2018.05.19

13年を終えた「お好み焼きの三貴ライブ」

「お好み焼きの三貴ライブ」

無事に13年目を終えることができました。
まったく「光陰矢のごとし」です。

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新越谷駅前で「街角ライブ」をやっていたころオファーを受け、1回だけのつもりでやったお好み焼き屋さんでのライブ。
1度が3度に度重なって、気がつけば13年。回数にすれば155回。声が出なくなり1回だけ中止ということもありましたが、なんとかこんとかここまで勤め上げることができました。(まったくなんとかこんとかでした)

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三貴のオーナーのコンセプトは「通常営業中のサプライズ・ライブ」というものでした。
つまりお客様がお好み焼きやもんじゃをつつき、一杯やりながらオダを上げる中での演奏が求められました。
『お客様の邪魔をしてはいけないこと。さりとて喧騒の中でしっかり存在感を出すこと』。
つまりお客様との共存をはかることが最低限求められることでした。

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前後半2時間の枠の中で共存をめざし、さらにそこから共感、共鳴へとつなげていくことがテーマでした。
実際にはそれは困難なことです。
お店には様々なお客様がいます。しっかり聴いていただける方も多いけれど、そうでない方はもっと多い。店内にはそんな方々が混在しているわけです。
雑多な反応のはざまでバランスを取りながら歌う。
どうしてよいかわからず五里霧中。さまざまな試行錯誤を毎回くりかえし、胃の痛くなるようなライブをやってきました。

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10年目を過ぎたあたりからやっと自分のペースでお客様との「共存」が自然にできるようになってきました。それに伴って「胃が痛くなるライブ」ではなく「ここちのいいライブ」に変わってきた昨今です。

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「おかげさまで」という言葉が今の心境にぴったりだと感じています。
決して良いとはいえぬライブ環境で13年間続けてきた自分の「あきらめの悪さ」もさることながら、「あきらめ」させてくれなかったお店のサポートにまず感謝です。
そしてその時々に足を運んでくれた多くの仲間たちに感謝です。
13年間ほとんど毎回足を運んでくれた共同印刷時代の友人M君にも感謝です。(M君のことを僕はMartin古池評論家とよんでいます)
こういう方々のサポートや応援を得、「おかげさまで」ここまでやってこれました。

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先月、同じく14年目を迎えることができた「朝市コンサート」と双璧をなす「お好み焼きの三貴ライブ」。大切な毎月のレギュラーライブです。
僕のライブ活動はこれらのレギュラーライブをベースに展開しています。

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「朝市コンサート」でアイデアを試し、「三貴ライブ」でそれを固める。それを同じくレギュラーライブの「喫茶店JUNE 日曜昼下がりライブ」で仕上げ、季節ごとにやっている「おーるどたいむ de ライブ」につなげていく。
多少の順序の入れかわりはあっても、このサイクルがとても気に入っています。

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昨夜の「三貴ライブ」ではまさに「おーるどたいむライブ」の予行演習でした。最終チェックと気を込めるライブにすることができました。

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今夜6時から「おーるどたいむ de ライブ」をやります。
1部では「大塚博堂の世界」をじっくり歌います。
2部では「歌声音楽会」風なアプローチでやりたいと思います。

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お近くの方、興味おありの方、お時間のある方。
ぜひともお運びくださいませ。

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2018.05.18

「本のエンドロール」

共同印刷時代親しくしていた営業部長O氏に紹介された「本のエンドロール」(講談社・刊)。
深い感動を持って読み終えた。

自分の37年の印刷マンとしての歩みがそこにあった。
生粋の印刷職人の師匠に『技能者』として育てられ、やがて「技術者」に育っていく
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過程。
そこには職人に育てられたにも関わらず職人には成りきれなかった葛藤がある。時代が勘と経験と度胸の職人を必要としなくなっていた。誰もが間違いなく平均的で安定した印刷ができることを求められた。そのために作業標準が定められ、QC活動が重視された。
その必要性を認め、推進役を担いつつも、職人であるM師匠に対する憧れをくすぶらせていた。

技術担当の修行中、TK社製本に弟子入りをするチャンスに恵まれ、製本のなんたるかをS工場長に仕込まれた。

やがてTK社製本のS工場長もM師匠も去っていく。
僕は残された先輩諸氏と共に仕事を回すほどには力をつけていた。

やがて人事異動で前行程の製版(プリプレス)と直接関わりを持つ設計業務に携わることになった。印刷と製本しか知らぬ男が別の世界を知るようになる。同時に営業担当とのやりとりが増え、その延長でいくつかの得意先やデザイナーとも関わりを持つようになる。
印刷という一工程にとどまらず『本を作る』という視点を植えつけられた時期だった。
印刷マンとしては絶頂の頃だったかもしれない。

やがて状況は少しずつ変わり始める。
出版物が本という媒体から電子書籍に舵を切りはじめたのだ。
それは我々印刷技術者にとってターニングポイントになりかねない流れだった。自分にとっては三十余年に過ぎないが、我々に流れる100年の歴史が途切れることを意味していた。

『本のエンドロール』には一人の若手営業マンを軸に印刷の各工程で歯をくいしばってがんばる人たちが描かれている。
同時に印刷の歩んできた歴史を感じさせてくれる。歴史の変遷のなかで変わっていく印刷人の心の動きが描かれている。

帯に書かれたキャッチが僕の心をえぐる。

『奥付けに載らない裏方たちの物語』

『斜陽産業と言われようとも、この世に本があるかぎり、彼らは走り続ける。印刷機は動き続ける。』

印刷業界を離れて久しい僕にこの本を教えてくれたO氏に心から感謝します。胸が熱くなりました。
ちなみにO氏は営業で僕は現場。
それぞれの立場から切磋琢磨した者同士。
価値観を共有する『同志』と勝手に思っています。

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2018.05.14

叔母の記憶

根室に向かっている。
叔母が亡くなった。
96歳の大往生。

写真の二人から生まれた最初の娘。
僕の母の1歳年長の大正12年生まれ。

「根室のおばちゃん」の記憶は数えるほどしかない。
僕が生まれた時すでに根室に嫁いでいた。
北海道の西の端・函館と東の端・根室は遠い。
叔母が里帰りをした時数回会ったくらいだ。

それでも叔母のエピソードは母から数多く聞かされていた。
きかない娘で男の子をぞろぞろ引き連れて遊んでいたらしい。
「ゴロベスやるもの、この指止ーまれ」と大声を張り上げていたとか。
(ゴロベスとは球を転がす野球だそうだ)
母はいつもその後ろに隠れるように付いてまわったらしい。

つきあいの薄い叔母だったが、達筆の年賀状を毎年送ってくれていた。その達筆はほとんど判読不能の行書体だった。郵便屋さんも苦労したことだろう。

叔母からの年賀状が途絶えて10年ほどになろうか。すでに体がいけなかったらしい。

先に亡くなった夫の後を引き継いで漁師の網元を張っていたとのことだ。荒くれ漁師たちを束ねるのはなかなかゆるくない(大変)ことだろう。しかしゴロベス娘にとっては天職だったかもしれない。
数少ない叔母の記憶だが、ドスのきいた張りのある声はよく覚えている。

2018年5月13日。
大正、昭和、平成。
三つの時代を生きた市井の豪傑。
5人の娘たちに見守られ、母の日の深夜この世を旅立った。
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2018.05.08

大塚博堂のこと


再来週に迫った「おーるどたいむ de ライブ」の準備をしている。

今回、1部は大塚博堂のアルバム『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』の世界を演じる予定。

僕がこのアルバムを初めて聴いたのは21歳だった。弟が手にいれてきたアルバムを聴いた。男心の繊細なゆらぎが染み入ってきた。

三十代後半、僕はライブハウス「ぶどうの木」でソロ活動をスタートさせた。ひとりで2時間のステージを作るのは当時は至難の技だった。
そのため様々な試みのひとつとしてステージを物語にして構成した。
物語の題材としてアルバム『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』を選んだ。収められた楽曲を歌とトークと芝居で失恋にゆれる男心の物語にして歌い始めた。

以降、何度となく再演をしてきた。
でもここ数年は封印してきた。シナリオに基づいた物語ステージに魅力を感じなくなってきたためだろう。
お客様とやりとりをしながらの道草ライブ、井戸端ライブに方向性が変わってきたのが大きな理由だと思う。

今回、数年ぶりに再演することにしたのは理由がある。
偶然にも「おーるどたいむライブ」の前日、5月18日が大塚博堂の命日だった。

蒼い時代、心震わせた大塚博堂。
歌い手、ライブ屋として一人立ちした頃助けられたアルバム。
その時々に己の表現力を図る試金石となってきた「大塚博堂の世界」。

年を重ねてきた今の自分が再演をするとどうなるか。
彼の命日にそれをもう一度感謝をこめて試してみたいと思った。

僕より10歳ほど年長の大塚博堂は1981年に37歳でこの世を去った。

年を重ねた彼がどのように歌うのかはわからない。
64歳の僕は果たしてどう歌うのだろうか。

今日は家にこもり、あれこれと歌いながら今の自分の表現を試していた。

本番でどんな表現になるのか。正直自分でもわからない。

ただその時一番正直で自然なやり方になるようにしたいと思う。

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2018.05.05

2018年05月 ライブ・コンサート予定

05月05日(土)  みんなで歌おう・弾こうフォークソング

時 間   14:00~17:00
場 所   Live cafe おーるどたいむ
        東武スカイツリーライン 北越谷駅 東口徒歩10分
        HP https://oldtimemk.exblog.jp/
水先案内人 :Martin古池

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05月12日(土)  朝市コンサート

時 間   8:30~10:30
場 所   越谷市場
         地 図   

越谷の台所「越谷市場」で毎月第2、第4土曜日

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05月18日(金)  お好み焼きの三貴ライブ 

時 間    20:00~23:00

場 所    お好み焼の三貴

         https://www.hotpepper.jp/strJ000181914/map/

通常営業中のライブです。ご自由にご飲食、おしゃべりをお楽しみください。
お供にMartin古池の歌をいかがですか。

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05月19日(土)  おーるどたいむ de ライブ 2018 皐月の宵

時 間   18:00~20:00
場 所   Live cafe おーるどたいむ
        東武スカイツリーライン 北越谷駅 東口徒歩10分
        HP https://oldtimemk.exblog.jp/
出 演   Martin古池
木戸銭   ¥1000 (ご飲食もお願いいたします)

1部は若くしてこの世を去った大塚博堂の切ない男心の世界を歌います。

2部はお客様と一緒に歌声音楽会風にやれればいいなと思います。

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05月26日(土)  朝市コンサート

時 間   8:30~10:30
場 所   越谷市場
         地 図   

越谷の台所「越谷市場」で毎月第2、第4土曜日

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05月27(日)  喫茶店JUNE 日曜昼下がりライブ

時 間    14:00~16:00
場 所    tea room ジュン (喫茶店JUNE)
         https://r.gnavi.co.jp/p0jfesdk0000/map/
木戸銭    なし (ご飲食をお願いいたします)

昭和の香りただよう喫茶店で
昭和を感じる歌のかずかずを

通常営業中のライブです。お気軽にお運びください。

 

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2018.04.30

【お知らせ】 おーるどたいむ de ライブ 2018 皐月の宵

【お知らせ】

「おーるどたいむ de ライブ 2018 皐月の宵」

日 時 :5月19日(土) 18:00 開演
場 所 :おーるどたいむ
      東武スカイツリーライン 北越谷駅東口 徒歩10分
      https://oldtimemk.exblog.jp/
出 演 :Martin古池
木戸銭 :¥1000 (ご飲食もお願いいたします)

今回も独り旅。
1部は若くして旅立った大塚博堂の世界をお届けいたします。
そして2部は新しい試みを。
おーるどたいむでおなじみになった「みんなで歌おう・弾こうフォークソング」の雰囲気を少し取り入れたいと思います。
みんなで作る歌声音楽会にできればいいなと思っています。

皆様のお運びをお待ち申し上げます。

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喫茶店JUNE 日曜昼下がりライブ 2018年4月

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「昭和の日」に

昭和の香り漂う喫茶店で

昭和を彷彿とさせる歌のかずかずを

まさにそんな雰囲気のライブとなった。

いつにもまして気合がみなぎっていた。

今回は今までとはちょっと違う試みをしようと思っていた。

同じテーマの歌を2曲メドレーでつなげて歌うという試みだ。

1曲はポピュラリティのある歌を、もう1曲はあまりおなじみではない歌を組み合わせた。

こんなとりあわせを5~6セット用意した。

「喫茶店JUNE 日曜昼下がりライブ」のお客様の多くは60代~70代。

同年代とちょっと先輩が多い。

そういう方々にひと時を楽しんでいただくために歌謡曲やフォークソングの有名どころの多い選曲となりがちだ。

でも昭和の歌の中にはあまり知られてなかったり、埋もれた名曲も数多い。またそういう歌に骨太のものも多い。

僕自身そういう「埋もれた名曲」を通り抜けながら音楽活動を続けてきた。

おなじみの歌を楽しんでいただきながら、「忘れられた歌」「埋もれた名曲」も取り上げていきたいと思ってきた。

これまでは5曲ポピュラーな歌を歌い1曲そんな歌を歌うという感じでやってきた。

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できるだけライブの流れの中で歌うように試みてきたが、もう少し突っ込んだ形でやりたいと思ってきた。

そこで同じテーマの歌を2曲、セットにしてメドレーで歌うことにしたのだ。

これなら聞いたことがなかった歌でも小テーマの位置づけの中で効果的に歌えるように思えた。

たとえば「コール」(安全地帯)→「夜空を仰いで」(加山雄三)とつなぎ最後は再び「コール」で〆るというふうに組んだ。

「イムジン河」→「悲しくてやりきれない」→「イムジン河」というのもその一つ。(ともにフォーククルセダース)

小テーマで構成したセットの2曲の歌をちりばめることで前後のトークやお客様とのおしゃべりにも幅や深さがうまれるように思った。

セットを作ることで苦労したのはキーとリズムだった。

整合性のあるキーにしなければメドレーにしにくい。同じキーならば問題ないが必ずしもそうはならない。1曲はキーをおとし、もう1曲はキーを上げた。両方で歩みよって同じキーにしてみた。

またCの歌の後、Gに移行するためにつなぎのコードを入れ滑らかに移行できるように工夫した。

リズムも2曲をそろえたり、あえて4ビートから3連にしたりと工夫した。

そんな準備をして臨んだ今回のライブだった。うまくつなげたセットもあれば、滑らかさに欠けるセットもあった。

少なくとも聴いていただいたお客様には自然な感じに聴いていただけたのではないかと思う。(自分の中では下準備での悪戦苦闘した部分でうまくいかず「やっちまった」という部分もあったけれど。。。)

ひとつの方向性、ひとつの試みとしては次につながる内容になったように思う。

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今回は常連の方に加え、遠く横浜からch@bozさんが来てくださったり、おーるどたいむの音楽友達・藤田さんが来てくださった。

偶然居合わせたお客様も何組かいらっしゃった。そういう方々からもお褒めと激励のお言葉をいただいた。感謝だ。

マスターはじめお店のスタッフもゆったり演奏できるようにご配慮いただき感謝。

次回は5月27日(日)の予定。(時間未定)

今回の試みをさらに自然にできるように準備して臨みたいものだ。

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今回のセット。
ギター:キャッツアイ
完全生音(アンプとコンデンサーマイクを用意していたが本日のステージ席が通路のそばで機材を置けなかったため使用せず)

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2018.04.28

さんすまいる歌声音楽会

デイサービス・さんすまいる歌声音楽会。

2ヶ月毎に10人ほどの参加者と歌ってしゃべって1時間。このスタイルがすっかり定着しました。

何を歌うかを決めるのは僕ではなくご老人たち。僕は水先案内人でちょっと水を向けるだけ。
キーはご老人たちが歌いやすい低めの設定。
歌もしっかりと、さりとて目立たぬようにガイドライン的に歌う。
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元歌の雰囲気を壊さぬように、さりとて不要な装飾は極力省く。

ひとつの歌から膨らむおしゃべり。
おしゃべりの中から次の歌が浮かび上がる。

水先案内人の僕、ご老人たち、そしてスタッフの皆さん、参加するすべての人が作っていく道草だらけの歌声音楽会。
道草だらけではあるが最後は「上を向いて歩こう」に収束するように流れを持っていく。
水先案内人の腕の見せ所?

今回は特に興味深い展開になりました。

始まりはいつものように季節の歌。
「港の見える丘」「花」「おぼろ月夜」「北国の春」と和気あいあいと進む。
おしゃべり混じりだからこれだけで30分は軽く経過。

今回の宿題曲「スーダラ節」で大笑いした後、話題が北朝鮮と韓国の会談へ。
すかさず「イムジン河」を披露する。
さすがにご老人たちは聞いたことがある程度とのこと。でもスタッフの皆さんは僕と同世代。皆で静かにゆっくりと歌う。

「イムジン河」に込められたものを話す。
とたんに食いつくご老人たち。
朝鮮戦争の頃弾薬製造をしていたじいさんは特需で通常の3倍儲けたと語りだす。

誰が祖国を分けてしまったの

この歌詞からアメリカとソ連の代理戦争が話題になり、ベトナム戦争に飛び火。
さらに太平洋戦争の話へとつながっていきます。

語る老人たち。語る僕。
後半はさながら政治討論会の様相。

「星の流れに」(こんな女に誰がした)につながる。

あるおばあさんがポツリと一言。

「戦争の話は、若い人にしてあげなきゃ駄目だわよねぇ」

この一言が今日の音楽会のすべてを〆ました。

いつもよりもテンポを落とし「上を向いて歩こう」を静かに歌う。
しみる。
ご老人たちのこもごもが込められているように思えます。

水先案内人の腕などではなく、おばあさんの万感の思いが音楽会を〆てくれたのでした。

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2018.04.25

旭ヶ丘の家コンサート その2

「旭ヶ丘コンサート」 2日目

今日は昨日と違い、いつもの広いロビーでコンサート。
ここは3本の廊下が合わさる奥行きのある場所。
ご老人たちの数も50人以上いらっしゃる。
昨日のように一緒に歌うのはなかなか難しい。
「Mrtin古池の歌謡ショー」というスタイルになる。
それでも、少しは口ずさんでもらおうと思い馴染みの深い歌を選曲する。
持ち時間は1時間。前回はリクエストやアンコールで1時間半近くになった。ご老人によっては疲れが出るだろう。

1時間ジャストに収まるように曲数やおしゃべりを工夫した。
昨日やった曲も含まれるが、位置づけやアレンジを少し変えた。じっくり聴いていただくことを主眼にした。

おしゃべりで気をつけたのは話の流れ。時間を限ったので道草トークは減らし、歌に直結し、自然に次の曲へとつなげるようにした。(省エネトーク?)

1.星の歌3題(星屑の街、見上げてごらん夜の星を、星のフラメンコ)
2.函館にゆかりある歌(津軽海峡冬景色=リクエスト→銀座カンカン娘、与作、夕焼けとんび)
3.春の歌(港の見える丘、19の春)
4.アラカルト(舟歌、可愛いベイビー、雨の中の二人)
5.エンディング(上を向いて歩こう)
6.アンコール(テネシーワルツ)

ここまででジャスト1時間。

ご老人たちの反応はそれぞれに違う。
最初から最後まで嬉々として口ずさんでる人あり。
目をつぶって聴いている人あり。
歌に合わせて小刻みに体をゆする人あり。
最初から最後まで眠ったように車椅子の背もたれに身をゆだねる人あり。
無表情にこちらを見つめる人あり。
終始床に目を落としている人あり。
皆の輪には加わらず、広いロビーの奥まったところの窓際の席でぼんやりする人あり。

様々だ。
でも概ねショーを楽しんでくださっているのを感じる。
それぞれの作法で。
老人の感情表現を感じ取るのは難しい。
何かを感じ、それに対応するまでにかかる時間は我々の世代と比べてもかなり遅い。
筋力が衰え感じるものがあってもそれを体で表現したり言葉に表すことができない人もいる。

でも必ずなにかのサインがある。
それは目の動きだったり、顔の筋肉の動きだったり、わずかなボディアクションだったりする。

僕はその小さなサインをできる限り見落とさないように、たえず動き回っている。
全体を俯瞰するとともに、一人ひとりの動きを見定めようと凝視する。
森を見て、樹を観る。そうしながら気を感じる。
そんなやり方で歌っている。
そしてかすかな反応に笑顔でお応えしている。

旭ヶ丘の家で歌うようになって10年近い。
最初の頃はよくわからなかった。どう対応してよいかわからず不安になった。不安があるから考えて、いろいろ手を尽くした。
最近感じるのは頭を使って考えることも必要だが、一番大事なのは「気を感じ取る」こと。
だんだんそういうことがわかるようになってきた。

気を感じてそれに笑顔で応える。そうやって思いを重ね合わせる。
その積み重ねがコンサートを成立させることにつながる。

歌とトークを介してとても大切なことを旭ヶ丘の家のご老人たちに教わっている。
そんな思いで今回も無事コンサートを終えることができた。

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函館・旭ヶ丘の家コンサート

函館・旭ヶ丘の家コンサート。

今回は2日間、歌った。
昨日は他の方々による定例の音楽ボランティアの最後に20分ほど。
会場は「ボンジュール」という喫茶ホール。
ここは母がまだ特養に移る前はここが会場だった。
20人ちょっとのご老人たちとこじんまりと歌った。
閉じられた空間。
お互いの息づかいが伝わる距離。
皆さんにも一緒に歌っていただくことを念頭に選曲した。
半数ほどの方はまだお元気な方々。一緒に歌っていただき、気持ちがグッと高揚するようにリードした。
「上を向いて歩こう」のエンディングは何度も何度も繰り返し、テンポも徐々に上げていく。最後は5倍速くらいの超高速。
歌いながら手拍子のスピードもぐんぐん上がる。限界くらいまで盛り上げ、一気にテンポダウン。
かなり楽しかったようだ。上気した顔、嬉々とした表情。
アンコールで歌う「テネシーワルツ」。一転して超スローテンポ。
皆さん日本語詞の部分は諳じている。
驚いたのはエンディングで「テ~ネ~シー~~ ワ~ルツ」と思い切り伸ばし、ためる。ブレークし音の途切れる「間」のタイミングであるおばあさんがいきなり「わぁー‼️」と奇声を発する。
気分が高揚した結果、ご自分の感情をそのように表現された。
ニコッと笑い応えるとおばあさんもニコッと返してくれた。

老人施設での演奏のおもしろさはこういうところ。
ご老人たちの反応は飾り気がなく、直接的。
ただ、そこまで持っていくのはなかなか難しい。
今回は短時間で垣根を越えることがうまくいったようだ。

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2018.04.16

ラジオ深夜便再現ライブ 2018年4月

今回はトミ藤山さんの表情の変化を追ってみました。

満面の笑み

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プロの目

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演ずる表情

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そしてやはり満面の笑み

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誰かが僕のことを「顔で歌う」と評してくれました。
僕にとっては最高の褒め言葉です。

そして僕にとっての最高のお手本はやはりこの人。
トミ藤山さん。

トミさんの満面の笑みに、僕などとうていかないません。

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「朝市コンサート」ことはじめ

2005年4月。
初めて越谷市場で歌いました。
今月で14年目に突入。

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毎月2回、なんだかんだと300回近くもこの場で歌ってきた勘定になります。
我ながらよくここまで続けてこれたなと思うことしきり。

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新越谷駅前で「街角ライブ」をやっていた僕に当時の市場の組合長が声をかけてくれたのがきっかけでした。
ためしに1度のつもりが2度になり、2度が3度。気がついたら14年。

市場の組合長自ら声をかけてくれるくらいだから、ちゃんとステージがあってそれなりに音響設備もあって…なんて想像していったのが大間違い。
畳2枚ほどの小さなスペース、ほかにはなにもない。
「はい、ここでやって」と。。。(-_-;)
お膳立てひとつない中にポンと放り込まれたのでした。

当の組合長は忙しい方ですぐに姿をくらまして。。。
まわりのお店からはうさん臭そうな冷たい視線。
まったくの孤立無援。

いやはやこれにはまいりました。
でもむくむくと頭をもたげる反骨精神。
「なにくそっ!」てなもんでアドレナリン沸騰。
(といか半ばやけくそ?)

いざ歌い始めると人も集まり始め、拍手もいただけて。
こうなるとサービス精神全開。
1回こっきりの出血大サービスと思ってるから3時間全力疾走でした。

くたくたになって歌い終えた僕に組合長がひとこと。
「次回はもう少し宣伝してちゃんとやりましょうぜ」

思わず答えてしまいました。
「そうだね。今回で勝手もわかったことだし」

1回のつもりが300回になってしまったうかつな(?)やりとりでした。

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当初は市場にとっても僕にとっても「朝市コンサート」は特別なイベントでした。
でも長い時間をかけ、紆余曲折を経ていつのまにか特別なものから当たり前のものに変わってきました。

毎月第2、第4土曜日の朝。
市場で歌うことは普通の出来事になっています。
市場の人たちだけではなく買い物に来るお客さんにも認知されています。
なにより僕自身がここで歌うことが日常の暮らしの一部になっていることがうれしい。

「市場の風物詩になる」

これが僕の願いです。
そうなるにはまだまだまだまだ時間がかかりそうです。
もしかしたら「見果てぬ夢」でおわるかもしれないけれね。
でも明日は風物詩になろうと夢を見て、修練していくことは張り合いがあり楽しいものです。

また1年、無事に積み上げていきたいと願いつつ、「朝市コンサート」ことはじめを振り返ってみました。

あ、ちなみに「お膳立て」が無い状態は1回目も今も変わることなく続き、それが常態となっているのであります。
でも歌う「場」と「時間」をいただけていることは最高のお膳立てかもしれませんね。

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【第1回目の記録】
http://martinkoike.cocolog-nifty.com/…/20…/04/post_ddde.html

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【朝市コンサート関係記事】
http://martinkoike.cocolog-nifty.com/…/cat7530610/index.html

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«ライブとギターのお話