道草の通りすがりに「骨まで愛して」「月光仮面は誰でしょう」まで歌ってしまった)
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ここでエンディングコーナーの「街」~「さよならが云えない」になだれ込むのがいつものパターン。
でも今回は先日亡くなった高石ともやさんへ「十字架に帰ろう」を手向けた。
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終わってみると1時間半超の長丁場。
お客様も僕もよく歌い、よくしゃべった。
ステージと歌声音楽会が混じりあったようなライブだった。
ステージと客席が渾然一体となったこんなライブが僕には一番楽しく充足感がある。
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加えて青空演奏隊のピロちゃんと4曲共演することができた。
(「想い出の渚」「十字架に帰ろう」「街」「さよならが云えない」)。
これもまた大きな出来事だった。
なにしろ毎週土曜日、3年間一緒に青空演奏を共にしてきた盟友との共演だ。
青空演奏とは違った緊張感で音を合せるということは、得がたい体験だった。
ピロちゃんは11月3日予定の「秋の陣」で1部に出演してもらうことになった。
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帰りがけのお客様にうれしい言葉をかけていただいた。
まっくさんとマーチンさんのステージの落差がいい
ウクレレの音もいいアクセントになってましたね
満足感たっぷりのライブでしたよ
最高の褒め言葉でうれしかった。
笑顔でおーるどタイムを後にするお客様の顔、顔、顔。
ほっともしたし、ありがたくもあった。
おーるどたいむ de ライブ 夏の陣 らんぶりんまっくの巻
らんぶりんまっくさんをゲストプレイヤーにお招きして開催した「夏の陣」。
古いフォークソングやブルーグラス、カントリーソングを独自に解釈し、日本語で歌うまっくさんのステージ。
実はこの濃さを「おーるどたいむ de ライブ」に集うお客様に体感してもらいたかったんだ。
ほとんどのお客様は音楽好きだが、自ら演奏するという経験のない方々ばかり。
これまでの人生の歩みの中で心に残っている歌はポピュラーなフォークソングだったり、歌謡曲のような流行歌がお好きな方々。
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僕のステージはそういう方々に楽しんでいただけるような内容で長年やってきた。
まっくさんにはそこにコアな歌をぶつけて欲しいという思いがあった。
まっくさんが達者な弾き手であることはお客様には周知の事実。
毎回僕の歌のサポートをしてくれているからね。
でも「歌唄い・らんぶりんまっく」を皆さんにぜひとも聴いて欲しいと思っていたんだ。
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見事なステージだった。
バラッド形式の長い、重たいテーマの物語ソングを食い入るように見つめ、耳をそばだてているのが伝わってくる。
歌うまっくさん、聴き入るお客さん。
その双方を見つめながら、なんだかぐっときていた。
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僕もかつては自作を含めたコアな歌を歌っていた。
「ぶどうの木」というライブハウスで専属で歌っていた頃だ。
(もう30年も昔の話だけど)
「ぶどうの木」が店をたたんで以降、路上で歌ったりお好み焼き屋さんや市場、喫茶店などで歌ってきた。
そこではコアなフォークソングばかりではやっていけないという現実があった。
リクエストにお応えしながら、お客様に喜んでもらえるように配慮しなければならなかった。
そんなことを20年もやってきた。
その結果今のように「節操なしで、なんでもあり」の歌唄いになった。
これが今の僕のスタイルで、それはお客様と一緒に築いてきたものだ。
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一方まっくさんはご自身のスタイルにとことんこだわり、それを深めてきた方だ。
それを「市井」の方々にぶつけてもらい、どんな「化学変化」が起きるのか。
楽しみだった。
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まっくさんは面目躍如の見事なステージを展開してくれた。
そしてお客様はみな深く受け止めているようだった。
中身の濃い、いいライブだった。
ライブの日 朝のならわし
ライブ日は早朝に2時間ほど外をほっつきまわるのが長年のならわし。
30代の頃からこのならわしは続いている。
30代~40代の頃はゆっくりとジョギングをしていた。
50代になってからはそれが散歩になったり、自転車でのポタリングになったり。
多分コンサート前にランニングをしていた高石友也さんの影響だろう。
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今朝は人影もまだない川沿いの土手道を2時間ほどのポタリング。
ペダルを漕ぐという単調な反復をくりかえすうちに、頭と心が空っぽになっていく。
余計なことは考えず、素の状態に戻っていく感じがいい。
重ねてきたライブの準備がリセットされていく。
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多少背伸びしながらあれこれと準備を重ねてきた。
自分の実力よりも少し上を目指して準備することは悪いことではない。
実力よりも少しでも良くなることを目指すことには貪欲であるべきだ。
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でもいったんリセットすることで等身大の自分にもどれる。
今できる最大限で臨むための心の準備なのかもしれない。
ライブでは準備や練習でやってきたことがそのままできないことも多い。
逆にお客様にノセられ思いもよらぬことができちゃうこともある。
そのどちらも今の等身大の自分の実力なんだろう。
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今日のライブではどんな出会いが待っているだろう。
いつもお会いしている人たち。
お久しぶりの人たち。
初めてお会いする人たち。
そういう人たちと時間や空間を共にして一緒に作っていくライブ。
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僕には自分の歌やパフォーマンスを聴いてもらうことがライブの目的ではない。
むしろ自分の歌や演奏は「肴」であればいい。
歌や演奏を肴にお客様と濃密な時間を作っていく。
結果としていいパフォーマンスが生まれる。
そういうことの方が大切なことのように思える。
そういうライブにしていくためにはこれまでの準備や想いをいったんリセットして、等身大の自分に戻る必要があるのかもしれない。
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今日の定例ライブは「夏の陣」と銘打っている。
朝の陽射しには少しだけ秋の気配が混じっているように感じた。
いい陽射し、いい風だった。
グループサウンズをあらためて聴き直す
今度の日曜日が本番だってのに、あらためてグループサウンズ(GS)のオリジナル音源とライブ音源を聴き直している。
元々がバンド演奏をギター1本だけの弾き語りでやろうってんだから無理・無茶な部分があるのは承知の上。
(BAHO=石田長生&チャーによるギター2本の優れものの演奏もあるけどね。超一流ギタープレイヤーのふたりだからなせる技)
だから最初からバンド演奏のイメージを無視して音作りをしてきた。
消去法で不要な音をどんどん省く。欲しい音だけを残し、それを膨らませる。
頼りにしたのは中学生の頃の稚拙な演奏記憶のみ。
それを膨らませてアレンジした。
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それなりに形にはなった。
でもなにかが足りない。
そう思い、あらためてオリジナル音源を聴いたんだ。
いやぁ、どのバンドも僕の記憶以上にナイスな演奏をしている。
あらためて思ったのはベースとドラムがしっかりしていると歌が立ってくるなということだった。
ベースなんて難しいことは何にもやっていないんだ。
ルート音をベンベンベンベンとやってるだけなのにやたらカッコいい。
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そして気がついた。
「ノリ」があるんだ。特にライブバージョンのノリはもう最高。
自分の中に足りないと感じていたものは「ノリ」なんだ。
今のアレンジ自体はどの歌もベース音も意識したアレンジにしてある。
ギター1本でのアレンジとしては悪くはない。
だから今更アレンジを変えようとは思わない。
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問題は今のアレンジに息を吹き込むことなんだろう。
脳裏で聞こえない音を聴きながら、身体でノリを感じながらやれればいいのかもしれない。
残された明日と明後日で演奏に息を吹き込むつもりで稽古してみよう。
どこまでノリ良く、生き生きした演奏になるかは分からないけどね。
でもそのことに気づけたんで、オリジナルを聴き直したことは良かったかな。
やれるだけ準備ををして、あとはライブ本番の流れに身を委ねよう。
ダジャレとこじつけとおしゃべりと
今日の「フォークの歌声音楽会@おーるどタイム」は(も?)皆さん舌好調だった。
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この音楽会が始まったのは2016年。9年前のことだ。
最初の頃はおしゃべりと歌とをシームレスにつなげていくという発想を理解してもらうことは難しかった。
参加者も水先案内人もまだ気心知りあえるところまではいっていなかった。おたがい少々遠慮がちにそれぞれの出方をさぐりながらの音楽会だった。
そもそも井戸端会議のような音楽会なんて発想が分かりにくかった。それが現実だった。
水先案内人の役割は多少強引にでも進行してくことだった。そうせざるを得なかった。
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今日は参加者の皆さん、自由におしゃべりを重ねていた。
おしゃべりはごく自然に次の歌へとつながっていった。
その様子を見ながらなんだかとてもうれしくなった。
水先案内人の存在感が薄れてきているのはいいことだ。
それは参加者が自発的に音楽会に関わり、楽しんでいる証左だからね。
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水先案内人としての僕の役割はちょっとした交通整理程度で充分。
マーチンさんのダジャレとこじつけには
すっかりならされたよ
そんな言葉が飛び出した。僕にとってはなによりうれしいこと。
みんなが同じ発想で音楽会を形作っているなと感じさせてもらえた。
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足かけ9年の「フォークの歌声音楽会」が将来的に「老々音楽会」へとつながっていく予感を感じさせてもらえた。
今参加者の多くは60代~70代。(最長老は御年81歳だけどね)
「高齢者」と呼ばれるお年頃だ。
5年後、10年後にはどうなっているか分からない世代だ。
ちょっとでも元気のあるうちは毎月顔を合せ、おしゃべりに興じ、気持ちをそろえて歌う。
それをくりかえし、一緒に年を重ねていく。
よぼよぼのジジババになってもみんなで歌えるといいな。
それが現実のものになれば、なんて素敵だろう。
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