2020.09.25

【故郷へ帰りたい Take Me Home Country Roads】

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この歌を覚えたのは18才の頃。
大学受験に失敗し、伊達のカトリック教会に間借りし「受験勉強」に精を出していた頃だ。
エミール・デュマスというアメリカ人神父に教わった。
エミールさんから教えてもらった数多くの歌のうちの1曲。


長年、原語にこだわって歌ってきた。
英語の発音とイントネーションをエミールさんにチェックされた。そのシーンが今も焼きついているためだろう。

およそ50年を経てやっと日本語の歌詞をつけることにした。
「離郷・望郷」をテーマにしたライブを近々にふたつ予定している。それにあわせてのことだ。今やらなきゃこの先二度とやることは無いだろうという思いもあった。

ところが原詩の中にはアメリカの地名がしこたま入ってくる。
ウェストバージニアだの、ブルーリッジ山脈だの、シェナンドー川だのね。それをなぞったんじゃ日本語詞にする意味がない。

このあたり一帯は古くからの炭鉱があるところだそうだ。
「炭鉱の町」なら我が故郷、北海道にもたくさんある。
高校時代の同級生やサッカー部の先輩にも炭鉱の町からやって来た人がけっこういた。
赤平、夕張、三笠、そして芦別。思い出すだけでも5~6人の友人がいる。

彼らのお父上は炭鉱が閉山され、慣れ親しんだ炭鉱の仕事を捨て鉄の町・室蘭にやって来た。ずいぶん苦労されたことだろう。そして望郷の念もまた強かったのではなかろうか。

昨年、自分のルーツを探る旅の一環で炭鉱町をあちこち訪ねた。その時目にした景色や音や匂いが残っている。

そんなことを思い浮かべていたら歌詞になった。
ライブ本番で鍛えられ、少しずつ変わっていくかもしれない。
その意味ではまだ今は「歌の芽」の状態かもしれない。
これがどう育つか楽しみだ。

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2020.09.24

【「日日是好日」 よみがえる記憶】

 

黒木華と樹木希林主演の映画。
静かな、深い感動をおぼえる。
https://www.nichinichimovie.jp/


お茶の世界に足を踏み入れた黒木華演ずる二十歳の娘「典子」が24年の歳月をかけて少しずつお茶の精神世界に気づいていく物語。
日々の些事を五感を持って全身でその刹那を感じ取っていく。
頭でとらえるのではなく、心で感じていく。
ドラマチックではないが、静かに心にしみこんでくる。

典子がお茶の精神に気づき始めたころ、突然父親が亡くなる。
深い悲しみを感じながらお茶の師匠、武田先生(樹木希林)の家を訪ねる。
縁側で散りゆく桜を眺める喪服の典子と武田先生。
すっと武田先生の手が伸び、典子の足をさする。
典子の心が武田先生に寄りそう。

僕の脳裏に古い記憶が電撃のようによみがえった。

幼稚園のばら組。今でいう年長組。
クリスマス会で僕はお芝居の主役をするように言われていた。
すっかりその気になっていたと思う。(ここは記憶が定かではない)
突如、主役をTちゃんに変更すると園長先生に言われた。
幼な心にもその意味はすぐに分かった。
Tちゃんはいいとこのお坊ちゃんだった。

傷ついた。
悔しいのか、悲しいのか、腹がたったのか。
幼い僕には説明ができない思いがこみ上げ、傷ついた。

気がつくと僕はホールのピアノ裏側に身を隠していた。
何時間もじっと体を丸めていた。

幼稚園では大騒ぎの捜索活動が始まっていた。
園内をくまなく探したと思われるが、見つけられることはなかった。ピアノの裏の狭い隙間は盲点だったのだろう。
僕には何度か失踪(?)の前科があったらしい。
蝶々を追いかけて遠くまで行ってしまうというようなことがたびたびあったらしい。
園外にも捜索の手は伸びたらしい。

  意地でも出ていくもんか

そんな気持ちで息をひそめ、身をかたくし、丸くなっていた。

が、やはり見つけられた。

誰もいない教室で、僕は担任の平山先生と向かい合っていた。
平山先生はなにも言わず、じっと僕を見つめている。
静かな時間が教室の中を流れていく。
この静かさは永遠に続くのではないかと思われるほどだった。

平山先生の手が僕の膝にすっと置かれた。
何度も何度もさすりながら僕を見つめる先生。
そして不意に涙ひとしずく、先生の頬を、流れていく。

いじけたような、意固地になったような僕の心が、
すーっと溶けていく。

平山先生の掌の感触、涙、そして流れる静かな時間だけが心にしみこんだ。

《後日譚①》
劇の主役はやはりTちゃんのままだった。
僕は器楽演奏で指揮を任されることになった。
写真はその時のもの。
残念ながらその時の記憶はまったく残っていない。
平山先生が園長先生に直訴したのだろうか、それも知らない。

1954

《後日譚②》
失踪事件の顛末は当然幼稚園から両親に連絡が行ったものと思われる。(僕から親に話すワケがない)
父からはなにも言われなかった。
母も失踪した僕を責めることはなかった。ただ悔しそうに怒っていたのはなんとなくおぼえている。
僕が「世の不条理」に初めて直面した出来事だったように思う。

忘れていたことを突然思い出す。
思い出したことの意味にあれこれ思いを馳せる。
そんなことが最近多くなってきた。
年を重ねたせいであろうか、もともとそういう性分なのか。

最後に「日日是好日」の中で語られた言葉を記す。

  世の中には
  「すぐわかるもの」と、
  「すぐにはわからにもの」の二種類がある。
  すぐにわからないものは、
  長い時間をかけて、
  少しずつ気づいて、
  わかってくる。
  子供のころはまるでわからなかった
  フェリーニの『道』に、
  今の私がとめどなく
  涙を流すことのように。

 

 

《おまけ》

フェリーニの『道』という映画。
僕も子供のころ観たときはまったくわからなかった。
大人になってもう一度観て、少しわかった。
今年になリあらためて見直した。観ながら、知らずに涙が流れていた。
「ああ、こういうことだったのか」なぜかジェルソミーナが遠藤周作の描く森田ミツ(わたしが・棄てた・女)等、様々な登場人物に重なっていった。
考えてみるとジェルソミーナもミツもそこにイエス・キリストの生き方が投影されているためだろう。
「道」、もっと年をとったときに、もう一度観たい映画だ。

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2020.09.17

松下幸之助の言葉

どんなに悔いても
過去は変わらない。
どれほど心配したところで
未来もどうなるものでもない。
いま、現在に
最善を尽くすことである。
      松下幸之助

 

2013年の今ごろ、松下幸之助の文章を読みこんな文章を書いていた。

***************************

  あたりまえのことなんだけど、
  そのあたりまえの言葉が妙に染みいる昨今。
  時間に追われ、為さねばならぬことに追われ、
  やりたいことがやらねばならぬことに変わる。
  つまりは心も体も余裕を失う時、今が見えなくなる。
  今どころか過去も未来も見えなくなる。
  そんな時一歩踏みとどまり、
  今為しうる最善を尽くすことが
  オレにはできるだろうか。

  「いつやるか?今でしょう!」

  そんなことはよくわかってるんだ。
  わかっちゃいるけど、やりきれない。
  そんな夜は寝るに限るのかも。
  眠りに落ちていったんリセット、再起動。

  ありかもね。

***************************

転職して1年経ったころだった。
新しい仕事を覚えるのに腐心していた。
新しい仕事は長年やって来たモノ作り(印刷)とは180度違ういわばサービス業(損保)。
扱うお金の単位も桁違いだった。
印刷は銭単位。損保では平気で何十万、場合によっては数百、数千万。
にもかかわらず1円の間違いも許されない(あたりまえだが)。

新しい仕事のかたわら、音楽活動を継続することにも必死だった。

気持ちに余裕の全くない日々を過ごし、少々心が壊れかけていたかもしれない。

そんな時松下幸之助の言葉が沁みた。

  いま、現在に
  最善を尽くすことである

わかっちゃいるが、簡単なことではない。
そう思いながらも自分を追い込んでいった。

  今、今、今しかない

人生浪人の身になリ1年以上が経った。
そしてあらためて思う。
自分を縛るものがない今だからこそ、この言葉は大切だと。

 

【松下幸之助のこと】

松下幸之助には少なからず影響を受けた。
印刷技術担当としてPHPと関わらせてもらった。
PHPの品質管理の手法は厳しかった。

松下幸之助のモノ作りの考え方を基礎とした手法は、
それまであたりまえとされてきた印刷の品質管理とは相容れない部分も多々あった。


「それは無理でしょう。現実的ではない」

強い抵抗を感じつつも、PHP品質管理手法の底辺に流れる松下幸之助の考え方に共感するところがあった。
ひらたく言えば「本を手にするお客さまの満足を満たすため」の品質管理と品質保証だった。

その後の印刷に対する考え方が変わるきっかけとなった。
同時にライブに対する考え方にも大きな影響を与えられた。
松下幸之助は僕にとってはそんな人だ。

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2020.09.16

私を通りすぎた歌たち 【リンゴ村から】

リンゴ村から

ライブでこの「リンゴ村から」を歌ったとして、、、
「古くさい」といわれるだけだろうか。

この歌の情景を思い浮かべることのできる世代、それは多分僕の親の世代かもしれない。
でも80~90代の方々の多くは旅立たれている。
70代の方々もまた時代を共有できる世代。
でもわざわざ会場に足を運び、お金を払ってまで「ライブ」に行くという人は稀だろう。

この歌が発売されたのは昭和31年(1956年)。僕はまだ2才のころ。
幼心にラジオから流れるこのメロディに反応した記憶が残っている。
(当時の流行歌は息が長かったという。何年にもわたり放送されていたため記憶に残っていた思われる)
他の流行歌同様、そのメロディは体にしみこみ、知らずのうちに心の奥底に沈殿していったんだろう。

この10年、デイサービスや特別養護老人ホームなどで歌う機会が増えた。
忘れていたメロディが心の泥沼から不意に沸いてくることが多くなった。
歌詞とメロデイが交差し、像を結ぶようになった。

「リンゴ村から」もそんな1曲だ。

  覚えているかい 故郷の村を
  便りもとだえて 幾年すぎた
  都へ積み出す まっかなリンゴ
  見るたび つらいよ
  おいらのな おいらの胸が

  覚えているかい 別れたあの夜
  泣き泣き走った 小雨のホーム
  上りの夜汽車の にじんだ汽笛
  せつなく ゆするよ
  おらのな おいらの胸を

  覚えているかい 子供のころに
  ふたりで遊んだ あの山 小川
  昔とちっとも 変わっちゃいない
  帰っておくれよ
  おいらのな おいらの胸に

   歌:三橋美智也 作詞:矢野亮 作曲:林伊佐緖

例によって妄想たくましく、深読みしてみる。

舞台になったのは津軽の農村だろうか。
全国にリンゴの生産地は多々ある。でも都からの距離を考えれば本州の最北・青森県が自然だ。
幼なじみのふたりは長じて中学生になり恋ごころが芽ばえる。
しかし中学卒業と共に娘は集団就職で東京へ。
男はリンゴ農家の長男で家を手伝うために津軽に残らざるをえなかったのかもしれない。
手紙のやりとりをしていたふたりだが、いつしかそれもとだえ。。。
若者に育った男はリンゴの積み出し作業をしながら、娘のことを思い出しせつない思いに駆られる。

よくできた歌詞だと思う。
ストーリーがある。
現在と過去が交差しながら「おいらの胸」をゆさぶる。
メロディと合わさるとふわーっと情景が浮かび上がってくる。
さらっと歌う三橋美智也の高音が心地よい。

老人施設などではもちろんのこと、普通のライブでもこういう歌を少しずつ歌っていきたい。
それは単に昭和の名曲を紹介するに留まらず、そのころの時代の空気を伝えるものであればさらに良い。
可能であるならば現代とのつながりを示唆する一石になればうれしいんだが。
温故知新だ。

「私を通りすぎた歌たちシリーズ」はそんな思いで続けたいものだ。

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2020.09.10

【お知らせ】 おーるどたいむ de ライブ 秋の陣 2020



2020with-bgm

「おーるどたいむ de ライブ 秋の陣 2020」
  ジョイント・ライブ(produced by けんぞうえもん)
  BGM & Martin古池


今年の「秋の陣」はBGMのお二人とのジョイントライブです。
BGMとご一緒するのは初めてのことです。
バンジョーマンドリンという珍しい楽器とギターによるデュオ。
オールドタイミーな空気を感じさせるオリジナル曲を中心に演奏されるお二人です。

共通の友人・けんぞうえもんさんのセッティングで実現の運びとなったジョイント・ライブ。
とても楽しみです。

****************************

日 時  10月18日(日) 14:00~16:00頃
場 所  Live cafe おーるどたいむ
出 演  けんぞうえもん:BGM:Martin古池
木戸銭  ¥1500(他に1オーダーをお願いいたします)

★コロナ感染予防のため、人数限定でお届けします。
 恐れ入りますが、事前におーるどたいむにお電話の上
 ご予約をお願いいたします。
 おーるどたいむ:048-971-1812
  電話は土日がつながりやすいかと思います。



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2020.09.09

歌の衣替え コロナの秋

 

ひと雨ごとに秋は深まる。
このところ毎日のように夕方頃雨が降ってくる。
昼間の刺すような陽ざしや、息苦しい湿気はいまだ夏そのもの。
それでも早朝自転車を走らせると、まちがいなく秋の気配を感じる。
吹き抜ける風の匂い、肌をなでるやさしさ。
セミの大合唱にまじる秋の虫の声。

  ああ、今年も秋がやってきてる
  そうだっ!
  歌の衣替えをしよう

2日かけて歌の棚卸しを進めて気がつく。
今年は夏の終わりから秋にかけての微妙な時期を歌う機会がない。

僕は季節感をライブの縦軸にして組んできた。
季節のうつろいにその時々のあれこれを絡めていく。これがいわば横軸。
縦軸と横軸が交差する中で生まれる空気感。
これが長年やってきた僕のライブスタイルだ。

今年の9月、演奏機会は月末までお預け状態。
9月末はすでにもう秋のまっただ中。
夏から秋へかけての季節の微妙なうつろいを歌う機会がない。
季節の移り変わりは心のうつろいにつながる。
ライブとしてはこの微妙なうつろいにこそ面白みがあるんだが...。(まさに「今」この時期に歌いたい歌だ)

棚卸して何十曲も「秋の歌」を準備した。
衣替え作業完了!
でもこのうち半数以上は日の目を見ることなく再び歌蔵にしまい込まれることになりそうだ。

コロナの影響でこの春からライブは中止や自粛が続いている。
これまでは毎週コンスタントに演奏機会があった。
週単位で夏、夏の終わり~秋の始め、そして秋へと歌を移ろってゆく。
それに応じて僕の心もうつろい、歌は鍛えられてゆく。
やがて季節は冬に向かい・・・
こうして1年がすぎてゆく。

こんなスタイルがコロナの影響ですっかり崩れてしまった。
残念だ。

でも悪いことばかりでもない。
ライブなどの演奏機会が減った分、ひとつひとつの音楽会に向けて充分な準備ができるようになった。
それぞれの歌の背景をじっくり調べたり、イメージをふくらませたり。
なによりありがたいのは長年歌いたいと思いつつ手がつけられなかった歌がたくさんある。それらに目を向ける余裕が生まれてきたことだ。
「私を通りすぎた歌たちシリーズ」をふくらませていくことができるようになったことはうれしいことだ。

「ライブ屋」にとって本番に勝るトレーニングはない。
とはいいながらそれが思うようにできない今、できることに最大の注力をかたむけようと思う。
今年日の目を見ることがなかったとしても、来シーズンには活きてくることを信じてね。

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2020.09.07

【記録】 喫茶店JUNE たそがれ歌声音楽会 2020年9月

このところ「日曜昼下がりライブ」よりも「たそがれ歌声音楽会」を開催する頻度が増えている。

「昼下がりライブ」は通常営業の喫茶店で弾き語るライブ。
様々なお客さまの邪魔にならぬよう、かといって聴きに来てくれたお客さまにはご満足いただけるようにしなければならない。
両者の狭間で歌うスリルがおもしろいライブだ。
これまで多くの場合、お客さまとのかけあいがうまくいき最終的には自分のペースに持ち込むことができた。

順調にやってきた「昼下がりライブ」だが、ここ数年気がついたことがある。
お客さまは「昭和の懐かしい歌を聴きたい」だけではなく、実は「ご自身でも歌いたい」ということだ。

ならば「昭和の香りただよう喫茶店で、昭和を彷彿させる歌の数々」という基本コンセプトはそのままに、「歌声音楽会」にしてみようと始めたのが「たそがれ歌声音楽会」。

「たそがれ」というのは演者である僕もお客さまも人生の黄昏の時を迎えているということ、そして音楽会の時間帯も黄昏時ということでそうした。

コロナによる自粛期間を含めておよそ1年、試行錯誤をしながら続けてきた。
少しずつ形になってきた。
面白みも増してきた。
そしてお客さまも定着してきた。

音楽会の進行はお客さまのリクエストにお応えするのが基本。
とはいえその中に今自分が歌いたいテーマや歌を潜り込ませるのがミソ。
「小さなスナック」(パープル・シャドウズ)のリクエストを頂戴していた。併せて「B級グループサウンズ」を何曲かすべり込ませるのが今回の目論見。

1部の最後にこいつを持ってきた。
やはり知名度の点でイマイチだったようだ。お客さまによっては少々戸惑いのご様子。
このままでは1部を〆られないと思い、急遽同じパープル・シャドウズの「別れても好きな人」を。皆さんロス・インディオスでおなじみの歌。
なんとか無事に〆ることができた。

「ポピュラリティ」
歌声音楽会ではやはりこれが大きな要素になることをあらためて思い知った。

2部はマスターによるトークで始める。
今回は「かぐや姫」について。マスターのトークと関連付けて「加茂の流れに」と「赤ちょうちん」を歌う。

快調な滑り出し。
童謡・唱歌、オールデイズ、フォークソング、そして歌謡曲とジャンルを問わぬ多彩なリクエストであっという間に終盤へ。

今回は常連の皆様に加え、「テネシームーン普及協会」のミッチー若嶋さんご夫妻が来てくださった。ミッチーさんはバリバリのカントリーシンガーだ。
最後はカントリーソングをやろうと決めていた。
おなじみの「カントリー・ロード」~「テネシー・ワルツ」とつなげる。

そしてエンディングは「テネシー・ムーン」。
テンポをぐっと落とす。息をため込むように抑えた歌唱。あえてカントリー色を薄くする。そして最後にヨーデルを2コーラスつける。ここで一気にカントリー風味に。
去年から試みてきた歌い方だ。
お客さまにはじっくり聴いていただけたようだ。
ミッチーさんからもお褒めいただけた。

うまいこと歌声音楽会をまとめることができ、ほっと一安心。
あっという間の2時間半だった。

次回の「たそがれ歌声音楽会」は10月4日(日)。
来月からは冬時間で開始を1時間早め、16:00からの予定。

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2020.09.06

B級(?)GS特集  喫茶店JUNE たそがれ歌声音楽会

 

今夜5時からは「喫茶店JUNEたそがれ歌声音楽会」。
常連のTさんからリクエストを頂戴している。
パープル・シャドウズの「小さなスナック」がそれ。
シンプルな歌だけどギター1本でそれらしく(しかも参加者が歌いやすく)アレンジするのは結構難しいものだ。


いろいろひねくり回しているうちに忘れていたグループサウンズの歌をいろいろ思い出した。
それもどちらかというと爆発的なヒットには届かなかった歌ばかり。

「サハリンの灯は消えず」(ザ・ジェノバ)
「遠い渚」(シャープ・ホークス)
「愛のリメンバー」(寺内タケシとバニーズ)
etc...etc...
ついでに「別れても好きな人」(パープル・シャドウズ)
(この歌、後にロス・インディオスでヒットしたけど、もともとはパープル・シャドウズが歌ったものだ)

タイガースやテンプターズなどのヒット曲に対して、これらの歌はいわばB級といったところか。
売れた歌がA級でそうでないのがB級といってしまうのもナンだが、僕は好きだった。

この辺の歌はめったに歌うチャンスもないので、今回の「たそがれ歌声音楽会」では「B級G.S」を特集してみようかと思っている。
思春期の頃に戻ってね。

そうそうマスターとのコラボ内容が決まった。
マスターが「かぐや姫」についていろいろ語る。
かぐや姫の歌を2曲ばかり所望された。(超有名どころ)
マスターとのコラボは今回が2回目だ。
テーマを決めてマスターが語る。語りの内容に合わせて僕は歌う。
同年代のマスターの視点は興味深く、共感できる。
おもしろい試みだ。
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「喫茶店JUNE たそがれ歌声音楽会」
9月6日(日)17:00~19:00
喫茶店JUNE(ティー・ルーム ジュン)
 東武スカイツリーライン 獨協大学前(旧松原団地駅)
 東口 徒歩3分
参加費 1000円(1ドリンク付き)

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2020.08.30

2020年 09月のライブ・コンサート予定

09月06日(日) 喫茶店JUNE たそがれ歌声音楽会 

時 間  17:00~19:00
場 所  喫茶店JUNE(tea room ジュン)
料 金  ¥1000

★昭和の香り漂う喫茶店。
 昭和を彷彿とさせる歌の数々を参加された方々と歌います。
 歌と切っても切り離せないのがおしゃべり。
 ひとつの歌から様々なおしゃべりが飛び出す井戸端音楽会です。
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09月26日(土) アッパーカット☆ギグ

時 間  19:00開場 19:30開演
場 所  八潮 COOL BAR
      八潮市役所近く
出 演  Martin古池(19:30~) / ルチル(20:15~) / ハガクレ(21:00~)
料 金  ¥2000(1ドリンク付き)

友人バンド・ハガクレが企画する対バンライブに出演します。
ハガクレはARBのトリビュートバンド。火を吹くような演奏をお楽しみいただけます。
ルチルは中島みゆきカバーユニットだそうです。(まだお会いしたことがない)

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09月27日(日) みんなで歌おう・弾こうフォークソング

時 間  14:00~17:00
場 所  Live cafe おーるどたいむ
      東武スカイツリーライン 北越谷 東口 徒歩10分

★体にしみこむフォークソングを中心に歌う歌声音楽会。
 参加される方々のおしゃべりが生命線(?)の井戸端音楽会でもあります。
 Martin古池は水先案内人を務めさせていただきます。

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★「朝市コンサート」、「お好み焼きの三貴ライブ」等の毎月のレギュラーライブについては現段階では実施できない状況です。

  越谷市場やお店と実施可否については随時検討の上、開催できる場合はあらためてご連絡いたします。

 

 

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2020.08.28

サハリンの灯は消えず

先日、北方からの引揚げ兵の話を書いた。
あの一文を書いている時、突如フラッシュバックしてきたメロディ。
もう50年以上も前のG.S(グループサウンズ)の1曲だ。

  ♩サハリンの灯は いまなお消えず♩

このフレーズが強烈にすりこまれた。
中学生だった僕は歌詞の意味など頓着なしに聴き、真似ていた。
(サハリンとはなんぞやなどとは思いもせずに歌っていた)
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サハリンとは樺太(からふと)の別称。
北海道の北に位置する大きな島だ。
1809年に間宮林蔵によって島であることが確認されるまでは半島でシベリアの一部と思われていたそうだ。
樺太の領有をめぐり、長年にわたってロシア(帝政ロシア~ソ連~現ロシア連合)との壮大な綱引きがくり返されてきた。
近年に限って言えば日露戦争以降、南樺太は日本の領土となった。
太平洋戦争時には40万人もの日本民間人が住んでいたそうだ。
それが敗戦直前になって参戦したソ連軍によって犯され、以降ロシアによる実効支配が続いている。
いわば「もう一つの北方領土」だ。

敗戦により兵士の帰還、民間人の多くは緊急脱出で樺太=サハリンの地を後にせざるを得なかった。
(軍人・軍属、民間人あわせて約30万人で残りは居残らざるを得なかったそうだ)
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    【サハリンの灯は消えず】  
 
  サハリンの灯は いまなお消えず
  俺の心に 赤く燃える
  懐かしき山 姿もかすみ
  海峡の風 白く凍る
  北国の夏は恋に似て みじかい命
  くれなずむ浜辺 フレップは 淋しく赤く
  サハリンの灯を 恋して咲いて
  ふるさと捨てた 俺を泣かす

  この霧のかげに涙ぐみ 思いで捨てた
  あの人のくれた フレップは 初恋の味
  サハリンの灯は いまなお消えず
  俺はひとりで じっと見てる

    作詞:若木香 作曲:北原じゅん
    昭和43年2月 発売

   (フレップ:コケモモの一種)
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戦後20年以上経ってから、それもグループサウンズの中で樺太への望郷の念をテーマに歌われたことに驚きを覚える。
作曲の北原じゅんは南樺太出身。樺太から引揚げてきた時は16歳。いわば人生の中で最も多感な頃だ。
帰りたくても帰れぬ故郷への思いがこの歌にはこめられている。
そう思ってこの歌を聴くとぐっとくるものがある。
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ちなみに北原じゅんの弟は城卓矢。二人は引揚げ後室蘭で育ったそうだ。
函館出身の川内広範は叔父にあたる(叔母の元夫)。
川内広範は戦後遺骨引揚げ運動、日本人抑留者帰国運動をしていた。
後に「月光仮面は誰でしょう」を始め、膨大な作詞をしている。
北原じゅん、城卓矢はこの叔父の手引きもあり音楽に関わるようになったことは想像に難くない。
(なお作詞の若木香については良くわからなかったが、作詞にあたり北原の意向を汲んでいたのではないかと想像している)

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2020.08.27

母と戦争 その2 薙刀

【母と戦争 その2 薙刀】

1昨年、母は特養・旭が丘の家で「看取りの季節」を迎えていた。
眠りと覚醒の狭間をただよっていた。やがて眠りの時間が日々の大半を占めるようになっていた。周囲からは親しみを込め「眠り姫」とよばれていた。


夏の暑い日だったと思う。
陣中見舞いに帰函していた僕はいつものように眠る母のそばでギターを弾いていた。

ふと気がつくと母の両腕が微妙に前後に動いている。
何度も何度もそれをくり返す。
目は半眼。醒めているのいないのか。

  ん?
  どうしたのさ?

そう問うと母はぼそりと答える。

  なぎなた...なぎなたさ...
  わたしは...なぎなたの方が...得意だ...

瞬間なんのことか分からなかった。

  竹刀は...にがて...
  なぎなたは...身体がおぼえてる...

「軍事教練」のことか!
分かるまでしばし時間を要する。

函館高女(函館高等女学校=現函館西高校)時代に受けた学校教練でなぎなたをやっていたのだろう。
たしかに大正15年生まれの母は女学生時代はまさに戦時下だった。

どうやら母は眠りの中で女学生にタイムスリップしていたようだ。

やせ衰え、骨と皮だけでカサカサの腕がかすかに前後に動く。
胸が突かれ、絶句する。

気を取り直し、詳しい話を聞き出そうと話しかける。
が、母は再び眠りに落ちていた。

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写真は3枚は写真展「女学生たちの青春」より。
馬に乗る母は軍事教練ではないが同じ時代のものと思われる。

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2020.08.26

母と戦争 その1

1924-20

NHKのアサイチを観ていた。
今日の特集は「あちこちのすずさん」。
映画「この世界のかたすみに」の主人公すずさんは映画の世界だけではなく、どこにでもいた。「あちこちのすずさん」のそれぞれの戦時中の日常を取材する特集だった。
.
若かったころの母が僕に話してくれた戦争のエピソードを急に思い出した。
.
母は大正15年(昭和元年)生まれ。娘盛りの頃のお話だ。
戦前、母には初恋の人がいて、その人との結婚話もあったようだ。
しかしその人は戦後ソ連軍に拘束されシベリアに抑留されていた。
やがて数年間の抑留から解放され無事引き上げることができた。おそらく昭和23年~25年頃の話だろう。(函館港にはあわせて30万人以上の人が引揚てきたそうだ)
函館驛まで迎えに出た母が目にしたもの。それは帰還兵たちが驛で一斉にコサックダンスを踊り出すシーンだった。そしてスターリンとソ連を礼賛する言葉だったそうだ。

若き母には、己が目を疑うショッキングなシーンだったそうだ。

  いややや、唖然としたさ
  「百年の恋」もいっぺんで醒めた

その後彼は柏木町の母の家を訪ねてきたそうだが、
母は会おうともしなかったとか。
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数年後、母は元町のカトリック教会で父と知り合う。昭和28年に結婚し、翌年僕は生まれた。
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母が語ってくれた数少ない戦争の話だが、妙に生々しく思い出された。

1924-2

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