2017.06.22

リフレッシュ休暇

昨日から1週間の「リフレッシュ休暇」をいただいている。

4月に今の会社に再就職してから5年が経った。
5年頑張れば「はい、ごくろうさん」ってことで5日間のリフレッシュ休暇が取得できる。

前の仕事とは全く畑違いの職種。
60歳近くになって新しいことを覚えるのは容易ではなかった。
いまだにわからぬことが多く、都度勉強しながら業務に対応する毎日だ。
それでも自分なりにスタイルがようやっとできてきたように思う。

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5年は長く、短かった。
心身ともに日々消耗しきり、それでもなんとか再生産させながらやってきた。(自転車操業の毎日)

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今月いっぱいで「定年」を迎えることになる。
63歳の誕生日のある四半期で定年となる決まりなのだ。
7月からは再雇用という形で同じ業務にあたる。
馴れてきた頃に「定年」というのも皮肉なものだ。

当然労働条件面で大きな違いが出てくる。
その最たるものが「残業ができなくなる」ということだ。
本来残業に頼らず業務はこなされるべきものだが、なかなかそうもいかないのが実際だ。
これからは残業時間の厳しい制約を受けることになる。
作業量は多少軽減されるとはいえ、定時間内でこなすのはなかなかしんどい。
労働密度は今以上に上がることがおおいに予想される。

仕事の仕方や段取りの組み方を見直す必要があるだろう。
でもそれ以上に気持ちの持ち方をリセットすることが大切だと思う。

たとえやることは同じでも今までの延長としてあたるべきではない。
「現役」ではなくなるが「退役」となるわけではなく、あらたなるモチベーションで臨みたい。(時間の制約という大きな難物がある分今以上のモチベーションが必要だろう)

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気持ちのリセットをするために定年直前のリフレッシュ休暇は意味があるように思う。
この1週間の前半は体のケアと、延ばし延ばしになっていた家の用事にあてている。
(昨日は病院と役所と銀行をかけずりまわっていた)
後半はちょっとだが旅に出て心のケアをすることにしている。

「リフレッシュ休暇」すなわち「心身のリハビリ休暇」ということになる。
この1週間で少しずつ気持ちを切り替え、心持を塗りかえよと思う。

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「三貴ライブ」 5年前に考えていたこと。

5年前はこんなことを考えていたんだな。

通常営業中のサプライズライブ。
8年間、五里霧中、暗中模索を積み重ねてきた上での一定の結論にいたってる。

そこからさらに5年たち、より自然な気持ちで臨めるようになっている。

今の自分の立ち位置はこのころに固まってたんだな。
ちぃっと感無量。

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「お好み焼きの三貴ライブ」の記録と雑感

今月の三貴ライブはハードな状況だった。

店内はほぼ満席状況。
年齢層は20代~30代と比較的若め。

職場がらみの4~5人のグループが数組。
それぞれの卓に話の中心人物がいて話に花が咲いている。
飲むほどに酔うほどにボルテージは上がっていく。
意識は仲間内に向けられ、外へ向けられることなどない。
当然歌を聴いてもらえる状態には程遠い。
仮にAグループとしよう。

一方で食事を中心とした何組かのグループ。
2~3人のこじんまりとしたグループで、食事をしながらおしゃべり。
時に歌に反応し、微笑んだり拍手をくれたり。
こちらはBグループ。

そしてライブを目的に来てくれる常連さん数人。
Cグループ。

毎回ABCのグループが混在する中で三貴ライブは進む。
その時々でABC各グループの構成比が違い、それに応じてライブの状態は大きく変わる。

今回はAグループが多い。しかもボルテージはかなり高い。
ギターの音がかき消され、聞こえない。
むろんスピーカーの音量を上げれば済むことだ。
でもあえてそれは避け、微調整程度にとどめる。

「通常営業中のサプライズ・ライブ」が三貴ライブの位置づけ。

お客さんの邪魔にならないことをまず考えなければならない。
その上でお客さんとの共存をはかり、
さらに共感につなげていくべきものと考えている。

いたずらに音量を上げると「やかましい!」ということになり、
お客さんに不快感を与えることになる。

Bグループにもいいイメージを与えない。

食事客と共存するには適当な音量がある。
大きすぎると拒絶反応をまねき、小さすぎると埋没する。
埋没するとお客さんとの交歓が成立しない。
(自己満足だけに陥りやすい)

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歌い始めの数曲はAグループに圧倒された。
負けまいという思いが先行し、強めのパフォーマンスで入ってしまった。

徐々に軌道修正し、ターゲットをBグループにしぼる。

食事とおしゃべりの邪魔をせず、歌が自然に耳に入っていくという感じだ。

Aグループの圧倒的な喧噪のなかではそれもなかなか難しい。

平常心を保ちながら、1曲1曲をしっかり丁寧に歌うことを心がける。
(心が折れたら、その時点でライブは終わってしまう)

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1部は日本の歌アラカルト。

2部はカントリー・ソングを中心に洋楽を。

店内の喧噪はライブ終了まで変わることがなかった。

その意味では精神的にくたびれたけれど、随所でBグループからの反応をもらえた。

くわえてAグループのひとりからP.P.Mのリクエスト。

仲間うちでにぎわっていても、全く無視されているわけでもないんだと思えるうれしい瞬間。

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.20130315

【闘い済んで、つわものどもが夢のあと】

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「お好み焼きの三貴ライブ」はまもなく9年目に入る。

われながら毎月よく続いていると思う。

数年前までは武者修行・道場と思っていた。

聴く体勢にない人たちが多い中で歌うということは、それだけで猛烈なストレスだった。

「アウェイをホームに変える」と意気込んで臨んでいた。

「艱難汝を珠にする」だ。

反面で店に到着するまでの30分ほどの道のりはストレスで吐き気を覚えたり、胃が痛くなることもしばしばだった。
逃げ出したい衝動と闘いながらの道のりだった。

ライブが楽しいという感覚よりも、自分に課した修行という感覚の方が強かった。

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ここ1,2年、ライブへの臨み方に変化が出てきた。

三貴で歌うのがごくごく当たり前のことと受け止めるようになってきている。

見知らぬ人の前で、聴く体勢にない人も多い中で歌うこと

そのこと自体が自分のライブのスタイルだと思うようになっている。

「あたりまえの状態」

それはもう修行ではなく「日常」だ。

その時々の条件のもとで何ができて、何ができないのか

そんなふうに問題の立て方に変わっている。

慣れも多少はあるかとは思う。

でもこの意識の変化が何よりも大きいような気がする。

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今、三貴ライブが楽しいかと問われると答えに窮する。
(実際そう問われることがある)

でも苦しさが無くなったのは事実だ。

その状態をして「楽しさ」かといえば、ちょっと違うような気がする。

なにしろライブ中はある意味無我夢中。

楽しいと感じる余裕は正直ない。

ライブを終え人気のなくなった店でスタッフとお好み焼きをつつきながら、

ようやっとじわーっと充足感を感じている。

一所懸命やった結果、いい点も失敗もそっくりそのままありのままに受け止められる。

それが充足感につながり、時間差で「楽しさ」に変わっていくのかもしれない。

この先また心境の変化があるかもしれないが、
今はそんな気持ちで三貴ライブを続けている。

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最後にお店のスタッフの皆さんについて。

長年この場で歌い続けられたのはお店の支持・支援・ご協力・心くばりがあってのこと。

それがなければ8年も続けられるもんではない。

深く感謝するとともに、この先も二人三脚で少しでも長く続けられるように頑張りたい。

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2017.06.19

「朝市コンサート」を終えて 歌謡曲について

市場で歌った後はいつものラーメン屋さん。
ラーメンをすすりながらその日の演奏をふりかえるのがすっかり習慣になってしまった。
数年前まではその場は「喫茶いずみ」だったっけな。

8月のおーるどたいむライブをにらんで歌謡曲特集だった今日の朝市コンサート。

歌謡曲は身体にしみこんでいる。
幼い頃からあたりまえに聞いてたもんな。
学校の行き帰り大声で歌ってたもんな。
「骨まで 骨まで 骨まで愛して ほしいのよ」なんてね。

僕を通り抜けた歌謡曲は昭和40年代だった。
小学生~中学生、そして高校生のころだ。
つまり思春期から青春期の多感な時期に流れていた流行歌だ。

中学生頃からビートルズなどの洋楽も聞き始め、高校時代はフォークソングいっぺんとうだった。
それでも流行歌=歌謡曲は同居していた。

次のおーるどたいむライブのテーマは「私を通り抜けた昭和40年代の歌たち」ってのもおもしろいかも。
そうすると歌謡曲だけでなく洋楽も守備範囲に入ってくるしね。

なにより自分自身が無邪気に楽しめそうな気がする。

しばらくの間、選曲にかかりっきりになりそうだな。
なにしろ昭和40年代はものすごい数の歌を聞いてたからな。
好きな歌で、ちゃんとかたちにできる歌を選ぶ。
悩ましくも楽しい作業になりそう。

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2017.06.18

老母のメンタルケアについて

去年の今頃函館に帰省の折に感じたことを別のところに書いていました。

忘備のために再掲載します。

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オレにできるメンタルケアって。

午前中から夕方にかけて母と過ごす。
母はほとんどベッドで横になっている。
車椅子に乗せられてしゃんとしているのはほんの一時。
食事やオヤツやトイレの時くらい。

今日は院内の「ボンジュール」というホールでソフトクリームを食べ、一昨年まで過ごしていた老人ホーム「レジダント」の友人を訪ねた。
(母の住む特養とレジダントはボンジュールを挟んで長い廊下でつながっている)

最近の母にとってはそれは日常とは違う特別な行為。
子供達が陣中見舞いに行った時の特別な楽しみ。
いわばそれはお祭りのようなものだ。
数ヵ月にいちど陣中見舞いの時くらいそのお祭りの手助けをしようと思う。

反面で違う声も聞こえてくる。
お祭りの手助けも大事だけど、日常のありのままの母のそばにいることはもっと大事じゃないのか、ってね。

それはずいぶん前(母がまだわずかな介助でレジダントで「自立」できている頃)から感じるところだった。
特別なことをするわけではない。とりたてて話しかけることでもない。
その時々でポツリポツリと話を聞いてやる程度のことがとても大事なことのように思える。

母は一日の大半をベッドの中で夢とうつつの狭間を行き来している。
眠っているかと思うと突然昔話を始める。
話半ばで気がつくと半分眠りに落ちている。
起きているときの母は頭脳明晰。
人の話のテンポが早く聞きとりにくい。その分反応も遅い。
脳裏にあるものはしっかりとしたイメージを結んでいるのだが、それを言葉に置き換えるのにとてつもなく時間がかかる。

今回僕は意識的にほとんどの時間、部屋の片隅でギターを静かに弾き続けていた。
昔の映画音楽等をスローなテンポで引き続けた。
ジャニー・ギター、鉄道員、マルセリーノ、ドクトルジバゴ、太陽がいっぱい、エデンの東、ブーべの恋人・・・
思いつく限りを弾き続けた。
母が起きていようが眠っていようがおかまいなしに。

突如として食いついてくる。

   懐かしいね。
   お父さんが昔持ってたレコードにみんな入ってたね

そこから話が少しずつ膨らんでいく。
膨らんだなと思うと、また眠りに落ちている。
今日はそんなことをずっとくりかえしていた。

こちらから積極的に働きかけるよりは母の胸の中にあるものに寄りそうという感じだろうか。
特養の狭い部屋の中の空気に自分の存在を同化させていくとでもいうんだろうか。
ごく静かな「井戸端ライブ」をやっているような錯覚を覚えた。

昔、父が言っていた言葉が不意に浮かんだ。
(その頃の僕は10代の終わりから20代にかけて、血気盛りだった。歌で世の中を変えたい。そう思っていた頃だった)

   おい雅彦
   歌で世の中を変えるってことは、人を変えるということだ。
   それはもしかしたら、とんでもない思い上がりではないのか
   オレはむしろ人の思いの代弁者たりたい
   代弁者とは人と自分の心が同調しなければ共感は得られない。
   共感を得られなければ代弁者にすらなれない
   代弁者になれなくてどうして人の世を変えられるってんだ

数年にわたる父との議論の本質はここにあったような気がする。

おいた母のメンタルケアも僕の目指す「井戸端ライブ」も根幹に
共存、共感、共鳴といったことがなきゃならないんじゃないか。

そんなことを今思っている。

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衣替え

梅雨に入った。

明日の「お好み焼きの三貴ライブ」から夏に向かって舵を切る。

年に数度の歌の衣替え。
春の歌は蔵に収め、梅雨~初夏の歌をひっぱりだした。

明日は虫干しをかねて雨の歌を中心に歌おうか。

そして明日は三貴ライブを始めて12年目の一里塚。(あれ?13年目だっけか?)
当時よく歌ってたヤツもたくさんやろう。
あの頃よりは多少なりともよくなってるだろう。

明日が楽しみお好み焼きの三貴ライブ。

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13年目の一里塚 「お好み焼きの三貴ライブ」

「お好み焼きの三貴ライブ」。

無事、13年目の一里塚を通り抜けることができました。

若者たちや若い家族連れそしてちょっとご年配の方々で超満員。
そして僕のギターメンテナンスのアドバイザー、楽器屋MACSのSさんとその仲間たち。(彼らはアルフィー・カバーバンドのメンバー)。加えてMartin古池評論家MATSUMURA君。
にぎやかな歓声あふれる中でスタート。

今回のギターはGibson J45 LimitedをBINGOのアンプにつなぎ、コンデンサーマイクを立ててのスタート。
アンプからの音が客席を直撃しないように前面をディフューズして歌い始めます。

最初は13年前よく歌っていたヤツを中心に。
やがて雨の歌など季節の歌を。
あいまにアルフィーの歌を挟んだり、家族連れを意識して父親と息子をテーマにした歌。
外人の方もいらしたのでカントリーソングも混ぜて。

13年の年月が頭をよぎります。
思い通りにいかず試行錯誤の連続だった「三貴ライブ」。
自分にとってのライブの在り方を絶えずつきつけられてきたこのライブ。
やっと最近ここでの自然なライブの在り方が見えてきて、それが定着してきました。

そんなことを考えるともなく考えながらの1部でした。

休憩をはさんで2部は大半のお客様はお帰りになり、打って変わって静かなステージ。
アンプを落として完全アコースティックのナマ音で。
ギターの特性がよく出ます。
ギブソンJ45特有の音に低音の深さと高音のシャリシャリ感。
気持ちよく淡々と歌いきることができました。

この先、いつまでここで歌い続けることができるのか。
できることなら来年も再来年も70歳を過ぎても続けていきたい。
そのためには心身ともに鍛え続けなければならないな。
思いを新たにした「お好み焼きの三貴ライブ」でした。

あらためてこの13年来てくださった方々や偶然居合わせた多くのお客様、そして何よりもお店のスタッフの皆様に感謝いたします。

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2017.05.14

朝市コンサート 13年目のスタートの教訓

2017051313

気がつくと本日で13年目を迎えた「朝市コンサート」。

あっという間だったような、とてつもなく長い道のりだったような。。。

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昨夜から咳が止まらず、体調は今ひとつだった。

演奏中は咳に悩まされることはなかったが、声が鼻の奥にたまり抜けていかない。
無理に声を出そうとするから声がかたくなりぶつぎれになってしまう。

意識が声に行っているからギターの音もなんとなく耳に入ってこない。
知らずのうちに力が入り、ピッキングが雑な感じになってしまう。

普段なら歌もギターも自分の中から波動のように外に広がって出ていくイメージ。
ところが今朝は自分の中に音がとどまったまま、外に向かっていかない感が強い。

はた目には問題なく聞こえているとは思う。少なくとも演奏は破たんしていないと思う。

でも自分の中では「うまくいかない感」が渦まいている。

それはライブ・音楽会成功の成否は僕の場合「場の空気に同化できたか否か」が大きな要素になっているからだと思う。

ギターや歌全体としての音とそれにのせる自分の「気分」がうまく外に出せていない。
自分の中にとどまっているという感じ。
なんとかしようとつい力み空回りをしてしまう自家撞着。

こんな状態で「場の空気に同化する」など問題外。
つまりそれは敗北を意味する。
おのれをコントロールできなかった自分に対する敗北。

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長めの休憩をとり2部では多少修正できた。

でも全体としては「?」な本日の「朝市コンサート」だった。

.救ってくれたのは友人・松本さんの登場だった。

早めに終了し、撤収作業をしているところに彼はやってきた。

せっかく遠路足を運んでくれたのだ。急きょ2曲追加して歌う。

「万里の河」と「サンフランシスコ・ベイ・ブルース」をアップテンポで。

気持ちがノッた。

それまでのもやもや感は消え、爽快に歌い飛ばすことができた。

おかげで感じていた「敗北感」から脱出することができた。

「終わりよければ・・・」だ。

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うまくいかなかった理由はなにか?

多分その時の状態を正しく把握できなかったことだろう。

不調なのは明らか。なのに普段通りのアプローチに終始してしまった。

不調に気づいたらその段階で気持ちも演奏のアプローチも切り替えるべきだった。

「その時にできる最大限をやる」

いいかえると「その時できないことはやらない」ということだ。

この切り替えができていれば、選曲もアレンジや演奏のアプローチも変わってきただろう。

たとえ演奏の質は普段には及ばなかったとしても、自分の中では整理され納得できている。

だから音も気分も外に向かって発信できるはずだ。

そうなって初めて「場との同化」につながる。

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松本さんが来てくれてから歌った2曲。

これは外に向かっていた。

ターゲットが不特定多数ではなく、松本さんただひとりに絞られたから。

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市場での演奏、それは不特定多数が常態だ。

ターゲットを絞れない市場での演奏の難しさ。

通常の状態ならなんなく対応できる。
そうじゃない時でもその時々の自分を把握し、切り替えていく柔軟性の大切さ。

13年目を迎え、なお生まれいずるあらたなる課題。

いい教訓を得ることができた。

そんな13回目の一里塚が本日の「朝市コンサート」だった。

【関連記事】

→ 一昨年、10年目の記録。朝市コンサートが始まったころの経緯なども含めて

→ カテゴリ : 「朝市コンサート」

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2017.05.11

2017年05月 ライブ・コンサート予定

15月03日(水)  ライブ at アシベ

  ★茨城県のアシベでブッキングライブでした。(終了)

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05月13 日(土)  朝市コンサート

時 間   8:30~10:30
場 所   越谷市場
         地 図   

   ★越谷の台所「越谷市場」で毎月第2、第4土曜日

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05月13日(土)  歌おう! 弾こう! うたごえフォークソング

時 間    14:00~17:00
場 所    Live cafe おーるどたいむ
         司会&伴奏 Martin古池

いい演奏を聴くのも音楽の楽しみ
好きな歌を歌うこともまた音楽の楽しみ
歌いたい人も楽器で参加の人も一緒に楽しくやりましょう!.

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05月14日(日)  東日本大震災チャリティ・ライブ 

時 間   13:00~18:00
場 所   あずましい 相模大野

★友人・つー吉さん主催のチャリティライブ。
今回も出演いたします。

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05月18日(木)  函館旭が丘の家 特養コンサート

  ★調整中です。特別養護老人ホームで今風邪が大流行とか
   (前回はインフルエンザだった)
   当日の様子を見て判断予定です

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05月19日(金)  お好み焼きの三貴ライブ 

 ★北海道帰省のため今月はお休みです。
  もしかしたら、翌週26日(金)に突然やるかも・・・?

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05月27 日(土)  朝市コンサート

時 間   8:30~10:30
場 所   越谷市場
         地 図   

   ★越谷の台所「越谷市場」で毎月第2、第4土曜日

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2017.05.04

ライブ at アシベ

20170503

古くからの音楽友達ゆんぴょうに誘われて、茨城県猿島のライブバー・アシベに遠征。

久しぶりに5組のブッキングライブ。

パンクロック・バンド、ARBカバー・バンド(ゆんぴょうの所属するバンド)、そして弾き語り3人という出演者だった。

あらかじめゆんぴょうから課されたテーマがあった。

完全生音ライブでやってください
大暴れして、ラインなし、マイクなしでも
ガッツリいけるってことを見せつけてください

なんとまぁ、無茶な宿題を!

パンクロックの爆音に生音が対抗できるはずないじゃないか。

内心そう思ったが、対抗なんかしなきゃいいわけで。

爆音と爆音のはざまで存在感は充分に出せるはずだと思い直した。

アシベには10年ほど前にゆんぴょうのライブを観に行ったことがあり、なんとなく店のイメージはあった。

けっこう広めのスペースではあるが、生音でも充分いける造りだった。

問題はそこに居合わせたお客さんといかに早くキャッチボールができる雰囲気を作れるかだ。

これさえできればたとえピアニシモの音でも充分に伝わっていくものだ。

おそらくゆんぴょうが一番見たかったものはそれだろう。

完全アウェイの状況で僕が「畑を耕して」いく様子をみたいと思ったんだろう。
(ちなみにゆんぴょうの生業はお百姓さん)

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店内には茨城弁が飛び交っていた。

出演者たちは皆面識があり地元民の様子。

自分が演奏をしないのであれば、ローカルな雰囲気のライブバーは好き。

でも演奏する立場だと僕はよそ者感たっぷりのまさに完全アウェイこの上なし。

5組のリハを終えお店のマスターも出演順序に頭を悩ませた様子。

弾き語りの他の二人はラインどり、マイク使用。

それも低音を思いっきりブーストさせ、たっぷりリバーブを効かせる設定。
(お二人ともギターがとてもうまい。でもせっかくのギブソンJ45やギルドがもったいないなと、つい思ってしまうのは僕の悪いクセ)

完全生音は僕だけ。

結局僕がトップバッターで続いてギルドの兄さんが2番手。3番手にパンクロックバンドが入り、4番手はJ45の兄さん。最後はゆんぴょうたちARBバンドとなった。

まあ、順当ではあるかな。

マスターにしてみれば海のものとも山のものとも分からぬ僕が生音でやるってんだから安全な位置に置いておくしかないだろう。

スタート直前に「持ち時間は20分から30分の間です」と念押しもされてしまった。

そういわれるとこちらにも意地がある。ジャスト30分で仕上げてみせようと臨んだ。
(ライブの進行を見ていて思ったのだが、他の出演者も同様の時間制約がある中で平気で40分ほどやっている。マスターは新参者にくぎを刺し保険をかけざるをえなかったんだろう)

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僕のステージは目に見えないそんな緊張感の中でスタートした。

オープニングは「僕の星から」。

客席をみまわしながら歌ううちに視線が絡み合い始める。

最後の方には手拍子も出てきて入りとしてはまずまずの手応え。

「ごあいさつ」でお客さんに直接話しかける。距離は一気につまった感じ。

ややアップテンポで「サンフランシスコ・ベイ・ブルース」。

曲調とテンポの良さで手拍子ももらいいい感じで歌いきる。

ここまで距離が詰まればもう大丈夫。

カントリー・バラードを3曲続ける。

「テネシー・ムーン」~「I'll Hold You In My Heart」~「Crazy」

故郷を捨てて旅に出たけれど、いつも思うのは残してきた好きだったあの子。

こんな小さなテーマをもぐりこませる。

エンディングは「Lonly Togethr」

そして「勝手にアンコール」として「ありのままに」でしめた。

時間はジャスト30分!。。。ざまぁみろ(笑)

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ゆんぴょうから出された宿題はなんとかできたかなっという感じのステージだった。

実はこのライブの3日前里芋の芽をとっていて包丁で左中指の先端をざっくり切ってしまった。

水絆創膏を傷口に塗りこんで臨んだが、リハの段階では痛みで満足に弦を押さえられなかった。(マスターが不安に感じたのも無理はない)

ピンチだった。

不思議なもので本番が始まった瞬間バチッとスイッチが入る音が聞こえた。

痛さを感じてるどこじゃないよてなもんで、最後まで走り切れた。

アドレナリン沸騰ってヤツなんだろうな。

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トップバッターのいいところは、そのあとゆっくり他の出演者の演奏を楽しめるところ。

演奏を聴きながらそれぞれの出演者の背景などを想像しながらゆっくりすることができた。

興味を持ってくれた何人もの方に声をかけられ話をすることもできた。

うれしかったのはパンクバンドのギタリスト・ノロさん。

なんと函館出身で隣町の住吉町だったそうだ。
おとなりの谷地頭小学校に3年生までいたそうだ。
僕より2つ年下だから、そのまま残っていたら潮見中学校に同時期に時を過ごすことになっていたはず。
ノロさんはギターシンセを駆使し、興味深い演奏をしていた。

安心した(?)マスターとも帰りしないろいろ話をした。

古池さんはビートルズはやらないの?
ところどころにビートルズ的な音使いを感じるんだけど。
さりげなくディミニッシュをいれたりね

いやいや、僕のはジミディッシュ
マスター同様僕もリアルタイムでビートルズを聴いた世代だけど
僕にとってのビートルズは真空管ラジオから流れた音
それがすべてなんです
とてもおそれ多くて
自分がカバーして自分の中のビートルズを壊しちゃいけない
そんな思いがあるんです

でも影響は大きいみたいですね
随所にそんなにおいを感じましたよ
また声をかけさせてもらいますんで
ぜひ出演してください
その時も生音でね

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アシベにアウェイ感は消えていた。.

ライブの模様→https://youtu.be/MUE1Vs8RXkY

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2017.04.30

【記録】 おーるどたいむ de ライブ 2017年春の陣 with ツカサ

これまで何年も続けてきた「おーるどたいむ de ライブ」に初めて平成生まれのゲストプレーヤー登場。

清津の若武者・ツカサ。

De20174

ツカサが中学2年の時に清津峡キャンプ場で初めてであった。

「Live in 清津峡」だった。

嬉々としてギターに興じるおっさん、おばさんたちを目にしてギターを始めたツカサ。

以降秋の「Live in 清津峡」や年明け「Againライブ」で競演しながら成長を眺めてきた。

雨後のたけのこのように力をつけてきたツカサと「おーるどたいむ」で共演するのを楽しみにしていた。

De201711

透き通った透明な歌声、繊細なギターワーク、さわやかな笑顔。

新鮮で気持ちのいいステージを展開してくれた。

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1部が終了しての休憩時間にツカサと話していて驚くべき事実が判明した。

このお店、ブルーグラスのお店なんですね
僕のおじもブルーグラスのバンドでマンドリン弾いてるんです

彼の口から「ブルーグラス」って言葉を聞いたのは初めてで驚いて聞くとなんと「JELLY FISH」のマンドリン弾き・石坂研介さんだという。

おーるどたいむでも何度も演奏しているベテランマンドリン弾き。

その話をマスターやママさんに話すとびっくり、一同大興奮。

10年つきあってきて今日初めて知った事実。

驚きと興奮を引きずったまま2部に突入。

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De20173

僕が歌い始めたのはツカサと同じ中学2年生。

反戦・プロテストフォーク全盛の頃だった。

70年安保闘争やベトナム反戦運動を時代背景に
「歌で世の中が変えられるんじゃないか」

そんな熱病のような空気があった。

やがて70年安保闘争の敗北、ベトナム反戦運動の終息のなかで「社会派フォーク」も下火になっていく。

そんな流れの中で僕は自分の歌うべき歌は何かともがいていた。

「20年目の少年」

「シークレット」

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一方で北海道から東京に出てきた僕は3畳一間の学生下宿で1年を過ごしていた。

当時の学生のご多分に漏れず、腹をすかせながらわびしい貧乏生活をしていた。

神田川

悲しい気持ちで

De201714

それがツカサと同じ年頃の僕の毎日だった。

少々屈折した、決して明るいとは言えぬ時代は30歳ごろまで続いた。

そんな時代に別れを告げたきっかけは子供たちの誕生だった。

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暮らしに根差した歌を歌いたい。

社会的な歌もまた暮らしの中から生まれてくるものだろう。

そんな思いで僕は自分なりの羅針盤を作った。

人のなにげない営み、家族の歴史そんなことが大きなテーマになっていった。

De201713

この日、孫の奏吾(2歳半)が初めてライブに連れられてやってきた。

ジイチャンになった僕はこれまで「家族」の守備範囲は自分の両親と自分と子供たちだった。

孫ができることでその守備範囲が自分のじいさん、ばあさんから始まり孫にいたるまでの五代に広がった。

家族の歴史が一直線で見通せるようになった。

「夢」

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平成生まれのツカサをゲストに迎えた今回のライブ。

自分の歌の足跡をたどる試みになった。

45年の歩みを1ステージに詰め込むことはできないが、大きな流れだけでもさらうことができて良かったと思う。

夏草のように

ありのままに

Hony Power

De201715
部活・虎の穴で1曲インスト。今回マッスーはお休み。あいちゃんのハープ初登場

De201718
エンディングテーマの「さよならが云えない」。名ブルーグラッサー研さんの甥っ子ツカサも参加

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さくら

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反省点がいくつかある。

演奏の質が今ひとつだったこと。

トークが長くステージの時間が長引いてしまったこと。

「壮大なテーマ」に挑んだだけに、もっと余分なものをそぎ落とすべきだった。

テーマに沿った新曲が多かった。
そのため納得のいくところまで仕上げきれていなかった。

今後の大きな課題として残った。

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次の「おーるどたいむ de ライブは8月」。

7~8年前、一緒にやっていたちさこちゃんをゲストにお迎えする。

何曲かは一緒に歌おうと思っている。

今から楽しみだ。

De201714_2
今回ゲストのツカサと次回ゲストのちさこちゃん

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2017.04.29

【あらためてお知らせ】 「おーるどたいむ de ライブ 2017年春の陣」

明日に迫った「おーるどたいむ de ライブ 2017年春の陣」

昭和の日にお届けするこのライブ。...
平成生まれの若武者・ツカサと、昭和の香りプンプンオヤジのMartin古池がお届けする世代間競演ライブ。

僕がツカサの年頃に何を聴き、何を歌っていたのか。
それは今にどうつながってゆくのか。
ふたを開けてみなければわからぬ楽しみが・・・。

時間 : 4月29日(土)14:00開場 14:30頃開演
場所 : Live cafe おーるどたいむ
      東武スカイツリーライン 北越谷駅東口
      徒歩10分
      越谷郵便局の目の前
出演 : 1部 ツカサ : 2部 Martin古池と仲間たち
木戸銭: 1000円(ご飲食をお願いいたします)

みなさまのおこしをお待ち申し上げます。

De_2017

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2017.04.26

父と子

先日、初めて孫・奏吾と二人きりで1日を過ごした。

孫との接し方、僕はそれまでは一歩引いたところにいた。
いいじいちゃんを演じていたともいえる。

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ところが二人きりだとそうもいかない。
真正面から向き合う必要があり、そうである以上は甘い顔ばかりもしていられない。
「過激」に遊びまわり、時に叱る。
かつて自分が子供たちに接していたやり方が顔をのぞかす。

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子供たちが小学生まで、僕は親父の趣味嗜好を彼らに押しつけてきた。
サッカーしかり、山登りしかり、自転車しかり、そして音楽しかりだ。
過激に遊びまわった。
子供たちにしてみると楽しいひと時ばかりではなく、苦痛なこともあったろう。

同じ屋根の下で暮らしていたからこそできたことだ。

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孫は「スープの冷めない距離」に住んではいるが、別のかまどで暮らしている。
彼に僕のやり方で接するのはなんとなく気が引ける。
それは自分の子供たちには責任を持つ立場だったが、孫には責任を持てない立場だからかもしれない。

これが孫に対して一歩ひいた場所から接してきたワケかもしれない。

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僕の父もそうだった。
札幌と越谷、年に1回会えるかどうかというほど離れていたから余計そうだろう。
父は孫たちを可愛がってくれたが、やはり距離を置いていたのが僕にはわかった。
おそらく責任ある立場の親たる僕に対する配慮があったと思う。
子を諭すのは、そして子を叱るのは親の役目だから。
子を諭す僕を見つめながら、満足そうに笑っていた。

  30年前に俺がおまえにしてきたことを
  おまえが今時分の子供たちにしているのだよ

そう言いたげな顔だった。

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1日孫と向き合った晩、息子一家と食事をした。
僕はじいちゃんの顔と同時によみがえったオヤジの顔をにじませていたと思う。
回転寿司屋で食事をしながら、少しワルサした奏吾。

間髪を入れずに

  それはダメだっ!

と言った息子と僕。

同時に同じ口調で叱った息子と僕だった。
何ともおかしかった。

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